589 / 718
北部編:王城にて
シリルの心労
しおりを挟む
近衛兵は主人の傍を片時も離れない。ヴィクス王子が眠るときも、入浴するときも、用を足すときも、ドアの後ろで彼らが立って待っている。代わる代わる休息を取りながら、最低二人は常に王子の護衛をしていた。
ヴィクス王子はよく働く。
早朝から執務室にこもり臣下と会議をする。それが終われば国王や王妃と言葉を交わし、今後の政策などを話し合う(と言っても、ほぼ国王と王妃が、デレデレとヴィクスの話を聞いて頷いているだけだったが)。
昼からは再び執務室に籠り、領主や他国から送られてきた書類に目を通し、押印をしたり、返事を書いたり、暖炉に放り込んだりする。来客があれば応対し、顔を見たいというくだらない理由で王妃に呼び出されても、ヴィクスはすぐさま彼女の元へ足を運んだ。
一見勤勉で仕事のよく出来る王子のように見えたが、していることは悪政に次ぐ悪政と、それはもうひどいものだった。学院で帝王学を学んでいる自分たちの方がよっぽど良い政治ができるのではないかと、近衛兵の全員が思ったほどだった。
◇◇◇
ダフとシリルが護衛をしていたある夜のこと。
国王と王妃と共に過ごす晩餐を終え食事室を出たヴィクスに、ダフが思わず声をかける。
「あの……殿下」
「ん? どうしたんだい、ダフ」
「その……。殿下は、食事が嫌いなのでしょうか」
ダフの質問にヴィクスは足を止める。
ただでさえ王子に跪きもせず声をかけるという無礼を働いた上に、あまり触れてはいけないような気がする話題に、シリルは(何してるのダフーーーー!)と心の中で絶叫した。
「どうして?」
「俺……私がここに来て一週間が経ちました。この一週間で殿下は、私の一食分の食事しかとっていません。その、非常に心配で……」
「心配してくれてありがとう。大丈夫、少食なだけだから」
「しかし……。朝も昼も飲み物だけで、夜は陛下や王妃殿下に気付かれないよう、こっそり料理を床に落として食べるふりをしているだけで、一口も召し上がらないですし……。召し上がるものといえば、毎日果物の欠片をみっつだけ……。さすがにお体に……」
(ダフーーーーー! 死にたいの!? ねえ、たった一週間でどうして自ら死にに行くのぉーーーー!?)
シリルがダフの死を覚悟した時、ヴィクスがくすりと笑いダフと向き合った。
「ダフ」
「はい!」
「僕のことが怖くないの?」
「怖いです! でも心配なので、いてもたってもいられませんでした! すみません!」
「おや。僕の目の前で、僕のことを怖いと言った」
(あ、俺死んだな)
(死を悟るのが遅すぎるよダフゥゥ……)
しかし予想外にも、ヴィクスは楽しそうにクスクス笑うだけだった。
「君は正直で良い子だね。人に好かれるだろう」
「あ、はい。女にも男にも好かれます」
「ふふ。想像がつくよ」
「え、あれ。……えっと、あれ?」
「どうしたんだい?」
「あの、その、それだけ、ですか……?」
「?」
「えっと、てっきり首をはねられるかと……」
(ダフゥゥゥ……)
余計なことを言うなと、シリルはダフの背中を強くつねった。それでハッとしたダフは(またやってしまった……)と唇を噛みぷるぷる震えた。
ヴィクスは近衛兵二人を交互に見ただけで何も応えずに歩き出したかと思えば、ふと立ち止まり顔だけを彼らに向ける。
「君たちは本来ジュリアの近衛兵になるはずの子たちだ。今は僕が一時的に借りているだけ。だから殺さないよ。ジュリアに感謝するといい」
「……」
「さあ、早く寝室に戻ろう。今日は働きづめで疲れたんだ」
ヴィクスが寝室にこもったので、ダフとシリルが部屋の外で見張りをする。王子と離れられて安堵のため息を吐くダフの足を、シリルが思いっきり踏みつける。
「いだっ!」
「ダフ! ほんとに気を付けて! 何度君が死ぬかと思ったか!」
「すまんすまん! そんなに怒るなシリル!」
「怒るよ! だって君がやらかしたら、僕が君の首をはねないといけないんだよ!? そんなの嫌だよ!」
「すまない! でも、もう大丈夫だな! ジュリア様のおかげで、俺たちはそう簡単には殺されないぞ!」
「そんなの分からないよ!? この一週間で、王子が何人の従者や臣下を処刑してると思ってるの!? 僕たちだっていつ首をはねられてもおかしくないんだから!」
「そうだが……、俺は殿下があまりにも食べなくて心配でだなあ……」
「殿下の体型を見たら分かるでしょ? 彼、明らかに拒食症だよ。それに多分、味覚がないよ」
「なんだって!?」
驚いて大声を出すダフに、シリルは呆れてため息を吐く。
「気付いてなかった? 殿下は物を口に含んでいる時、すごく不快そうな顔をするでしょ。えずいている時もあるよ。飲み込むときすごく苦しそうだし、そのあと口をゆすぐように水をガブガブ飲む。寝室に用意されている焼き菓子でさえもね。殿下がきらいな食べ物を、殿下の寝室に置くはずがない。彼、後天的に味覚がなくなったんだよ。そしてそのことに、従者でさえも気付いてない」
「そうだったのか……」
「味覚がないのになにかを食べるって、不快でしかないと思う。きっと果物の欠片をみっつ食べることが精一杯なんだよ」
「しかしだな、だからと言ってずっとあのような食生活を過ごさせていたら、いつか死んでしまうぞ」
「……」
シリルは応えず、意味ありげな視線をダフに送る。ダフはその意図を読み込めず眉を寄せた。
「なんだ?」
「……なんでもない」
シリルは小さく首を振り口を噤んだ。これを口にしてしまったら、何もかもが終わってしまう。
ヴィクス王子はよく働く。
早朝から執務室にこもり臣下と会議をする。それが終われば国王や王妃と言葉を交わし、今後の政策などを話し合う(と言っても、ほぼ国王と王妃が、デレデレとヴィクスの話を聞いて頷いているだけだったが)。
昼からは再び執務室に籠り、領主や他国から送られてきた書類に目を通し、押印をしたり、返事を書いたり、暖炉に放り込んだりする。来客があれば応対し、顔を見たいというくだらない理由で王妃に呼び出されても、ヴィクスはすぐさま彼女の元へ足を運んだ。
一見勤勉で仕事のよく出来る王子のように見えたが、していることは悪政に次ぐ悪政と、それはもうひどいものだった。学院で帝王学を学んでいる自分たちの方がよっぽど良い政治ができるのではないかと、近衛兵の全員が思ったほどだった。
◇◇◇
ダフとシリルが護衛をしていたある夜のこと。
国王と王妃と共に過ごす晩餐を終え食事室を出たヴィクスに、ダフが思わず声をかける。
「あの……殿下」
「ん? どうしたんだい、ダフ」
「その……。殿下は、食事が嫌いなのでしょうか」
ダフの質問にヴィクスは足を止める。
ただでさえ王子に跪きもせず声をかけるという無礼を働いた上に、あまり触れてはいけないような気がする話題に、シリルは(何してるのダフーーーー!)と心の中で絶叫した。
「どうして?」
「俺……私がここに来て一週間が経ちました。この一週間で殿下は、私の一食分の食事しかとっていません。その、非常に心配で……」
「心配してくれてありがとう。大丈夫、少食なだけだから」
「しかし……。朝も昼も飲み物だけで、夜は陛下や王妃殿下に気付かれないよう、こっそり料理を床に落として食べるふりをしているだけで、一口も召し上がらないですし……。召し上がるものといえば、毎日果物の欠片をみっつだけ……。さすがにお体に……」
(ダフーーーーー! 死にたいの!? ねえ、たった一週間でどうして自ら死にに行くのぉーーーー!?)
シリルがダフの死を覚悟した時、ヴィクスがくすりと笑いダフと向き合った。
「ダフ」
「はい!」
「僕のことが怖くないの?」
「怖いです! でも心配なので、いてもたってもいられませんでした! すみません!」
「おや。僕の目の前で、僕のことを怖いと言った」
(あ、俺死んだな)
(死を悟るのが遅すぎるよダフゥゥ……)
しかし予想外にも、ヴィクスは楽しそうにクスクス笑うだけだった。
「君は正直で良い子だね。人に好かれるだろう」
「あ、はい。女にも男にも好かれます」
「ふふ。想像がつくよ」
「え、あれ。……えっと、あれ?」
「どうしたんだい?」
「あの、その、それだけ、ですか……?」
「?」
「えっと、てっきり首をはねられるかと……」
(ダフゥゥゥ……)
余計なことを言うなと、シリルはダフの背中を強くつねった。それでハッとしたダフは(またやってしまった……)と唇を噛みぷるぷる震えた。
ヴィクスは近衛兵二人を交互に見ただけで何も応えずに歩き出したかと思えば、ふと立ち止まり顔だけを彼らに向ける。
「君たちは本来ジュリアの近衛兵になるはずの子たちだ。今は僕が一時的に借りているだけ。だから殺さないよ。ジュリアに感謝するといい」
「……」
「さあ、早く寝室に戻ろう。今日は働きづめで疲れたんだ」
ヴィクスが寝室にこもったので、ダフとシリルが部屋の外で見張りをする。王子と離れられて安堵のため息を吐くダフの足を、シリルが思いっきり踏みつける。
「いだっ!」
「ダフ! ほんとに気を付けて! 何度君が死ぬかと思ったか!」
「すまんすまん! そんなに怒るなシリル!」
「怒るよ! だって君がやらかしたら、僕が君の首をはねないといけないんだよ!? そんなの嫌だよ!」
「すまない! でも、もう大丈夫だな! ジュリア様のおかげで、俺たちはそう簡単には殺されないぞ!」
「そんなの分からないよ!? この一週間で、王子が何人の従者や臣下を処刑してると思ってるの!? 僕たちだっていつ首をはねられてもおかしくないんだから!」
「そうだが……、俺は殿下があまりにも食べなくて心配でだなあ……」
「殿下の体型を見たら分かるでしょ? 彼、明らかに拒食症だよ。それに多分、味覚がないよ」
「なんだって!?」
驚いて大声を出すダフに、シリルは呆れてため息を吐く。
「気付いてなかった? 殿下は物を口に含んでいる時、すごく不快そうな顔をするでしょ。えずいている時もあるよ。飲み込むときすごく苦しそうだし、そのあと口をゆすぐように水をガブガブ飲む。寝室に用意されている焼き菓子でさえもね。殿下がきらいな食べ物を、殿下の寝室に置くはずがない。彼、後天的に味覚がなくなったんだよ。そしてそのことに、従者でさえも気付いてない」
「そうだったのか……」
「味覚がないのになにかを食べるって、不快でしかないと思う。きっと果物の欠片をみっつ食べることが精一杯なんだよ」
「しかしだな、だからと言ってずっとあのような食生活を過ごさせていたら、いつか死んでしまうぞ」
「……」
シリルは応えず、意味ありげな視線をダフに送る。ダフはその意図を読み込めず眉を寄せた。
「なんだ?」
「……なんでもない」
シリルは小さく首を振り口を噤んだ。これを口にしてしまったら、何もかもが終わってしまう。
11
お気に入りに追加
4,342
あなたにおすすめの小説
転生したら死んだことにされました〜女神の使徒なんて聞いてないよ!〜
家具屋ふふみに
ファンタジー
大学生として普通の生活を送っていた望水 静香はある日、信号無視したトラックに轢かれてそうになっていた女性を助けたことで死んでしまった。が、なんか助けた人は神だったらしく、異世界転生することに。
そして、転生したら...「女には荷が重い」という父親の一言で死んだことにされました。なので、自由に生きさせてください...なのに職業が女神の使徒?!そんなの聞いてないよ?!
しっかりしているように見えてたまにミスをする女神から面倒なことを度々押し付けられ、それを与えられた力でなんとか解決していくけど、次から次に問題が起きたり、なにか不穏な動きがあったり...?
ローブ男たちの目的とは?そして、その黒幕とは一体...?
不定期なので、楽しみにお待ち頂ければ嬉しいです。
拙い文章なので、誤字脱字がありましたらすいません。報告して頂ければその都度訂正させていただきます。
小説家になろう様でも公開しております。
異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。
sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。
目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。
「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」
これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。
なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。
【書籍化決定】俗世から離れてのんびり暮らしていたおっさんなのに、俺が書の守護者って何かの間違いじゃないですか?
歩く魚
ファンタジー
幼い頃に迫害され、一人孤独に山で暮らすようになったジオ・プライム。
それから数十年が経ち、気づけば38歳。
のんびりとした生活はこの上ない幸せで満たされていた。
しかしーー
「も、もう一度聞いて良いですか? ジオ・プライムさん、あなたはこの死の山に二十五年間も住んでいるんですか?」
突然の来訪者によると、この山は人間が住める山ではなく、彼は世間では「書の守護者」と呼ばれ都市伝説のような存在になっていた。
これは、自分のことを弱いと勘違いしているダジャレ好きのおっさんが、人々を導き、温かさを思い出す物語。
※書籍化のため更新をストップします。
出来損ないと呼ばれた伯爵令嬢は出来損ないを望む
家具屋ふふみに
ファンタジー
この世界には魔法が存在する。
そして生まれ持つ適性がある属性しか使えない。
その属性は主に6つ。
火・水・風・土・雷・そして……無。
クーリアは伯爵令嬢として生まれた。
貴族は生まれながらに魔力、そして属性の適性が多いとされている。
そんな中で、クーリアは無属性の適性しかなかった。
無属性しか扱えない者は『白』と呼ばれる。
その呼び名は貴族にとって屈辱でしかない。
だからクーリアは出来損ないと呼ばれた。
そして彼女はその通りの出来損ない……ではなかった。
これは彼女の本気を引き出したい彼女の周りの人達と、絶対に本気を出したくない彼女との攻防を描いた、そんな物語。
そしてクーリアは、自身に隠された秘密を知る……そんなお話。
設定揺らぎまくりで安定しないかもしれませんが、そういうものだと納得してくださいm(_ _)m
※←このマークがある話は大体一人称。
ぬいぐるみばかり作っていたら実家を追い出された件〜だけど作ったぬいぐるみが意志を持ったので何も不自由してません〜
望月かれん
ファンタジー
中流貴族シーラ・カロンは、ある日勘当された。理由はぬいぐるみ作りしかしないから。
戸惑いながらも少量の荷物と作りかけのぬいぐるみ1つを持って家を出たシーラは1番近い町を目指すが、その日のうちに辿り着けず野宿をすることに。
暇だったので、ぬいぐるみを完成させようと意気込み、ついに夜更けに完成させる。
疲れから眠りこけていると聞き慣れない低い声。
なんと、ぬいぐるみが喋っていた。
しかもぬいぐるみには帰りたい場所があるようで……。
天真爛漫娘✕ワケアリぬいぐるみのドタバタ冒険ファンタジー。
※この作品は小説家になろう・ノベルアップ+にも掲載しています。
日本帝国陸海軍 混成異世界根拠地隊
北鴨梨
ファンタジー
太平洋戦争も終盤に近付いた1944(昭和19)年末、日本海軍が特攻作戦のため終結させた南方の小規模な空母機動部隊、北方の輸送兼対潜掃討部隊、小笠原増援輸送部隊が突如として消失し、異世界へ転移した。米軍相手には苦戦続きの彼らが、航空戦力と火力、機動力を生かして他を圧倒し、図らずも異世界最強の軍隊となってしまい、その情勢に大きく関わって引っ掻き回すことになる。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
子爵家の長男ですが魔法適性が皆無だったので孤児院に預けられました。変化魔法があれば魔法適性なんて無くても無問題!
八神
ファンタジー
主人公『リデック・ゼルハイト』は子爵家の長男として産まれたが、検査によって『魔法適性が一切無い』と判明したため父親である当主の判断で孤児院に預けられた。
『魔法適性』とは読んで字のごとく魔法を扱う適性である。
魔力を持つ人間には差はあれど基本的にみんな生まれつき様々な属性の魔法適性が備わっている。
しかし例外というのはどの世界にも存在し、魔力を持つ人間の中にもごく稀に魔法適性が全くない状態で産まれてくる人も…
そんな主人公、リデックが5歳になったある日…ふと前世の記憶を思い出し、魔法適性に関係の無い変化魔法に目をつける。
しかしその魔法は『魔物に変身する』というもので人々からはあまり好意的に思われていない魔法だった。
…はたして主人公の運命やいかに…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。