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画廊編:4人での日々
耐える理由
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清潔ではあるが狭苦しい部屋。浴室も小さく、浴槽は足が伸ばせないほど窮屈だった。石鹸も安物、体を洗うタオルはペラペラ。入浴剤があるわけもなく、お風呂から上がった後すぐに肌がひどくつっぱった。潜り込んだベッドは硬く、布団は薄っぺらい。アーサーとモニカがいなければ、ジュリアとウィルクは即座に帰っていただろう。
その夜、ジュリアはモニカと同じベッドで、ウィルクはアーサーと同じベッドで眠った。ジュリアもウィルクも、姉と兄の胸に顔をうずめ、必死に怒りと屈辱と戦っていた。
「ジュリア、ごめんね…」
妹の頭を撫でながらモニカが呟いた。ジュリアは頭を振り、モニカにぎゅっとしがみつく。
「こちらこそ申し訳ありません。このようなことでここまで心が乱されるとは、私自身予想していませんでした」
「ううん。私の考えが至らなかったわ。…もう、ルアンへ戻る?」
モニカの問いかけにジュリアは黙り込んだ。ここに留まれば、幾度となく屈辱に耐えなければならないことが起こるだろう。本音を言えば今すぐにでも戻りたかった。今では狭苦しいと思っていたオリバ家の屋敷が恋しい。学院のベッドの方がここよりは寝心地が良いくらいだった。
「ふふ。そうだったわ」
「どうしたの、ジュリア?」
ジュリアがクスっと笑った。モニカは驚いて首を傾げる。
「思い出しました。今回と似たような感情を以前も抱いたことがあります」
「いつ?」
「学院へ入学したときですわ。この私が、ただの貴族たちと同じ寝室で眠らなければならないなんて、と。寝室も同じ、浴室も同じ。私のためだけの部屋なんてどこにもありませんでした。それは私にとって、ひどく屈辱的だったのです」
「はじめはいやだったのね。私が学院にいたときはそんな風には見えなかった」
「慣れとは恐ろしいものですのね。今では城の自分の部屋の方が居心地が悪いくらいですのよ。広すぎますし、ベッドが柔らかすぎる。当然ですわよね。私が王城へ戻るのは一年を通して3カ月半しかありません。8カ月半を、学院の狭苦しい共同寝室の硬いベッドで寝ておりますもの」
「ふふ。分かるわ。私も学院からポントワーブの家に戻ったとき、とっても寂しかったもの」
「ええ。そういうものですわ。きっと今回のこともいずれ慣れるでしょう。アーサー様とモニカ様のためであれば、私はいくらでも耐えて見せますわ」
(このお方たちは、想像を絶するほどの屈辱に耐えてこられたのですから。平民に頭を下げるというたったそれだけのことで怒り狂っているなんて、恥ずかしいわね)
「モニカ様。この度はご心配をおかけして申し訳ありませんでした。私はもう大丈夫ですわ。明日からは立派な平民になってみせます」
ジュリアが顔を上げた。姉の目を真っすぐと見て、いつもの勝ち気な表情を浮かべている。モニカは目じりを下げて妹を抱きしめた。
「ありがとう、ジュリア」
(耐える、か…。ジュリアにとってここは耐える場所なのね。トロワも学院みたいに、いつかジュリアにとって居心地のいいものになればいいけど…)
◇◇◇
「お兄さま」
「なあに、ウィルク」
ずびずびと鼻水をすすりながらウィルクが呼びかけた。アーサーは自分の寝衣で弟の洟を拭い、腫れあがった目を指で撫でた。ウィルクは兄の手を握り、頬をすり寄せる。
「無知とはこわいものですね。あの平民、挨拶の様式も知りませんでした。僕とお姉さまが頭を下げているというのに、ぽかんと口を開けているだけでした。あれがまた腹立たしかった。どうしてこのようなものに僕は頭を下げているのだろうと」
「うーん…」
何と答えていいか分からずアーサーは口ごもった。
「ごめんね。あんなことさせて」
「はい。お兄さまとお姉さまの頼みでなければ、インコを飛ばしていましたよ」
「うぅ…」
ウィルクは本気で怒っているようだった。その怒りはマドレーヌだけでなく、頭を下げさせたアーサーとモニカにも少なからず向けられていた。アーサーはうなだれて、おそるおそる弟に尋ねた。
「僕のこと、きらいになっちゃった…?」
「いいえ。だいすきです。だからこそ、苦しいのです。きらいになれたのであれば簡単でした。インコを飛ばせばいいだけなのですから。それができないんです。こんな仕打ちを受けても、僕はあなたたちのことをきらいになることができなかった」
「ウィルク…」
「お兄さま。あなたは一年前、僕の頬を思いっきりひっぱたきましたね」
「ああ、うん…」
「あんなこと誰にもされたことがありませんでした。僕に口ごたえした人も、僕の恋路を邪魔した人も、お兄さまがはじめてです」
「あはは…」
「あなたは僕を怒らせてばかりですね」
「す、すみません…」
ぐうの音も出ず、アーサーはか細い声で謝った。一年前のことを今さら掘り返すなんてよほど腹が立っているな、と途方に暮れていたが、ウィルクがプッと吹き出して笑いだした。
「ウィ、ウィルク…?」
「ククっ。思い出したら本当にそうだ。あの事件より前、僕はあなたを殺したいとずっと思ってた」
(実際死にかけたもんね…僕…)
「でも、あとになって考えると、僕の怒っていたことはくだらないことでした。今ではそう思います。お兄さま。今回の僕の怒りもきっと、くだらないことなのでしょう?」
「…君にとっては、とても大きな怒りだと思う。でもそれを乗り越えたらきっと、楽しいことが起こるよ」
ウィルクは兄の目を見た。それはいつもアーサーの前で見せる甘えた表情ではなく、毅然とした王子の瞳をしていた。威圧感のある目に、アーサーも真剣な表情になる。
「一年前、僕の怒りがくだらないことだったと気付いてから、世界ががらりと変わりました。今回もそうですか?」
「きっとそうなる」
「約束です。もしそうならなかったら、お兄さまはこれから僕の傍を一生離れないでください」
「う、うん…」
ウィルクはニッと笑った。
「分かりました。お兄さまを手に入れられるのであれば、このようなこといくらでも耐えて見せますよ。たったの5日間。この屈辱に耐えるだけで、お兄さまは一生僕のものだ」
「いや…そっちを期待しないでよウィルク…」
「明日が楽しみになってきた!僕は完璧な庶民を演じてみせますよ、お兄さま!」
「あ、うん…」
元気になったウィルクは嬉しそうに兄に抱きついた。これからはずっとお兄さまと一緒に眠れるんだ、とかなんとか言いながらゆっくりと眠りに落ちる。アーサーは安堵のため息を漏らしたが、もし本当にウィルクのお願いを聞かなきゃならなくなったら今度はモニカが怒り狂うな、と考えると明け方まで眠れなかった。
その夜、ジュリアはモニカと同じベッドで、ウィルクはアーサーと同じベッドで眠った。ジュリアもウィルクも、姉と兄の胸に顔をうずめ、必死に怒りと屈辱と戦っていた。
「ジュリア、ごめんね…」
妹の頭を撫でながらモニカが呟いた。ジュリアは頭を振り、モニカにぎゅっとしがみつく。
「こちらこそ申し訳ありません。このようなことでここまで心が乱されるとは、私自身予想していませんでした」
「ううん。私の考えが至らなかったわ。…もう、ルアンへ戻る?」
モニカの問いかけにジュリアは黙り込んだ。ここに留まれば、幾度となく屈辱に耐えなければならないことが起こるだろう。本音を言えば今すぐにでも戻りたかった。今では狭苦しいと思っていたオリバ家の屋敷が恋しい。学院のベッドの方がここよりは寝心地が良いくらいだった。
「ふふ。そうだったわ」
「どうしたの、ジュリア?」
ジュリアがクスっと笑った。モニカは驚いて首を傾げる。
「思い出しました。今回と似たような感情を以前も抱いたことがあります」
「いつ?」
「学院へ入学したときですわ。この私が、ただの貴族たちと同じ寝室で眠らなければならないなんて、と。寝室も同じ、浴室も同じ。私のためだけの部屋なんてどこにもありませんでした。それは私にとって、ひどく屈辱的だったのです」
「はじめはいやだったのね。私が学院にいたときはそんな風には見えなかった」
「慣れとは恐ろしいものですのね。今では城の自分の部屋の方が居心地が悪いくらいですのよ。広すぎますし、ベッドが柔らかすぎる。当然ですわよね。私が王城へ戻るのは一年を通して3カ月半しかありません。8カ月半を、学院の狭苦しい共同寝室の硬いベッドで寝ておりますもの」
「ふふ。分かるわ。私も学院からポントワーブの家に戻ったとき、とっても寂しかったもの」
「ええ。そういうものですわ。きっと今回のこともいずれ慣れるでしょう。アーサー様とモニカ様のためであれば、私はいくらでも耐えて見せますわ」
(このお方たちは、想像を絶するほどの屈辱に耐えてこられたのですから。平民に頭を下げるというたったそれだけのことで怒り狂っているなんて、恥ずかしいわね)
「モニカ様。この度はご心配をおかけして申し訳ありませんでした。私はもう大丈夫ですわ。明日からは立派な平民になってみせます」
ジュリアが顔を上げた。姉の目を真っすぐと見て、いつもの勝ち気な表情を浮かべている。モニカは目じりを下げて妹を抱きしめた。
「ありがとう、ジュリア」
(耐える、か…。ジュリアにとってここは耐える場所なのね。トロワも学院みたいに、いつかジュリアにとって居心地のいいものになればいいけど…)
◇◇◇
「お兄さま」
「なあに、ウィルク」
ずびずびと鼻水をすすりながらウィルクが呼びかけた。アーサーは自分の寝衣で弟の洟を拭い、腫れあがった目を指で撫でた。ウィルクは兄の手を握り、頬をすり寄せる。
「無知とはこわいものですね。あの平民、挨拶の様式も知りませんでした。僕とお姉さまが頭を下げているというのに、ぽかんと口を開けているだけでした。あれがまた腹立たしかった。どうしてこのようなものに僕は頭を下げているのだろうと」
「うーん…」
何と答えていいか分からずアーサーは口ごもった。
「ごめんね。あんなことさせて」
「はい。お兄さまとお姉さまの頼みでなければ、インコを飛ばしていましたよ」
「うぅ…」
ウィルクは本気で怒っているようだった。その怒りはマドレーヌだけでなく、頭を下げさせたアーサーとモニカにも少なからず向けられていた。アーサーはうなだれて、おそるおそる弟に尋ねた。
「僕のこと、きらいになっちゃった…?」
「いいえ。だいすきです。だからこそ、苦しいのです。きらいになれたのであれば簡単でした。インコを飛ばせばいいだけなのですから。それができないんです。こんな仕打ちを受けても、僕はあなたたちのことをきらいになることができなかった」
「ウィルク…」
「お兄さま。あなたは一年前、僕の頬を思いっきりひっぱたきましたね」
「ああ、うん…」
「あんなこと誰にもされたことがありませんでした。僕に口ごたえした人も、僕の恋路を邪魔した人も、お兄さまがはじめてです」
「あはは…」
「あなたは僕を怒らせてばかりですね」
「す、すみません…」
ぐうの音も出ず、アーサーはか細い声で謝った。一年前のことを今さら掘り返すなんてよほど腹が立っているな、と途方に暮れていたが、ウィルクがプッと吹き出して笑いだした。
「ウィ、ウィルク…?」
「ククっ。思い出したら本当にそうだ。あの事件より前、僕はあなたを殺したいとずっと思ってた」
(実際死にかけたもんね…僕…)
「でも、あとになって考えると、僕の怒っていたことはくだらないことでした。今ではそう思います。お兄さま。今回の僕の怒りもきっと、くだらないことなのでしょう?」
「…君にとっては、とても大きな怒りだと思う。でもそれを乗り越えたらきっと、楽しいことが起こるよ」
ウィルクは兄の目を見た。それはいつもアーサーの前で見せる甘えた表情ではなく、毅然とした王子の瞳をしていた。威圧感のある目に、アーサーも真剣な表情になる。
「一年前、僕の怒りがくだらないことだったと気付いてから、世界ががらりと変わりました。今回もそうですか?」
「きっとそうなる」
「約束です。もしそうならなかったら、お兄さまはこれから僕の傍を一生離れないでください」
「う、うん…」
ウィルクはニッと笑った。
「分かりました。お兄さまを手に入れられるのであれば、このようなこといくらでも耐えて見せますよ。たったの5日間。この屈辱に耐えるだけで、お兄さまは一生僕のものだ」
「いや…そっちを期待しないでよウィルク…」
「明日が楽しみになってきた!僕は完璧な庶民を演じてみせますよ、お兄さま!」
「あ、うん…」
元気になったウィルクは嬉しそうに兄に抱きついた。これからはずっとお兄さまと一緒に眠れるんだ、とかなんとか言いながらゆっくりと眠りに落ちる。アーサーは安堵のため息を漏らしたが、もし本当にウィルクのお願いを聞かなきゃならなくなったら今度はモニカが怒り狂うな、と考えると明け方まで眠れなかった。
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