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異国編:ジッピン前編:出会い

【262話】ヴァジーのはったり

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(キヨハルさんは簡単に値を下げてくれない…。だが、この反応から見てヒデマロは自分のウキヨエに50,000ウィンの価値はないと思っているはずだ。おそらく彼は、どちらかというと僕たちが提示した金額の方が妥当だと思っている。だったらヒデマロと話をした方がこちらの値に近づけることができる。ヒデマロに交渉の経験もないだろうし、言葉で誘導することも容易い…。そういうことだね、カユボティ。まったく、君は本当に…。僕は絶対にカユボティと商談なんてしないぞ。おそろしくてかなわない)

火花を散らしているカユボティとキヨハルの傍で、ヴァジーはぶるっと身震いした。味方であるはずの相棒のしたたかさが、ある意味キヨハルよりもおそろしく感じた。彼が相棒でよかったという気持ちより、彼が商談相手ではなくてよかったという気持ちの方が強かった。

ヴァジーは深呼吸をして気持ちを落ち着けた。柔らかい微笑みを意識的に作り、ヒデマロに話しかける。

「ヒデマロはどう思う?いくらで買い取って欲しいかな。僕たちは君のウキヨエに敬意を払っている。だから君の意見を尊重したいんだ」

「言葉遊びがうまいことうまいこと」

嫌味たっぷりにキヨハルがそう呟いたが、ヴァジーはかまわずヒデマロに微笑みかけた。ヒデマロはオロオロとキヨハルの様子を伺いながらも、遠慮がちに自分の気持ちを言葉にした。

「ヴァジーさん。俺はまだ学生で、本物の浮世絵師でもありません。だから、そもそもあなたたちが俺の絵を買いたいと言ってくれたこと自体が信じられません。俺の浮世絵は普通じゃない。ジッピンの人たちは俺の絵のことを下手くそだと言って鼻で笑います。なのに、あなたたちは素晴らしい絵だと言ってくれた。その上本屋で売ってる浮世絵の相場よりも高く見積もってくれた。それだけで俺は嬉しいです。…でも正直言うと、俺の浮世絵はすごいんでもうちょっと出してほしいなーなんて思ったり思わなかったり…」

「ははは!ヒデマロ。僕はやはり君が好きだ。君のウキヨエも好きだが君自身のことがとてつもなく好きだ。世間に受け入れられなくても、自分の価値を落とさない。素晴らしい。まったく…本当にクロネによく似ている。…分かったよ。君がそう言うなら…1,000ウィンまで値を上げよう。君の未来へ投資する」

「いきなり倍額?!うわあああヴァジーさんありがとうございます!!じゃあそれで…」

ヒデマロが大喜びでその金額を受け入れようとしたとき、キヨハルが彼の口元にぽんと扇子を当てて黙らせた。キヨハルの目を見てヒデマロが「ひぅ…っ」と顔を青くする。ヴァジーたちには彼の表情が見えなかったが、笑みを絶やさないままおそろしく冷たい目をしているところが安易に想像できてヒデマロに同情した。

キヨハルは静かになったヒデマロの耳元に口を寄せ、ヴァジーに視線を送りながら囁いた。

「ヒデマロ。乗せられちゃいけないよ。彼はもともと1,000ウィンを出すつもりだったんだ。500ウィンで買い取ろうなんてはじめから微塵も思っていない。彼は言葉選びが上手だから気を付けて。気持ち良く損をさせられてしまうよ」

「いやそれでも1,000ウィンで充分でしょうキヨハルさあん…。なんですか50,000ウィンって…。さすがの俺でも自分の浮世絵に50,000ウィンの価値があるなんて思えませんよ…」

「いいや、あるよ。君はもっと自分の浮世絵の価値を自覚した方がいい。だが彼らには負けるねえ。早速30,000ウィンに下げられてしまった」

「30,000ウィンでも高いですって…」

「はぁ…。分かったよ。では20,000ウィンまで下げよう」

「俺は1,000ウィンでいいんですってばぁ…」

「まったく。困ったものだね…。彼らでなければヒデマロの真の価値が分からないが、彼らであれば思い通りの値になんてさせてもらえない。厄介厄介」

「俺からしたらキヨハルさんのほうが厄介ですよ…」

「ヒデマロ、もっと言ってやってくれ」

ヴァジーがニマニマ笑いながらヒデマロに声をかけた。それでカチンときたのか、キヨハルから余裕の笑みが消えて鋭い眼光を隠そうともせずヴァジーを見据えた。

「ずいぶん余裕ぶっているじゃないかヴァジー。君も分かっているんだろう?私にはまだ余裕がある。だが君たちにはもうないね。どうする?今の時点では私の方が有利だよ」

「絵師であるヒデマロが1,000ウィンでいいと言っているのですよ。それ以上商談の余地がありますか?」

「忘れちゃいけないねヴァジー。ヒデマロの実質的版元は私だよ。私が頷かなければ摺ってもらえないよ?」

「ちっ…」

「ヒデマロを味方につけたくらいで私が1,000ウィンで売るとでも?あまいあまい」

「この野郎…」

楽し気にケタケタ笑うキヨハルと、母国語で悪態をつきながらぴきぴきと青筋を立てているヴァジー。1,000ウィンまで下げられるとはヴァジー自身も考えていなかったが、20,000ウィンまでしか下げられなかったのは誤算だった。二人のやり取りを聞き取れるアーサーはおろおろとしながら二人の様子を見守っている。何も聞き取れず退屈でしかないモニカはうとうとと船を漕いでいた。

(こうなったら…ハッタリで無理矢理値を下げてやる)

ヴァジーはしばらく黙りこくったあと、咳ばらいをしてヒデマロのウキヨエを手に取った。それを眺めながら、独り言のように呟く。

「新しすぎるヒデマロのウキヨエは、ジッピンではあと数年…下手したら十数年は受け入れられないでしょう。ちがいますか?」

「……」

「あなたはそれまで何もせず、彼のウキヨエを手元において温めておくおつもりですか?」

「ふむ…。そうきたか。続けて」

「…バンスティンに流れれば遅くとも5年後…早ければ今年中にヒデマロのウキヨエが世界でもてはやされることになる。僕には分かる。これは間違いなくバンスティンにウケる。ブルジョアが買い漁り、貴族がかき集め、その人気は隣国へも広がるでしょう。世界で評価されたとなればジッピンでの評価も上がる。それはあなたにとっても都合がいいことのはず。目先と遠すぎる未来に囚われ、最善の道を読み違えているのではないですかキヨハルさん?」

「……」

堂々とした態度でヴァジーがさらさらと言葉を紡ぎキヨハルの説得を試みる。表情も仕草も自信に満ち溢れているように見えるが、彼の額には一筋の汗が流れていた。

(自分で言ってて笑えるな。ウキヨエがバンスティンにウケるかどうかなんて僕に分かるわけがないだろう。確かにヒデマロのウキヨエは素晴らしいが、僕たちの絵ですら受け入れられないバンスティン人にこの良さが分かるかどうか…。そんなもの、僕には分からないんだよ!正直ウキヨエで喜ぶ人なんて仲間くらいなんじゃないかと思ってるくらいなんだから!だが、僕はカユボティを信じている。彼は見誤ることなんてしない。きっとウキヨエは受け入れられる。知らないけどね!でもこのくらい言わないとキヨハルさん説得できないし!だからいやなんだよカユボティ早くジッピンのことば覚えてくれ頼む!!!)

緊張とプレッシャーで心にまったく余裕がないヴァジーは内心ひどく荒れていた。本心とちがうことを、さも自信ありげに話すのは非常に難しい。相手がキヨハルであればなおさらだ。中途半端な演技をしたらすぐに勘付かれるだろう。

ヴァジーは本心をおくびにも出さず、声色を変え、穏やかにキヨハルに語りかけた。

「今あなたがすべきことは1枚を高値で売ることではないでしょう。できるだけ多くの枚数をバンスティンへ流し、できるだけ早く世界に彼のウキヨエを認知させること。そうではないですか?」

ヴァジーの話を静かに聞いていたキヨハルは、見定めるようにしばらく彼を見つめていた。そして、フッと笑い軽くため息をついた。

「ヴァジー。君も商談が上手になったね。…分かった。10,000ウィンまで下げようか」

「くそ、まだ10,000ウィン…」

ヴァジーはバンスティンのことばで呟き唇を噛んだ。もう彼ができることは全てしつくした。キヨハルももうこれ以上下げるつもりはなさそうだ。一筋の汗を流しながらカユボティを見る。カユボティは先ほどとは違い真剣な目をしていた。交渉が大詰めまで来ていることを分かっているのだろう。

「いくらまでいった?」

「…10,000ウィン」

「やるじゃないかヴァジー。上出来だ」

「だが、君にとっては物足りないだろう?」

「そうだね。できるならせめて5,000ウィンまでは下げてほしいな」

「無茶を言う」

「手は出し尽くしたのかい?」

「すべてね」

「ふむ…」

カユボティは考え込んだ。正直に言えば10,000ウィンでも充分黒字になるだろう。だが、キヨハルはもともと10,000ウィンで売るつもりだったはずだ。彼の思惑通りに動くのは面白くない。

「何か手はないかな…」

「ア、アノ!!」

「?」

「?」

「?」

商談が行き詰まったとき、アーサーが大声をあげて突然立ち上がった。
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