上 下
206 / 718
淫魔編:モニカの画家生活

【226話】恋する画家

しおりを挟む
《ドルワンダンジョン モウスグカンリョウスル ミンナゲンキ ドクハヤクノミタイ》

「よかった。3つめのダンジョンも順調だったみたいね。インコ、アーサーに伝言をお願い。"最後まで気を付けて。毒はまだだめ。ベニートたちもどうか無事で"」

《サイゴマデキヲツケテ ドクハマダダメ ベニートタチモドウカブジデ》

「うん」

モニカは宿の窓からインコを飛ばす。今もきっとダンジョンで戦っているアーサーたちに思いを馳せて、遠くの空をしばらく眺めた。

モニカがアトリエに通い始めて2週間が経った。その日は早起きをして宿を出た。早朝のルアンは人が少なく、静かでまるで違う町のようだった。モニカは散歩をしている老人と挨拶を交わしながらアトリエへ向かう。

眠い目をこすりながらアトリエに入ったが、まだ誰も来ていないのか明かりがついていなくてシンとしていた。モニカはもくもくと絵を描く準備をして「よしっ」と筆を握った。クロネに教えてもらったとおりに油絵の具でキャンバスを彩っていく。

「おや、今日はモニカが一番乗りか」

声がしたので振り返ると、バゲットを抱えてアトリエに入ってきたヴァジーの姿があった。

「おはようヴァジー。うん、もっと上手になりたいからたくさん描きたくて」

「モニカは真面目な良い子だね。クロネに見習わせないとな」

ヴァジーはテーブルに紙袋を置き、モニカのキャンバスを覗き込む。画家に絵を見られるときはいつもそわそわしてしまう。恥ずかしくてキャンバスを隠したい気持ちでいっぱいだが、うまくなるためにグッとその衝動を堪えた。

しばらくたってもヴァジーが何も言わないので、モニカは不安げに彼の顔を見上げた。ヴァジーは絵を見ながら目じりをさげて微笑んでいる。

「モニカの絵は素敵だな。君、絵の才能があるよ。画家を目指してみる気はないか?」

「えっ?!そ、そんなあ。ヴァジーってばおおげさよ」

「いや、本気で言ってるんだがなあ」

モニカが今描いているのはもちろんアーサーの絵だ。兄がソファに腰かけてうたた寝している姿。デッサンが未熟でパースも狂っているが、柔らかいタッチでぬくもりのある、優しい気持ちにさせる絵だ。クロネの絵に影響を受けているのか色彩が淡く、見ているだけで癒される。

「完成が楽しみだ」

「ねえヴァジー…」

「なんだい?」

「これ、アーサー気に入ってくれると思う…?」

不安げにボソボソと呟くモニカに、ヴァジーはクスっと笑って頭を撫でた。

「きっと気に入るさ。だってモニカの愛情がたっぷり詰まっているんだから。この絵を見ただけで、君がアーサーのことが大好きだって伝わってくるよ」

「ほんとうに…?」

「もちろん本当だよ。僕がアーサーだったら、気に入りすぎて自分以外の誰にも見せたくないと思ってしまうかも」

「な、なんだか恥ずかしい…」

絵を褒められているだけなのに、まるで口説かれているかのように感じてモニカは頬を赤らめた。だが、その感覚はあながち間違ってはいなかった。ヴァジーをはじめ、クロネやリュノたちは、モニカの描く拙くも魅力的な絵に恋をしてしまっていたからだ。

「いつかモニカに僕の絵も描いてほしいな」

「えへへ。お仕事分の絵が描き終わったらヴァジーたちを描こうと思ってるの!」

「本当かい?それは嬉しいな。だったら僕もモニカの絵を描こうかな」

「わーい!絵のプレゼント交換だね!楽しみ!」

「本当に。君には僕たちがどう映ってるのか見るのが楽しみだな」

ヴァジーはそう言うとモニカの元を離れて行った。もうすぐ到着するであろう貧乏画家のために、バゲッドをバスケットに入れてテーブルの中央へ置く。水、りんごジュース、アブサン(貧乏画家が大好きな酒)と3種の飲み物まで用意していた。モニカはそれを見てクスっと笑った。

(ヴァジーって本当にクロネたちが大好きなのね。なんだかんだ言ってクロネたちが喜ぶことばっかりしてるんだもの)

「モニカ、何をニヤニヤしてるんだい?」

「えっ?!な、なんでもない!」

◇◇◇

数時間後、ふぁーとあくびをしているリュノ、寝ぼけているのかふわふわしているシスル、お風呂に入っていないのか少しにおうだらしのない恰好をしたクロネが集まった(クロネの恰好を見てヴァジーが小言を言っていた)。みな当たり前のようにテーブルに置いてあるバゲッドを頬張り談笑している。モニカも休憩がてら一緒に朝食をとった。

「モニカ、そろそろ1枚目の絵が完成しそうだねえ」

おっとりした口調でシスルが話しかける。モニカは元気いっぱいに「うん!」と頷いた。

「今日中に完成すると思う!」

「明日からは2枚目の絵を描くのかい?」

「そうだなあ。そうしないときっと間に合わないわ。だって1週間後にはジッピンに行くし」

「モニカ、いい心がけだが明日は息抜きをしないか?室内でずーっと絵を描いてたら気が滅入るだろう」

クロネがモニカの空いたグラスにりんごジュースを注ぎながら言った。

「でもアーサーに…」

「数日前に帰ってきたときアーサーが言ってたぞ。期間中に3枚の絵が描けなくてもいいって」

「え?」

「まだ君が1枚目の絵を描いてる最中だって伝えたらそう言ってたんだ。モニカのペースで描いてくれたらそれでいいって。3枚の絵を完成させることより、モニカに絵を描く楽しさを教えてあげてほしいって」

「アーサー…」

「だから、明日は戸外制作をしよう。戸外制作…つまり外で絵を描くってことなんだが。アトリエで描くよりずっと楽しいからな」

「普通の画家は基本的にアトリエに籠って絵を描くんだけど、俺たちはよく戸外制作をするんだ。だってその方が、自然の光を目に映せるから」

「それになモニカ。景色は一瞬で変わる。雲の形、光の差し込み…少し目を離せばさきほどと全く違う景色が目の前に広がっているんだ。同じ景色は二度と見ることができない。その儚さを絵に閉じ込めるんだ。それができるのは戸外制作でだけなんだよ。モニカもその一瞬を描いてみたくはないかい?」

「こんな辛気臭いアトリエで絵を描くよりずっと楽しいよ」

「おい、どこが辛気臭いアトリエだって?」

遠くからヴァジーの声が飛んできて、リュノはお茶目に首を傾げる仕草をした。モニカはクスクス笑いながら「コガイセイサク、やってみたい!」とわくわくした声で答えた。

「よく分からないけどやってみたい!」

「実際にやってみたらわかるさ」

「いいね。じゃあ俺もご一緒していいかい?」

「僕も行きたいな。雲描きたい」

リュノとシスルも、久しぶりの戸外制作にテンションが上がっているようだ。遠くから「僕も行く!」とヴァジーの声が聞こえた。

「おいおい。5人で戸外制作だって?そんな広い場所があるかな?」

「セヌ河畔はどうだい?今ならレガッタをやってるし」

「レガッタ!いいね。そこにしよう」

「レガッタ?」

聞きなれない言葉にモニカがぽかんとしていると、リュノが説明してくれた。

「レガッタは帆船のレースだよ。いまルアンで流行っているんだ」

「俺たちはレガッタの風景を描くのが好きなんだ。モニカもついてきてくれるかい?」

「帆船のレースを見ながら絵を描くの?!絶対行きたい!!」

「決まりだな。じゃあ明日はセヌ河畔に行こう。朝7時にここに集合だ。いいね?」

リュノがそう言うとシスル、クロネ、モニカが「了解!」と元気いっぱい答えた。遠くでいるヴァジーは返事をする代わりにクロネに釘を刺した。

「明日は風呂に入ってから来るんだぞ!!」
しおりを挟む
感想 494

あなたにおすすめの小説

異世界の片隅で引き篭りたい少女。

月芝
ファンタジー
玄関開けたら一分で異世界!  見知らぬオッサンに雑に扱われただけでも腹立たしいのに 初っ端から詰んでいる状況下に放り出されて、 さすがにこれは無理じゃないかな? という出オチ感漂う能力で過ごす新生活。 生態系の最下層から成り上がらずに、こっそりと世界の片隅で心穏やかに過ごしたい。 世界が私を見捨てるのならば、私も世界を見捨ててやろうと森の奥に引き篭った少女。 なのに世界が私を放っておいてくれない。 自分にかまうな、近寄るな、勝手に幻想を押しつけるな。 それから私を聖女と呼ぶんじゃねぇ! 己の平穏のために、ふざけた能力でわりと真面目に頑張る少女の物語。 ※本作主人公は極端に他者との関わりを避けます。あとトキメキLOVEもハーレムもありません。 ですので濃厚なヒューマンドラマとか、心の葛藤とか、胸の成長なんかは期待しないで下さい。  

誰も要らないなら僕が貰いますが、よろしいでしょうか?

伊東 丘多
ファンタジー
ジャストキルでしか、手に入らないレアな石を取るために冒険します 小さな少年が、独自の方法でスキルアップをして強くなっていく。 そして、田舎の町から王都へ向かいます 登場人物の名前と色 グラン デディーリエ(義母の名字) 8才 若草色の髪 ブルーグリーンの目 アルフ 実父 アダマス 母 エンジュ ミライト 13才 グランの義理姉 桃色の髪 ブルーの瞳 ユーディア ミライト 17才 グランの義理姉 濃い赤紫の髪 ブルーの瞳 コンティ ミライト 7才 グランの義理の弟 フォンシル コンドーラル ベージュ 11才皇太子 ピーター サイマルト 近衛兵 皇太子付き アダマゼイン 魔王 目が透明 ガーゼル 魔王の側近 女の子 ジャスパー フロー  食堂宿の人 宝石の名前関係をもじってます。 色とかもあわせて。

転生したら死んだことにされました〜女神の使徒なんて聞いてないよ!〜

家具屋ふふみに
ファンタジー
大学生として普通の生活を送っていた望水 静香はある日、信号無視したトラックに轢かれてそうになっていた女性を助けたことで死んでしまった。が、なんか助けた人は神だったらしく、異世界転生することに。 そして、転生したら...「女には荷が重い」という父親の一言で死んだことにされました。なので、自由に生きさせてください...なのに職業が女神の使徒?!そんなの聞いてないよ?! しっかりしているように見えてたまにミスをする女神から面倒なことを度々押し付けられ、それを与えられた力でなんとか解決していくけど、次から次に問題が起きたり、なにか不穏な動きがあったり...? ローブ男たちの目的とは?そして、その黒幕とは一体...? 不定期なので、楽しみにお待ち頂ければ嬉しいです。 拙い文章なので、誤字脱字がありましたらすいません。報告して頂ければその都度訂正させていただきます。 小説家になろう様でも公開しております。

異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。

sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。 目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。 「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」 これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。 なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。

出来損ないと呼ばれた伯爵令嬢は出来損ないを望む

家具屋ふふみに
ファンタジー
 この世界には魔法が存在する。  そして生まれ持つ適性がある属性しか使えない。  その属性は主に6つ。  火・水・風・土・雷・そして……無。    クーリアは伯爵令嬢として生まれた。  貴族は生まれながらに魔力、そして属性の適性が多いとされている。  そんな中で、クーリアは無属性の適性しかなかった。    無属性しか扱えない者は『白』と呼ばれる。  その呼び名は貴族にとって屈辱でしかない。      だからクーリアは出来損ないと呼ばれた。    そして彼女はその通りの出来損ない……ではなかった。    これは彼女の本気を引き出したい彼女の周りの人達と、絶対に本気を出したくない彼女との攻防を描いた、そんな物語。  そしてクーリアは、自身に隠された秘密を知る……そんなお話。 設定揺らぎまくりで安定しないかもしれませんが、そういうものだと納得してくださいm(_ _)m ※←このマークがある話は大体一人称。

ぬいぐるみばかり作っていたら実家を追い出された件〜だけど作ったぬいぐるみが意志を持ったので何も不自由してません〜

望月かれん
ファンタジー
 中流貴族シーラ・カロンは、ある日勘当された。理由はぬいぐるみ作りしかしないから。 戸惑いながらも少量の荷物と作りかけのぬいぐるみ1つを持って家を出たシーラは1番近い町を目指すが、その日のうちに辿り着けず野宿をすることに。 暇だったので、ぬいぐるみを完成させようと意気込み、ついに夜更けに完成させる。  疲れから眠りこけていると聞き慣れない低い声。 なんと、ぬいぐるみが喋っていた。 しかもぬいぐるみには帰りたい場所があるようで……。     天真爛漫娘✕ワケアリぬいぐるみのドタバタ冒険ファンタジー。  ※この作品は小説家になろう・ノベルアップ+にも掲載しています。

【書籍化決定】俗世から離れてのんびり暮らしていたおっさんなのに、俺が書の守護者って何かの間違いじゃないですか?

歩く魚
ファンタジー
幼い頃に迫害され、一人孤独に山で暮らすようになったジオ・プライム。 それから数十年が経ち、気づけば38歳。 のんびりとした生活はこの上ない幸せで満たされていた。 しかしーー 「も、もう一度聞いて良いですか? ジオ・プライムさん、あなたはこの死の山に二十五年間も住んでいるんですか?」 突然の来訪者によると、この山は人間が住める山ではなく、彼は世間では「書の守護者」と呼ばれ都市伝説のような存在になっていた。 これは、自分のことを弱いと勘違いしているダジャレ好きのおっさんが、人々を導き、温かさを思い出す物語。 ※書籍化のため更新をストップします。

日本帝国陸海軍 混成異世界根拠地隊

北鴨梨
ファンタジー
太平洋戦争も終盤に近付いた1944(昭和19)年末、日本海軍が特攻作戦のため終結させた南方の小規模な空母機動部隊、北方の輸送兼対潜掃討部隊、小笠原増援輸送部隊が突如として消失し、異世界へ転移した。米軍相手には苦戦続きの彼らが、航空戦力と火力、機動力を生かして他を圧倒し、図らずも異世界最強の軍隊となってしまい、その情勢に大きく関わって引っ掻き回すことになる。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。