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淫魔編:フォントメウ

【194話】フォントメウ

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馬車に乗り込んだアーサーは、毛布に包まれて眠っているモニカを見て体を強張らせた。胸がズキズキと痛み、また呼吸が浅く、そして早くなる。そんなアーサーの背中をユーリが優しくさすり、座らせた。シャナがモニカをアーサーの腕にそっと抱かせる。

「シャナ、モニカに僕を近づけない方が…」

「眠っているから大丈夫よ。だっこしてあげてアーサー。だいすきな人の心音を聞きながら眠ることほど心地よいものはないのよ」

「……」

アーサーは躊躇いがちにモニカに腕をまわした。モニカはむにゃむにゃと言葉にならない声を出しながら、穏やかな表情をしてアーサーの服を握った。寝顔はいつものモニカだったのでアーサーの口元が緩む。その様子を見て大丈夫そうだと判断したシャナは、御者に合図を出して馬車を走らせた。

「さてアーサー。フォントメウはここから馬車で3日かかるわ。長旅になるけれど付き合ってね」

「シャナ、ユーリ、お仕事もあるのに、僕たちのためにありがとう。よろしくおねがいします」

ぺこりと頭を下げるアーサーに、シャナとユーリは微笑んだ。

「そんなことかまわないのよ。こちらこそ、私たちを頼ってくれてありがとう」

「そうだよアーサー。僕、君たちの力になれて嬉しいんだ」

「それよりアーサー、あなたきっと驚くわよ!フォントメウには人の手が一切入っていないの。エルフの文化が完全に残っている数少ない町なのよ。あなたが今まで見たことがない、神秘的なところよ。モニカの目が覚めたら、一緒にフォントメウを散歩するといいわ。きっと忘れられない思い出になるから」

「散歩するときは僕が案内するよ。素敵なお店がたくさんあるから」

「…うん!」

◇◇◇

四人は休憩を挟みながらゆっくりとフォントメウへ向かった。ポントワーブを発った3日後、やっと馬車が目的地に到着する。だが馬車から降りた場所は、大きな滝が流れる崖の上だった。町らしきものは見当たらない。

「あれ…?シャナ、ここは…?」

「フォントメウよ」

「え…?あるのは滝だけで、何もないよ…?」

「ふふ。懐かしい反応ね。カミーユが初めて来たときもそんな顔していたわ」

「…?」

「ピュリゾ神はエルフを愛した癒しの神。エルフを愛しすぎていて、ヒトにこの町を触れさせたくなかった。だから隠したの。ヒトの目に映らないよう、町全体に加護をかけた。だからヒトには見えないの」

「だ、だったら僕とモニカはその町に入れないんじゃ…」

「いいえ。フォントメウのエルフが招き、ちょっとした儀式を行い、町があなたを受け入れればヒトにも見えるようになるわ。だからアーサー、ちょっと恥ずかしいかもしれないけど、ここで私がいうことをやってもらうわね。モニカの分もしてもらうわよ」

「う、うん。分かった」

シャナはアイテムボックスから2着のキトン(※)を取り出した。双子にそれを着せ、聖水で濡らしたトネリコの葉を噛ませた。アーサーはモニカを抱えながら跪く。シャナが放った青い炎に向かって教わった通りの口上を述べた。(※キトン:白い麻布でできた、ゆったりとしたワンピースのような服装)

「我の名はアーサー、彼の者の名はモニカ。シャナ・ヴンサンによりこの地に招かれし者なり。我々はいかなることがあってもフォントメウを傷つけないと誓う。フォントメウに住まう民に、敬意と謝意を忘れないと誓う。我が声よ届け。その門を我が瞳に映せ」

しばらくの沈黙。そして透き通った風がアーサーとモニカを通り抜けた。

「おやおや。儀式の口上に偽名を使うとは呆れた子どもたちですね」

「!」

「っ!アーサー、まだ顔を上げちゃだめ」

「っ」

男性の声がして思わず顔を上げてしまったアーサーは慌てて下を向いた。足音と気配で誰かが近づいてくるのが分かる。見知らぬ人の足元がアーサーの視線に入ってきた。跪いているアーサーと、抱かえているモニカを品定めするように、まわりをゆっくりと歩いている。

「シャナ。いくら君の招きでもこの子たちは入れられないな」

「お願いします。彼らはここに入らないといけないんです。どうか」

「事情があるならせめて本名を名乗らせなさい」

「…ユーリ、声が届かないところまで少し離れていてくれる?」

「…分かった」

ユーリがどこかへ歩いていく音が聞こえる。ユーリが離れたのを確認し、シャナがアーサーに本名を名乗るよう促した。

「……」

「名乗らないのかね?」

「アーサー、大丈夫。フォントメウはヒトの世界に干渉しない。それに彼はヒトの世に関心がない。漏れることはないわ」

「…アウス」

「そちらの娘の名は?」

「モリアです」

「…そうだ。それが君たちの名だね」

「はい」

「マーニャ様、彼らは本当の名を伝えました。どうかフォントメウへ…」

「シャナ。この穢れた二人をフォントメウへ、本当に招くつもりかい?」

「穢れを浄化するために、二人を招くのです」

「なるほど。確かに娘はこの地で清められるだろう。彼女は…体が穢れ精神がかき乱されているが、核はこの上なく清らかで美しい。まるで生まれたてのエルフのようだ。その上彼女の胸には白翼狼の印があるじゃないか。神獣に愛された娘を拒む道理はない、か」

「でしたら…!」

「ああ、その娘は受け入れよう。白翼狼が印をつけたということは、そのものを我が子と認めたということ。私たちエルフが敬う白翼狼の子なのであれば、フォントメウで癒して差し上げるのは当然のこと。だが…少年、君は入れるわけにはいかない」

「え…?」

「マーニャ様!彼も私が癒します!なのでどうか…!」

「シャナ、まさか君は気付いていないのかい?」

「え?」

「彼は魔物を使役している。それも非常に力のある、ね」

「僕が…魔物を使役…?」

「な…!マーニャ様!アーサーは淫魔など使役していません!!」

「淫魔?そんな低級な魔物などではない。シャナ…君は人の世に長くいすぎたようだね。目が衰えている」

「そんな…。アーサー、あなた魔物なんて使役していないわよね?」

「してない!」

「ほう。その言葉に嘘はないようだ。つまり君は使役しているのではなく、使役させられているということだ」

「言ってる意味が分からない…。僕は魔物なんて使役してない…」

「名を偽り、魔物を使役し、さらには自死をはかったことがあるその少年に、フォントメウの土を踏ませる気にはなれない」

「マーニャ様…!」

「…だが、この少年と少女は糸で繋がっている。そして彼女から穢れを祓うためにはこの少年が必要なようだ。少年、君を招くのは誠に遺憾だが…。その娘を癒すため、今回だけは招き入れよう。だが、少しでも怪しい動きをしたときは…分かっているね?」

「そんなことしません!本当に僕は…ただモニカを元に戻したいだけなんです…!」

声の主はアーサーの目の前で立ち止まり、彼の顎に指を添え持ち上げた。シャナと同じ、耳の先がとがっている美しい壮年。長いプラチナブロンドの髪を後ろで束ね、淡い蒼眼でアーサーを見据える。

「……」

「なるほど。その言葉に嘘はないね。魔物を使役しているとは思えないほど澄んだ目をしている」

「だから僕は魔物なんて…!」

「これ以上の話は無用だ。さあ、お入りなさい。シャナ・ヴンサンより招かれた、アウス、そしてモリア。君たちがフォントメウへ立ち入ることを許可しよう」

「っ…!」

マーニャが指した先には、さきほどと全く違う光景が広がっていた。何もなかった崖に青白く光る建造物がそびえ立ち、見たことのない草木や花が風で揺れている。滑らかで半透明な材質で造られたその建造物は、まるで氷でできているように美しく儚い佇まいだった。シャナとユーリはアーサーの手を引きアーチをくぐらせる。町へ入った瞬間、滝の音が消え、澄んだ空気が彼らの肺を満たした。

「アーサー、もう葉を口から離していいわよ」

「シャ、シャナ!なにここ!すごい!!」

「はい、静かにね。ここで暮らすエルフは騒音を嫌うから」

アーサーは慌てて口に手を当てコクコクと頷いた。シャナとユーリはクスクス笑いながら双子をシャナの実家へ案内する。町の中にはエルフしかおらず、みな絵画のように美しく神秘的だった。エルフたちはシャナとユーリに気付くと、ゆったりと微笑み目で挨拶をした。だが、アーサーとモニカを見る目は少しだけ冷たく、戸惑っているようだった。
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