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67話 ヒトが差し伸べた手
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「観澤さん。タバコ行かない?」
「あ、いいですね。行きましょう」
残業中、北窪さんが声をかけてくれた。喫煙所に入ってスパスパと無心で煙草を吸っている私に、北窪さんは心配そうに声をかける。
「今日も遅くまで大変だね」
「いえ。むしろ今はありがたいです。気がまぎれるから」
「いやなことでもあった?」
「…いいえ」
「そう」
「…ただ、家に帰るのが怖いです」
あ、まずい。いらないこと言った。
北窪さんの目が泳いでいる。聞こうか聞くまいか迷っているようだった。
あー…、変な気使わせてる…。私のばか。
気まずい沈黙が流れる中、北窪さんが遠慮がちに尋ねる。
「えっと…。篠崎さんから聞いたよ。…出て行ったんだって?」
「ちょっと…。半日で情報伝わるんですかあ!?」
「あはは…ごめん、いらないこと聞いた」
「いえ…」
「…寂しいね」
「…はい」
だめ。やめて。そんな優しい声をかけないで。また泣きそうになる。
私は俯き、涙が溢れそうになるのを必死でこらえた。
北窪さんは煙草の煙をゆっくり吐いて、何度か深呼吸してまた口を開いた。
「あの、さ。観澤さん。こんなこと、今言うことじゃないんだけど」
「はい?」
「俺、ずっと前から観澤さんのこと好きなんだ」
「……」
「今まで、その…同棲してる人がいたからヒヨッて言えなかったから、言えるうちに言っときたくて」
「……」
「観澤さんは彼のこと、恋人じゃないって言い張ってたけど。君が彼のことを好きなのは分かってたよ」
「…すみません」
「いや、いいんだ。責めてるとかじゃないよ。それに、俺は今すぐどうこうしたいってわけじゃないし」
「……」
「俺で良ければいつでも話聞くよ。今日の観澤さん、世界に自分だけしかいなくなってしまったって顔してたから。ちがうから。俺がいるから…って、言いたくて…」
優しいな、北窪さん。どうしてこんな私にここまで良くしてくれるんだろう。
それはきっと、私のこと勘違いしてるからだ。
「北窪さん。私ってただの干物女なんですよ」
「え?」
突然のカミングアウトに、北窪さんが間抜けな声を出した。
うん。北窪さんが勇気出して告白してくれたんだ。私も、勇気を出して自分をさらけ出そう。
これで、北窪さんも私のこと好きじゃなくなるでしょ。もう飾り立てた自分しか見られないのはうんざり。
「私の部屋の中はビールの空瓶がそこら中に転がってて、休みの日はお風呂に極力入りたくないし、人生めんどくさくてしょうがないし、仕事なんてだいっきらいだし、このビルが吹っ飛べばいいのにってずっと思ってます」
「はは…」
「人と喋るのきらいだし、休日はどこにも行きたくないし、生きてるのめんどくさいし、ほんと、今すぐ死んでしまいたいと思ってます」
「……」
「北窪さんが私に好意を持ってくれてるのは気付いてました。でも、北窪さんが好きなのは私じゃないです。ネコ被った私なんです」
まくしたてるように、一息に言い切った。私は自嘲的な笑みを浮かべながら、煙草の煙を吸う。
北窪さん、きっと幻滅しただろうな、と思いながらチラッと彼を盗み見ると、なぜかクスクス笑っていた。なにがおもろいねん。
「…観澤さんさ、篠崎さん一回家にあげたことあるでしょ」
「え?」
北窪さんの一言で私はかたまった。篠崎さんを家にあげたことは……ある。というか泊めたことがあります。はい。しかも立派な汚部屋に。……まさかあいつ……。
「俺ずっと知ってたよ。だって観澤さんの散らかった部屋の写真持ってるし。なんならボロボロのスウェット着たすっぴんの観澤さんの写真も持ってる」
「はぁぁあ!?」
「めんどくさがりなのも聞いてるよ」
おい……篠崎……。あいつは北窪さんのスパイなのか……? なんでそんなことチクるの!?
「で、でも北窪さん…、私のこと几帳面とかなんとかってよく言ってたじゃないですか…」
「あはは…。あれは、俺にも素の観澤さん見せて欲しいなあと思ってカマかけてたんだけど…。なかなか本性見せてくれなくて悔しかったなー…」
「い、いや…そこまで知っててなんで私…?北窪さんだったら他にももっと良い子いるでしょう…」
本気で疑問だったので思わず尋ねてしまった。
北窪さんは照れくさそうに笑う。
「俺はね、完璧な人より、観澤さんみたいな人のほうが好きなんだよ。思いっきり甘やかしてあげたくなるし、少しでも人生が楽しいと思ってもらえるようにがんばりがいがあるでしょ」
「いや…聖人か?」
「まあとにかく、俺は観澤さんのこと好きだからさ。気が向いたとき、また遊んでよ。…まだそんな気になれないと思うけど。気をまぎらわせたくなったら、いつでも相手になるからさ」
「……」
北窪さんがそう思ってくれたことは嬉しい。すごく嬉しい。でも彼の言う通り、私はそんなに器用じゃない。
「ありがとうございます。ほんとうに…嬉しいです。私も北窪さんのことは好きです、人として」
「……」
「…寂しいです。家がからっぽになりました。すぐにでも誰かに縋りたくてしょうがないくらい、寂しいです。でも…そう簡単に忘れられません。忘れたくないんです。だってあんなに…しあわせだったから…」
「うん」
やっぱり薄雪と綾目のことを思い出すと、涙ががまんできない。マスカラが崩れないように、指で控えめに涙を拭いながら、私は本当の気持ちを伝えた。
「こんな気持ちで北窪さんに甘えちゃったら、あの人たちにも北窪さんにも失礼だから…。だから、気持ちが整理できるまで、ひとりでいます。北窪さん、お心遣いありがとうございます。…ごめんなさい」
北窪さんは小さく微笑み、頷いた。彼の目もほんのりうるんでいる。
「俺は観澤さんのそういうところが好きだよ。だから俺にごめんなんて言わなくていい。俺、待つし。…他に好きな人ができるまでね」
北窪さんは冗談っぽくそう言って口角を上げた。
「ふふ…。ありがとうございます」
正直、どうせ今までの人たちみたいに、いつかは素の私を拒絶するようになるんでしょ、と思ってしまう自分もいる。誰だって始めは優しいもん。
この30年間で素の私を受け入れてくれたのは、家族と心優しいあやかしだけだった。
ヒトはすぐに心変わりをするし、とても嘘が上手。だから信じられない。
同時にこうも思った。
私は案外、幸せ者なのかもしれない。
薄雪と綾目、その他諸々のあやかしに愛されて、赤の他人の私をここまで大切に想ってくれているヒトもいて。
どうして私なんかがこんなに恵まれているんだろうと不思議なくらい、自分が思っていたよりもずっと、私は愛されていたんだなって。
これからの私は、正直で心変わりをしないあやかしとの関りを断たれて、嘘つきでコロコロと気持ちが変わる、うさんくさいヒトというイキモノとだけ生きていかないといけない。
私はあやかしのことを忘れないといけないのだろうか。
いつかは、あやかしの見えない世界に慣れてしまうのだろうか。
この胸の苦しみは、微かな記憶としてしか残らなくなってしまうのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えながら、私は職場をあとにする。
先週まであんなに早く家に帰りたかったのに、今は帰るのが怖い。
「あ、いいですね。行きましょう」
残業中、北窪さんが声をかけてくれた。喫煙所に入ってスパスパと無心で煙草を吸っている私に、北窪さんは心配そうに声をかける。
「今日も遅くまで大変だね」
「いえ。むしろ今はありがたいです。気がまぎれるから」
「いやなことでもあった?」
「…いいえ」
「そう」
「…ただ、家に帰るのが怖いです」
あ、まずい。いらないこと言った。
北窪さんの目が泳いでいる。聞こうか聞くまいか迷っているようだった。
あー…、変な気使わせてる…。私のばか。
気まずい沈黙が流れる中、北窪さんが遠慮がちに尋ねる。
「えっと…。篠崎さんから聞いたよ。…出て行ったんだって?」
「ちょっと…。半日で情報伝わるんですかあ!?」
「あはは…ごめん、いらないこと聞いた」
「いえ…」
「…寂しいね」
「…はい」
だめ。やめて。そんな優しい声をかけないで。また泣きそうになる。
私は俯き、涙が溢れそうになるのを必死でこらえた。
北窪さんは煙草の煙をゆっくり吐いて、何度か深呼吸してまた口を開いた。
「あの、さ。観澤さん。こんなこと、今言うことじゃないんだけど」
「はい?」
「俺、ずっと前から観澤さんのこと好きなんだ」
「……」
「今まで、その…同棲してる人がいたからヒヨッて言えなかったから、言えるうちに言っときたくて」
「……」
「観澤さんは彼のこと、恋人じゃないって言い張ってたけど。君が彼のことを好きなのは分かってたよ」
「…すみません」
「いや、いいんだ。責めてるとかじゃないよ。それに、俺は今すぐどうこうしたいってわけじゃないし」
「……」
「俺で良ければいつでも話聞くよ。今日の観澤さん、世界に自分だけしかいなくなってしまったって顔してたから。ちがうから。俺がいるから…って、言いたくて…」
優しいな、北窪さん。どうしてこんな私にここまで良くしてくれるんだろう。
それはきっと、私のこと勘違いしてるからだ。
「北窪さん。私ってただの干物女なんですよ」
「え?」
突然のカミングアウトに、北窪さんが間抜けな声を出した。
うん。北窪さんが勇気出して告白してくれたんだ。私も、勇気を出して自分をさらけ出そう。
これで、北窪さんも私のこと好きじゃなくなるでしょ。もう飾り立てた自分しか見られないのはうんざり。
「私の部屋の中はビールの空瓶がそこら中に転がってて、休みの日はお風呂に極力入りたくないし、人生めんどくさくてしょうがないし、仕事なんてだいっきらいだし、このビルが吹っ飛べばいいのにってずっと思ってます」
「はは…」
「人と喋るのきらいだし、休日はどこにも行きたくないし、生きてるのめんどくさいし、ほんと、今すぐ死んでしまいたいと思ってます」
「……」
「北窪さんが私に好意を持ってくれてるのは気付いてました。でも、北窪さんが好きなのは私じゃないです。ネコ被った私なんです」
まくしたてるように、一息に言い切った。私は自嘲的な笑みを浮かべながら、煙草の煙を吸う。
北窪さん、きっと幻滅しただろうな、と思いながらチラッと彼を盗み見ると、なぜかクスクス笑っていた。なにがおもろいねん。
「…観澤さんさ、篠崎さん一回家にあげたことあるでしょ」
「え?」
北窪さんの一言で私はかたまった。篠崎さんを家にあげたことは……ある。というか泊めたことがあります。はい。しかも立派な汚部屋に。……まさかあいつ……。
「俺ずっと知ってたよ。だって観澤さんの散らかった部屋の写真持ってるし。なんならボロボロのスウェット着たすっぴんの観澤さんの写真も持ってる」
「はぁぁあ!?」
「めんどくさがりなのも聞いてるよ」
おい……篠崎……。あいつは北窪さんのスパイなのか……? なんでそんなことチクるの!?
「で、でも北窪さん…、私のこと几帳面とかなんとかってよく言ってたじゃないですか…」
「あはは…。あれは、俺にも素の観澤さん見せて欲しいなあと思ってカマかけてたんだけど…。なかなか本性見せてくれなくて悔しかったなー…」
「い、いや…そこまで知っててなんで私…?北窪さんだったら他にももっと良い子いるでしょう…」
本気で疑問だったので思わず尋ねてしまった。
北窪さんは照れくさそうに笑う。
「俺はね、完璧な人より、観澤さんみたいな人のほうが好きなんだよ。思いっきり甘やかしてあげたくなるし、少しでも人生が楽しいと思ってもらえるようにがんばりがいがあるでしょ」
「いや…聖人か?」
「まあとにかく、俺は観澤さんのこと好きだからさ。気が向いたとき、また遊んでよ。…まだそんな気になれないと思うけど。気をまぎらわせたくなったら、いつでも相手になるからさ」
「……」
北窪さんがそう思ってくれたことは嬉しい。すごく嬉しい。でも彼の言う通り、私はそんなに器用じゃない。
「ありがとうございます。ほんとうに…嬉しいです。私も北窪さんのことは好きです、人として」
「……」
「…寂しいです。家がからっぽになりました。すぐにでも誰かに縋りたくてしょうがないくらい、寂しいです。でも…そう簡単に忘れられません。忘れたくないんです。だってあんなに…しあわせだったから…」
「うん」
やっぱり薄雪と綾目のことを思い出すと、涙ががまんできない。マスカラが崩れないように、指で控えめに涙を拭いながら、私は本当の気持ちを伝えた。
「こんな気持ちで北窪さんに甘えちゃったら、あの人たちにも北窪さんにも失礼だから…。だから、気持ちが整理できるまで、ひとりでいます。北窪さん、お心遣いありがとうございます。…ごめんなさい」
北窪さんは小さく微笑み、頷いた。彼の目もほんのりうるんでいる。
「俺は観澤さんのそういうところが好きだよ。だから俺にごめんなんて言わなくていい。俺、待つし。…他に好きな人ができるまでね」
北窪さんは冗談っぽくそう言って口角を上げた。
「ふふ…。ありがとうございます」
正直、どうせ今までの人たちみたいに、いつかは素の私を拒絶するようになるんでしょ、と思ってしまう自分もいる。誰だって始めは優しいもん。
この30年間で素の私を受け入れてくれたのは、家族と心優しいあやかしだけだった。
ヒトはすぐに心変わりをするし、とても嘘が上手。だから信じられない。
同時にこうも思った。
私は案外、幸せ者なのかもしれない。
薄雪と綾目、その他諸々のあやかしに愛されて、赤の他人の私をここまで大切に想ってくれているヒトもいて。
どうして私なんかがこんなに恵まれているんだろうと不思議なくらい、自分が思っていたよりもずっと、私は愛されていたんだなって。
これからの私は、正直で心変わりをしないあやかしとの関りを断たれて、嘘つきでコロコロと気持ちが変わる、うさんくさいヒトというイキモノとだけ生きていかないといけない。
私はあやかしのことを忘れないといけないのだろうか。
いつかは、あやかしの見えない世界に慣れてしまうのだろうか。
この胸の苦しみは、微かな記憶としてしか残らなくなってしまうのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えながら、私は職場をあとにする。
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