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第五章 刀工と騎士の戦争
戦争と騎士と民衆
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リュッセンベルク城塞都市・宗教区画ガミク礼拝堂。
礼拝堂の祭壇前に立てられた刃引きの剣。刃を取り囲む薄紫色の花々が一輪また一輪と降り積もっていく。すすり泣く声や息を呑む音と共に。
「……、」
祭壇へと歩み出るミシュアは、言いようもない感情を胸の内に秘め、努めて、何も考えないように他の者と同じように花を献げた。
と、少しだけ、背後でざわめき……礼拝堂に立ち並ぶ列席から囁き声が上がる。当然だと、ミシュアは思う。アベルとは因縁があったのだから。
祭壇に背を向け、少し目を伏せて……礼拝堂を後にすることにした。自分の存在が、列席者の人々にとって邪魔だろうと考えて。
参列者の間を抜けて礼拝堂の門を潜ると、自分を待ってくれていたかのように礼拝堂前の広場に佇む、ギレイが居た。
「……なんていうか、」
彼は言いづらそうに、そう零した。彼の所にもアベルが謝罪に行ったとは聞き及んでいる。あの、武芸大会とは雰囲気の違うアベルと出会ったのだろう。
「……ギレイさん。あまり気に病まないで」
「……ミシュアさん、あの……」
「なに?」
「アベルさんが……その、どこかで……」
「……可能性はないと思うよ、ギレイさん。アベル騎士団長は戦地に行った……でも、それ以降、伝令が途絶えた。意味するところは一つだけ」
「僕……渡したんだ、短剣」
「……そう」
「こんなことになるんだったら、もっと……出来の良い剣を、」
言い淀む彼に、ミシュアは告げる。
「自分の選んだ剣と運命を共にする。騎士なら、そこに後悔はないよ。きっと」
何か言いたげな彼だったが、結局は俯いただけだった。当たり前だ、彼にしてみればもしかしたら、同じ過ちを犯したのだと思ってしまってもおかしくはない。ミシュアとしては違うのだと思う、アベルは短剣など使わないからだ。
ただ、それを自分が言っても慰めだと思われるだけだろう。
不意に思う。
(ギレイさんは刀工を続けない方が……良いんじゃないだろうか? このまま続けてしまえばずっと、こんなふうに傷つき続けるのなら……)
思って、でも、腰にある剣に触れる。
(……でも、わたしは――)
奇しくも彼と同じように、俯いてしまった。
彼は何も言わなかったし、こちらも何も言えなかった。
彼との間にある沈黙は、彼を前にして初めて感じる息苦しさだった。
息を継ぐように、思う……もしも、ありえなかったことではあるけれど。
(ギレイさんが刀工でなかったら、わたしが騎士でなかったなら……そうして出逢えたなら……どんなに――)
二人で街中を巡った日の、思い出がよみがえる――夢のように美しく、でも、現実のように鮮やかに。あの日の続きを、あのような日々を二人で過ごせたら、どんなに――。
湧き上がった熱情に、ミシュアは抵抗できなかった。
「ねぇ……ギレイさん。わたし、これから街の周辺を巡回して……ううん、街の外も見ておきたいんだ。でも、これは個人的な戦の備え、わたしの一角騎は使えない……」
衝動的に、彼に嘘をつく。止められなかった。顔を上げ、声を上げた……まるで震えた手で剣を突きつけるみたいだった。
「その、だから、ギレイさんの飛竜にまた、乗せてもらえる?」
そして、彼は断らなかった。
彼は首にかかった革ひもを引き、襟の下から出した小さな笛を吹く。ほどなく、飛竜が二人の前に降り立つ。飛竜の鞍に跨った彼は視線で、後ろに乗るように示してくれた。
嘘どころか何もかも見透かされて……いや、分かってくれているかもしれなかった。
「……、」
何かを言いかけて、結局、何も言えなくて、ミシュアは彼の後ろに座る。少し躊躇いながら、彼の服の裾を握る。
「街の巡回、だったよね……ミシュアさん」
「……ええ」
「とりあえず、上空を一周するね」
「お願い」
彼の飛竜が飛び立つ。浮遊感。落ち着かない。いや、本当に落ち着かない理由は、彼の声音……いつもよりも低い気がする。
(どうして……)
自然と、彼の服の裾を強く握ってしまう。彼と一緒に居て、居られるのに……息が詰まって少し苦しい。そんな自分が嫌になる。だって、彼が悪いわけじゃない。
きっと彼は今、短剣を渡した騎士がもう戻って来ないことを気に病んでいる。彼がいつか話してくれた戦友の死、その過去……傷跡も痛んでいるはず。
分かっている……のに、どうしても。
(今の、わたしを……)
彼に自分がどう思われているか。
ただ、それだけが怖かった……もしかしたら、この街に迫り来る魔族の軍勢よりも。
「ミシュアさん……街、人が少なくなってるね……」
言われて、眼下にうかがう。もう、街が作り物みたいに見える高さにまで飛んでいた。彼の言う通り、眼下の街……商工業区画を行き交う人の数がまばらになっているのを見て取った。
「騎士団が一つ、消息を絶った。そのことはどうしても、隠せない。特に商人達は耳ざといから、先手を打って避難している」
言いながら、胸が痛む。彼と巡った、街の情景は失われている。もしかしたら、もう二度と戻ってくることはないのかもしれない。
「わたし達が見たお店……やってないかも……」
「そう……かもね」
自分の声音にも、彼の声音にも寂しさが滲んでいた。響き合った寂しさに、その、指先が不意に触れ合ったみたいな感触に、不思議なほど、安らかな心地がした。今までの彼との時間を取り戻したみたいで、その所為だろう、不意に、思いついてしまった。
「そうだ……ギレイさんもっ、」
思いつきを言いかけて、口をつぐむ。
「え? ん? どうしたの?」
「いえ……その、なんでもない」
口をつぐんだ、その瞬間に噛み潰してしまった言葉に、後悔する。
(そう、ギレイさんも避難した方が……良いに決まってるのに)
彼の服の裾を、強く握った。
もう一方の手は、彼の剣に触れていた。
(わたしは――)
――そんな時だった。
眼下の街から歓声が上がった。誰かが武芸大会での乱入を聞き及んでいたのだろう――飛竜に跨った自分と彼に、街に残った人々が歓声を上げているのだ。
遠く離れて隔たっているから、歓声の全てを聞き取れやしないが、
『勝って…シュアッ!』『街を守……って!』『魔族……蹴散ら』『……に、良い剣を』
人々が何を望んでいるかは、心が軋むほどに耳に響いた。
彼と街を巡った日も、似たように騒ぎになったことがあって、でも、その時とは違った。皆の必死さと痛切さが……違ったのだ。
(ギレイさんが一生懸命に叫んでも……きっと聞いてくれない)
思って、ミシュアは騎士団の仲間達にそうするように、民衆にそうしてきたように、剣を抜き払い、切っ先を空へと掲げた。それだけで歓声の圧力が高まった――少なくなった人々であるはずなのに、彼らは遠くにいるはずなのに、歓声が耳に迫ってくる。
(わたしは、やっぱり、この歓声に応えたい……)
そのために、武芸を鍛え上げてきた。自分には才覚があったし、ついてきてくれる仲間もいる。何よりも、彼と街中を巡った日……あの日を作り上げてくれたのは、眼下で歓声を上げてくれているような、戦えない人々でもあった。
彼らが居たから、あの都市があり、自分は騎士となれて。
(だから、皆が逃げなくていいように、あのギレイさんと街を歩いた日のような何気ない日々に……ただ安らかに暮らせる日々に、わたしは皆を帰したい――)
彼の服の裾を強く握った、また、もう一方の手は彼の剣を握りしめていた。
(わたしが命を使い尽くすことになっても、戦争に――)
思った……のだけれど、剣を持つ手が震えていた。
もう一方の手は、彼の服の裾から、いつのまにか、彼の腰へと回されていた。
だからなのか、
「ミシュアさん!! もういい、行こう!」
彼はそう言ってくれた。強い、強い歓声のなかにあってさえ、彼の声は自分の耳に確かに届いてくれたのだった。
礼拝堂の祭壇前に立てられた刃引きの剣。刃を取り囲む薄紫色の花々が一輪また一輪と降り積もっていく。すすり泣く声や息を呑む音と共に。
「……、」
祭壇へと歩み出るミシュアは、言いようもない感情を胸の内に秘め、努めて、何も考えないように他の者と同じように花を献げた。
と、少しだけ、背後でざわめき……礼拝堂に立ち並ぶ列席から囁き声が上がる。当然だと、ミシュアは思う。アベルとは因縁があったのだから。
祭壇に背を向け、少し目を伏せて……礼拝堂を後にすることにした。自分の存在が、列席者の人々にとって邪魔だろうと考えて。
参列者の間を抜けて礼拝堂の門を潜ると、自分を待ってくれていたかのように礼拝堂前の広場に佇む、ギレイが居た。
「……なんていうか、」
彼は言いづらそうに、そう零した。彼の所にもアベルが謝罪に行ったとは聞き及んでいる。あの、武芸大会とは雰囲気の違うアベルと出会ったのだろう。
「……ギレイさん。あまり気に病まないで」
「……ミシュアさん、あの……」
「なに?」
「アベルさんが……その、どこかで……」
「……可能性はないと思うよ、ギレイさん。アベル騎士団長は戦地に行った……でも、それ以降、伝令が途絶えた。意味するところは一つだけ」
「僕……渡したんだ、短剣」
「……そう」
「こんなことになるんだったら、もっと……出来の良い剣を、」
言い淀む彼に、ミシュアは告げる。
「自分の選んだ剣と運命を共にする。騎士なら、そこに後悔はないよ。きっと」
何か言いたげな彼だったが、結局は俯いただけだった。当たり前だ、彼にしてみればもしかしたら、同じ過ちを犯したのだと思ってしまってもおかしくはない。ミシュアとしては違うのだと思う、アベルは短剣など使わないからだ。
ただ、それを自分が言っても慰めだと思われるだけだろう。
不意に思う。
(ギレイさんは刀工を続けない方が……良いんじゃないだろうか? このまま続けてしまえばずっと、こんなふうに傷つき続けるのなら……)
思って、でも、腰にある剣に触れる。
(……でも、わたしは――)
奇しくも彼と同じように、俯いてしまった。
彼は何も言わなかったし、こちらも何も言えなかった。
彼との間にある沈黙は、彼を前にして初めて感じる息苦しさだった。
息を継ぐように、思う……もしも、ありえなかったことではあるけれど。
(ギレイさんが刀工でなかったら、わたしが騎士でなかったなら……そうして出逢えたなら……どんなに――)
二人で街中を巡った日の、思い出がよみがえる――夢のように美しく、でも、現実のように鮮やかに。あの日の続きを、あのような日々を二人で過ごせたら、どんなに――。
湧き上がった熱情に、ミシュアは抵抗できなかった。
「ねぇ……ギレイさん。わたし、これから街の周辺を巡回して……ううん、街の外も見ておきたいんだ。でも、これは個人的な戦の備え、わたしの一角騎は使えない……」
衝動的に、彼に嘘をつく。止められなかった。顔を上げ、声を上げた……まるで震えた手で剣を突きつけるみたいだった。
「その、だから、ギレイさんの飛竜にまた、乗せてもらえる?」
そして、彼は断らなかった。
彼は首にかかった革ひもを引き、襟の下から出した小さな笛を吹く。ほどなく、飛竜が二人の前に降り立つ。飛竜の鞍に跨った彼は視線で、後ろに乗るように示してくれた。
嘘どころか何もかも見透かされて……いや、分かってくれているかもしれなかった。
「……、」
何かを言いかけて、結局、何も言えなくて、ミシュアは彼の後ろに座る。少し躊躇いながら、彼の服の裾を握る。
「街の巡回、だったよね……ミシュアさん」
「……ええ」
「とりあえず、上空を一周するね」
「お願い」
彼の飛竜が飛び立つ。浮遊感。落ち着かない。いや、本当に落ち着かない理由は、彼の声音……いつもよりも低い気がする。
(どうして……)
自然と、彼の服の裾を強く握ってしまう。彼と一緒に居て、居られるのに……息が詰まって少し苦しい。そんな自分が嫌になる。だって、彼が悪いわけじゃない。
きっと彼は今、短剣を渡した騎士がもう戻って来ないことを気に病んでいる。彼がいつか話してくれた戦友の死、その過去……傷跡も痛んでいるはず。
分かっている……のに、どうしても。
(今の、わたしを……)
彼に自分がどう思われているか。
ただ、それだけが怖かった……もしかしたら、この街に迫り来る魔族の軍勢よりも。
「ミシュアさん……街、人が少なくなってるね……」
言われて、眼下にうかがう。もう、街が作り物みたいに見える高さにまで飛んでいた。彼の言う通り、眼下の街……商工業区画を行き交う人の数がまばらになっているのを見て取った。
「騎士団が一つ、消息を絶った。そのことはどうしても、隠せない。特に商人達は耳ざといから、先手を打って避難している」
言いながら、胸が痛む。彼と巡った、街の情景は失われている。もしかしたら、もう二度と戻ってくることはないのかもしれない。
「わたし達が見たお店……やってないかも……」
「そう……かもね」
自分の声音にも、彼の声音にも寂しさが滲んでいた。響き合った寂しさに、その、指先が不意に触れ合ったみたいな感触に、不思議なほど、安らかな心地がした。今までの彼との時間を取り戻したみたいで、その所為だろう、不意に、思いついてしまった。
「そうだ……ギレイさんもっ、」
思いつきを言いかけて、口をつぐむ。
「え? ん? どうしたの?」
「いえ……その、なんでもない」
口をつぐんだ、その瞬間に噛み潰してしまった言葉に、後悔する。
(そう、ギレイさんも避難した方が……良いに決まってるのに)
彼の服の裾を、強く握った。
もう一方の手は、彼の剣に触れていた。
(わたしは――)
――そんな時だった。
眼下の街から歓声が上がった。誰かが武芸大会での乱入を聞き及んでいたのだろう――飛竜に跨った自分と彼に、街に残った人々が歓声を上げているのだ。
遠く離れて隔たっているから、歓声の全てを聞き取れやしないが、
『勝って…シュアッ!』『街を守……って!』『魔族……蹴散ら』『……に、良い剣を』
人々が何を望んでいるかは、心が軋むほどに耳に響いた。
彼と街を巡った日も、似たように騒ぎになったことがあって、でも、その時とは違った。皆の必死さと痛切さが……違ったのだ。
(ギレイさんが一生懸命に叫んでも……きっと聞いてくれない)
思って、ミシュアは騎士団の仲間達にそうするように、民衆にそうしてきたように、剣を抜き払い、切っ先を空へと掲げた。それだけで歓声の圧力が高まった――少なくなった人々であるはずなのに、彼らは遠くにいるはずなのに、歓声が耳に迫ってくる。
(わたしは、やっぱり、この歓声に応えたい……)
そのために、武芸を鍛え上げてきた。自分には才覚があったし、ついてきてくれる仲間もいる。何よりも、彼と街中を巡った日……あの日を作り上げてくれたのは、眼下で歓声を上げてくれているような、戦えない人々でもあった。
彼らが居たから、あの都市があり、自分は騎士となれて。
(だから、皆が逃げなくていいように、あのギレイさんと街を歩いた日のような何気ない日々に……ただ安らかに暮らせる日々に、わたしは皆を帰したい――)
彼の服の裾を強く握った、また、もう一方の手は彼の剣を握りしめていた。
(わたしが命を使い尽くすことになっても、戦争に――)
思った……のだけれど、剣を持つ手が震えていた。
もう一方の手は、彼の服の裾から、いつのまにか、彼の腰へと回されていた。
だからなのか、
「ミシュアさん!! もういい、行こう!」
彼はそう言ってくれた。強い、強い歓声のなかにあってさえ、彼の声は自分の耳に確かに届いてくれたのだった。
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