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第一章 出会う前から知っていた

折れた剣・1

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 ギレイは扉から何となく目を離せなくなっていた。開かれていく扉。軋む音さえも聞き入ってしまっていた。
(あ……気づかなかったな)
 開かれた扉の向こう、外は小雨が降っていたことに今更、気づいた。また扉の方を見ながらでも、身体が覚えている通りに自分の手が鉄鎚を振るっているのにも気づいていた。
 いや、もちろん、そんなことよりも。
「……すまないが」
 訪れた少女の、涼やかな声音と姿にこそ、ギレイは本当には気をとられていた。ただ何故か、その姿に見入ったり声音に聞き入ったりするのに躊躇した。
 だって、訪れた少女は一言で言えば、

(僕の鍛冶小屋に来る人……じゃない)

 ギレイがそう確信出来るほどに、少女は美しい……いや、可憐かれんだった。金色の髪と目は夜を彩る月明かりのようにたおやかで、一目で貴人きじんのものと分かる。自分のような……しがない刀工が見つめるのは、何か、いけないことのような気がしていた。
 ギレイは少女から目を逸らし、赤熱化した鉄を見つめ直した。少しの間ではあるが目を離してしまったからだろう、鉄の形が、色がやや悪い。
 どうにかしようと、鉄鎚を振るう。音と火花が散り終えたところで。
「……道にでも迷われましたか?」
 ギレイは自分でも思いもよらぬことを、口走ってしまう。道も何も、この鍛冶場は人里から離れた山の中にあるのだ。迷い込むことなんて、ありえない。
「狩りでも……? まさか、していました??」
 暴走し始めた口に、妙な気恥ずかしさがこみ上げ、ギレイは打っている鉄よりも自分の頬が赤く染まり始めていると自覚する……と。

「……ふふっ」
 耳をくすぐるような少女の笑い声につられて、ギレイの口元も緩んだ。訳の分からないことを言って、怒らせてしまってはいない。安堵ともに冷静さを取り戻す……つまりは冷静ではなかったんだと遅ればせながら、ギレイは自覚した。

「貴方を訪ねて来ました」

 微笑を滲ませる穏やかな少女の声音に誘われ、ギレイは顔を上げる。ようやく少女が抱きかかえている革袋を見つけて、言った。
「……剣の鍛え直し、ですか?」
「――よく分かりますね、これが剣だと」
 嬉しそうに、あるいは安心したように、少女は微笑んでいた。と、その少女の髪から滴が落ちる。ギレイは慌てて、言った。
「とにかく、入って下さい……暖炉はないですが、炉ならある」
 ギレイの左手側、斜向かいにある炉……鉄を熱するための火炉ほど……と、扉の脇に置いてある来客用の椅子を目線で示す。
「ありがたい」
 言って、少女は扉を閉めた。ふわっと漂ってくる微風が、やわらかいような甘いにおいをギレイの鼻に連れてきた。
「……、」
 彼女のそれだと気づいて、ギレイは何かを振り払うように、鉄を打った。もちろん、失敗した。どんどん歪になってきている。多分、取り返しがつかない――だというのに、
「……へぇ」
 そう零しながら、少女はギレイの叩く鉄を見ていた。楽しそうに。
 目元を細めた彼女は椅子を持ち、ギレイの右手の斜向かいに置いて座った。火炉の熱で雨が乾き始めたのだろう、漂うのはかすかな蒸気。彼女の微香が強くなる。
 妙な気恥ずかしさを吐き出すように咳払いをして、ギレイは口を開いた。
「申し訳ないが、ほんの少し待って下さい。これが形になるまで、すぐですから」
 早口に言って、ギレイは鉄を叩く。火花が散る。甲高い音色が響く。
 響き渡った音色の合間に、彼女の声がした。
「もちろん、待ちます……ただ」
 鉄を打つ合間に、彼女は話しかけてくれた。
「一つだけ、言わせて」
 鉄を打つ狭間に、彼女の声音が続く……言葉通りの相槌のようだった。彼女とは息が合うのだと、ギレイは感じた。

「ここに来て、良かった」

 鉄鎚を振りながら理由を聞こうと口を開きかけたが、彼女の声が先回った。
「貴方が鉄を叩く音色は、わたしの剣と似ている。そんな音を弾き出す人間が……その……」
 言いかけた彼女はしかし、黙ってしまった。彼女自身、答えられないことのようだった。ギレイも、彼女が何を言いたいのか、もちろん、分からない。だから彼女を促すように、あるいは、いくらでも待つとでも言うように、ギレイは鉄を打ちならした。
 それが伝わったかどうか、分からない……けれど、彼女は言った。
「すまない……言いたいことが一つではなくなっていたね」
 鉄の残響に隠すように、彼女は言った。

「ええ、だからね……わたしは、貴方とゆっくり話がしたい」
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