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ワイン

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 僕の申し出に、信者はより一層顔を引きつらせた。彼は僕の申し出を教祖である父に進言して、父を怒らせたらどうしようと思っている。幹部は多額のお布施をした者が順当に選ばれるが、父の機嫌を損ねたら即刻降格、悪ければ破門だ。教祖を怒らせるのは神を怒らせたも同義、何事にも代え難い過ちなのだ。

(家出を知っている信者からすれば、僕なんて明らかに地獄行きの無礼者だ)

 でも僕は覡様なので、教祖に怒られるだけで終わり。破門になれる信者が羨ましかった。

「僕を連れて行ってください。勝手に部屋を出たとなれば教祖様はお怒りになる」
「いや、しかし──」
「言い方を変えます。僕は今困っているのです。助けてくれませんか」

 人を助けて自分も救われるというのが救済会の信条だ。特に覡様を助けることは最も徳の高い行いとされる。信者は僕の申し出を断れない。圧倒的な上下関係の上で成り立つ絶対的な命令だ。
 幼いころから歪んだ関係性の大人に囲まれて、僕は「助けてほしい」と言わないようになっていた。助けを求めたら、拒否したい自分の立場を許容したことになる気がして、それが嫌だった。しかし、背に腹は代えられない。自己嫌悪を感じながらこの力関係を悪用してみると、信者はあっけなく頭を下げた。

「承知いたしました……!では、私とご一緒に教祖様の部屋へ……」

 顔を上げた信者は相変わらず引きつった表情だったが、それ以上抵抗はなく食器を持つと僕に一礼して歩き始める。僕は彼の背中を追って部屋を出た。
 部屋を出ると広い廊下が現れる。凝ったデザインの手すりがついた螺旋階段を降りる傍ら、壁に飾られた額縁を見た。よくわからない抽象的な絵が飾られている。父が描いた絵だった。芸術センスなどない中年男性が気分で描いた絵だが、信者は何十万も払っても欲しがるものだから、父は面白いほど簡単に金を手に入れていた。
 1階に降り、廊下の先にある書斎へと向かう。父は大抵そこにいた。信者がまず扉をノックし、『どうぞ』という許可を聞いた僕は自ら扉を開けていた。慌てる信者を無視して中に入る。ワインを片手に晩酌をしていたらしい父は、部屋に入ってきた僕を見て片眉を上げた。

「も、申し訳ございません。覡様が教祖様にお会いしたい、とのことでして……!」
「教祖様に、お話ししたいことがあり参りました。彼は僕を助けただけで悪くありません」

 信者が怒られる前に弁明すると、父はグラスをテーブルに置いた。

「どういうつもりだ。まだ私を怒らせたいのか」
「違います。謝罪に参りました。自室で長らく自分の行動を振り返り、深く反省いたしました。自分の愚かさを痛感したのです。本当に申し訳ございませんでした」

 僕は膝をついて頭を下げた。父が何か言うまで頭を上げる気はなかった。しばらく沈黙が続いたが、やがて父が足を組み変えるのがわかった。

「……少しは反省できたようでなにより。今後は身勝手なふるまいは慎み、しっかりと救済会を支えなさい」
「はい。ありがとうございます」

 顔を上げると、父は再びワイングラスを手にし、満足げに飲み始める。反抗した息子に言うことを聞かせられて嬉しいのだ。
 そんないつも通りの父を見て、以前の僕なら大人しく部屋を出て行ったと思うが、今日は違った。そもそも謝るために来たのではない。

「……ひとつ提案がございまして、本部で『救済読経』をさせていただけませんか。無謀な行いをした自分を戒めるため、また信者方々を救うために」

 救済読経とは、覡様である僕が七日七晩部屋に籠って読経をする儀式のことだ。救済会の中で最上位の儀式とされ、信者が個人的に救済読経を依頼すれば最低でも500万円はかかる。以前住処提供のお礼として水原のお母さんのためにやったことがあったが、お母さんは泣いて喜んでいた。喜んでもらえるのは良いことのはずなのに、僕がお経を読むことに何の価値などないとわかっているのでただ後ろめたかった。
 床に膝をついたまま進言した僕を、父はグラスを揺らしながら見ていた。
 僕の真意を見抜こうとしている、のではなくどのようなメリットがあるか考えている。父は自分の得になることしか考えない。今回は覡様の長期不在を埋める行為として、信者の心を掴むいい機会と考え許可が下りると踏んでいた。信者への飴と鞭を使い分けることが、宗教運営の根幹だからだ。

「そうか、祈がそこまで言うなら許可しよう。幸い本部を使用する予定は年始までない」
「ありがとうございます。ぜひ迅速に行えればと」
「わかった。一般信者のみなさんへ、通達してください。明後日、午前11時より覡様のご厚意で『救済読経』を行うと」
「は、承知いたしました」

 父は案の定許可を出し、幹部信者へ指示を出した。信者は父の怒りに触れなかったことに安堵したのか、足取り軽く部屋を出て行く。
 全信者向けの救済読経は本部で行い、信者は自宅から本部の方向を向いて手を合わせる決まりだった。七日七晩やり続ける信者がどれほどいるのかは知らないが、手を合わせて祈れば祈るほど救われると信者たちは信じている。

「祈、お前も準備を始めるように」
「はい。では失礼します」

 僕は父に一礼して書斎を出た。廊下に誰もいないことを確認してからグッと拳を強く握った。
 12月25日に渋谷本部へ行ける。
 竹原さんがそこにいてもいなくても、僕がやることは決まっていた。もう逃げないと決めたのだ。
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