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立花颯

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 初日を皮切りに、その後のツアーも順調に開催された。大きなトラブルはなく成功をおさめ、ファンの熱量を維持・増強させるに十分な成果を上げていた。俺の体調も改善しつつあり、毎日のライブで疲労が溜まっているのかすんなりと眠れる、まさに普通の人間に戻ったかのような夜もあるくらいだった。

「今日で日本公演はいったん一区切りだ。明後日からはアジア、まずはフィリピンから始まって──」

 リハーサルが終わったのを見計らって、マネージャーが今後のスケジュールを共有する。日本でやるライブは今日で終わり、明日からは海外ツアーが始まる。とはいっても、途中で日本の追加公演を発表して最終的に日本でツアーの最後を迎える予定だった。

(海外行けるのは楽しみだけど、俺は観光できないだろうな)

 配られた予定表を眺めてぼーっと考える。日本の熱心なファンは海外ツアーにも来るし、その多くは偶然を装って観光中のメンバーに会いたがっているものだ。過激なファンとの遭遇確立を上げるようなことを事務所は俺に許さないだろうし、許してほしいとも思わなかった。

「フィリピンかぁ。セブ島行きたいな~」
「フィリピンって名物なに?」
「え、なんだろう。マンゴーとかじゃないですか?」
「カジノできるんだっけ。やりに行けるかな」

 俺以外の4人が好き勝手に雑談を始めたところで、スケジュールを読み上げていたマネージャーは咳払いをした。

「今の日程聞いてたか?海外ツアー中は過密スケだ。何時間も使うような観光はできない」
「ええ~!?前のツアーの時に『次回は自由時間も確保する』って言ってたじゃないっすか~!」
「別にゼロってわけじゃない。街で食事して自撮りする時間くらいはある」
「それ結局仕事ですよ~プラベはゼロってことじゃん~」
「息抜きもないなんて、ブラック事務所すぎるだろ。業務改善必須~」

 頼さんを筆頭に翔太郎さんと丈さんも思いっきり不満な顔で抗議して、マネージャーがため息を吐きながら宥めている。俺はその様子を笑って見ていたが、涼真だけ俺を見ているのがわかった。顔を向けるとにっこりと口角が上がる。

「ご飯だけならハヤテも行けるよね。観光は事務所の許可厳しいだろうけど」
「ああ、うん。スタッフさんもいるなら飯くらいは全然OKだと思う」
「やった。じゃ俺もハヤテと一緒のとこ行くから、食べたい料理あったらあとで教えて。店の候補探す」

 涼真もわずかな自由時間に行きたいところくらいあるだろうに、俺との食事を優先してくれるらしい。涼真と関係を解消してから数か月経つが、関係を持っていたころより俺への好意を隠さなくなっているように感じた。俺がいつまでも結論を出せない間に、涼真は悩み続けることをやめてどこか吹っ切れたみたいだ。

「ちょっとそこの2人もちゃんと抗議してよ。ブラック労働反対~!」

 翔太郎さんが俺たちを指さしたことで、俺はようやく涼真から目を離した。俺も吹っ切れたいな、なんて思いながらマネージャーへのヤジに参戦した。






(フィリピン料理って何が有名なんだろ。知らない料理ばっかりだな)

 ライブ上演時間の1時間前。一足先にヘアメイクが終わった俺は、廊下のパイプ椅子に座ってフィリピン料理の検索を始めていた。周囲ではスタッフたちが忙しそうに最終準備に向けて駆け回っている。

(うわこれ見た目すごい。意外とリョウマ好きそう)

 豚の丸焼きが名物として紹介されているページを見つけて、リンクを涼真のLINEへ送る。まだ涼真はヘアメイク中だったから既読はつかないが、リンク送付を繰り返しつつスマホをいじっていると、女性スタッフのひとりが小走りで俺のところへ来た。

「立花さん、すみません。実は今日の衣装に一部不備が出ちゃいまして、代わりのを試着し直してもらえますか」
「あ、マジすか。どの衣装が?」
「eternalで使用するトップスです。ちょっと修繕が難しくて臨時でシャツを買ってきたんですが──」

 説明を受けながら立ち上がり、足早なスタッフについていく。eternalは涼真とお揃いの衣装なので、俺だけ変わっちゃって大丈夫なのかなと思ううちに、「こちらでお願いします」と衣裳部屋ではない一室に通された。
 部屋には誰もいなかった。無論、俺とスタッフの2人だけになってしまう。事務所の方針でいまだに俺はメンバー以外と2人きりになるのが禁止されているのだが、このスタッフはそれを知らない新人なのかもしれない。

「あの、俺スタッフさんでも2人きりになるの禁止されてて」

 苦笑で振り返ると、スタッフはドアに立ちはだかるように立っていた。黙ったままで、黒いマスクをしていて、表情もよくわからない。

「……えーっと、だから他の人も呼んでほしく──」

 しかし目が合った瞬間、俺は身体が硬直するのが分かった。その視線は俺に吐き気を呼び起こさせ、喉の奥が酸っぱくなる。

 ヤバい。

 本能的にそう感じた時には、スタッフの手元に刃物が握られていた。異常な心拍数に耳鳴りがして、身体が総毛立つ。息をするのも忘れて固まっている俺の前で、スタッフは堂々とマスクを取った。

「久しぶり、ハヤテ」

 獣の目で俺を見て、スタッフ──吉岡は引きつるように笑った。
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