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立花颯

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 新山弁護士から電話があった夜から、既に3ヶ月が経とうとしていた。仕事は変わりなくあり続け、来月からアジアツアーが始まるため、JETも事務所もその準備にかられていた。
 俺は多忙ながらいまだにメンバーの家を転々としたり、ホテルに泊まってみたりを繰り返していて、宿舎にはまったく帰っていない。幸い吉岡の動きはなかったが、どこにいるのが安全なのか、もしくはこんな対策をせずとも安全なのか、誰にも分からなかった。
 JETのみんなが宿舎を自宅のように扱っていた頃が懐かしい。またみんなで過ごせる日が来てほしいと、俺は毎日願うようになっていた。

(そんな日、もう来ないのかな)

 深夜から始まったツアー準備の会議が休憩時間に入り、俺は気分転換のために人気のないラウンジのソファにひとりで横になっていた。単独行動は厳禁だったが、事務所内は例外的に許可されており、貴重な一人の時間だった。

「はぁ~つかれた……ふぁ……」

 あくびが出て、もしかしたら眠れるかもしれないと思い目を閉じてみる。
 相変わらず眠れない日々は続いていて、吉岡に怯えてひとりで路地も歩けない。仲間に迷惑をかけ続けているが、迷惑をかけて申し訳ないと言っても「そんなことない。気にするな」と言われるのはわかり切っていて、もう自己満足のための懺悔は許されない空気がある。そういった事象のすべてが心に重くのしかかっていた。それなのに自分がいまだ精神疾患になっていないのが不思議だった。俺は自分で思っていたよりずっとメンタルが強い。芸能人向きなのだ。

『暴走したファンに薬打たれてレイプされたら、普通芸能界に復帰なんてできないだろ。どうせ実際は大したことなかったんだよ』

 こんなことを幾度となくネットに書かれた。悔しくてどうしようもなかったのと同時に、俺がおかしいのかもしれないと不安にもなった。摂食障害で済んだだけで良かったと思っていたが、世間的には俺が戻ってこないほうがよかったのかもしれない。

『犯人への求刑だって少ないし、控訴もしなかった。なんかやましい事情があるんだろ』

 こういうこともよく言われた。これは法律知識がない者の意見で、実際のところ吉岡への求刑は強制わいせつの中では重いものだ。日本は性犯罪者に優しいため、執行猶予付きで実質無罪の可能性は十分あった。これが覆ったのはファンの署名活動のおかげでも事務所の力でもなんでもなく、吉岡が全面的に罪を認めたからだ。

「障害はふたりの愛を強くするので、ハヤテからの試練として受け入れます。私絶対乗り越えるから待っててね」

 法定で弁護士の弁護をほとんど無視して「ハヤテの言うことがすべて正しいです」と言い続けていた吉岡は、俺に宛てた手紙にそう書いていた。本当はもっと気色の悪いことが書き連なっていたが、思い出すと胃酸が逆流してくるので詳細は忘れてしまった。

「……ダメだ、寝れない」

 目を瞑ってみたところで考えない方がいいことばかり考えてしまって、俺は諦めてスマホをいじることにした。
 JETのSNSアカウントを開いて投稿を見る。個人アカウントはないので、メンバーはみんなこの公式アカウントを使っていた。1番新しい投稿は涼真の自撮りだ。涼真は本当に男前なのに、自撮りが下手なのでいつも盛れていない。今回もちゃんと盛れていないことに俺は笑って、涼真にからかいのLINEでも送ろうとしたら投稿のリプが目についた。多くはファンのコメントだが、初期アイコンが『さっさと消えろ』とリプしている。ファンがそのアカウントに対して『誹謗中傷です。みんな通報してください』と呼びかけていて、いずれBANされるんだろうなと思いながらついプロフに飛んでしまった。

『JETアンチ。特に立花。話しかけんな』

 なんともわかりやすい自己紹介だ。
 こんなアカウントは見ないほうがいいに決まっているが、俺はスクロールを始めた。罵詈雑言がどんどん流れてくる。

「なにボーッと見てんだよ」

 いくつか投稿を見ていると上から声が降ってきた。見れば丈さんがラウンジで買える薄いコーヒーを飲みながら俺を覗き込んでいる。

「いつものやつ」
「いつもの?」
「誹謗中傷。俺死んだほうがいいってさ。あとアイドル辞めろって」

 件のアカウントを映したスマホを見せると、丈さんは顔面を思いきり歪めて不快を表した。
 JETはファンも多いが、それに比例してアンチも多い。誹謗中傷は俺だけが受けているわけではないが、俺はJETの中では多いほうだ。悪口にはもう慣れてしまったし、俺のことを嫌いなやつよりも、吉岡のような好意が暴走したファンの方が恐ろしかった。
 丈さんに画面を見せるのをやめて再びエゴサに戻ろうとすると、丈さんが俺のスマホを掴んだ。

「もう見るな」
「俺平気だよ全然」
「お前さ、悪意を気にしないのはいいけど受け入れるのはやめろよ。こんなやつは通報して終わりにしろ」

 丈さんは眉を寄せたままスマホを取り上げると、慣れた手付きで画面をいじった。丈さんはアンチの誹謗中傷をちゃんと許さず、こうして見つけるたびにしっかり通報している。丈さん自身、作曲のことでとやかく言われることが多いから、目を背けたいだろうに。

(丈さんの言う通りだ。俺はアンチと戦いもせずスルーできるわけでもない)

 自分の弱さを感じて、現実逃避で再び目を閉じようとしたらスマホを胸に落とされた。

「うっ、おい乱暴やめ」
「休憩中に疲れるもの見るな。ほらこれでも聴け」

 丈さんが自分のスマホでなにやら再生を始め、聴いたことのない曲が流れ始めた。

「え、これ……新曲?」
「そう。どうよ、結構いい感じじゃね」
「ええ~さすがジーニアスジョー……!すごいカッコイイ、これ次のシングル?」
「いやお前とリョウマのデュオ曲。ツアーで初披露しようと思って。音源はできてる」
「は、俺とリョウマの!?」

 俺は思わず起き上がっていた。JETはグループ曲が多いのでデュオ自体が珍しいことと、俺と涼真の組み合わせは売れるがデュオを出したらファンが満足して離れる危険性を恐ろしがった事務所がずっと出し惜しみしているから、許可など降りないはずだった。

「じ、事務所には言ってあるの」
「ある。審議中だけど、次のツアーは周年兼ねてるし、セトリの目玉として有りなんじゃないかって社長は言ってた。ダメでも勝手に流す」
「ま、まじで……」

 丈さんは俺のリアクションを満足そうに見て、口角を上げた。

「ちょっとは元気出たか?」
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