36 / 46
35
しおりを挟む
三ツ木さんを見送って、俺は店内の掃除を始めた。客たちのグラスを回収して洗って磨き、次いでテーブルを拭いていく。その間、結構な時間が経過していたが、ハナビはいまだ退店せずにイズキと会話を続けていた。
(小声過ぎて何喋ってるのかはわかんないな……)
月見からペットを譲り受けることをハナビはかなり嫌がっているようだが、使えなければ殺してよいという条件なら、どれだけ説得してもイズキが断るとは思えなかった。ハナビは月見とイズキに関わりができることが嫌なだけ、つまりは嫉妬なのだろうか。
そういった予想が当たっているか知りたくて、仕事をしながら聞き耳を立ててはいたものの結局何も聞き取れなかった。盗み聞きを諦めて床掃除に取り掛かったところで、イズキが俺を呼んだ。
「須原。作業こなしたら上がれ。俺はこいつの相手をしてくる」
「またね、須原くん」
イズキは顎でハナビを示し、ハナビは俺に手を振ってイズキの腕を引いて歩き出した。ふたりでVIPに行くようだ。部外者の俺がいる空間でこれ以上話すことをどちらかが──おそらくイズキが拒んだんだろうなと思った。
「汚れ一か所につき一発殴るからな。サボんなよ」
「はい、もちろん……!」
俺を見もせずにそう言って、イズキはハナビと一緒にフロアの奥へと消えていった。俺は管理者がいなくなったからといってサボるほど度胸はないし、仕事をやったように見せかける器用さもなかったので、黙々と床掃除を続けた。
1時間以上掃除を続けて、イズキも文句は言わないだろうというクオリティになったところで、スマホが震える。ジウからだ。
『店終わった?飯作っといたから後で食べて』
そのメッセージで緊張が切れたのか、俺は急に空腹と疲労を思い出した。確か今日は起きてから水を1杯飲んだだけだ。
VIPの方を見てもイズキが戻ってくる気配はまだない。イズキは俺を見ると何かしら仕事を言い渡してくることもあり、イズキがいないうちにどうしても何か食べたくなってしまっていた。気づけば俺は掃除用具を急いで片付け、地下への階段を駆け下りていた。メッセージを受け取ってから、時間にして30秒ほどでリビングのドアを開けた。
「うわ、びっくりした」
椅子に座ってポップコーンを食べていたジウは、肩で息をしながら部屋に戻ってきた俺を見て目を瞬いた。
「なに、急ぎの用事?イズキさんになんか言われた?」
「違う、ご飯。今、イズキさん、ハナビさんとVIP行ってて、それで、今食いたくて」
「あ~。じゃゆっくり飯食えるね」
息継ぎで細切れの言葉を喋る俺にさして突っ込みもせず、ジウは立ち上がって冷蔵庫を開ける。ざるとスープカップを持って戻って来て、テーブルに並べた。息が整ってきた俺は椅子に座りながら「ありがとう」とまず礼を言う。
「今日は蕎麦で~す。食ったことある?」
「一応ある。コンビニのだけど」
「コンビニって蕎麦まで売ってんだ、すご。いいな~」
シャバのコンビニに憧れを見せたジウは、テーブルの皿に並ぶおにぎりも俺の方に皿ごと滑らせた。
「これも。俺もう夕飯食ったから好きなだけいいよ。イズキさんはどうせ蕎麦しか食わないし」
おにぎりを食べないらしいイズキに不満そうな顔をしつつまたポップコーンを食べ始めるジウを横目に、俺はいただきますも忘れて箸を取る。もつれる箸先で蕎麦をすすると、めんつゆの塩分に体中が喜ぶのがわかった。無心で食べ続け、ものの数分で蕎麦を空にするのを見て、ジウがまた目を瞬く。
「幸太ってそんなに蕎麦好きなの?」
「あ、いや。普通。でもめっちゃ腹減ってて」
「イズキさんの隙見てなんか食べないと身体もたないよ、マジで」
蕎麦で空腹がおさまった俺は、今日あったことをジウに話そうと思って、まず先ほどより落ち着いた動作でおにぎりを取った。ジウは店のことをよく聞きたがるので、時間があると色々話している。イズキに口止めされているわけではないので、たぶん問題ない。
「そういえばハナビさん、あの人って女なんだね。男だと思ってた」
「ああ!おっぱいの洗礼受けた?俺最初あの人のこと『男になりたい女』なんだと思ってたんだけど、ただ女の恰好が嫌いなだけらしいよ。顔悪くないし女装ならイズキさんも少しはその気になるんじゃないかって言ったら『ありのままの私を愛してほしいんだ!』って泣かれたことある」
「ええ……。やっぱ変な人だよな、ハナビさんも」
「そりゃマシな方ってだけで、エルムンドに来るような人間だから普通じゃないよ。ハナビさん前に『勝ったらセックス、負けたら一生口説かない』っていう条件でイズキさんに喧嘩申し込んで死にかけたことあるから」
そんな賭けを殺しの才能でのし上がったイズキに仕掛けるハナビはおかしいし、その賭けに乗ってしっかり女を殺しかけているイズキもおかしい。それにハナビは賭けに負けたのに全然諦めていないしブランドものを貢いでいるしさっきも口説いていた。
命がけの茶番に俺が微妙な顔でおにぎりをかじり始めると、ジウはふた袋目のポップコーンを開ける。
「他にはなんかあった?」
「ハナビさんと一緒に三ツ木さんも飲んでたから、久しぶりに会ったよ。あ、三ツ木さんっていうのは──」
「知ってるよ、うちの従業員はいつも三ツ木さんから買ってるから。金借りてんだっけ?性奴隷回避しても借金からは逃げられないって大変だね」
「でもまぁ、金は俺のせいだから。あと、美好月見って人がいた。イズキさんに会いに来たらしい」
そこでジウがポップコーンを運ぶ手を止めた。喋りながらずっと食べていたので、その停止が妙に目についた。
「月見と会ったことある?」
「いや月見とはない。ひとりで来てた?」
「たぶん。なんかエルムンドが人手不足だから従業員をくれるって話だった」
「従業員を……」
何やら考え始めたジウはそのまま黙ってしまいそうだったが、俺の前だということを思い出したのかハッと顔を上げた。
「あ、そうだ。失敗したマカロンあるんだった。食べてよ」
ジウは唐突にそう言って立ち上がった。急に話題を変えたように感じたが、俺はそのことよりマカロンを食べたい気持ちが勝って、この違和感のことをその後思い出すことはなかった。
(小声過ぎて何喋ってるのかはわかんないな……)
月見からペットを譲り受けることをハナビはかなり嫌がっているようだが、使えなければ殺してよいという条件なら、どれだけ説得してもイズキが断るとは思えなかった。ハナビは月見とイズキに関わりができることが嫌なだけ、つまりは嫉妬なのだろうか。
そういった予想が当たっているか知りたくて、仕事をしながら聞き耳を立ててはいたものの結局何も聞き取れなかった。盗み聞きを諦めて床掃除に取り掛かったところで、イズキが俺を呼んだ。
「須原。作業こなしたら上がれ。俺はこいつの相手をしてくる」
「またね、須原くん」
イズキは顎でハナビを示し、ハナビは俺に手を振ってイズキの腕を引いて歩き出した。ふたりでVIPに行くようだ。部外者の俺がいる空間でこれ以上話すことをどちらかが──おそらくイズキが拒んだんだろうなと思った。
「汚れ一か所につき一発殴るからな。サボんなよ」
「はい、もちろん……!」
俺を見もせずにそう言って、イズキはハナビと一緒にフロアの奥へと消えていった。俺は管理者がいなくなったからといってサボるほど度胸はないし、仕事をやったように見せかける器用さもなかったので、黙々と床掃除を続けた。
1時間以上掃除を続けて、イズキも文句は言わないだろうというクオリティになったところで、スマホが震える。ジウからだ。
『店終わった?飯作っといたから後で食べて』
そのメッセージで緊張が切れたのか、俺は急に空腹と疲労を思い出した。確か今日は起きてから水を1杯飲んだだけだ。
VIPの方を見てもイズキが戻ってくる気配はまだない。イズキは俺を見ると何かしら仕事を言い渡してくることもあり、イズキがいないうちにどうしても何か食べたくなってしまっていた。気づけば俺は掃除用具を急いで片付け、地下への階段を駆け下りていた。メッセージを受け取ってから、時間にして30秒ほどでリビングのドアを開けた。
「うわ、びっくりした」
椅子に座ってポップコーンを食べていたジウは、肩で息をしながら部屋に戻ってきた俺を見て目を瞬いた。
「なに、急ぎの用事?イズキさんになんか言われた?」
「違う、ご飯。今、イズキさん、ハナビさんとVIP行ってて、それで、今食いたくて」
「あ~。じゃゆっくり飯食えるね」
息継ぎで細切れの言葉を喋る俺にさして突っ込みもせず、ジウは立ち上がって冷蔵庫を開ける。ざるとスープカップを持って戻って来て、テーブルに並べた。息が整ってきた俺は椅子に座りながら「ありがとう」とまず礼を言う。
「今日は蕎麦で~す。食ったことある?」
「一応ある。コンビニのだけど」
「コンビニって蕎麦まで売ってんだ、すご。いいな~」
シャバのコンビニに憧れを見せたジウは、テーブルの皿に並ぶおにぎりも俺の方に皿ごと滑らせた。
「これも。俺もう夕飯食ったから好きなだけいいよ。イズキさんはどうせ蕎麦しか食わないし」
おにぎりを食べないらしいイズキに不満そうな顔をしつつまたポップコーンを食べ始めるジウを横目に、俺はいただきますも忘れて箸を取る。もつれる箸先で蕎麦をすすると、めんつゆの塩分に体中が喜ぶのがわかった。無心で食べ続け、ものの数分で蕎麦を空にするのを見て、ジウがまた目を瞬く。
「幸太ってそんなに蕎麦好きなの?」
「あ、いや。普通。でもめっちゃ腹減ってて」
「イズキさんの隙見てなんか食べないと身体もたないよ、マジで」
蕎麦で空腹がおさまった俺は、今日あったことをジウに話そうと思って、まず先ほどより落ち着いた動作でおにぎりを取った。ジウは店のことをよく聞きたがるので、時間があると色々話している。イズキに口止めされているわけではないので、たぶん問題ない。
「そういえばハナビさん、あの人って女なんだね。男だと思ってた」
「ああ!おっぱいの洗礼受けた?俺最初あの人のこと『男になりたい女』なんだと思ってたんだけど、ただ女の恰好が嫌いなだけらしいよ。顔悪くないし女装ならイズキさんも少しはその気になるんじゃないかって言ったら『ありのままの私を愛してほしいんだ!』って泣かれたことある」
「ええ……。やっぱ変な人だよな、ハナビさんも」
「そりゃマシな方ってだけで、エルムンドに来るような人間だから普通じゃないよ。ハナビさん前に『勝ったらセックス、負けたら一生口説かない』っていう条件でイズキさんに喧嘩申し込んで死にかけたことあるから」
そんな賭けを殺しの才能でのし上がったイズキに仕掛けるハナビはおかしいし、その賭けに乗ってしっかり女を殺しかけているイズキもおかしい。それにハナビは賭けに負けたのに全然諦めていないしブランドものを貢いでいるしさっきも口説いていた。
命がけの茶番に俺が微妙な顔でおにぎりをかじり始めると、ジウはふた袋目のポップコーンを開ける。
「他にはなんかあった?」
「ハナビさんと一緒に三ツ木さんも飲んでたから、久しぶりに会ったよ。あ、三ツ木さんっていうのは──」
「知ってるよ、うちの従業員はいつも三ツ木さんから買ってるから。金借りてんだっけ?性奴隷回避しても借金からは逃げられないって大変だね」
「でもまぁ、金は俺のせいだから。あと、美好月見って人がいた。イズキさんに会いに来たらしい」
そこでジウがポップコーンを運ぶ手を止めた。喋りながらずっと食べていたので、その停止が妙に目についた。
「月見と会ったことある?」
「いや月見とはない。ひとりで来てた?」
「たぶん。なんかエルムンドが人手不足だから従業員をくれるって話だった」
「従業員を……」
何やら考え始めたジウはそのまま黙ってしまいそうだったが、俺の前だということを思い出したのかハッと顔を上げた。
「あ、そうだ。失敗したマカロンあるんだった。食べてよ」
ジウは唐突にそう言って立ち上がった。急に話題を変えたように感じたが、俺はそのことよりマカロンを食べたい気持ちが勝って、この違和感のことをその後思い出すことはなかった。
10
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
『霧原村』~少女達の遊戯が幽から土地に纏わる怪異を起こす~転校生渉の怪異事変~
潮ノ海月
ホラー
とある年の五月の中旬、都会から来た転校生、神代渉が霧野川高校の教室に現れる。彼の洗練された姿に女子たちは興味を示し、一部の男子は不満を抱く。その中、主人公の森月和也は、渉の涼やかな笑顔の裏に冷たさを感じ、彼に違和感を感じた。
渉の編入から一週間が過ぎ、男子達も次第に渉を受け入れ、和也の友人の野風雄二も渉の魅力に引き込まれ、彼の友人となった。転校生騒ぎが終息しかけたある日の学校の昼休み、女子二人が『こっくりさん』で遊び始め、突然の悲鳴が教室に響く。そしてその翌日、同じクラスの女子、清水莉子が体調不良で休み、『こっくりさん』の祟りという噂が学校中に広まっていく。その次の日の放課後、莉子を心配したと斉藤凪紗は、彼女の友人である和也、雄二、凪沙、葵、渉の五人と共に莉子の家を訪れる。すると莉子の家は重苦しい雰囲気に包まれ、莉子の母親は憔悴した姿に変わっていた。その異変に気づいた渉と和也が莉子の部屋へ入ると、彼女は霊障によって変わり果てた姿に。しかし、彼女の霊障は始まりでしかなく、その後に起こる霊障、怪異。そして元霧原村に古くから伝わる因習、忌み地にまつわる闇、恐怖の怪異へと続く序章に過ぎなかった。
《主人公は和也(語り部)となります。ライトノベルズ風のホラー物語です》




久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる