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俺の疑問を愛のせいにしたハナビは、腕時計を見た。どうやらタイムリミットが来たらしい。
「そろそろ時間だ。ごめんね、私大金持ちじゃないから延長できなくて」
「あ、いえいえ!今日は色々と教えていただきありがとうございました。ハナビさんみたいに俺に優しくしてくれる人なんて他にいないので、本当に助かります」
「はは、大袈裟だね。また何か気になることがあったら私に聞いてよ。あっそうだ、最後にお礼の1曲を聞かせてもらわなきゃ」
ハナビがピアノを指差して、俺はすぐ立ち上がった。ピアノを弾くのはキョウコ以来で、正直俺は弾けるタイミングを待ち望んでいた。人生で唯一の好きなことだからだ。
「実は俺曲名よくわからなくてリクエストされても応えられないかもしれないんですけど……。この楽譜の曲なら全部弾けます」
ピアノの下に挟んでいた楽譜──キョウコに貰ったものだ──を取り出してハナビに見せる。
「わお、これ全部弾けるの?すごい量じゃん」
「はい。あ、いや実際弾いたことないのもあるんですけど、楽譜見た感じ弾けると思います」
「見ただけで弾けちゃうんだ、才能あるねえ。ん~、じゃあ『月光』を聴きたいな」
ハナビが指差した楽譜を受け取る。弾いたことはない曲だが、楽譜を見て薄暗い曲なのはわかった。ハナビはジムノペディといい、暗めの曲が好きなようだ。ザッと目を通して、俺は椅子に座った。キョウコの前で弾いた時よりは確実にケガが治り、心にも余裕がある。
鍵盤で楽譜をなぞり始めると、自分でも聴いたことのある曲だと分かった。暗くゆったりとした曲調から、徐々に激しい悲壮感が漂う曲調へ変わる。
(ああ、やっぱり楽しい)
ピアノと自分が一体となったような感覚がして、ものすごく久しぶりに口元が緩む。本当に楽しくて、ずっと弾いていたかった。しかしそう願っても、弾き続ければ当然曲は終盤に差し掛かり、もう終わってしまうのかと名残惜しさが強くなる。
最後の音をゆっくりと弾いて終わった曲の余韻に浸ると、ハナビが大きく拍手をした。
「すごい!曲が生きているみたいだった。須原くんはプロになれるよ、お世辞じゃない」
「はは、ありがとうございます」
「だから早くここから出られるように頑張りな。エルムンドにいれば、いつか殺されるか、人を殺すかしてしまうから。その前にね」
ハナビは笑顔消して言った。その顔は冗談ではないと言っていた。俺のために言ってくれているのはわかったが、俺にはエルムンドを出ることなんて想像もつかなかった。まだここで生き残るだけで必死なのだ。
(でもいつか、好きなときにピアノを弾ける、そんな生活ができたら……)
幸せだろうな。
現実味のない話だが、夢を見るくらいはしてもいいだろうか。
俺がわずかな希望を抱いていると、ハナビは俺を見るのをやめて扉の方を振り返った。
「おや。どうやら面白い客が来てるみたいだ」
「面白い客?」
「レッスンの応用編に進もうか、須原くん」
ハナビはそう言うとジャケットの襟を広げて、脇腹のあたりを調整した。一瞬しかジャケットの裏は見えなかったが、そこにあるのは銃だった。
++
先にメインフロアへ戻るハナビを見送って、俺は急いで──ハナビに「早く来ないとせっかくのお客さんに会えないよ」と言われていた──VIPルームを片付け始める。ハナビに教わったことを復習しながらホワイトボードを消して、改めてとんでもない界隈に身を置いてしまったとため息が出た。
「志倉、美好、双岩。互助三家の家同士は最悪の仲。どの家にも属さないやつはフリーランス。ジウはイズキに拾われて育てられた……」
(いや互助三家出身の男が他人の子どもを拾って育てるのか?自分の子どもならまだ納得できるけど)
イズキとジウは親子とも兄弟とも見えないと思っていたが、イズキが10代前半で父親になったならあり得る。志倉の次期当主まで上り詰めた男が若すぎる歳で親になっていても、おかしくはない。
そんなことを考えているうちに、次に客が入っても怒られない程度に部屋を整え終わる。ハナビの言っていた『面白い客』とは何なのか気になって足早にVIPを出たが、互助三家関係だったら会わない方が安全じゃないかと冷静になったところでメインフロアへと着いてしまった。
イズキに戻ったことを報告しようとカウンターへ向かったが姿はなく、
「お。間に合ったね、須原くん」
「さっそくですが、バーボンをください」
代わりにカウンター席に座るハナビと三ツ木さんが俺を見ていた。三ツ木さんのオーダーに従ってバーボンをグラスに注ぎながら、俺は店内を見渡す。
「あの、イズキさんは……」
「さっきまで私がいた席です。大御所が来店されたので、その相手をされてますよ」
グラスを受けった三ツ木さんが、一瞬そちらに視線を投げた。来店当初ハナビと三ツ木さんがいた半個室状の卓に、イズキと対峙する華奢な人影があった。目を凝らすと客の横顔が見える。色白で柔らかなボブヘアをした、女性だった。口元に手を当てて何やらほほ笑んでいる。服装から見た目、仕草まですべてがエルムンドに似つかわしくなかった。
(女性だ……。エルムンドなんかに女性が来るんだ……)
俺はナチュラルに目の前にいるハナビと三ツ木さんを女から除外して、柔和な笑みを浮かべる彼女に目を奪われた。
「あの人は……イズキさんのお知り合いですか」
「あれが面白い客だよ。お知り合いというより知っておくしかない相手。互助三家・美好一家の“子”、美好月見だ」
「そろそろ時間だ。ごめんね、私大金持ちじゃないから延長できなくて」
「あ、いえいえ!今日は色々と教えていただきありがとうございました。ハナビさんみたいに俺に優しくしてくれる人なんて他にいないので、本当に助かります」
「はは、大袈裟だね。また何か気になることがあったら私に聞いてよ。あっそうだ、最後にお礼の1曲を聞かせてもらわなきゃ」
ハナビがピアノを指差して、俺はすぐ立ち上がった。ピアノを弾くのはキョウコ以来で、正直俺は弾けるタイミングを待ち望んでいた。人生で唯一の好きなことだからだ。
「実は俺曲名よくわからなくてリクエストされても応えられないかもしれないんですけど……。この楽譜の曲なら全部弾けます」
ピアノの下に挟んでいた楽譜──キョウコに貰ったものだ──を取り出してハナビに見せる。
「わお、これ全部弾けるの?すごい量じゃん」
「はい。あ、いや実際弾いたことないのもあるんですけど、楽譜見た感じ弾けると思います」
「見ただけで弾けちゃうんだ、才能あるねえ。ん~、じゃあ『月光』を聴きたいな」
ハナビが指差した楽譜を受け取る。弾いたことはない曲だが、楽譜を見て薄暗い曲なのはわかった。ハナビはジムノペディといい、暗めの曲が好きなようだ。ザッと目を通して、俺は椅子に座った。キョウコの前で弾いた時よりは確実にケガが治り、心にも余裕がある。
鍵盤で楽譜をなぞり始めると、自分でも聴いたことのある曲だと分かった。暗くゆったりとした曲調から、徐々に激しい悲壮感が漂う曲調へ変わる。
(ああ、やっぱり楽しい)
ピアノと自分が一体となったような感覚がして、ものすごく久しぶりに口元が緩む。本当に楽しくて、ずっと弾いていたかった。しかしそう願っても、弾き続ければ当然曲は終盤に差し掛かり、もう終わってしまうのかと名残惜しさが強くなる。
最後の音をゆっくりと弾いて終わった曲の余韻に浸ると、ハナビが大きく拍手をした。
「すごい!曲が生きているみたいだった。須原くんはプロになれるよ、お世辞じゃない」
「はは、ありがとうございます」
「だから早くここから出られるように頑張りな。エルムンドにいれば、いつか殺されるか、人を殺すかしてしまうから。その前にね」
ハナビは笑顔消して言った。その顔は冗談ではないと言っていた。俺のために言ってくれているのはわかったが、俺にはエルムンドを出ることなんて想像もつかなかった。まだここで生き残るだけで必死なのだ。
(でもいつか、好きなときにピアノを弾ける、そんな生活ができたら……)
幸せだろうな。
現実味のない話だが、夢を見るくらいはしてもいいだろうか。
俺がわずかな希望を抱いていると、ハナビは俺を見るのをやめて扉の方を振り返った。
「おや。どうやら面白い客が来てるみたいだ」
「面白い客?」
「レッスンの応用編に進もうか、須原くん」
ハナビはそう言うとジャケットの襟を広げて、脇腹のあたりを調整した。一瞬しかジャケットの裏は見えなかったが、そこにあるのは銃だった。
++
先にメインフロアへ戻るハナビを見送って、俺は急いで──ハナビに「早く来ないとせっかくのお客さんに会えないよ」と言われていた──VIPルームを片付け始める。ハナビに教わったことを復習しながらホワイトボードを消して、改めてとんでもない界隈に身を置いてしまったとため息が出た。
「志倉、美好、双岩。互助三家の家同士は最悪の仲。どの家にも属さないやつはフリーランス。ジウはイズキに拾われて育てられた……」
(いや互助三家出身の男が他人の子どもを拾って育てるのか?自分の子どもならまだ納得できるけど)
イズキとジウは親子とも兄弟とも見えないと思っていたが、イズキが10代前半で父親になったならあり得る。志倉の次期当主まで上り詰めた男が若すぎる歳で親になっていても、おかしくはない。
そんなことを考えているうちに、次に客が入っても怒られない程度に部屋を整え終わる。ハナビの言っていた『面白い客』とは何なのか気になって足早にVIPを出たが、互助三家関係だったら会わない方が安全じゃないかと冷静になったところでメインフロアへと着いてしまった。
イズキに戻ったことを報告しようとカウンターへ向かったが姿はなく、
「お。間に合ったね、須原くん」
「さっそくですが、バーボンをください」
代わりにカウンター席に座るハナビと三ツ木さんが俺を見ていた。三ツ木さんのオーダーに従ってバーボンをグラスに注ぎながら、俺は店内を見渡す。
「あの、イズキさんは……」
「さっきまで私がいた席です。大御所が来店されたので、その相手をされてますよ」
グラスを受けった三ツ木さんが、一瞬そちらに視線を投げた。来店当初ハナビと三ツ木さんがいた半個室状の卓に、イズキと対峙する華奢な人影があった。目を凝らすと客の横顔が見える。色白で柔らかなボブヘアをした、女性だった。口元に手を当てて何やらほほ笑んでいる。服装から見た目、仕草まですべてがエルムンドに似つかわしくなかった。
(女性だ……。エルムンドなんかに女性が来るんだ……)
俺はナチュラルに目の前にいるハナビと三ツ木さんを女から除外して、柔和な笑みを浮かべる彼女に目を奪われた。
「あの人は……イズキさんのお知り合いですか」
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