性奴隷を拒否したらバーの社畜になった話

タタミ

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 血で汚れたタオルをテーブルに置いて、吉春が赤い酒を手に取りグラスを揺らす。回答を急かされたわけではなかったが、黙っていたら何をされるかわからないと本能的に感じ、俺は乾いた声を出した。

「あ、え、イズキさんと、仲良く……ですか」
「そう。オーダー以外に会話が発生していた客なら、みんな対象」
「あの、俺、いや私は昨日ここで働き始めたので、お客様もほんの数人しか会っていなくて」
「それでも数人には会ったんだ。なら、教えて」

 イズキを見ると、イズキはすでにこちらを見ておらず視線をテーブルに落としている。答えても構わないということなのか、それとも吉春の前だから俺に答えるなと反抗できないだけなのか。わからないが、直属の上司から指示がないのであればこの場の大ボスである吉春に従うほかはない。

「キョウコという方と、ハナビという方がイズキさんと会話していました」
「ああ、自営業のふたりか。それだけ?」
「もうひとり客として来ていた男性がいましたが……私が会った時はすでに死体だったので名前はわかりません」

 昨日初めて血塗れで殺された死体を処理するという経験をしたのに、特に悪夢にうなされることもなかった自分に気づいて、少々嫌になる。

「あら~それイズキが殺っちゃった?」
「違います。迷惑なザコ客をハナビが殺しただけです」

 テーブルを眺めるのをやめたイズキが、吉春に訂正を入れた。イズキに殺しを禁止している張本人を前に、誰が殺したのかというのはちゃんと争点となるらしい。吉春の関心が俺からイズキに移って、俺は少し息を吐いた。

「こいつは本当に来たばかりの新人で、互助のことすら知らない素人です。何を聞いても有益な情報は得られません。信じられないようなら、三ツ木に連絡してこいつの素性を保証させます」

 イズキは本当に三ツ木さんに連絡する意思があるようだったが、吉春はあっさり手を振った。

「いや、いいよ。俺はイズキを信頼してるから。ウェイターくんが何も知らないのは本当みたいだし」
「何を知りたいんですか、吉春さん」
「んー、他の家のやつらが来てないかなと思って。美好とか」

 美好。聞き覚えがある。
 俺がキョウコと一緒にいるときに電話をかけてきたのが、美好ではなかったか。俺は美好の電話が来たおかげで、VIPルームから解放されたのだ。その後イズキが店を閉めて出て行ったのは美好という人物に関係するのでは、と思い当たる。吉春の雰囲気からして、美好との接触がバレるのはヤバいはずだと緊張感を感じていると、イズキがウィスキーを一口飲んでから首を振った。

「美好は店には来ていません。少なくともここ数カ月は下っ端すらご無沙汰です。他の家のやつらはちょくちょく来ますが」
「そう。じゃ個人的には?美好が店には来てなくても、会ったりさ」

 吉春の自然な詰め方に、詰められているわけでもない俺が冷や汗を出す。当のイズキは相変わらず顔色ひとつ変えていない。

「個人的に、というのはいい関係のものがいるかということですか。ご存じの通り、色恋は──」
「テメエが美好と裏引きしてんじゃねえかって聞いてんだよ。わかんねえのか」

 はぐらかそうとするイズキに、我慢ならない様子で飛龍が話に割り込んだ。喧嘩腰の飛龍を吉春が諫めるかと思いきや、彼はほほ笑みのままイズキを見ていた。

「美好の親か子。どっちかと最近会ったんじゃない?」
「……あいにく俺は美好の親子どちらとも、大して話したことがありません。関係は希薄です。裏引きなど滅相もない」
「は、白々しいこと言ってんじゃねえ。誤魔化す気なら吐かせてやるよ」
「お前は俺を疑う証拠用意してから大口叩け。吉春さん、俺は飛龍が入るなら話したくありません」
「あ~ごめんごめん。飛龍ちょっと静かに」

 吉春がシッと人差し指を口に当てると、飛龍は口をつぐむ。
 しかしイズキへの腹立たしさは解消されないらしく、腹いせに隣にいた部下の顔を思い切り殴って卒倒させ蹴り上げた。流れるような慣れた暴力だった。抵抗しない男のあばらを何度も踏みつける様は狂気的で、俺は今日もまた死人が出るのかと泣きたくなる。うめき声と飛龍の荒い息が聞こえる空間で吉春はタバコを取り出し、暴行を続けようとしていた飛龍が火をつけるためにすっ飛んでいった。その切り替えの早さがさらに恐ろしかったが、吉春がタバコを吸いたかったおかげでひとりの命が助かったようだ。

「ちょっと美好の動きが気になってね。疑って悪かった。イズキが関係ないと言うなら信じるよ」

 吉春はタバコの煙を吐きながらイズキに笑いかけた。先ほどまでと空気が変わるのがわかる。飛龍は相変わらず親の仇でも見るような顔でイズキを睨みつけていたが、吉春が『下がれ』の意味で飛龍に向けて手を振り遠ざける。

「じゃあ、美好と仲良しなやつに心当たりは?」
「仲良しかはわかりませんが……1カ月ほど前に双岩がうちに来て『最近美好は来てるか』と聞いてきました。来ていないと答えるとすぐ帰りましたよ」
「マジ、あの爺さんが来たのか。まだ元気なんだあいつ」
「いえ、子のほうです。わざわざ店に来たのはそれが初めてでしたね。その後は見かけていません」
「あ~……なんだっけ、赦鶯シャオウか。来たんだここ。そしたら爺さんの方はもうダメそうだな」

 吉春はほとんど独り言をつぶやいて、目を伏せてタバコを吸った。しばらく無言のままタバコを嗜む吉春を全員で見つめる時間が流れ、ほどなくして吉春は灰皿に押し付けて消した。

「色々わかった。ありがとうイズキ」

 今の話で何がわかったのか、登場人物すらろくにわからない俺にはまったくわからなかったが、ようやっと吉春の追及が終わることに安堵するしかなかった。

「いえ。また何か動きがあればお伝えします」
「よろしく。さて、世間話はこのくらいにして、再来月以降の予算決めしようか」
「はい。先月と今月の実績は──」

 和やかな空気すら流れる様子で、吉春とイズキはごく一般的なエリアマネージャーと店長のような会話をし始める。
 この店の予算がちゃんと管理されていることに驚きながら、俺はこの場から立ち去るタイミングを完全に失い、直立不動のまま予算会議が終わるのを待った。
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