性奴隷を拒否したらバーの社畜になった話

タタミ

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「よし、今日は幸太も一緒にVIPに行くぞ!文句ねえよな、イズキ」

 ここで俺は、イズキはキョウコとジウが連絡を取るのさえ嫌がっていたことを思い出した。スマホが破壊された原因はキョウコの来店だ。
 つまり、犯罪者ばっかりくる裏社会どっぷりのバーを経営しているイズキでさえ、キョウコを警戒しているということではないか。

 いやホントに、キョウコと仲良くしてる場合じゃないよな。イズキに拒否してもらうしか──

「ああ、勝手にしろ」

 俺が訴えかけるようにイズキを見た時には、イズキはあっさり許可を出していた。

「よかったね、幸太。さ、いこいこ」

 ジウが嬉しそうにして、キョウコが俺に肩を組んだまま歩き出す。
 俺は拷問された身で、かつ筋肉と無縁の貧相な肉体の持ち主なので、キョウコの力に負けすぎて身体が一瞬浮いた。
 ズカズカと慣れた足取りでキョウコは進み、カウンターの裏側にあった重厚なカーテンをくぐった。俺がまだ説明を受けていないエリアに入ると、黒と白の2つの扉が並んでいた。

「ここは……」
「この2部屋がVIPルーム。エルムンドの常連になって一定以上の金を使ったら、イズキさんから入室許可出る」

 ジウの説明を受けていると、いつの間にか黒服の男たちが数人、俺たちの後ろから入ってきた。

「この人たちはキョウコさんの部下。いつも一緒にVIPに入る」
「おい、幸太。どっちがいい」

 キョウコが扉を指差して俺を見る。選べということらしい。

「じゃ、じゃあ、右の黒い扉の方で……」
「お~いいセンスだ。よかったな3番」

 キョウコが部下のひとり──スーツに『3』と書いてある──に顔を向けると、3番は急にその場にへたり込んだ。青ざめていて顔は汗まみれだ。
 明らかに異常な状態の男を俺以外は誰ひとり気にすることもなく、他の部下が黒い扉を開けて、俺はキョウコに連れられて入室した。
 エルムンド自体が俺が今まで見た空間の中で1番豪華だったが、VIPルームはその上を行く豪華さだった。シャンデリアが大きすぎるし天井が高すぎる。こんなに短い間に1位が塗り替えられることがあるなんて、と半ば呆然として部屋を見渡していると、壁際にピアノがあった。
 見るからに高級そうな、真っ黒のグランドピアノ。

「あ、ピアノ……」
「なんだ、弾けんのか?」

 思わす口に出してしまうと、キョウコがドカッとソファに座りながらこっちを見た。

「昔、少しだけ、ですけど」
「お、いいじゃねえか。余興でなんか弾けよ」
「え、いやでも……」
「俺もピアノ聴いてみたい!弾ける人なんて来ないから、あのピアノ使われてるの見たことないんだよ」

 もう何年もピアノに触れていない上に、俺の爪は拷問で剥がされまくっている。
 そんな状態でこの人たちを満足させる演奏ができるのか不安過ぎて俺は及び腰だったが、ジウが「遠慮しないで」と背中を押してピアノの椅子に座らされてしまった。

「ホントに何でもいいですか?曲」
「いいよなんでも!ここにいる人、みんな曲名なんて知らないから」

 ジウが笑顔でパチパチと拍手をして、キョウコが「よっ!」とガラ悪く盛り上げてくる。

「……じゃあ、弾きます。えっと、ジムノペディって曲です」

 ジウがキョウコの隣に座って酒を注ぐのを横目に、俺は痛む指先を少し動かした。
 ジムノペディなら、この手でもたぶん弾ける。
 ゆっくりとペダルを踏み、鍵盤に指を滑らせると、思った以上に感覚を覚えていて、すぐに緊張もなくなった。
 ジムノペディ、綺麗なメロディが落ち着きと切なさを感じさせる曲だ。
 ものすごく遠い記憶、子供のころによく聴いていた曲。

 ゆっくりと苦しみをもって、ゆっくりと悲しさをこめて。

 弾き終わって、どうせキョウコたちは大して聞かずに酒を煽っているだろうと立ち上がると、大きい拍手がした。

「幸太、すごい!ピアニストじゃん!」
「うめえな。お前これで食っていけんじゃねえの?」

 ジウとキョウコ、そしてキョウコの部下たちも拍手をしていた。
 急に褒められて、俺はどう反応したらいいかわからず、ペコペコと頭を下げて逃げるようにジウの隣に座った。

「ほんとにすごい!ピアノできるなんて実家金持ち?」
「いや全然。真逆……です」
「おい、これやるよ」

 キョウコがポン、と俺の膝に何か置いた。
 それは、札束だった。
 フィクションでしか見たことはなかったが、帯がついていて100万円だとすぐわかった。

「え!?な、なんでくれるんですか」
「チップだよ。あ、入店祝いも込みな。次有名な曲弾いてくれ、なんでもいい」
「すいません、あの、俺有名な曲とか、わかんないんですけど」

 俺は中卒で文化的教養が身につくような環境にいたことがないので、知識が少ない。要するにバカで、こういう聞き返しをするとキレられるか馬鹿にされるかの2択だったのだが、キョウコは嬉しそうに口角を上げた。
 キレられなくてよかったと思いながらも、嬉しがられるのも違和感が強くて背筋が寒くなる。

「そしたら適当に有名曲の楽譜贈ってやる。練習しとけ」
「あ、わかりました。でも、ピアノ弾いただけでこんな大金は……」
「お前そんな謙虚じゃここで生きていけねえよ。貰えるチャンスを逃すな」
「幸太、ウチで働いても給料出ないってこと忘れてない?個人的に稼がなきゃ借金返せないよ」
「借金あるなら貰うしかねえだろ。客の要望に合わせて曲を披露できれば、結構チップで稼げると思うぜ」

 生まれ初めて、自分のことを認めてもらった気がして、俺はなんだか少し泣きそうだった。

「……ありがとう、ございます」

 小さくそう言って、俺は100万円を大切に握りしめた。
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