性奴隷を拒否したらバーの社畜になった話

タタミ

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『あら。頭の回転が早いですね。仰る通り、須原くんの借金はチャラになるどころかお釣りがたくさん出るほどの金額を提示いただいています。ありがたい話ですよね。須原くんは借金もしがらみもない綺麗な身体になれるんですよ。そのために契約書にサインしてもらいたくて』

 断れない。それに俺が断るとも思っていないだろう。
 三ツ木さんに借金があるという以前に、俺は三ツ木さんに逆らえる身の上じゃない。
 自由なく働き続けることもギリギリ人が住めるボロい寮で暮らすことも、俺にとって苦ではなかった。ただ普通に生きる20歳より未来がないだけだ。それは別に構わない、自分で選んだ生き方だから。でもいきなりこんな5分程度の立ち話で、俺の人生が売られてしまうのは話が違う。
 三ツ木さんに逆らったらどうなるからわからない、嫌でも従うしかない、でも。

「……いやです」

 『はい』と言うしかないのに、俺は三ツ木さんに言い返していた。自分でも何を言ってるんだと頭が混乱して口を押さえたが、もう遅い。

『おや……』

 そう言って黙った三ツ木さんの、沈黙が怖い。俺はスマホを握る指先が痺れていくのを感じた。

「あの、ですから、もう少し詳しい話を聞きたくて。相手の情報とか、条件とか──」

 沈黙に耐えられなくて言い訳のようにつけ足した。
 つけ足してすぐに、世界がひっくり返ったように揺れた。
 何かで殴られた、そう判断がつく頃には俺の体は新宿のアスファルトに向かって倒れ始めていた。

『須原くんに「はい」と言ってもらわないと困るんです。須原くんも「はい」と言えるように頑張ってくださいね』

 三ツ木さんの声が遠退いて声は聞こえても何を言っているのかはもうわからなかった。
 近くなるコンクリートと回る視界の中で、俺はとんでもない過ちを犯したのではないかと思っ。

++
 煙草の匂いがする。
 嗅ぎなれた煙に誘われて目を開けると、花柄の壁が見えた。
 見覚えがある。
 しかし周りを見渡す前に頭に釘が刺さったような痛みが走って、俺はすぐ目を閉じなければならなかった。頭を押さえたいのに俺の両腕は座っているパイプ椅子に縛り付けられていて、一切動かない。

「お目覚めかァ、須原」

 痛みに耐えて声の方を見ると、嘉指が白いソファに座って煙草をふかしていた。そのソファにも見覚えがある。俺はここに来たことがある。
 ここは──三ツ木さんの事務所だ。

「愛人になってくれってお願いされた気分はどうよ。モテ期到来だな」
「……なにして……んだよ」
「なにって、店長として部下を見送りに?」

 茶化した笑いを浮かべる嘉指を睨んだ瞬間、俺は髪を引っ張られて強制的に上を向いていた。上を向いて見えるのは事務所の真っ白い天井、ではなく洋梨ペアーの香水をまとった女だった。
 弓なりに口角を上げた微笑が迫って、長い黒髪が俺の頬を掠める。

「おはようございます、須原くん。私が誰か分かりますか?」
「ぁ……み、つきさん……」
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