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「……ユキトくん」

    名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。

「何も知らずに寝やがって」

    唇を撫でる感覚がした。
    消えない感覚は深い底から意識をゆっくりと上げて、瀬戸の睫を震わせた。
    体温のような気配を感じて、瀬戸が僅かに目を開けたら目の前に人影があった。暗闇の中で、よくは見えない。

(……新坂さん……?)

    はっきりしない頭と視界では考えがまとまらなくて、それよりも眠気が勝って目蓋が落ちる。
    しかし瀬戸が再び眠りに落ちる前に、迫った人影は瀬戸の唇を塞いでいた。

    誰かにキスされている。

    いくら寝ぼけていても、それだけはわかった。
    誰かというのは、新坂以外あり得ないことにも気付いた。状況を理解して一気に冴えた頭は困惑するばかりで、どうしてこんなことが起きているのかはまったく理解できなかった。
    動けない瀬戸から人影が離れる。どうすべきかわからなくて、瀬戸はとっさに目を閉じた。

「……おやすみ」

    低い、独り言のような声が聞こえてベッドが軋む。
    瀬戸は痛いほどの心音を感じながら、10数えてから薄目を開けた。視界には誰もいなくて、目だけで隣を見ると新坂が背を向けて横になっている。動かないのを確認してから、瀬戸は新坂の方に顔を向けた。
    今起こったことを、瀬戸は全く飲み込めていなかった。こんなことが起きると、考えたこともなかった。どういうことなのか想定したいのに、動揺の続く頭には何も浮かばない。
    今ならまだ、新坂は起きている。背に触れて「今のなんですか」と聞いて答えを得るべきだろうか。そう思って、コマ送りのようなぎこちなさで瀬戸の手が動く。新坂に伸ばされかけた手は、しかし背中に届く前に動きを止めた。
 新坂の答えとそれを知った自分の反応次第では、関係性が壊れてしまうのではないか。自分が何を言われたらどんな反応をするのか、瀬戸にもわからなかった。
    だから怖かった。
    躊躇いと戸惑いを滲ませた手は空を掴んで、静かにシーツに沈む。
    新坂に背を向けるように寝返った瀬戸は、自分の唇に触れた。鼓動が早まるのを感じて、固く目を閉じた。
    そのまま、日が昇るまで目を開けなかった。
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