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23.ルシャナ

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 ルシャナは信じられない思いだ。

 まだ心がふわふわしていて、地に足が着いていないみたいだ。といっても実際にマンフリートに抱き上げられているので、地に足は着いていないわけだが……。


 二人ともひとしきりお互いの思いやぬくもりを確かめ合って落ち着いた頃、冷やしてある飲み物を飲みながら、敷布の上にいた。


 正確にはマンフリートの膝の上にちょこんと座らせられて、誰かに見られたら恥ずかしい格好になっているのだろうが、出来立てホヤホヤのカップルには関係ないのか、マンフリートが離してくれないのだ。


「ずっと、こうしてあなたを抱きしめたかった」


 そう言われて、僕も抱きしめてもらいたかったですと同意した。思いの丈をすべて打ち明けてほしいと言ったので、どうして誤解したのか最初から説明させられることになった。


「僕は、おやすみのキスが何よりも宝物だったんです。それに、マンフリート様のことを密かにお慕いしているだけで十分幸せでした……でも思い出を儀式のための治療の一貫だと言われてしまって、愛情からの行為だと信じたかっただけに、ショックだったんです」


「なんと……。好きでもない人に、毎晩キスをするためだけに訪れる物好きはいないと思うが……。断じて誤解だ。俺だって、キスだけであんなに自分の気持ちが高揚するとは思わなかった。今思うと、あれこそが恋だったのだな。俺にとっても宝物のような思い出だ」


「さっきまで、僕は、生きた心地がしませんでした。でも、今は幸せだから大丈夫です。その……子供も、作れるっていうので」

「ああ、いずれ作ろう」

「あの……質問いいですか?」

「なんでも答えるぞ?」

「タマゴは……マンフリート様がお腹にタマゴをいれるのですか? 僕はどうやったらその子の親になれるのでしょう」


 途端にマンフリートがむせる。

「な、なんという発想! なるほど……っ、あははっ」

 突然大笑いされた。素朴な疑問のはずだったのに。


「あ、いや、申し訳ない。まったく予想もしなかった問いに、ちょっと、あ、いや。これは! あはははっ」


 お腹を抱えて笑わなくてもいいのにと思ったのだが……巨体のマンフリートのお腹がぽっこりと大きくなったところを想像したら……。


「ぷっ、うふふっふふ」

 思わず笑ってしまった。あまりにも、似合わなさすぎて。


「でも! 魔力がない僕より、マンフリート様が妊婦になったほうが、タマゴにいいんじゃないかなって……もういいです!」


 ぷいっと怒るふりをして、笑いを堪えて、思わず肩を震わせる。


「悪かった、泣くな……ルシャナが泣くと、どうしていいかわからなくなる」

 声のトーンがシュンとなったので、慌ててルシャナは首を振る。


「泣いてません! わかりました、僕が産みます」


 そのほうがしっくりくると最初からわかっていたのだが、一番は赤ちゃんによいか悪いかと考えたら、そんな質問になってしまっただけだ。


「すまない……一応、こうみえても、将軍職なのと領主なので、威厳というものがあってだな……」


 またもや妊婦の将軍を想い描いてしまい、もう何を言われても笑いが込み上げてくる。自分がこんなに声を上げて笑えるなんて、ラジェールにいるときは想像もしていなかった。


「それよりも、もう一度キスをしてもいいかな?」

 急に熱っぽい目で見られて、どきりとした。


「……はい」


 くるりと向きを変えられて向かい合わせになると、どちらからともなく目を閉じる。


「ん……ぁ」


 軽いキスではなく、角度を変えてまたキスされた。そして思わず漏れた吐息を飲み込むようにして、マンフリートの舌がルシャナの中に入ってきた。


(熱い……なんか、へんな気分になりそう……)


 ルシャナはされるがまま、どこもかしこも力が抜けてしまい、ふにゃふにゃだ。


(なんで、口の中なのに、こんなに……気持ちいいのか、な)


 時折触れる生えかけのヒゲはくすぐったいはずなのに、妙な刺激となり、つま先がツーンとなる。

 息も絶え絶えに、自分の吐く息もマンフリートの舌も何もかもが――熱い。


 溺れないように必死にマンフリートにしがみつくと、彼も力強く抱き返してくれて、二人の間には一分の隙もなかった。


「ルシャナ……好き、だ」


 荒々しい声でそう言われて胸がキュンとする。


(あっ。キュンの意味がわかった。あの時からマンフリート様に恋をしていたからなんだ)


 マンフリートはようやく顔を離し、ルシャナの濡れた唇を舌で舐め取ってくれた。お返しにルシャナも、少し躊躇いがちではあったが、ペロリと舐め返した。


「かわいい……」


 恥ずかしさに、思わず彼の胸に顔を埋める。

「僕……一応男なので、かわいいってないような、気がします……」


「いや、もちろん男の子だってわかってるさ。でも、かわいいものは、かわいいんだ」


 膝の上で横に座り、しばらくして、ようやく平常心が訪れた頃、ずっとこちらを偵察していたのかと思うほどの絶妙なタイミングで、リチャードとチャドラがやってきた。


「ああ、仲直りされたのですね! 僕、どうしようかとずっと悩んでいたんですよ~」


「こら、おまえは関係ないから」


 父親に殴られて、ブーブーいうチャドラだが、彼がいてくれたから、悲しい日々も耐えられたのだと、あとでそっとお礼を言うつもりだ。


 行きの重苦しい雰囲気とは打って変わって、帰りはなんと心が穏やかなのだろう。

 隣にいるのは、想いが通じたばかりのやさしい夫。ただ手を繋いで歩いているだけなのに、心がとても暖かく感じる。そして、影から支えてくれている侍従。こんなに幸せでいいのだろうか。


 ルシャナは今まで感じたことのない幸福に包まれ、初めて生まれてきてよかったと思った。









 ピクニックから帰ってきたルシャナは、自室でうろうろしていた。


 緊急案件で軍部から報せが届き、少しだけ王城に行かなければならないから、先に寝ていてくれと言われたのだが――非常に困った。


「今日って一応……初夜ってやつだよね? でも、どこで待ってろって言ってくれないんじゃ、困るなあ。マンフリート様のベッドの中で待っていて、疲れてるからって言われたらショックだし、かといってここで先に寝ちゃったら薄情だと思われちゃうし」


「マンフリート様のこういうところが気が利かないところですね……あともう一歩……」

 微妙な一言を残し、チャドラは本日の業務は終了ですとばかりに、さっさと部屋を出ていってしまった。


 どうすべきか、まだ悩み続け、なんとも微妙なシチュエーションに、一人であたふたしているのだ。

 いつ帰ってくるかわからないから、ひとまず自分の部屋で待機をしていた。しかしいくら待っても気配すら感じられず、眠気を感じてそのままベッドに横になってしまった。


 どれくらい寝てしまったのだろうか。隣の部屋からの物音で目が冷めた。


「マンフリート様が帰ってきたのかも!」


 ドアに駆け寄り、鍵を開けようとして、はたと気づく。ランプの明かりが消えているようなのだ。疲れて帰ってきてすぐに寝てしまっているのなら、今日は止めたほうがいいのかもしれない。


(だめだったらこっそり顔を見て、ちょっとだけ一緒にいて戻ってくればいいよね)


 そうと決まれば、怖いものなしだ。こっそりとドアを開けると明かりはすでに消えていた。


 足音を立てないようにベッドに近づくと、そこにはいつもの光景――上半身裸で寝ているマンフリートがいた。


 今日は大の字になって眠っている。それが妙におかしくて、くすりと笑いそうになって、思わず口に手を当てる。思いが通じ合っても、こうしてこっそりと好きな人の寝顔を見るのはいいものだと、ベッドに上がり、四つん這いになって近づく。


「ん……すーっ」


 いつも通りの規則正しい寝息だ。


 上から覗くようにして、無精髭がうっすらと延びている顎からモミアゲのラインを目で辿る。そして、自分の顎を触ってみたが……つるつるだ。


 まだ十六歳なので、体の変化はいろいろあると期待しているのだが、男らしいとは程遠い体型もさることながら、毛が生えても白いので、生えていないのと同じだということに気づく。


(マンフリート様って、男の人って感じで、どこを見てもナヨナヨしているところがないんだもの……)


 ヒゲを一日二度剃らなければならないというのは、少し面倒だとは思ったが、胸毛も素敵だし、きっと胸の筋肉もすごく固いのだろうなと思うと、羨ましいのを通り越して、称賛するばかりの、惚れ惚れするほど男らしい体だ。


(やっぱり、起きないよね。それとも、起こしてみる?)


 起こしたい衝動に駆られたが、せっかく寝ているのに邪魔してはいけない。どこに逃げるわけでもなく、彼は紛れもなく自分の夫であり、これから一生一緒にいるわけだから、たった一晩離れているくらいなんともない。


 自分も寝てしまえば寂しくない。

 くるりと背を向けて帰ろうとした時だった。


「……おいで、ルシャナ」


(今、呼ばれた? 気のせい?)


 恐る恐る振り返ると、眠っているはずのマンフリートは、目を瞑りながら、自分の空いているスペースをポンポンと叩き、ここと合図をしているのだ。


(気づかれたのかな? 寝ぼけているのかな?)


 ジーッと見ていると、まだ目を開けないマンフリートは、今度は手を大きく振りかざしたと思ったら、そのままルシャナの腰に手をあてて、ぐいっと自分の方に引き寄せたために、勢い余ったルシャナは、そのままマンフリートの胸の上に倒れてしまったのだ。


「マ、マンフリート様?」


「……ほら、寝よう」


 そうはいっても、今日は初夜だ。心の準備もなく一緒に寝るということは、つまり、いたすことなのかもしれないとドキドキがさきほどから止まらないのだ。


 どうしたらよいのかわからず、マンフリートの腕の中にぴたりと収まったルシャナは、全身が岩のように硬直してしまっている。


 察したのか、本気で眠いのかはわからないが、

「目を瞑って。何もしないから……」


 そう言うが早いか、すでに寝息を立てていた。


 そしてようやくルシャナも緊張を解いて、気疲れしたせいだろう、ものの数分もしないうちに眠りについた。
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