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12.マンフリート

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 今、ものすごい音がした。


 ルシャナの部屋に違いない。マンフリートは常に彼の状況を把握するため、魔法で部屋の周囲の音を拾えるように細工していたのだが、それが反応している。

 チャドラが騒ぎ立てている様子もない。


(ああ……そうだ、二時間ほど実家に戻っているのか)

 リチャードも同行しているはずだ。

 つまり、ルシャナは今一人だ。マンフリートは勢いよく軍指令室から、ルシャナの部屋を目指す。

 すでに嫌な予感しかしないのだ。


「ルシャナ?」


 部屋の外から一応声をかけるが、応答がない。ドアロックを解除して扉を開けた。最初に目に飛び込んで来たのか、床で倒れているルシャナだった。


「ルシャナ、どうした!」


 駆け寄って抱き上げようとして、その体の異様な熱さに驚く。これはただ事ではない。

 誰からも見られないようにルシャナをシーツで包み、抱き上げて王のところまで連れて行く。ちょうど王の執務室から出てこようとしていたユージンが見えた。


「ユージン! 王はいるか?」

 切羽詰まっている声と、抱きかかえているモノを察したユージンは、すぐさま頷いて王を呼びに行く。

 ひとまず仮眠室へルシャナを寝かせた。

 すぐにラウル王がやってきて、彼を視る。


「おい……どういうことだ。ルシャナの寿命が、尽きかけているぞ……今、寿命が二十年だ。おそらく、あと数時間と持つまい」

 ラウル王がいつになく険しい顔をするので、予感的中だと思いたくなくて、王に問いただす。


「どういうことです? なぜ、そんなに早く?」

「原因などわかるわけがない。ただこの速度だと、いますぐに結婚の儀式を行わないと助からないだろうな。マンフリート。準備はできているか?」

 言われるまでもなく、もちろんできている。



 一度結婚したら死ぬまでその契約は守られ、離れられないのだ。

 当然生半可な気持ちで結婚しようとは思っていない。そういう理由から今までは慎重にならざるを得ないため、成人してからユージンは三百年、マンフリートも百五十年ほど独身なのはそのためだ。

伴侶を得るということは、人生そのものを左右する重要案件でもある。


 だから、そういう意味での準備はできているか、と真剣に問われているのだ。


「俺は、問題ない。でも、ルシャナの意志は……」

「あなたが言わんとしていることはわかりますが、もうそれは観念しましょう。時間切れです。ルシャナをこのまま死なせてしまってよいのですか? 生きていればいくらでも釈明でも挽回でもできるでしょう」


 ユージンは強くそう言い放ち、マンフリートが呆然ぼうぜんと立ち尽くしている脇をすり抜けて、ルシャナの顔をじーっと見る。


「マンフリート。もし嫌われるのを躊躇ためらうのならば、代わりに私がルシャナをめとります。幸いにも私も結構彼を気に入っていますし、伝説の人かもしれないですからね。ということで私の妻になってしまいますが、少なくともルシャナは救われます。それもよい案だと思い……」


「いや、俺が相手だ」


 ユージンを本気で殴り倒したくなる。どうせあおっているだけで、今のが本心ではないとわかっているのだが、腹立たしいことこの上ない。


「準備が出来次第始めるぞ。かわいそうだが、意識のない相手に儀式はできない。最大限の癒しの力を与えて、最中途切れぬように眠らない魔法をかけるぞ……罵られても恨まれても耐えろよ、マンフリート」


 つまり、意に沿わぬ儀式とわかっていても、ルシャナをなだめすかして最後までやり遂げなければ、彼の命は失われてしまうのだ。


 結果的にユージンの言うとおりになるのは正直むかつくが、マンフリートの寿命である千年にまで上書きされれば、その残りの人生をすべて彼への愛と贖罪に費やそうと心に決めた。

 命あっての物種ものだねと言うではないか。優先順位を間違わないことだ。


「俺は、いつでも大丈夫です」

 ラウル王は頷くと、呪文を口にしてルシャナの全身に癒し魔法を施す。


「……ん」


 わずかに身じろぎしたルシャナは、魔法の力で呼吸も浅くなり、眉間に寄せた皺もなくなる。そして瞼がゆっくりと開かれた。


「マンフリート、様?」


 弱々しい声ではあるが、その小さな口から自分の名前が告げられ、マンフリートは胸が詰まり、感極まって一瞬声が出ずに鼻の奥がツーンとなった。


 まだ彼は生きているのだ。でもこれからする儀式のせいで、こんなふうに優しく名前を呼ばれることはもうないだろう、という悲しい気持ちが混在している。

 喜んでいいのか、悲しむべきなのか、自分の中での葛藤はこれからも続いていくのだろう。


「ルシャナ王子、よく、聞いてくれ。これはあなたの命に関わることだ」


 そう言うと、ルシャナは何を言われるのかわからず、きょとんとしていたが、マンフリートの真剣な表情で伝わったのか、無言で頷く。

「この世界へやってきてからルシャナ王子の寿命が少しずつ削られていった。最初は楽観視していたので、対処も甘かったのだが、今日倒れた原因は、おそらく寿命が大いにかかわっていると思う。このまま何もしなければ、ルシャナ王子……あなたは、もうまもなく死んでしまうだろう……でも、俺はそうはさせない」


 ルシャナはわなわなと震え出す。

 当然だ。まもなく死ぬと言われて、平然としていられる者がいるはずもない。


「こちらの人間になれば、助かる道はある。それには体液の交換が必要なのだ」

「た、いえきの、交換?」


 聞き慣れない言葉に、ルシャナが驚くのも無理はない。できるだけ噛み砕いて説明をする。


「直接体液の交換――結婚の儀式では、その……キスよりもっと深い行為をお互いにしなければならない。あの触れ合う程度のキスではなく、もっと深い口付けをしていたら、いくらかは進行を抑えられたかもしれないのに、俺が躊躇ったばかりに……」


「え……」

 マンフリートはルシャナの異変に気づかず、説明を続ける。


「だが今度は段取りを踏んで体液の交換をすれば寿命は確実に延びる。そうすれば元気になり長生きができるようになるんだ。キスだけでどうにかできるものではなかった。もっと俺がきちんと対処していれば……ルシャナ王子、どうしたんだ? なぜ……」

 どうして突然泣き出したのか、意味がわからない。


「どうした、どこか、痛いのか?」

 ルシャナは首を横に振るが、涙が止まる様子はない。彼の目も表情も悲しげで、何に対して泣いているのか、マンフリートにはわからない。


「ああ、結婚という言葉に驚いたのか? 大丈夫だ。俺が責任を持って相手を務めるから、心配する必要はないぞ……延命えんめいのためとはいえ、俺が相手では不服かもしれないが、これ以外ルシャナ王子が生き残る術すべは、いまのところないから、今だけ、辛抱してほしい」


 これで自分の誠意は伝わるはずだ。これならもう心配事はないだろうと、少し胸を張った気分でルシャナをみると、今度は声を上げてさらに泣き出したのだ。 

 その表情は顔面蒼白、まさに絶望しているようにしか見えないのだ。


「な、ぜだ? そこまで、俺のことが、嫌なのか?」

 それに対してルシャナは首を横に振るのだが、もうマンフリートには彼の気持ちを推し量るという芸当など、とてもできそうにない。


「嫌いではないのなら、なぜ泣くのだ? 俺はすでに、この結婚を了承している。心配はいらない。今まで以上に大切にするつもりだ……頼むから、理由を言ってはくれないか? 俺はこの通り、気持ちを、読むのには長けていないのでな……デリカシーのない男で、本当にすまない」


 ルシャナは、嗚咽おえつを漏らしながらも、首を横に振り続ける。意思の疎通がまったくできていないことに愕然とするも、時間がないので、話を続けるしかない。


「あなたのことは、一生をかけて守り抜くと誓う。だから、この結婚に同意してくれないか?」

 これなら首を縦に振ってくれると予想していたのに、これにも彼は応じない。もうどうすればよいのか、さっぱりわからない。

 思わず頭を掻き毟っていると、ルシャナは、か細い声でようやく一言発する。


「延命のために、僕にキスをしていたの、ですか?」

 もちろんそうに決まっている。


 この白くて小さな存在のはずのルシャナが、いつのまにか自分の中で大きな存在へと変わっていた。彼のことを愛し始めているのだ、当然長生きしてほしいと思うだろう。

 だから、愛する人のために延命を望み、そのためにキスをするというのは、当然のことだ。

 だからマンフリートは力強く頷く。


「そうだ。ルシャナ王子のことが大切だから当然だ」

 すると、予想もしない答えが帰ってきた。


「僕、もうこのまま……でいいです。延命、いらないです。放っておいてください」


 な、ぜだ?


 誇らしげだった自分の顔が歪んでいくのがわかる。どうしたら、大切だと信じてもらえるのだろうか。

「死なれたら、俺が困る。頼むから、結婚のことについて同意してほしい。今は、ただ頷いてくれ、頼む」


「なぜ……困るのですか?」


 本心はまだ不確かな気持ちで……いや、もう分かりきっている。この想いは本物だと思う。きちんと気持ちを伝えなければと、口を開きかけたそのときだった。


 いろいろと用具を持ってきたユージンと、儀式用の服に着替えたラウル王が部屋へ入ってきた。
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