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3.残夜、その背後にて
9(昂遠の過去話になります)
しおりを挟むその一言で彼は軍に入ることを決めたのだ。
何故、そうしようと思ったのかは分からない。
適当に今日生きる為の日銭を稼ぐ方が窃盗を繰り返していた日々よりは安心できたし、また気も楽だった。
けれど夜になると決まってあの時の悲鳴が甦り、目の前が赤く染まるのだ。
ここに入れば、忘れるだろうか?
あの時の声も。音も。目の奥にこびりついて離れない兄の顔も―・・・。
それからは、彼はただただ必死に走った。
一度目の銅鑼が鳴った瞬間に、皆でひとつの塊となって後ろを盾で庇いながら全速力で相手にぶつかる。
気を抜けば自身も今までの者達と同じように亡くなってしまうかもしれない。
けれど、それでも良かった。
もとより失うものの無い身だ。
それで家族のもとに逝けるのなら構わないとさえ思っていたのだ。
しかし、現実はそうは上手くいくはずもなく、気付けば一人、また一人と朝見た者が息絶えていく。
そんな日々の中でいつしか感覚は麻痺し、何も感じなくなっていた。
それを引き戻したのは、戦に勝ち、そのまま民が暮らす城壁の中へと侵入した時だった。
感情の赴くままに略奪と強姦を繰り返す自軍を前にして、唖然とする昂遠の背後で「またか」と言わんばかりに首を振りながら城の外へと向かって歩く皆の姿に、首を振りながら立ち竦む事しか出来なかった自身の姿は、果たして襲われている人々の目にどう映ったのであろうか?
脳天を強く鈍器で殴られたような衝撃と共に、奥底にしまい込んだままの過去の記憶がありありと甦り、彼は声を掛けられるまで自ら動くことが出来なかった。
否、足を動かすことが出来なかったのだ。
いつしか、これは間違っているのではないか?剣を振るい前進する理由は何か?と自問自答を繰り返すうちに、ふと人間ではない者がふらふらと歩いている事に気が付いた。
明るい場所では見えないのに、夕刻近くになると決まって見えてくる。
最初は何も思わなかったが、何度も見るうちに自然と「彼ら」を探しては目で追い、安堵する。
そんな事を繰り返してもいた。
肉体を持たずとも、その者達はけして感情を捨てたわけではない。
粗末ではあったが鎧を身に着けていた昂遠の姿を見るや否や、罵倒し始めた霊も一人や二人ではなく、中には赤子を抱いたまま睨みつける女性の姿や、掴めない石を掴んで投げつけようとした子どもの姿も、けして少なくは無かった。
「彼らは何を話しているのだろう?」
「彼らと言葉を交わすことが出来れば、どんなにいいだろう?叶えられるわけではないと分かっていても、彼らと心を交わすことが出来れば、どんなにいいだろう?」
「彼らの言葉が知りたい」
幾人もの財貨を奪い、兵の命を奪って生きてきた。
それに対して、正しいことだったと言う気は無い。
生き延びる気は微塵もない。
それにも関わらず、がむしゃらに走り続けてきたのは、それしか術がなかったからだ。
「・・・・・・」
自問自答を繰り返しても、明確な答えは見出せぬまま、返り血に染まる度に焦燥の闇深く朽ち落ちて、踏み進む深淵の果てを待つように、昂遠自身を蝕み飲み込むまで、そうそう時間はかからなかった。
「もう嫌だ。見たくないものが多すぎる」
切っ先からは血肉が零れ、返り血が眼前を舞う。
鎧の隙間をグサリと突いた瞬間の相手の息づかいを間近に感じながら、呟いた言葉は砂煙の奥へと溶け消えて。
「、――――――――――だ・・・」
退却を知らせる銅鑼の音が響く度に、彼はいつも同じ言葉を空に描いた。
告げる言葉は仲間の声にかき消され、眼前には割れる器と追う兵の声だけが飛び交い、それらはやがて嗚咽という名の影へと消えた。
背を向けて進む罪悪感に蓋をするうちに、夕闇に決まって現れる彼らとどうにかして繋がることが出来やしないかとそればかり考える時間が増えて来た。
そうしていつしか月日は流れ、数名の仲間と共に僧侶の衣に身を包み、ひっそりと軍を去った昂遠は、自分で地を踏む心地良さと、目に映る全ての情景に感嘆を覚える日々へと足を踏み入れる事となったのだ。
誰に命じられるでもなく、自分で選び、掴んだ日々は何処までも新鮮で、心が躍った。
山道に透ける日差しが木々と重なる瞬間も、葉に跳ねる雨と土が織りなす激しい旋律も、目に見える全てが新しく、また美しかった。
何故、そうしようと思ったのかは分からない。
適当に今日生きる為の日銭を稼ぐ方が窃盗を繰り返していた日々よりは安心できたし、また気も楽だった。
けれど夜になると決まってあの時の悲鳴が甦り、目の前が赤く染まるのだ。
ここに入れば、忘れるだろうか?
あの時の声も。音も。目の奥にこびりついて離れない兄の顔も―・・・。
それからは、彼はただただ必死に走った。
一度目の銅鑼が鳴った瞬間に、皆でひとつの塊となって後ろを盾で庇いながら全速力で相手にぶつかる。
気を抜けば自身も今までの者達と同じように亡くなってしまうかもしれない。
けれど、それでも良かった。
もとより失うものの無い身だ。
それで家族のもとに逝けるのなら構わないとさえ思っていたのだ。
しかし、現実はそうは上手くいくはずもなく、気付けば一人、また一人と朝見た者が息絶えていく。
そんな日々の中でいつしか感覚は麻痺し、何も感じなくなっていた。
それを引き戻したのは、戦に勝ち、そのまま民が暮らす城壁の中へと侵入した時だった。
感情の赴くままに略奪と強姦を繰り返す自軍を前にして、唖然とする昂遠の背後で「またか」と言わんばかりに首を振りながら城の外へと向かって歩く皆の姿に、首を振りながら立ち竦む事しか出来なかった自身の姿は、果たして襲われている人々の目にどう映ったのであろうか?
脳天を強く鈍器で殴られたような衝撃と共に、奥底にしまい込んだままの過去の記憶がありありと甦り、彼は声を掛けられるまで自ら動くことが出来なかった。
否、足を動かすことが出来なかったのだ。
いつしか、これは間違っているのではないか?剣を振るい前進する理由は何か?と自問自答を繰り返すうちに、ふと人間ではない者がふらふらと歩いている事に気が付いた。
明るい場所では見えないのに、夕刻近くになると決まって見えてくる。
最初は何も思わなかったが、何度も見るうちに自然と「彼ら」を探しては目で追い、安堵する。
そんな事を繰り返してもいた。
肉体を持たずとも、その者達はけして感情を捨てたわけではない。
粗末ではあったが鎧を身に着けていた昂遠の姿を見るや否や、罵倒し始めた霊も一人や二人ではなく、中には赤子を抱いたまま睨みつける女性の姿や、掴めない石を掴んで投げつけようとした子どもの姿も、けして少なくは無かった。
「彼らは何を話しているのだろう?」
「彼らと言葉を交わすことが出来れば、どんなにいいだろう?叶えられるわけではないと分かっていても、彼らと心を交わすことが出来れば、どんなにいいだろう?」
「彼らの言葉が知りたい」
幾人もの財貨を奪い、兵の命を奪って生きてきた。
それに対して、正しいことだったと言う気は無い。
生き延びる気は微塵もない。
それにも関わらず、がむしゃらに走り続けてきたのは、それしか術がなかったからだ。
「・・・・・・」
自問自答を繰り返しても、明確な答えは見出せぬまま、返り血に染まる度に焦燥の闇深く朽ち落ちて、踏み進む深淵の果てを待つように、昂遠自身を蝕み飲み込むまで、そうそう時間はかからなかった。
「もう嫌だ。見たくないものが多すぎる」
切っ先からは血肉が零れ、返り血が眼前を舞う。
鎧の隙間をグサリと突いた瞬間の相手の息づかいを間近に感じながら、呟いた言葉は砂煙の奥へと溶け消えて。
「、――――――――――だ・・・」
退却を知らせる銅鑼の音が響く度に、彼はいつも同じ言葉を空に描いた。
告げる言葉は仲間の声にかき消され、眼前には割れる器と追う兵の声だけが飛び交い、それらはやがて嗚咽という名の影へと消えた。
背を向けて進む罪悪感に蓋をするうちに、夕闇に決まって現れる彼らとどうにかして繋がることが出来やしないかとそればかり考える時間が増えて来た。
そうしていつしか月日は流れ、数名の仲間と共に僧侶の衣に身を包み、ひっそりと軍を去った昂遠は、自分で地を踏む心地良さと、目に映る全ての情景に感嘆を覚える日々へと足を踏み入れる事となったのだ。
誰に命じられるでもなく、自分で選び、掴んだ日々は何処までも新鮮で、心が躍った。
山道に透ける日差しが木々と重なる瞬間も、葉に跳ねる雨と土が織りなす激しい旋律も、目に見える全てが新しく、また美しかった。
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