日々是好日

四宮

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1.煙雨の先に

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「・・・いい土地だ。嗚呼、いい国だ」
無意識にそんな事を呟く。
この地に吹く風は心地良く、穏やかで。
一瞬、この地が獣人族専用である事を忘れてしまう程に温かく優しい。

(・・・噂は所詮、噂でしかないのだ。一体俺は何を恐れていたのだろう。)

「ここに住んでみたい」

自分が住んでいた豚国トンコクの田舎は、県から任命された村正ソンセイがおらず、租税を納める時のみ、村長が民から集めた税を持ってへと向かい、里正リセイに税金を預ける事で、代わりに村の租税徴収チョウシュウの仕事を請け負って貰っている。

他国への入国手続きは、里正リセイに書類を手渡して確認と承認の印鑑を押してもらった後、周囲のの警備も兼ねているテイへ行き、持参した申請書をもとに改めて地籍、過去の犯罪歴等を確認したうえで、今度はキョウへ申請書を送付する。
だが、それで手続きが終わるわけではなく、キョウから人民名簿が保管されている県へ最終的に書類が送られる仕組みとなっており、入国許可証を得るまで速くて二ヶ月。遅ければ半年ほどの時間がかかってしまうのだ。

しかし、観光や仕事を目的とする短期入国と市民権は違う。
居住許可証を意味するその民札タミフダは、全てが謎に包まれている証明書のひとつと言われている。

薄く削られた手の平ほどの大きさの木板を半分に切り、統治する王の家紋と王印を焼印し、その上に重なるように民の姓とアザナが刻まれていく。
完成後、一枚は民が居住する地の役所に保管され、もう一枚は民に直接手渡されるのだが、これが何とも奇妙な札で、どれだけ眺めても姓とアザナの文字が達筆すぎて何と書かれているのやら、さっぱり分からないのである。
更に押されているはずの焼印も殆ど消えてしまっており、最初は嬉しそうにしていたはずが、ニョロニョロと不思議な線が目立つ札を前にして、次第に「これは一体なんだ?」と言いたげな表情で固まる民がとんとこ増加中ときた。

しかし、もともとこの民札タミフダというものは、一枚では意味がない代物で、官吏が持つ民札と自身の民札を二枚合わせることによって、王印から淡い炎が噴き出し、達筆すぎて解読不能だった線から文字が生まれていく。
描き出された姓とアザナに重なるように国の象徴である動物の絵が浮かび上がり、その者の姿をジッと凝視し頷くことで、国民であると認められるのだ。

まるで生きているかのように自ら字を集め、淡い光と共に寄り添い、告げるその言葉。
伝わるその音無き声に安堵アンドし、涙する民はけして少なくない。
それが、安住の地であるならば猶更だ。

幻想的なその民札タミフダは偽造が不可能だと言われており、紛失した場合、再発行までに半年の期間を要する為、どの民も国を問わず肌身離さず持ち歩いている。
国によっては貴族に成り済ますことも出来る為、商人や貴族の民札タミフダは特に高額の値が付く事から、民札タミフダを狙った賊やスリも多発していると聞く。
どの国もこの二つに関しては、証明書が分けて発行される為、どちらにせよ政府機関を探さなければ始まらない。

ところが、だ。
どれだけ探しても肝心の役所が見当たらない。
箕衡ミコウに入る際に関門を通ったのは覚えている。
陽が昇る午前四時から陽が落ちる午後七時までという限られた時間ではあるが、他の獣人族と共に警備兵に入国許可証を提示したから間違いない。

「・・・どういうことだ?もしかして官吏がいないのか?」

獣人族が経営する飯屋や屋台が立ち並ぶ通りまで来れば、地図など無くとも簡単に建物が見つかるだろうなんて甘く考えていた自分を殴りたい。
どこまでも横並びに続く飯屋や市場を前にして、昂遠コウエンは途方に暮れてしまった。
そんな時、「どしたい兄ちゃん?」と声をかけてくれた獣人族の男性に昂遠のマブタが涙でニジんだ。

(ああ!御仏!御仏が来た!)

昂遠はスガるような気持ちを抑えながら、獣人族の男性を見た。

「ああ。申し訳ないんだが、二、三、教えて貰いたいことがあって。構いませんか?」
熊の耳と大きな手が印象的なその男性は、疲れ切った様子の昂遠を前にして目を丸くしていたのだが、あえて詮索するようなことはせず、フムフムと昂遠の話に耳を傾け始めた。

そうして彼の話を最後まで聞き終えると
「兄ちゃん、あんたのその訛りからして、出身は豚国トンコクの外れじゃねえかい?」
男性の声に「どした?どした?」と他の獣人族もやって来て、周囲はたちまち賑やかになった。

「あ・・・はい」
「あー、豚国トンコクかぁ」
「おめえさんよぉ、自分とこを基準に考えてねえがぁ?」
「ここは狼国ロウコク箕衡ミコウだぞ」
「え?」
「ここはなぁ、獣人族中心ちゅうか、獣人族しか住んでねえ国だ」
「僧侶みたいなナリしちゃいるが、あんた人族だろ?」
「・・・はい」
「ここは市場もありゃあ店もある。獣人族に混ざって観光目的で来る人族だって少なくねえ」
「だがそれは、ここが嶺州レイシュウに近い国境の町だからだ」
「・・・・・・」
「人族はもともと歓迎されねえどころか、王都の莨都ロウトは人族の入国が禁止されてるんだ」
「あんたは軽く考えちゃいるのかもしれんが、止めておいた方がいい」
「そうだ、嶺州レイシュウじゃ駄目なのか?あそこは葵公の領地だが、悪くねえって話だぞ」
「ああそうだ、その方が良いぞ」
嶺州レイシュウなら箕衡ミコウにも近い。いつだって来られるしな」

狼国西部訛ロウコクセイブナマりで話す皆の表情は真剣で、茶化チャカす様子は何処にも見当たらない。
獣人族だからこそ、人族である自分の身を案じてくれているのだという気持ちが痛い程伝わって、昂遠コウエンの胸がズキンと疼いた。

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