黒羽織

四宮

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黒羽織其の六 妖刀さがし

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胸がざわざわと騒いでから、兆斎はどの男性であっても、誰かが姉に近づいて来る度に必ず側に寄り、彼女の着物の裾を掴むようになった。その仕草にたじろいだのは男の方で。
「・・・心配しなくても、取ったりしねえよ」
そう言いながら、優しく頭を撫でてくれる人もいれば、困ったように頭を掻く人もいた。
男性達の中で、一際小さくコロコロ動き回る兆斎はよほど可愛かったのだろう。
よく一緒に過ごし、またよく遊んだ。
蜂の巣を見つけて、蜂蜜が欲しいと肩車をしてもらい、木の枝に頭をぶつけた事もある。
その時は、木にぶつけた衝撃でミツバチが一斉に巣から飛び出してしまい、慌てて一緒に逃げた日が少し懐かしい。
帰りが遅くなる前に、男達が迎えに来てくれたことも一度や二度では無かった。

『・・・・・・・あれ?・・・・』
どうしてかは分からないけれど、みんな優しい。どの人も、どの妖怪も、誰からも石を投げられた事が無い。
殴られたことが、一度も無い生活。
『・・・・・・・・・・』
もやもやっとするけれど、どこかほっこりと温かくて、くすぐったい。
そんな日が続きながらも、もやもやとした違和感を抱いていた兆斎は、いつも家に来てくれる人達に姉の話をしたことがある。

何度も違う物を手に、ふらりと訪ねて来て姉に会う男の事。
姉に頭を下げられて、引き下がるように家を離れるものだから、どうしても気になって、戸口から去るその背中を見た時、一人だったはずの男たちが何人かに増えていた事。
なんだか分からないけれど、いやな予感がする事。
兆斎と遊んでくれる男達だけではなく、顔見知りのおじさん、おばさん。妖怪のお兄さん。お姉さんにも彼は同じ話をした。その男たちが苦手だという事も。
この話を黙って耳にした瞬間、それを聞いた誰もが同じ表情に変わったことも兆斎には驚きだった。

『・・・・いいか。坊主。絶対に姉ちゃんから目を離すなよ』
皆、怖い表情で同じ言葉を口にした。そうして、『心配するな』と言い、彼の頭をポンと撫でてくれたのだ。
姉を訪ねて来る顔見知りの人が、少しずつ増えていったのは、それからすぐの事だったように思う。
その事に一番早く気が付いて面食らったのは、兆斎が苦手と感じている男たちの方だった。
何せ、いつ訪ねても彼女の家には見知らぬ誰かが怖い表情のままで常に居座っているのだ。
その光景に何も知らない姉は、最初首を傾げていたのだが、そのうちに慣れてしまったのか、何も言わなくなってしまった。
皆で一緒に縫物をしたり、よれてささくれが目立つ筵を織り直したり、これはこれで楽しい時間だったように思う。
どんな理由があるにせよ、これはいささか分が悪いと何も言わずに退散する男の背中を眺めては、姉に気づかれないように、ホッと胸を撫で下ろす光景も、けして珍しくはなかった。


『・・・ねえ。兆斎。人間の中にも、優しい人はいるものよ』


その言葉を、何度も姉は繰り返し、同じことを自分に言い聞かせるように言っていた。
『妖怪の中には、優しい妖怪もいれば、平気で傷つけようとする者達もいる。それと同じで、意地悪な事をする人間がいる中で、こうやって私たちに優しくしてくれる人達だって、本当に沢山いるのよ。ねえ。兆斎。お願いだから、人を嫌いにならないでね。良い人だって大勢いるの。隣に住む人だって、いつも一緒にいるおじさんや、おばさん。あの男の人達だって、私たちに優しくして下さるわ。』


・・・・ここに来て、本当に良かった・・私は、人間がとても好きよ・・・。


確かにそう、姉は呟いた。
晴れた日も、雨が続いた日も変わらず兆斎の家には、誰かがやって来てくれた。
妖怪のお姉さんが、スズメが飛んでいたからと、獲った獲物を手に来てくれた日もある。
三軒隣に住む若い男性も毎日のように来てくれた。夏の暑い日には、山から下りて来たおじさんやおばさんが、木の実を手に遊びに来てくれたこともある。
妖怪達も、毎日のように顔を見せに来てくれたし、皆で何処かに出かける日もあった。
冬には、雪の中で昇る朝陽を見た事もある。
―・・幸せだと、思った。
本当に、この幸せがずっと続けばいいと、本当にそう思っていた。
・・・あの日までは・・・。

梅雨の時期を間近に控えたある朝、怪訝な表情で姉を訪ねて来た者がいた。
まだ寝息を立てている兆斎の姿を横目で見ながら戸口へと出て来た彼女の目が、一際大きくなる。
「・・・・あなた様は・・」
頭巾を深くかぶり背中に荷を背負った者が戸口に立っている。
一目見て、同じ猫目一族の者だと分かった姉は、何も言わずにその者を家に入れる事にした。
訪ねて来たのは髪を後ろで一つに纏めている初老の男性だった。
上下ともに、黒い着物に身を包んだその者は暫く押し黙っていたが、開口一番、姉に『公卿くぎょう(高級官僚として政治の中枢部で働く役職の貴族)連中が、近々動くかもしれない』とだけ言った。
その言葉に姉の表情が一瞬で強張る。

「・・・・・・そんな」
「平安京が公卿を始め、上流貴族の連中に抑えられる前に天屋の者たちも動くだろうが、楽観はできん。朧夜中将様の姿無き今、都が押さえられてしまっては各地に散らばる妖怪達も同じ目に合う事を、今から覚悟せねばならんだろう・・・」
「・・・お・・親様は・・親様は、何と?」
「地方に散らばる一族の者に、まずはこれを伝えよ、と。天屋一族が倒れれば、いよいよここも危うくなる。親様は雲に隠れるだろうが、里におらん者達の事が気がかりでな・・」
「・・でっ・・ですが、地方には受領国司ずりょうこくし(受領=現在で言う県庁のようなもの。国司は派遣された中央の官吏を意味する)がおられるでしょう?今や政権の殆どを天屋一族が担い、管理しているのではないのですか?」
「・・・忘れたのか?派遣される下級貴族は妖怪だけとは限らんのだぞ!?」
「・・・でっ・・ですが・・」
「・・・天屋の牙城が崩れれば、今までの不満と共に人間どもの怒りが雪崩れ込んで来るは必定。今は神無月の君も静観しているが、いつまでもつやら・・」

「・・・・そんな・・・・・」
「・・・・・心してかかれよ。イワナ。火矢が飛べば、ここもすぐ戦場となろう」
「・・・・・・・・・」
「・・・あっ・・あのっ・・お願いがございます・・」
「・・?」
その者が振り向く。
イワナは眠ったままの兆斎に、ちらりと視線を向けると悲しそうに俯いた。
「・・・ここにいる兆斎を・・兆斎を連れて行っては頂けませぬか・・?」
「・・・イワナ・・」
その者の表情が、暫し曇る。
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