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序章・一話
03
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「本当に・・もう大丈夫なのですかな」
「ええ。体も寝たら動くようになり申した。いつまでも此処に御厄介になるわけにはいき申さぬゆえ。これにて・・」
あれから二日ばかり眠っていたらしい。それを寺の和尚から聞いた時には影虎も驚きを隠せなかった。
和尚は落ち着くまで此処にいて良いと影虎に伝えたが、彼はいっこうに首を縦には振らず、それではと和尚の用意してくれた膳を頂き、用意された着物に袖を通すことにしたのである。
その着物は少しぼろが出ていたが、先ほどまで着ていた自分の着物に比べると良い代物であったので、影虎は有難く頂戴することにした。
起き上がって気付いた事だが、結っていたはずの髪が無くなっている。
どうやら燃えて千切れてしまったらしい。
今の彼の髪型は長さが均等ではなく、毛先が焦げてちりちりになってしまっている。
まだ少しばかり目が熱い。けれど最初の頃に比べたら痛みも熱も下がっていたので冷やすのを止めてしまった。
「あんなに美味い飯は初めて食べました。」
と、胡座の姿勢で一礼する影虎を和尚が手で制している。
それはどこか懐かしい空気を纏っている気がして、自然と彼の表情が柔らかくなった。
「いつでも困ったことあらば、力になりましょう」
「本当に・・かたじけない・・」
「しかし、行く当ても無いのでしょう?」
「・・はい・・此処に来れたことが奇跡でしたから」
「では、ひとつ。場所を教えてあげましょう」
「場所?」
「この寺を下ったところに町があります。人の出入りが多くなるのですぐに分かるでしょう。その一角にとても大きな門構えの家があります。そこを訪ねてみて下され。」
「・・・すみませぬが・・そこは・・?」
「あなたのように何かを背負ったものがいる場所です」
「・・・・・わたしのように・・・?」
「あなたの両目の理由がそこに行けば分かるでしょう」
「私の・・両目・・・」
無意識に影虎の手が左目に向かう。
一瞬、何かご存知なのですか?と口を開きかけて止めてしまった。
知ってどうするというのだろう?聞いて何が出来るというのだろう?
様々な想いが彼の中で蠢いている。けれどどうすることも出来ぬまま、彼は静かに目を閉じた。
「・・・どうか・・達者で・・」
両手をそっと和尚が包んだ。和尚の手は自分よりも大きく温かい。
包まれた手からじんわりと熱が伝わってきて、ハッと顔を上げた影虎に向かって、何も言わずに和尚はにっこりと微笑んでいる。
その顔を見つめていたが、やがて口元がじわじわと震え、伝い落ちる涙をぬぐうことも出来ぬまま、影虎は黙って和尚に頭を下げた。
さわさわと風が吹いて、格子窓から桜の花びらが数枚、部屋へと入ってくる。
「・・・・ほぅ・・もうそんな時期になりましたか・・・」
和尚の声が耳に届く。
穏やかに揺れる影虎の髪。声にならない嗚咽が何度も彼の喉を締め付けていた。
あれから、和尚の寺を離れて一刻が経過した。
此処に来るまで気がつかなかったが、色とりどりの花々がいくつもこの寺の周囲に咲いているらしい。
それは時折さわさわと風に揺れて花びらを舞わせていた。
「綺麗だ・・」
ふと立ち止まってみれば、陽の光に照らされて、草の隙間から虫が飛んでいるのが見える。
獣道を歩くこと数分。降りてきていくつも見える通路を歩く。
和尚の言ったとおり、寺から歩いた先には商人がいくつも屋台を出していた。
子供が大勢集まっている場所がある。
よく見ると管から息を吹き込んで丸い形を作っている者がいる。それは飴細工の屋台だった。
頭に頭巾を被った男が頬を膨らませて、丸くした飴の形を器用に変えている。
何を作っているのかと見てみると、どうやら魚のようだった。
赤、桃色、青といった色とりどりの飴が屋台の串に刺さっている。子供達の表情はキラキラと輝いていて、飴のはずなのに遠くから見るとそれは、ビードロのように美しかった。
後ろから天秤棒を担いだ男が走って来る。丸く大きなたらいには三匹の魚が入っており、走る度にチャプンと揺れた。
恐らく魚売りだろう。生臭い匂いが鼻をくすぐっていく。
金魚売りの隣では、一列に並んだ風車がいくつも風に触れてクルクルと回っている屋台が見えた。
そこは風車を売っているのだろうか。この屋台にも親子連れが集まっている。
天ぷらや握り寿司の屋台があり、その向かい側では蕎麦売りの屋台が見えた。
そのまま真っ直ぐに足を進めていると、風に乗って油の匂いがぷんと匂う。
木造の小さな屋台に墨字で『天ぷら』と書かれているので、天ぷら屋だとすぐに分かった。
串に刺した揚げたての天ぷらを立ったまま頬張る人の姿に、自然と影虎の頬も緩んでいく。彼の側を小さな子どもたちが三人笑いながら駆けている。
行き交う人々のどの顔にも、笑みが浮かんでいた。
彼の横を誰かが通り過ぎる。男の身体とあまり変わらない縦長の天秤棒を担いだ男だ。
赤い文字であま酒と書かれている。あま酒は飲んだ事が無い。
はたしてどのような味がするのだろう。どこからか香ばしい香りも漂ってくる。
一体何の匂いかと鼻を鳴らすが、人の波に飲まれてよく分からない。
かなり活気のある街だと影虎は思う。このような街には足を踏み入れた事がなかったというのも理由の一つかもしれない。
これだけの人の数を見るのも初めてだった。
女性が横を通り過ぎる。その瞬間に花のような香りが広がっていく。
自分のいた場所とは大違いだ。全てが違っている。
まるでどこか違う世界へ足を踏み入れたような妙な感覚の中で、黙って足を動かした。
「ええ。体も寝たら動くようになり申した。いつまでも此処に御厄介になるわけにはいき申さぬゆえ。これにて・・」
あれから二日ばかり眠っていたらしい。それを寺の和尚から聞いた時には影虎も驚きを隠せなかった。
和尚は落ち着くまで此処にいて良いと影虎に伝えたが、彼はいっこうに首を縦には振らず、それではと和尚の用意してくれた膳を頂き、用意された着物に袖を通すことにしたのである。
その着物は少しぼろが出ていたが、先ほどまで着ていた自分の着物に比べると良い代物であったので、影虎は有難く頂戴することにした。
起き上がって気付いた事だが、結っていたはずの髪が無くなっている。
どうやら燃えて千切れてしまったらしい。
今の彼の髪型は長さが均等ではなく、毛先が焦げてちりちりになってしまっている。
まだ少しばかり目が熱い。けれど最初の頃に比べたら痛みも熱も下がっていたので冷やすのを止めてしまった。
「あんなに美味い飯は初めて食べました。」
と、胡座の姿勢で一礼する影虎を和尚が手で制している。
それはどこか懐かしい空気を纏っている気がして、自然と彼の表情が柔らかくなった。
「いつでも困ったことあらば、力になりましょう」
「本当に・・かたじけない・・」
「しかし、行く当ても無いのでしょう?」
「・・はい・・此処に来れたことが奇跡でしたから」
「では、ひとつ。場所を教えてあげましょう」
「場所?」
「この寺を下ったところに町があります。人の出入りが多くなるのですぐに分かるでしょう。その一角にとても大きな門構えの家があります。そこを訪ねてみて下され。」
「・・・すみませぬが・・そこは・・?」
「あなたのように何かを背負ったものがいる場所です」
「・・・・・わたしのように・・・?」
「あなたの両目の理由がそこに行けば分かるでしょう」
「私の・・両目・・・」
無意識に影虎の手が左目に向かう。
一瞬、何かご存知なのですか?と口を開きかけて止めてしまった。
知ってどうするというのだろう?聞いて何が出来るというのだろう?
様々な想いが彼の中で蠢いている。けれどどうすることも出来ぬまま、彼は静かに目を閉じた。
「・・・どうか・・達者で・・」
両手をそっと和尚が包んだ。和尚の手は自分よりも大きく温かい。
包まれた手からじんわりと熱が伝わってきて、ハッと顔を上げた影虎に向かって、何も言わずに和尚はにっこりと微笑んでいる。
その顔を見つめていたが、やがて口元がじわじわと震え、伝い落ちる涙をぬぐうことも出来ぬまま、影虎は黙って和尚に頭を下げた。
さわさわと風が吹いて、格子窓から桜の花びらが数枚、部屋へと入ってくる。
「・・・・ほぅ・・もうそんな時期になりましたか・・・」
和尚の声が耳に届く。
穏やかに揺れる影虎の髪。声にならない嗚咽が何度も彼の喉を締め付けていた。
あれから、和尚の寺を離れて一刻が経過した。
此処に来るまで気がつかなかったが、色とりどりの花々がいくつもこの寺の周囲に咲いているらしい。
それは時折さわさわと風に揺れて花びらを舞わせていた。
「綺麗だ・・」
ふと立ち止まってみれば、陽の光に照らされて、草の隙間から虫が飛んでいるのが見える。
獣道を歩くこと数分。降りてきていくつも見える通路を歩く。
和尚の言ったとおり、寺から歩いた先には商人がいくつも屋台を出していた。
子供が大勢集まっている場所がある。
よく見ると管から息を吹き込んで丸い形を作っている者がいる。それは飴細工の屋台だった。
頭に頭巾を被った男が頬を膨らませて、丸くした飴の形を器用に変えている。
何を作っているのかと見てみると、どうやら魚のようだった。
赤、桃色、青といった色とりどりの飴が屋台の串に刺さっている。子供達の表情はキラキラと輝いていて、飴のはずなのに遠くから見るとそれは、ビードロのように美しかった。
後ろから天秤棒を担いだ男が走って来る。丸く大きなたらいには三匹の魚が入っており、走る度にチャプンと揺れた。
恐らく魚売りだろう。生臭い匂いが鼻をくすぐっていく。
金魚売りの隣では、一列に並んだ風車がいくつも風に触れてクルクルと回っている屋台が見えた。
そこは風車を売っているのだろうか。この屋台にも親子連れが集まっている。
天ぷらや握り寿司の屋台があり、その向かい側では蕎麦売りの屋台が見えた。
そのまま真っ直ぐに足を進めていると、風に乗って油の匂いがぷんと匂う。
木造の小さな屋台に墨字で『天ぷら』と書かれているので、天ぷら屋だとすぐに分かった。
串に刺した揚げたての天ぷらを立ったまま頬張る人の姿に、自然と影虎の頬も緩んでいく。彼の側を小さな子どもたちが三人笑いながら駆けている。
行き交う人々のどの顔にも、笑みが浮かんでいた。
彼の横を誰かが通り過ぎる。男の身体とあまり変わらない縦長の天秤棒を担いだ男だ。
赤い文字であま酒と書かれている。あま酒は飲んだ事が無い。
はたしてどのような味がするのだろう。どこからか香ばしい香りも漂ってくる。
一体何の匂いかと鼻を鳴らすが、人の波に飲まれてよく分からない。
かなり活気のある街だと影虎は思う。このような街には足を踏み入れた事がなかったというのも理由の一つかもしれない。
これだけの人の数を見るのも初めてだった。
女性が横を通り過ぎる。その瞬間に花のような香りが広がっていく。
自分のいた場所とは大違いだ。全てが違っている。
まるでどこか違う世界へ足を踏み入れたような妙な感覚の中で、黙って足を動かした。
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