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これはもともと私の筆です

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「るんたった~るんたった~るんるんたったかた~ほいっ」
天高く雲動く昼下がり。
音程が派手にずれて間延びした歌声がネズミの国の市場に響いたのは、塵煙が蝙蝠族の下に保護され十余年の月日が経過しての事だった。

あれから灰がかかったような銀色の髪は、すっかりと雨で洗われてしまい眩しいばかりの金色へと変貌を遂げ、陽射しを受けて変わる目の色はそのままに、絽兄弟の助言の元、体液の濃度とほぼ同じ性質で構成された水溶液の中に浸されたまま、ずっと天井を見上げる生活を送っていた。

その傍らで団結した『樂塵煙を助け隊』の医師と職人があーでもない。こうでもないと相談を繰り返しながら試作品を幾度も作り、その度に彼の身体に装着しては合わなければ即座に取り外し、また医師と相談をするという光景をぼんやりとした思考を通し間近で眺めていたのだ。
やがて失った肉体はゼンマイ式で動く木の義肢装具を装着することで可能にし、サンゴと動物の骨を加工して製作した人工骨で欠損部位を補い、失った臓器は新鮮なものを移植して適合するか否かを調査したりと失敗に失敗を繰り返しながら、助け隊の面々が塵煙の身体を完成させる頃には数ヶ月の月日が経過していた。

装着しても壊れない。安定した肉体。
それらは塵煙だけでなく、戦で傷ついた民の未来を見ているかのようでもあった。
「やっ・・やった・・ようやくだ!」
「ようやく・・完成したんだ!」
ウォオオオオォォ!と上下左右に揺れんばかりの歓声が沸き上がり、同時に何本もの竹簡が空を舞う。
その際の勢いたるや、まるで戦にでも勝利したのかと言わんばかりの興奮めいた声が作業場のあちらこちらに鳴り響き、何処からか酒と二胡が空を舞い飲めや歌えやの大宴会は数日の間続いたという。
その日から、動かす度にゼンマイのカチャカチャという音と、ジージーと鳴る機械音が耳に残る造りとなってしまったが、塵煙自身はなんとかその身体に慣れなくてはと、今も蝙蝠族の民の力を借りながらせっせと身体を動かし続けている。

なんせ皆、これでもかという程に優しくないのだ。
スパルタ式健康法というのを彷彿とさせるそのリハビリは、塵煙が師の下で修業に耐えた日々に非常によく似ている。
否、もしかするとリハビリの方が何万倍も厳しかったのかもしれない。
何せ、失った肉体を別の物で補うだけでなく、それを維持し自身の身体に変えなくてはならないのだ。
当然、何度も壊れ嘔吐をこれでもかと繰り返し、その度に修理を余儀なくされたこの身体は回を追うごとに丈夫なものへと変わってきている。

今の自分は蝙蝠族と鷹族の保護が無くては到底ここまで生きて行くことは出来なかっただろう。
心からそう思う。
優しくはないが、蝙蝠族の長である九十九を中心としたこの部族は自分を蔑むことなく平等に対等に接してくれる。それがどうにもくすぐったくて嬉しくもあった。
「るんるるーん。ふんふーん」
そうしてぎこちないながらも自由に動く事が出来て現在。
塵煙はふらりと隣国のネズミの国に入っては、毎週開催される市場へせっせと足を運んでいる。

相変わらずこの国の市場は盛況だ。
価格は各店によって異なるが、銅貨五銭から七銭と庶民価格の店が多く、新鮮な野菜や干物、香辛料といった食材以外に衣類や布地、木簡に竹簡に筆にとあらゆる品物が所狭しと並んでいる。
その奥には屋台街がずらりと並び、スパイシーな香辛料の香りと、香ばしい串焼き肉の香りが風に乗って街を歩く客や店の店主の腹を容赦なく刺激し、その香りに釣られてふらりと屋台街へ足を向ける客の姿がちらほら見えた。
この地に来れば大概のものは手に入る為、国内外から民族を問わず数多くの者が足を運んでは品を吟味し、店主と値段交渉を繰り返している。
かくゆう塵煙もその一匹であり、彼の行動には理由があった。

「ここもー・・ない。この店もー・・ない」
ありませぬなぁ~。くるりんくるりんと身体を半回転させながら、そんな事を間延びしたような声で呟き続ける彼は先ほどから屋台に並ぶ品を熱心に眺めている。それは衣や武器と言ったものではなく、筆や書に関する道具ばかりだった。
「・・おや?奇遇ですね?お買い物ですか?」
「むむむ~??」
聞き覚えのある声が背後から聞こえてくる。
その声に呼応するように塵煙は身体をくるりーんと回転させた。
「おんや~あなた様は~?絽玖殿ではごっざりませぬかぁ~??」
ほいほーいと両腕をピーンと上に挙げた状態で声の主を見る。
その様に動じる様子を見せないまま絽玖が優しく微笑んだ。いつものような床をずるずると掃除できそうな長さの衣ではなく、靴が見える軽装なのは珍しい。けれど隙のない立ち振る舞いは本日も健在である。

「おっげんきですかの~??」
「ええ。ご無沙汰いたしております。問題なく過ごせていますか?」
「ほいのほーい。相変わらずじっじじーと五月蠅く鳴いておりまぁす」
「それは何より」
絽玖の声に塵煙がむむ?と首を傾げている。その視線に気が付いたのか絽玖がうん?と言いたげな笑みを返した。
「絽玖殿は何をされに来ましたのでするか?」
「私ですか?戦利品を漁りに来たのですよ。生きの良いのがいるといいのですが・・」
そう言って優美に微笑む彼の表情に合点がいったのか、「ははぁなるほど」といった表情でうんうんと頷いている。そう、彼の目的はいつだって嗜好優先なのだ。

「そう言いますれば確か・・鎖に繋がれておりましたなぁ~。本日はどのようなものをおっ探しで~?」
「七日前の深夜、龍の国東部の小さな村で夜盗の襲撃があったのはご存知で?」
「ほほう。知っておりまする。でも頭領殿は出陣されてはおりませなんだなぁ」
「村はほぼ焼き払われてしまい、家畜や村の娘達は皆連れ去られてしまいましたので、何があったのかは容易に想像がつきます。その娘達が幾人か市場に並んでいるらしいと人づてに耳にしたものですから、どのような造形なのかが気になりまして」
「それで来たのですね?生きが良いのかは分かりかねまするが、んー。首と手首にはがっちり輪が付いておりましたぞ~?将軍殿~」
「おや?もう見て来たのですか?」
「見てきましたぞと言うよりは戦利品行列がござりましたので、ふうむと見てみました次第にごっざりまする~」
「なんとも素敵な趣味ですね」
「その店主とやらもお前ェにだけは言われたくねえだろうよ」
「違いない」
絽玖の頭に結ばれている奇妙な布鳥の突っ込みにハハハと笑う。
お世辞にも機嫌が良さそうには見えない布の鳥と妖艶さを隠しきれていない絽玖の組み合わせはいつ見てもちぐはぐだと塵煙は思っているのだが、敢えて口にしない事にしているのもまた事実ではあった。

「生きが良いってもよぉ。生娘じゃあるめぇし、わざわざ見に行くのかぁ?絽玖よぅ」
「分かっていませんね。だから良いのですよ」
ぞくりと背筋が凍りそうな程に熱を帯びた瞳を奥に潜ませながら絽玖が微笑む。
その表情を目の前にしながら、塵煙は彼の地下室にずらりと並ぶ剥製を思い出した。
ある者は美しい寝顔のままで。またある者は眼を見開き恐怖に叫ぶ瞬間をそのままに。
またある者は全身がお気に召さなかったのかパーツのみ。無造作に耳や眼球のみがごろんと置かれているのを見かけた際には絽玖自身に「これは完成品なのでするか?」と質問したほどだ。
頬に飛び散った赤い血を気にする風も無く、カチャカチャと全ての使用器具を煮沸消毒する姿は医師か助手を彷彿とさせるのだが、動作とは裏腹にその世界は怪しさ全開。

家人の誰もが立ち寄ろうとしないその地下室は仄暗く、どこか死と生臭い血の匂いが染みついている。壁には鉄の拘束具がずらりと並び、その隣には蝋や樹脂、塩を詰めた壺が無造作に積まれていた。また周辺には硝子の原料である砂や石灰などが詰められた箱が置かれている。
これらの品は「せっかく新鮮なものを使うのだろう?ただの剥製ではつまらないのではないか?」と兄である絽枇に言われた為、素材から型を取り硝子の置物として屋敷に飾るために絽玖が用意した物だ。
ただ、まだ硝子製の置物が飾られていない所を見ると、なかなか完成までの道のりは遠いらしく、最近はあまり使用していないと聞く。

『飼い慣らし信頼を得た鴨を恐怖の崖に蹴り落とした瞬間の絶望に満ちた表情を楽しむ』ことを目的とした絽玖のこの嗜好は今に始まった事では無い。
とはいえ、塵煙が今こうして身体を持ち、動く事ができるのは調達された新鮮な臓器を移植してもらったからでもあるのだが・・。

『はじめは灰かぶりでも、身の危険を要さない環境と落ち着いた風土。新鮮な食材。美しい水があれば驚くほどの変化を魅せてくれる。ただ私の悪い所は必要以上に手をかけすぎて資材にならない所ですね。皆が皆、土地の為に国の為にと動いて下さるようになるものですから、なかなか剥製に出来ないのですよ。困ったものです』と、いつも絽玖はため息を吐きながら額を押さえている。
幾人か気に入ったものを見繕い連れて帰ってきたまではいいけれど、話しかけようにもびくびくと怖がるだけで何も話そうとはしない。
湯を浴びさせても艶を失いガサガサした肌の艶がどうしても目についてしまう。
すべすべどころかぷつぷつ切れて枝毛の目立つ髪は香油を染み込ませなければ到底使えるものではなかった。
これでは駄目だと世話を焼いた結果。男女問わず忠誠を誓われてしまい、絽玖のひと声で何処の地へも馳せ参じてしまう民へと変わってしまったというから笑えない話だ。

有難いがありがたくない。その想いに菩薩のような微笑みを浮かべながら、絽枇が「まぁ良いじゃない?使えなければ斬るだけだよ」とのんびりした口調で返している。
一体どれだけの無垢な戦利品がそのお眼鏡に適ったのか、一度聞いてみたいものである。
はてさて。市場の奥で何やらざわざわと騒がしい声が聞こえ、絽玖の髪を結っている布鳥がうん?と首を傾げ始めた。
「んだぁ?なんか騒がしくなってねえか?」
「確かに。何かあったのでしょうね」
「見に行かなくとも良いのですか?」
「見に行く必要がありますか?」
「うっ」
ぴしゃりと告げられたその句を返す事も出来ないまま、塵煙は空に視線を向けた。
嗚呼。相変わらず今日も空が青い。ポカポカ陽気なはずなのに私の眼前は氷点下だ。
そんな事をつらつらと考えていると段々と騒がしい声が大きくなった。

「?」
「何だ?ありゃ人か?」
「どっ奴隷が逃げたぞー!」
「捕まえろ!捕まえてくれー!」
ざわざわと騒がしい声の隙間を縫う様に店主らしき男性の叫ぶ声が聞こえてくる。
逃げる度にぶつかっているのか、客の悲鳴と怒号も瞬時に広がっていくではないか。おお。
「はぁー・・こっちへ来るんじゃねぇかぁ?」
「おんやまぁ~?」
「仕方ありませんねえ」
つまらなそうなため息を吐きながら絽玖が足を一歩動かそうとしたその時、拘束された腕をそのままに全力疾走で突っ込む女性らしき者の残像が見えた。
前を歩く男性の身体がぐいっと右側に押され、その隙間からは固く握られた拳が見える。

「おっ、おおー??」
「お願い!退いて!」
ボロボロに千切れた衣服を身に纏い、髪を振り乱しながら若い女性が絽玖達の立つ方向へと向かって来るではないか。
鬼気迫るその形相に臆されるように客が一人また一人と女性をかわしていく。
その背後からはどったどったと女性を追いかける恰幅の良い店主の顔がちらりと見えた。
「待てー!待たんかー!」
「退かないとぶっ叩くわよ!」
そうこうしているうちに、ぶんぶんと腕を振り回しながら女性がドタドタと近付いて来る。
声を荒げながら走る女性に驚く様子も見せないまま、絽玖は優美に足を一歩動かした。

―その時だった。
「・・!?」
「ひうっ!」と息を飲み、慌てたような女性の声が一瞬、途切れた。
「・・・・・・・・・・・・・・」
「お前ぇよぅ・・手加減くらいしてやれよぉ」
「心外ですね。これでも加減をしたつもりなのですが」
先ほどまで疾走していた女性の身体がぐらりと傾き、絽玖の腕の下でだらんとその力を失っている。
女性が走るその速度を利用してすれ違うタイミングを計りながら、絽玖が一瞬腰を落とし、彼女の腹部に向けて間髪入れずに拳を三度叩き込んだのだ。
「お~見事にござりまするなぁ~ぱちぱちぃ」
大げさにぱちぱちと拍手を送るその音を遮るように、ぜいぜいはぁはぁと息を切らしながら立ち止まる店主らしき男の姿が見えた。

「すっすまない・・ありがとう・・」
額からとめどなく流れてくる汗を袖で拭いながら恰幅の良い男性がこちらへと向かって歩いて来る。
その姿に絽玖が軽く笑みを返しながら、腕に抱いたままの女性を店主らしきその男性に向かって差し出した。
「はい。お返ししますよ」
「いやー。申し訳ない。ありがとうございます」
ぺこぺこと頭を何度も下げながら店主の男性が女性を受取り肩に担いでいる。
その様を黙って眺めながら、絽玖は貼り付いたような笑顔のまま気を失った女性の腰にも視線を向けた。
「道中、お気をつけて」
「ええ。それでは」
だらんと力を失ったままの女性を肩に担いだまま、男性が来た道を戻っていく。
その背を黙って眺めながら布鳥がぽつりと呟いた。
「女の格好をしちゃあいるが、ありゃ男だな。間違いない」
「ええ。上手く隠してはいるようですが、あんな骨格の女性はそうそういませんからね。間違いはないと思いますよ」
「はへ~。見ただけで分かるものなのですか?」
「見ただけというか・・。少し触れましたからね。女性には女性の柔さが、男性には男性の豪胆さが。姿を変え生き抜く上であらゆる仕草をその身に叩き込んだとしても元来染みついているものというのは、簡単に変える事は難しい。私はそう思っていますよ」
穏やかな笑みを崩すことなく話す絽玖の顔を見ながら、塵煙は「なるほど」と思った。

一度でもこの男と言の葉を交わし、すれ違い様に耳元で囁かれただけで、その香気に当てられ腰が砕けたまま動けなくなる男女は数知れず。無意識にその背を目で追わずにはいられなくなる。それほどまでの淫猥さを隠すこともせず進む姿は、まさに全身凶器といっても過言ではないという。そのような噂が流れている事を知っていはいたが・・。
相変わらず、掴めない男である。

「・・・・・・・・・・・・」
しかしそれにしても先ほどのあの拳を叩きつけたあの動き。
塵煙も幼少の頃から武術は一通り習い、師の下でこれでもかという程に鍛えられてきた。
勿論、夜盗や妖怪相手に何度も戦い、その度に褒賞を得て寺の修繕や救いを求める民達への善の行いに当てていた。
読経よりも村の自警団と共に棍棒をこれでもかと振り回し、共に田畑を耕していた時間の方が明らかに長いのだ。
実践第一の師の教えの甲斐もあって、大体の武将の動きを見切る事は可能ではあったし、また夜盗や襲い掛からんとする民の動きを目で追う事も難しくはなかった。
その塵煙さえも一瞬、絽玖の動きを捉えるのに躊躇した。
理由は他でもなく、彼の動きが速すぎて見えなかったのだ。
気が付いた頃には、女性を抱える絽玖の腕がそこにあった。

まるで、留まる川が水流を得た様に、揺れぬ木々が風を得た様に。
ゆるやかな動作で彼は獲物を仕留めたのである。

「・・・・・・・・・・相変わらず、敵にはしたくはありませぬなぁ」
味方であらばこれ以上に心強い相手は、そうそういないだろう。
だが万が一にも絽玖自身が敵になるようなことが起こりでもすれば・・塵煙は背中をひやりと冷たい物が滑り落ちる感覚を幾度も肌に感じながら、微かに身震いするしかなかった。
「・・・そういえば・・」
「・・ほい?」
「塵煙殿は何をお探しですか?」
「気になりまするか?」
うん?と首を僅かに傾げながら、悪戯っぽい笑みを浮かべる塵煙に動じる事も無く
「ええ。気になりますね」と微笑みを返すのみだ。
いつもの笑みとは違い、少しばかり子供っぽさの残る絽玖の表情を目にして、彼は再度市場に視線を向けながら歩き出した。

相変わらずどの店も盛況で活気がある。
「ぬみゃー。それがでするなぁ・・なかなか探している物に出会えなくて」
「探し物?ふむ。見た所、筆や竹簡、木簡を扱う店ばかり見ているように思えますが・・」
「ええ。そうなのでするよ・・探しているものは~」
そう話しながら歩く塵煙の足が、不意に止まった。
「・・・塵煙?」
「・・・・・・・・・」
その瞬間の表情を、絽玖は見逃しはしなかった。

自分達の立つ場所から三軒先の店に目を向けたまま、瞳を見開き口角を上げて笑う。
塵煙が見せた一瞬で溶け消えるその不気味なまでの笑みを。

『・・・これは・・』
るんるるーん!ふんふふーんと両腕を天高く伸ばし、自身の身をクルンクルンと回転させ、人ごみを器用にかき分けながら塵煙がその店へと近付いて行く。
肉体の殆どが義肢装具で覆われているとは思えないほどの滑らかな動作で塵煙が進む様を目撃しながら、絽玖はフフンと鼻で笑っている。
「いつ見ても、あいつ変わってるよなぁ・・そうは思わねえか?絽玖」
「そうだな。相変わらず面白い」
「・・って・・おい。ついて行くのかよぉ」
「いい機会だ。見ておくのも悪くない」
フンと鼻で笑いながら、人ごみに紛れて進む金色の髪を追う絽玖の表情は何処から見ても玩具を見つけた子供のように楽しそうで、その様にため息を吐きながら布鳥は瞳を閉じた。
「あっららぁ~?はっじめましてにござりまっする~!」
一際明るい声を上げながら片手と片足をピーンと伸ばした塵煙が店の前にて立ち止まっている。
ターバンを巻いた恰幅の良い店主が、ずらりと並んだ品の前で人の好い笑みを浮かべながら腰を降ろしていた。

「いらっしゃい、威勢がいいなぁ。兄ちゃん」
「ほほ~ぅ?このお店は、たくさんの筆が並んでおるようですなぁ」
ずらりと並んだ筆を前にして、にへらと笑う塵煙の姿は何処から見ても子供のようだ。
「筆が好きなのかい?」
「ええ。そうなのですよ~。趣味で筆を集めておりましてなぁ」
そう話しながら、ふんふんと軽く首を上下に揺らして塵煙が筆を手に取って眺めている。
店の柱と筆の前には『書道筆・一律五銭』と書かれた紙がでかでかと掲げられている。
丁寧な手つきで大小様々な大きさの筆を手にする塵煙の姿を眺めながら、店主は側にあった筆を無造作に手に取った。
「だったら、これなんてどうだい?最近手に入れた品なんだが、なかなか良いだろう」
その筆を見る塵煙の瞳が少しばかり大きくなった。

「拝見いたしまする」
舞台で演じる演者の如く、やや大げさともいえる礼の姿勢を取りながら塵煙が筆を受け取った。
軸が黒檀で出来たその筆は、書を書く筆とは異なり穂の長さに比べて軸が少しばかり太く長い。
柔毛の穂は触れた瞬間にふわりとした柔らかさを保っている。
やや使い古された感が強いその筆を両手に持ちながら、ニコニコと微笑む塵煙の表情を見て店主の男が「どうだい?変わった筆だろう?」と声をかけた。
「しっつれいっではござりまするが~店主殿。この筆をどちらで?」
「筆かい?俺は筆には目が無くてなぁ。各地をこの足で回って気に入ったものがあると買い集めるんだよ・・それでな・・」
冗舌に話す店主のその声を耳にしながら、塵煙は愛おしそうに筆を撫でている。
その様は撫でながらも何かを探っているようにも見えた。
そうして満足げに微笑むと、演説が止まらない店主の顔を見た。
「店主殿。店主殿」
「ん?」と優しい目を向けた店主の頬を擦るように、一瞬冷たい風が吹いた。
ニコニコと微笑む塵煙の表情が冷徹なものへと変化し、筆を手にしたままその腕を袈裟懸けに振り下ろしたのだ。

並ぶ筆の軸の背を柔らかな風が吹き、ふわりと浮いた袖と長く伸びた髪の隙間から覗く眼
がぎょろりと動き、その視線は店主の顔へと向けられたままだ。

「うっ・・ぐっ」
「悪いな。これはもともと私の筆だ」
先ほどまでの明るく弾んだ声が一変し、低く鋭い声が地を這う蛇の如く男を捉えた。
「ぐっ・・」
先ほどまで店に並んだ品と変わらなかったその筆が塵煙の手に呼応するように、穂先が針のように尖り、形を変えたまま店主の心の臓を貫いている。
店主が体勢を崩しながらずるずると土に吸い込まれていくのを、微動だにせず冷ややかな視線で見つめている。
瞬きをしなくなった男からしゅるるっと穂先を引き抜くと、それを見ていたのか、塵煙の背後から「お見事ですね」と話す絽玖の声が聞こえた。

「・・・・・・・・・・・」
ガヤガヤと賑わう市場の中を歩く民の表情は変わらない。
過ぎ行く一匹の羽虫に似たその自然ともいえる動作に感服しながらも、絽玖はゆったりとした足取りで塵煙に近付いて行った。
「見ていたのでするか?」
「ええ。全て」
「性格が非常にお悪いでするなぁ」
「それはそれは」
そう話しながら、絽玖がゴソゴソと懐から何かを取り出している。
その袋を見て塵煙の瞳が丸くなった。
「経緯はどうであれ、一応、この方の店の品ですからね。それ相応のお代は支払わなくては」
そう話しながら、丸く膨らんだ藍色の巾着袋を取り出すと、その中から鷲掴みにした十数枚もあろうかという量の銅貨を陳列された筆の後方にじゃらりと乗せはじめた。

その金額に
「・・・・そんなにはせんでしょう」
と塵煙は首を傾げていたが、絽玖は
「なぁに、ほんの気持ちですよ」
と楽しそうな笑みを浮かべている。
その笑みにガシガシと髪を掻きながら塵煙は重く気怠い息を吐いた。
「ここにずっといるのも退屈でするから、歩きませんか?絽玖殿」
「いいですね。私はまだ目当てのものにたどり着いてはおりませんから」
「ああ。もう売れてしまったのではありませぬか?」
「それはそれで構いませんよ。収穫は無くとも面白いものを見ることが出来ましたから」
「?」
「それでは歩きましょうか」
「そうでするな!先ほどからぐうぐうとお腹がうるさく鳴っておりまする~!」
「では軽く食事などいかがですか?」
「絽玖殿の奢りでするならば!喜んで!」
「ええ。御馳走しますよ」
「やっほほ~い!」
先ほどまでの冷たい表情は何処へやら。ごっはん~!ごっはん~!とうきうきルンルン気分で鼻歌を歌う塵煙の姿に一部始終を眺めていた布鳥が重だるい息を吐いている。

「・・・・よく分からねえ奴だ・・」
「だが、そこが面白い」
「そうだな。お前も相当だからなぁ」
「誉め言葉として受け取っておきますよ。・・・今はね」
「あーあーあー。恐ろしすぎて寒気がするわぁ」
「まぁ、仲良くしようじゃないか」
そんな会話を交わす絽玖と布鳥の前ではご飯を求めてクルクル回る塵煙の鮮やかに光る髪が見えた。

「何を食べまする~?良い香りが致しまするよぅ・・うへへ~。あ~この匂ひ~」
甘くスパイシーな五香粉に混ざって甘辛く煮た醤油や、炭火で焼いた肉の香ばしい匂いが漂ってくる。
そう。この市場には何でもここでしか食することの出来ない珍しい料理を提供する屋台が何軒かあり、その中でも数多くのスパイスを炒めた調味料に水を投入し魚や肉と共に煮込んだ様々な『カリー』という名の何とも珍しい料理を味わう事が出来る。

口に入れた瞬間に、ほろほろと解けていくような柔らかさまで煮込んだ鶏肉と、ほのかに香るココナッツミルクの味が美味しくてたまらないと女性達に人気のあるイエローカレー(ゲーン・ガリー)は、ここでしか食べられないとあって、ずらりと並ぶ屋台街は今日も盛況だった。
かくゆう絽玖や塵煙も一度はここでカリーを食べてみたいと思っているのだが、待つ客の数に圧倒されるだけでなかなか口に出来ないままだ。

「ところで、ひとつお伺いしてもよろしいですか?」
「ほい?なんでごっざりましょう?」
「あなたのその筆・・」
「これが気になりまするか?」
そう話しながら、塵煙は懐に仕舞っていた一本の筆を取り出した。
「どうぞ。隅から隅までずずいとご覧になってくださりませ」
大げさな礼の姿勢を取りながら、塵煙は絽玖に筆を手渡している。
その筆を丁重な手つきで受け取ると、彼は様々な角度からその筆を眺めることにした。

穂先も軸も、普通の筆となんら変わらない。他の筆と並んでも恐らく何も変わらないであろうその筆を優しい手つきで摩りながら、絽玖は塵煙に視線を向けた。
「・・・・・・」
「どうでする?普通の筆でしょう?」
「ええ。普通の筆ですね」
お返ししますと言いながら彼は筆を塵煙に返し、歩きながら彼の言葉をジッと待つことにした。
「これはもともと私ではなく、私の師匠のものなのでするよ。師匠が亡き後、筆の所有権は私に移りました」
「・・と言いますと?」
「この筆には少々、面白い仕掛けがござりましてな。もともとこの筆は二対で一本の役目を果たすのでする。二本あれば剣となり、一本あらば鞭になる。絽玖殿が見たのはそれでする」
「・・・・・・・・」
「この筆には契約を示す私の血紋が印字されているのでするよ。ですから、私がこの筆を持ちますと、血紋が反応し私の血と一体化するのでする。あとは私の意識と同化して自在に形を変えて武器へと変わる仕掛けとなっておりまする」

「・・ああ。それで私や店主が触れても変わらなかったのですね」
「そうでする。もともとは私の物だったのでするが、私がネズミの国で前に縛についたことがあったでしょう?そのごたごたで全ての荷と金を奪われてしまったのでするよ」
は~困ったものですよと両手を肩より上にあげながら首を左右に振る塵煙の姿は何処から見ても困っているようには見えなかったが、絽玖は敢えて何も話さなかった。
「あっとは~散々でしたからなぁ」
その声を耳にしながら、フフッと絽玖が微笑んでいる。

「どうされましたか?」
「いいえ。でも物事はそうそう悪い方向へは向かっていないようにも思えますよ?塵煙」
「と申されますると?」
「こうしてお会いできたのも何かの縁です。そうは思いませんか?」
とろけんばかりの微笑みを浮かべながら塵煙を見る絽玖の表情に、彼はぽかんと口を開けていたが、やがて
「・・・・・・・・はははっ!」
無造作に髪をかき上げながら、困ったように笑い始めた。
「ほんっとう!貴方には敵いませんなぁ!」
「敵われては困りますね」
「違いありませぬ」
顔を見合わせながらハハハと笑う軽快な声が市場に響く。
二名は肩を並ばせながら、屋台街へと歩いて行ったのだった。

時。同じ頃・・。
自室で寛ぐ九十九に近付く影が見えた。
「・・・ねえ。頭領?」
「なんだ?紅絇」
伏し目がちなまま紅絇に視線を向ける。その先には壁に立つ彼が纏う真紅の衣が見えた。
「どうしてアレを拾おうと思ったんです?甲斐甲斐しく世話までして」
「何が言いたい?」
「いえね。何処から見ても彼の容体は酷いものでした。内臓は野犬に大方喰われたまま。斬り落とされた肉の先は壊死しかけていた。情のある者ならば、安らかな最期をと思うのが常ってものでしょう?でもあなたはそうしなかった」
南京錠と檻の奥に隠された瞳が揺らぎ、艶のある唇がにやりと歪んだ。
紅絇の表情を一瞥すると、九十九は再度視線を目を通していた竹簡に視線を戻した。
「・・・別に。面白いと思っただけだ。アレが俺に対して、まだ生きていたいと願ったのなら、俺は容赦なくその腕を振り下ろしていただろう。そうしなかったのは・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・そっちの方が面白いと思った。ただそれだけだ。他意はない」
「・・・相変わらず、悪食でいらっしゃる・・」
皺ひとつない真紅の披風(ヒフ/袖の無い外套)がふわりと風を呼ぶ。
颯爽と身を翻し扉へと向かう紅絇の唇は歪んだまま、上げた口角をそのままに扉へと向かうその表情は檻と南京錠に阻まれて見えないままだ。
「・・・・でも、嫌いではありません」
それでこそ。我が主。
そう呟いて、彼は扉を開けたのだった。

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