反魂2・空白の時間編

四宮

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残月記番外編・反魂二

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「・・・あの方は何処へ行かれたのです?」
飛燕ヒエンが問う。
自分達が部屋を取り食事に向かおうとした際、急に遠雷エンライが「酒飲みに行って来る」と言って、ふらりと出かけてしまったのだ。
空は薄暗く、赤や黄色と言った色とりどりの提灯がぼんやりと浮かんでいる。
どうやらこの場所は昼も夜も絶えず開いている屋台や店が多いらしい。

「・・・・・・」
飛燕ヒエンの問いに昂遠コウエンは何も返そうとしない。
それどころか眉間に皺を寄せたまま、険しい表情で扉に視線を向けている。
飛燕ヒエンはもう一度問うべきか迷ったが、小父の不機嫌そうな表情を見て聞くべきではないなと口を噤んだ。

「・・・あいつは」
「・・・え?」
給仕の女性が運んでくれた茶を注ぎながら飛燕が問う。
注ぐ度にふわりと香る柑橘系の甘い匂いが広がって、飛燕の頬が僅かに緩んだ。
「・・・あいつは・・・恐らく・・・」
一方、昂遠は誰に言うでもなく呟いている。

「・・・?」
「まぁいいや。先に食べてしまおう」
「良いのですか?」
「うん。料理は温かいうちに食べてこそ。包子と・・そうだ。他にスープも頼もうか」
「はい」
「他に何か食べたい物は?暫く故郷を離れるんだ。ここでしか食べられない物を食べよう。肉でも魚でも好きな物を頼むと良い。確か名物があったはずだが・・・」
「じゃあ、一つだけ・・・良い・・・ですか?」
「ああ。構わないよ」

飛燕ヒエンの声に、昂遠コウエンの表情が先程よりも優しいものへと変わっていく。
彼は店主に料理を何品か注文すると、飛燕に箸を手渡し微笑むのだった。

その頃、宿を離れた遠雷エンライは足早に何処かへと向かっていた。
彼の周囲には沢山の飯屋が連なり、どの店も大勢の客で賑わっている。
彼はそっと懐から小さな紙のような物を取り出すと、そこにフッと軽く息を吹きかけた。

途端に焦げるような黒い染みを拵えながら紙が丸く縮んでいく。
薄く立ち昇る赤黒い煙は誰かを探すように弧を描き、やがて一軒の飯屋を指すと、ふわりと闇に溶けるように消えてしまった。

「・・・ここか」
遠雷は煙が指し示す方角を見ると、そっと目を閉じ深呼吸を二度繰り返した。
そうしてゆっくりと閉じていた瞼を持ち上げると、先ほどまで濁っていたはずの瞳が水滴のような透明感を放ち始めた。
ぷるぷるとした弾力を保ったまま、眼球がユラユラと揺れる様は水滴そのもの。
しかし、彼はただ瞬きを繰り返すだけで微動だにはせず、赤々と点る赤い提灯を眺めていたが、袖の中で何やらゴソゴソと手を動かすと、指を出すことなく下方に向かってピンと弾いたのだ。

地面へと落ちたそれは赤黒い煙となって、何かを探すように素早い速さで動き始める。
民の足元を縫うように動くそれは這い回る蛇の動きにとてもよく似ていた。

(見つけたら喰え。許可する)

誰に言うでもなく脳内で呟くとフワリと裾を翻し、煙の示す方角へと足を進めることにしたのだった。

店の扉を軽く開けると、中は客でごった返しており、人々の話す声が飛び交っている。
肉料理独特の香りと包子の湯気がふわりと香る店内を迷うことなく進む度に、衣の裾がひらりと舞った。
その優美ともいえる後ろ姿を前にして、席に着いている客の視線が一律に彼の背に向かい、咀嚼していた口さえもピタリと止まってしまう。
「・・・・・・」
しかし、そんな視線も気にならないといった様子の遠雷エンライは、慌てた様子で駆け寄ってくる給仕の案内を手で遮りながら階段を上ると、そのまま右端の一番奥の席へと進むことにした。
そこには既に先客がいるらしく、卓には酒器が置かれている。

「・・・おや?珍しい客だね」
「・・・久しぶりだな。くそジジイ」
遠雷の悪態じみたその声に動じる様子も見せず、席についているその者は口角を僅かに上げたまま、優雅ともいえる手つきで酒器に酒を注ぎ始めると
「まぁ、まずは一杯、いかがかな?」
と、絶やさぬ笑みで彼の前に酒器をコトリと置いたのであった。
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