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クーリ編-最も別れるのが難しい相手とは、過去の自分だ

第二十五話 救う

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 フォラステロを模した土人形は、わざわざフォラステロの姿を模しただけではなかった。

「さすが俺! 簡単には死にゃあしねぇ!」
「ふざけないでください!」

 仕込み剣までは模倣できなかったのか、それに似せた曲刀が迫る。フォラステロは仕込み剣でいなし、ジェラートは魔法の牽制でもってそもそも攻撃をさせない。
 ただ、遅々として戦線を押し進めることができない。
 単純に技量が上がっていた。一撃の隙をつこうとしても、そう簡単に攻撃が当たらない。今も、曲刀を振り下ろした土人形にジェラートが放った炎風が、身をよじってかわされたところだ。
 そうして崩れた身体を引き倒し、ジェラートのかかとが頭を踏み抜く。倒せないわけではないのだが。
 いかんせん、時間がかかる。二人が一体ずつ討ち倒す間に、土人形は三体増えている。額の汗を拭うフォラステロにジェラートが鋭く問う。

「あの魔法は使えないんですか?!」
「魔力の方は絶倫じゃなくてなぁ! もうタネ切れよ」

 また一体を切って捨てながらフォラステロが言う。純血でない彼が、ここまで大立ち回りを続けていたのだ。無理もない。
 エールム・エグゾスキュレで隙間のある布陣を駆け抜けていかないのもそのせいかと、ジェラートは納得した。

「嬢ちゃんの方こそ、ぶっ放せよ! ガキ見えてんだ、上手くやれば――」
「ヒト相手じゃないんです。土人形を燃やせるほどの火力で少年だけ焼かないなんて、できると思ってるんですか?!」
「しらねぇよ! ヒステリックな声出すな!」

 ジェラートは証拠とばかりに目の前の土人形に火球を放つ。燃えながら、平然と立っていた。炎の蜂にやられていたのは、そういう演技だったのだろう。
 おかげで、風の元素を交えた牽制として魔法を使うほかないジェラートだ。

「なら、風使えよ!」
「…………ないんです」
「はぁ?」
「風で攻撃する魔法、使ったことないんです!」
「はぁ?!」

 もともと、火の元素魔法を扱う父に育てられたジェラートだ。彼は火の扱いこそ、ある程度の体系を持って彼女に叩き込んだが、風の扱いはからきしだった。彼女の才に任せきっていた。
 素っ頓狂な声を上げるフォラステロをジェラートはきっと睨んで黙らせる。

「しかし、そうすると消耗戦しかないぜ……」

 これでは、ジェラートが一人吶喊したところで、一撃必殺の決め手がないことになる。
 二人は戦い続けるしかなかった。倒せど倒せど、敵は無尽蔵に湧き上がってくる。二十人を超え、なおも増え続ける土人形。
 荒くなる呼吸。フォラステロだ。
 ショコラが魔法を使いすぎて鼻血を流したように、魔力の過剰使用は脳に負荷をかける。だが魔法の使用を控えようにも、それでは土の塊である敵に対して有効打が与えられない。
 そんな状況でも、彼は笑っていた。
 曲刀の横薙ぎを掻い潜った彼は、斬り上げようとして。その途中で、仕込み剣から吐き出す風が止まった。

「くっそ」

 やけくそに唸りを上げるエールム・エグゾスキュレ。食い込んだ剣がそのまま土人形を持ち上げ、半回転。頭から地面に叩きつける。
 横あいから現れたジェラートが風の加速を得た回し蹴りでその胴を砕いた。

「……あぁ、助かったぜ。嬢ちゃんよ」
「戦えるんですか、そんなんで」
「おうとも、楽勝よ」

 そう言いつつ、フォラステロはもうないはずの左手で頭を押さえていた。はたと気づいて、「おっといけねぇ」と誤魔化す。
 このままでは負けてしまう。ジェラートは直感した。
 ジェラートただ一人になってしまえば、突破は絶望的だ。突破できたとして、その時にまた少年が入れ替えられていたらどうしようもない。

 もうすぐ、クリオロの土人形は人の壁を完全にしてしまう。隙間が埋まり、フォラステロの偽物の間から垣間見える少年の姿が隠される。
 半ば仕込み剣を鈍器として扱い出したフォラステロを補助しつつ。確実に撃破ペースは落ちた。

 ――こいつを守る必要なんて、あるのだろうか。

 ジェラートは頭に浮かんだ答えを即座に追い出した。
 ジェラートは『人を救ける』のだ。目的のためと、人を殺すことに目を瞑ったクーリを捨てて。

「くそぉっ!」

 両手で土人形の頭を引っ掴み、引き下がる。苛立ちを乗せた膝をぶち当て砕く。
 それでも、敵は絶えない。
 血が滲むほどに拳を握り込む様を、ちょうど一体を片付けたフォラステロが見ていた。

「嬢ちゃん」
「なんですかっ!」
「ほら、受けとれよ」

 振り向いたジェラートに、ひょいっと何かしらが投げ渡される。あたふたとそれを受け取って、確認して、怪訝げになる。

「どういう了見ですか」
「やるよ。女の手は敵を殴るより、を握ってた方が似合うからな」
「……」

 軽口を返す気分にもならない。それはフォラステロの仕込み剣だった。偽のフォラステロが握る曲刀も倒した側から砂と消えてしまっている今、仕込み剣を失えば彼は素手で戦う他にない。

「使い方はわかるな。俺に勝ったやつが、見て盗めねぇとかほざいたら許さねぇ」
「いつ私が勝ちましたか」
「はっ、そんなの決まりきってんだろ」

 フォラステロの腕に括られたエールム・エグゾスキュレが太陽光に煌いた。振りかぶられる拳。駆動音。
 それはジェラートの頰をかすめ、後ろに迫っていた土人形の顔を殴り砕く。

「今からさ。俺の勝てなかった敵を、お前が倒せ」
「その趣味の悪い武器のせいで、何も聞こえませんよ」
「なら、尚更だな」

 フォラステロがジェラートの両肩を掴み、百八十度身体を回転させる。今まさに彼が倒した土人形によって開けた視界。クリオロが再び地に開けた穴に少年を押し込もうとしている。

「勝機を逃すな。一度逃した女は、二度と振り向かねぇからよ」

 とん、と。ジェラートの背が押された。彼女の背後、振り下ろされる無数の風切り音がした。散るはずのない血が、うなじにかかった。

 いつのまにか雲間から覗いていた太陽が、彼女の道筋を示すように照らす。

 噛み締める。

「うおぉおおおぉおお!」

 全てを置き去りに、ジェラートが加速した。風の元素魔法が彼女の背中を押している。どう加速すればいいか、嫌というほど見せられた。
 横あいから、フォラステロの顔をした無機物が立ち塞がる。

「どけぇ!」

 仕込み剣を叩きつける。噴き出すは熱風。
 速度。風刃。灼熱。
 全てを乗算した一斬は曲刀ごとバターのように斬り抜けた。

「その手を放せっ!」

 本体と思しきクリオロが目を見張る。少年を穴へ押し込んでいた手の片方をあげ、ジェラートへかざす。
 小さな土壁が彼女の行手を塞ぐ。

 本当に小さな土壁だ。
 上を越すこともできた。
 横を抜けることもできた。
 ただその全てが――

「しゃらくさい!」

 ジェラートは身をよじり、絞り、仕込み剣を脇腹から背に隠すまで振りかぶる。

「ラファール!」

 横薙ぎの突風が土壁を襲う。破城槌が城壁を破るが如く、破壊し、破砕し、弾き飛ばした。全速のジェラートが超えて行く。

 そしてたどり着く、必殺の距離。

 クリオロが少年を引き上げ盾にしようとする。間に合わせない。
 地面へ片足を突き刺したジェラートは、それを軸に直進の勢いを回転へ変える。振り返った彼女の瞳がクリオロを捉えた。その眉間をとらえた。
 音すら置き去りにして、ジェラートの振るう仕掛け剣が空を斬り。
 炎風の弾子が飛んだ。緋色の一条。
 それが確実に、クリオロの眉間を撃ち抜いた。

「少年!」

 ずざぁっ! と音を立てて勢いを殺したジェラートが真っ先に名前を呼ぶ。返事はなくて、彼女は仕込み剣も投げ捨てて駆け出した。クリオロの死体を突き飛ばし、穴を覗き込む。

「んー! んんー!」
「少年……!」

 薄暗い穴の底で身体を丸くする少年が、猿轡の奥から返事を返した。
 ジェラートの顔から一気に緊張が抜け落ちる。ぺたんとその場に座り込んでしまった。彼女は穴の底で訴えるように動く少年をしばしぼーっと眺めて、やっと引き上げて拘束を解いてやらねばと思い至る。
 風の元素魔法の助けを借りつつ、なんとか少年を助け出した。ジェラートが手枷足枷の縄を解いてやっていると、いやでも擦り傷が目についた。

「ごめんなさい。私、少年を巻き込んでばっかりです」

 猿轡に手をかけながら、彼女がこぼす。

「っはぁ! 怖かった! 怖かったよジェラート!」
「あぁ、いや。はは……」

 しかし少年に、それを聞く余裕はなかった。ジェラートの胸元に抱きついて、わんわんと泣き始めた。ちゃんと謝らなきゃという申し訳なさや、胸甲に額を押し当てたら痛いだろうという心配や。
 諸々を考えていた彼女も、仕方なしとはにかんで、少年の頭を撫でた。

「これで終わりではないぞ。クーリ・グラス」
「――あなた、まだ生きてたんですね」

 ジェラートが庇うように少年を抱きしめた。胸部の出っ張りに押しつけられた少年がぐぇと呻くが、それどころではない。
 眉間を撃ち抜かれたはずのクリオロが倒れ伏したままで喋っている。

「それも本体じゃなかったんですね」
「そうだ」

 しかし、戦う意思はないらしい。
 ジェラートに少年を奪還された時点で、彼女のピエスモンテを止める手段がないのだ。どんな大群を出したところで、溶け落ちるほどの高温に焼き尽くされるだけだと判断したのだろうと、ジェラートは推察する。

「お前は『あの方』を裏切った。けして、許されはしない」
「……まぁ、仕方ないでしょう。『あの方』によろしく言っておいてください」
「そうか」

 捨て台詞。撤退する間、少しでも注意を逸らそうという魂胆だ。
 ならばむしろ、ジェラートには聞きたいことがある。

「ところで一つ、教えてほしいんですよ。ここまで尽くしてきた私への、なんていうか、冥土の土産? として」
「内容による」
「なら、言ってみましょうか。なぜあなたたちは、チョコレィトさんの娘について、ショコラについて、調べているんですか?」

 それはコンディトライが味方という認識でなくなった途端、彼女の脳裏に閃いた疑問だった。

「なぜ、そう思う」
「だってあなた、目立つ行為をした私を叱責するより先に、相手を殺したか気にしたじゃないですか。あの規模でやらかしたんですから、たかが一人、目の前の冒険者を殺していたとして何も変わらない。だのにそれを気にするのは、その個人の生死にこそ興味があったんじゃないんですか?」
「……」

 だからこそ、ジェラートがついた嘘を鵜呑みにしなかった。きちんと確認を取らねばならず、そのついでとして、ジェラートの嘘を見つけた。
 完全な推論で根拠も脆弱だが、確認せずにはいられない。そのためにはハッタリも張ろう。彼女は断定的に言う。

「チョコレィトさんを殺したのは、『あの方』ですね」

 それくらいの強者でなければ、チョコレィトが負けるとも思えなかった。

「………………そうだ」

 重い沈黙の果て、クリオロが口を割った。ジェラートが息を飲む。
 予想外に見つかった、恩人の仇。少年を救出した興奮も相まってジェラートの体は火照り、それを隠そうとして声が震えた。

「ずいぶん、あっさり白状するじゃないですか」
「チョコレィトを殺したのは『あの方』だ。その復讐をうたうショコラは、目障りだ。だから始末する。その駄賃として、不安定なお前を処分しようとした。それに失敗したから、次に狙うのは、王都に潜伏しているショコラだ」
「またベラベラと……。そんなに話して、あなたになんのメリットがあるんですか」
「わからないか?」

 あまりにつらつらと話すので、逆に疑わしくなってきたジェラートが聞くと、彼女の発言を食うほど素早く、クリオロが返答した。鼻白むジェラートに彼は言う。

「言っておけば、お前も来るだろう」
「はぁ? なんで私が」「人を救けるのが、お前のはずだ」

 彼の黄色い瞳がジェラートの腕の中に向けられる。そこには少年がいる。彼女は、彼を救けるためにクリオロコンディトライを斬ったのだ。
 ジェラートが返答に窮しているうちに、クリオロの役を果たしていた土人形は砂に姿を変えてしまった。
 代わりとばかり、歩み寄る影。

「あーあ、逃しちまいやがった」
「……あなたまで。私の敵は全員ゴキブリですか?」
「やめろよ。あんな気色が悪い奴と一緒にするんじゃねぇ」

 肩を竦めて見せるのは、他でもないフォラステロだった。
 服はズタボロに裂け、至るところ血が滲んではいるものの、ぴんしゃんと立っている。それより、と、彼はジェラートの胸元を指差す。少年が抗議するように胸甲を叩いていた。
 茶化すフォラステロを放っておいて、ジェラートは慌てて少年を解放して平謝りする。彼は顔を赤くしてふてくされてしまった。

「それで?」
「それでと言うのは」
「この後どーすんだよ。今なら、俺も簡単に殺せるぜ」
「なんであなたを殺すんですか」
「いやだって、お前の村に魔獣けしかけたの、俺だぜ?」
「……そういえば、そうでした」

 ジェラートはゆらりと立ち上がる。剣呑な目つきでフォラステロを見定める。言葉通りに満身創痍で、その軽口も虚栄なのだろう。だがそれは、彼も彼の目的のためとはいえ、それだけジェラートに協力してくれたという証でもある。
 フォラステロはおどけた仕草で、答えを促してくる。彼女は遠くに投げ捨てられた仕込み剣を見やった。

「次の機会にしてあげます」
「は? つぎぃ?」
「えぇ。あの剣は私が預かりますから、元気になったら取り返しに来てください。その時に、あなたとは決着をつけます」
「いや、ちょっと待て。俺ぁ別に、あの剣をお前に預けるとは言ってねぇんだが」
「確か、やると言いましたよ」
「いいや、受け取れって言った。あれがねぇと、魔獣を倒せねぇよ」
「そんなの私も同じです。これから、あなたのけしかけた魔獣を殺さなきゃいけないんですよ?」
「いや、でもなぁ」
「それに、女はを握ってた方が似合うって、あなたが言ったじゃないですか」
「それなら別に、俺の下の棒を握らせてやるからよ」
「今すぐ死にますか」

 ネチネチと言い下がり、果てには下世話な冗談を言うフォラステロに、ジェラートは絶対零度の視線を向けた。
 そんなやり取りを、蚊帳の外にされた少年はいじけるのも馬鹿らしくなってじっと聞いていた。そして不意に、ジェラートの手を引く。

「ねぇ、ジェラート」

 ジェラートは即座に愛想笑いを作る。

「ん? なんですか、少年」

 しかし、それがひび割れるのは一瞬だった。

「女は棒を握る方が似合うって、どういうこと?」
「んんっ?!」

 強張った顔のまま、ジェラートは固まる。少年の健全な精神性が保たれるか、汚されるか。その境目に彼女は急に放り出されたのだ。
 隣りで目を点にしていたフォラステロが、堰を切ったように笑い出す。ジェラートがムッとして顔を向ける前に、彼は駆け出していた。

「おう嬢ちゃん。最後に面白いもん見せてもらえたし、その剣はご希望通り、お前に預けてやるよ!」
「んなっ! 当たり前です。むしろ、なんであなたの方が偉そうなんですか!」
「はっはっは。聞こえねぇなぁ!」

 そしてそのまま、エールム・エグゾスキュレに魔力をくべる。少年に手を握られているジェラートは追うことなどできなかった。
 フォラステロは最後に、少年の方は向き直り。

「坊主とは将来、友達って奴になれるかもしれねぇな」
「ろくでもないこと言わないでください!」

 まさに吹き去る突風のように、白いブーロゥの間は消えていった。ぽかんとした少年と、苛立ちのぶつけ先を失ったジェラートが残る。
 しばし今度あったらこうしてやると息巻いていた彼女も、すぐに平静を取り戻した。まだやらなければいけないことがある。
 フォラステロの残していってくれた仕込み剣を、彼女は拾い上げた。

「ねぇ、まだ戦うの?」

 不安げな少年の声。ジェラートは初めて自分の身体を見返す。
 脇腹は衣服ごと裂け、赤々しい傷跡がのぞいている。左肩にあいた胸甲の穴にも、赤黒く血がこびりついていた。フォラステロよりマシとは言え、少年からすればジェラートも充分に重体に見えるのだろう。

「いいですか。少年」

 彼女はなるべく柔らかな声色で、彼を気遣って話す。

「私はクーリ・グラスです。少年も知っているでしょう。みんなのために、いろんな悪いことをやってきた人です。みんなのせいにして、いろんな悪いことをやってきた人です」
「そ、そんなことない! ジェラートは悪い人なんかじゃ」
「少年にそう勘違いさせるくらい、私はちゃんと悪い人をやってしまったんですよ。だから私、償いをしなくちゃいけないんです」

 年若いジェラートですらまだ年上の幼い少年に、彼女の論理を崩すことはできなかった。言い込められて、それでも悔しくて、彼の目尻から涙がにじむ。
 ジェラートは歩み寄り、目の高さを合わせ、その涙を拭った。
 もしこのまま村が魔獣に蹂躙されて、少年が一人だけ残されたなら。きっと彼はまたこの涙を流すだろう。

 それだけは許されなかった。

 自分は『人を救う』のだ。今になっても警鐘を鳴らし続けて、ジェラートを呼び続けている彼らを守るのだ。

「大丈夫です。実は私、とっても強いんですから」

 きっとチョコレィトも、こんな気持ちでジェラートを、その先に見えたショコラを救けたのだから。彼女は少年の頭をぽんぽんとしてから、背中を見せる。
 灰だらけで、しかし迷いの消えた、強い背中だ。
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