上 下
35 / 44

35 緊張と海とばんそうこう

しおりを挟む
 昼飯を済ませ、恭弥たちは出かける支度を始めた。
 歯を磨いていると、ルディもボンも恨めしそうな顔をして、恭弥たちのうしろにたたずんでいる。ふたりが出かけるのを予知したらしい。 
 
「最近外出が多いって、不評なんだよね」
「俺のせいですね……ますますさちこさんに嫌われそう」
「ご機嫌取りの猫缶が増える……」
「で、獣医に叱られる……」

 歯磨きを終え、恭弥はルディとボン両方の頭を撫でた。
 
「ごめんな。そこの飼い主借りてくけど、すぐ帰ってくるから」

 ルディもボンもしわしわの不機嫌顔のまま、小さなおでこを差し出している。
 
「あ、そうそう恭弥くん。毎日だとさすがに蒸れちゃうから、ばんそうこうはお休みにしたらいいよ」

 恭弥は猫を撫でた中腰の状態で固まった。
 
「あ、あ、あんた、よしえさんに聞かれたらどうすんだ」

 アランはにやっと笑った。

「ん? ぼくは別に、恭弥くんがいつもばんそうこうをどこに貼ってるかなんて、一言も言ってないよ?」

 恭弥はかっと赤くなった。アランは恭弥のそばにしゃがみ込むと、うんと小さな声でささやいた。
 
「恥ずかしいとこに貼ってますって、自分で言っちゃったようなもんだね」
「亜蘭さんの馬鹿」

 猫たちをおもちゃで構い、疲れて転がった隙を見計らって、ふたりは外に出た。
 アランに言われた通り、恭弥はシャツの下にばんそうこうをつけていない。四六時中そんなものを胸に貼りつけているのも、考えてみれば変だ。
 久しぶりに保護がなくなって、胸元がすうすうと心もとない。
 
(意識しすぎだ)

 恭弥は自分に言い聞かせた。

「おー、きれいになってる」

 生まれ変わった高級車を目にして、アランは感心している。
 
「俺なんかが運転していいんすかね……て、手垢が」

 あまりに塗装がつやつやなので、恭弥はドアを開けようとした手をひっこめた。

「恭弥くんの手がじいちゃんやぼくより汚いわけないでしょ。今はカフェで料理担当してんだし」
「そうですけど」

 今度手袋を買っておこうと、恭弥は心に誓った。
 
「お邪魔します」

 本物の革に覆われた、立派な運転席が恭弥を迎えた。
 
「すげぇ……運転するやつが貧相すぎて車がかわいそう……」
「まだそんなこと言ってる」

 アランは呆れている。
 
「運転する人がいないと、もっとかわいそうなの」
「放置してた人が言うと説得力がないっすね」

 おそるおそる触って、位置を確かめていく。ハンドルの位置こそ右側だが、工場で使っていた作業車とはやはり使い勝手が違いそうだ。
 
「すいません、慣れないのでちょっと待っててください」
「いいよいいよ、ゆっくりやって」
 
 恭弥はしばらく悪戦苦闘した。ウィンカーとワイパーはレバーの位置が日本車と逆だった。罠だ。
 
「大丈夫そう?」
「はい……たぶん」
 
 車は静かに、そしてなめらかに動き始めた。

「どう?」
「すげぇ緊張してるんで、あんまり話しかけないで……」
「はーい」

 アランは口を尖らせたが、素直に黙った。
 恭弥の緊張をよそに、高級車は涼やかに海辺を走っていく。
 アランは景色を楽しんでいるようだ。が、恭弥にはそんな余裕はなかった。自分のせいでこの高級車が大破したらと思うと、おそろしくてならない。
 
「こ、この辺で一度停めますか。駐車場があるんで」
「いいよ」

 コインパーキングにそっと車を入れ、恭弥はほっと長い息をついた。三十分ほどしか走っていないのに、長旅をしたあとのようだ。
 
「ついた……」

 運転で緊張したのは、免許を取りたてのころ以来だった。
 
「おつかれさま」

 アランはちゅっと恭弥の頬にキスをした。
 
「っ……」

 恭弥の心臓がどくんと跳ねた。
 
「ん、どうした」
「いえ、なんでも……」

(なんだったんだ、今の)

 恭弥は熱い頬を押さえた。運転で緊張したせいだろうか。
 車を出て、浜辺へ降りる。
 
「いい天気」 
「あついっすね」

 まだ海水浴シーズンではないが、サーファーはかなりいる。
 空も海も青い。足元以外に影もない、光と熱の世界だ。ざくざくとスニーカーで砂を踏みながら、ふたりは歩いた。
 
「恭弥くん」

 先を歩いていた恭弥を、うしろからアランが呼んだ。
 恭弥が振り返ると、ぐいっと腕を引かれる。
 気づけばアランの腕の中だ。
 
「へへ、かわいい子捕まえた」

 恭弥は固まったまま、何も言えなくなる。
 
「どうしたの、いつもみたいに抗議しないの? 人が見てる、とか」

 アランは優しく問いかけた。
 
(ど、ど、どうしよう)

 恭弥が黙ったのには訳があった。
 
 ――――ばんそうこうをしていない裸の乳首にシャツが擦れて、変な声が出そうになったのである。
 
(むね、きもち、い)
 
 考えてみれば、さっき頬にキスをされただけで変な反応になったのも、胸の違和感のせいだった。
 まだアランの胸が恭弥の乳首を押し込んでいる。今口を開いたら確実に、喘ぎに近い音声が出る。
 じわり。恭弥の目が潤んでいく。
 
「黙ってるんなら、キスしちゃうよ」

 アランのささやきが、シャツの中で胸の粒を震わせる。

(まずい)

 恭弥は焦った。
 今、キスなんかされたら。
 
(まずいまずいまずい)

 恭弥が焦っているのに気づいているのか、いないのか。アランはやわらかい微笑みを浮かべ、そっと恭弥の顎をとった。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…

月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた… 転生したと気づいてそう思った。 今世は周りの人も優しく友達もできた。 それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。 前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。 前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。 しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。 俺はこの幸せをなくならせたくない。 そう思っていた…

嘘をついて離れようとしたら逆に離れられなくなった話

よしゆき
BL
何でもかんでも世話を焼いてくる幼馴染みから離れようとして好きだと嘘をついたら「俺も好きだった」と言われて恋人になってしまい離れられなくなってしまった話。 爽やか好青年に見せかけたドロドロ執着系攻め×チョロ受け

ヤンデレ執着系イケメンのターゲットな訳ですが

街の頑張り屋さん
BL
執着系イケメンのターゲットな僕がなんとか逃げようとするも逃げられない そんなお話です

俺は完璧な君の唯一の欠点

白兪
BL
進藤海斗は完璧だ。端正な顔立ち、優秀な頭脳、抜群の運動神経。皆から好かれ、敬わられている彼は性格も真っ直ぐだ。 そんな彼にも、唯一の欠点がある。 それは、平凡な俺に依存している事。 平凡な受けがスパダリ攻めに囲われて逃げられなくなっちゃうお話です。

煽られて、衝動。

楽川楽
BL
体の弱い生田を支える幼馴染、室屋に片思いしている梛原。だけどそんな想い人は、いつだって生田のことで頭がいっぱいだ。 少しでも近くにいられればそれでいいと、そう思っていたのに…気持ちはどんどん貪欲になってしまい、友人である生田のことさえ傷つけてしまいそうになって…。 ※ 超正統派イケメン×ウルトラ平凡

オメガに転化したアルファ騎士は王の寵愛に戸惑う

hina
BL
国王を護るαの護衛騎士ルカは最近続く体調不良に悩まされていた。 それはビッチングによるものだった。 幼い頃から共に育ってきたαの国王イゼフといつからか身体の関係を持っていたが、それが原因とは思ってもみなかった。 国王から寵愛され戸惑うルカの行方は。 ※不定期更新になります。

心配性の恋人

よしゆき
BL
心配性の受けと豹変する攻めのアホエロ。

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

処理中です...