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35 緊張と海とばんそうこう
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昼飯を済ませ、恭弥たちは出かける支度を始めた。
歯を磨いていると、ルディもボンも恨めしそうな顔をして、恭弥たちのうしろにたたずんでいる。ふたりが出かけるのを予知したらしい。
「最近外出が多いって、不評なんだよね」
「俺のせいですね……ますますさちこさんに嫌われそう」
「ご機嫌取りの猫缶が増える……」
「で、獣医に叱られる……」
歯磨きを終え、恭弥はルディとボン両方の頭を撫でた。
「ごめんな。そこの飼い主借りてくけど、すぐ帰ってくるから」
ルディもボンもしわしわの不機嫌顔のまま、小さなおでこを差し出している。
「あ、そうそう恭弥くん。毎日だとさすがに蒸れちゃうから、ばんそうこうはお休みにしたらいいよ」
恭弥は猫を撫でた中腰の状態で固まった。
「あ、あ、あんた、よしえさんに聞かれたらどうすんだ」
アランはにやっと笑った。
「ん? ぼくは別に、恭弥くんがいつもばんそうこうをどこに貼ってるかなんて、一言も言ってないよ?」
恭弥はかっと赤くなった。アランは恭弥のそばにしゃがみ込むと、うんと小さな声でささやいた。
「恥ずかしいとこに貼ってますって、自分で言っちゃったようなもんだね」
「亜蘭さんの馬鹿」
猫たちをおもちゃで構い、疲れて転がった隙を見計らって、ふたりは外に出た。
アランに言われた通り、恭弥はシャツの下にばんそうこうをつけていない。四六時中そんなものを胸に貼りつけているのも、考えてみれば変だ。
久しぶりに保護がなくなって、胸元がすうすうと心もとない。
(意識しすぎだ)
恭弥は自分に言い聞かせた。
「おー、きれいになってる」
生まれ変わった高級車を目にして、アランは感心している。
「俺なんかが運転していいんすかね……て、手垢が」
あまりに塗装がつやつやなので、恭弥はドアを開けようとした手をひっこめた。
「恭弥くんの手がじいちゃんやぼくより汚いわけないでしょ。今はカフェで料理担当してんだし」
「そうですけど」
今度手袋を買っておこうと、恭弥は心に誓った。
「お邪魔します」
本物の革に覆われた、立派な運転席が恭弥を迎えた。
「すげぇ……運転するやつが貧相すぎて車がかわいそう……」
「まだそんなこと言ってる」
アランは呆れている。
「運転する人がいないと、もっとかわいそうなの」
「放置してた人が言うと説得力がないっすね」
おそるおそる触って、位置を確かめていく。ハンドルの位置こそ右側だが、工場で使っていた作業車とはやはり使い勝手が違いそうだ。
「すいません、慣れないのでちょっと待っててください」
「いいよいいよ、ゆっくりやって」
恭弥はしばらく悪戦苦闘した。ウィンカーとワイパーはレバーの位置が日本車と逆だった。罠だ。
「大丈夫そう?」
「はい……たぶん」
車は静かに、そしてなめらかに動き始めた。
「どう?」
「すげぇ緊張してるんで、あんまり話しかけないで……」
「はーい」
アランは口を尖らせたが、素直に黙った。
恭弥の緊張をよそに、高級車は涼やかに海辺を走っていく。
アランは景色を楽しんでいるようだ。が、恭弥にはそんな余裕はなかった。自分のせいでこの高級車が大破したらと思うと、おそろしくてならない。
「こ、この辺で一度停めますか。駐車場があるんで」
「いいよ」
コインパーキングにそっと車を入れ、恭弥はほっと長い息をついた。三十分ほどしか走っていないのに、長旅をしたあとのようだ。
「ついた……」
運転で緊張したのは、免許を取りたてのころ以来だった。
「おつかれさま」
アランはちゅっと恭弥の頬にキスをした。
「っ……」
恭弥の心臓がどくんと跳ねた。
「ん、どうした」
「いえ、なんでも……」
(なんだったんだ、今の)
恭弥は熱い頬を押さえた。運転で緊張したせいだろうか。
車を出て、浜辺へ降りる。
「いい天気」
「あついっすね」
まだ海水浴シーズンではないが、サーファーはかなりいる。
空も海も青い。足元以外に影もない、光と熱の世界だ。ざくざくとスニーカーで砂を踏みながら、ふたりは歩いた。
「恭弥くん」
先を歩いていた恭弥を、うしろからアランが呼んだ。
恭弥が振り返ると、ぐいっと腕を引かれる。
気づけばアランの腕の中だ。
「へへ、かわいい子捕まえた」
恭弥は固まったまま、何も言えなくなる。
「どうしたの、いつもみたいに抗議しないの? 人が見てる、とか」
アランは優しく問いかけた。
(ど、ど、どうしよう)
恭弥が黙ったのには訳があった。
――――ばんそうこうをしていない裸の乳首にシャツが擦れて、変な声が出そうになったのである。
(むね、きもち、い)
考えてみれば、さっき頬にキスをされただけで変な反応になったのも、胸の違和感のせいだった。
まだアランの胸が恭弥の乳首を押し込んでいる。今口を開いたら確実に、喘ぎに近い音声が出る。
じわり。恭弥の目が潤んでいく。
「黙ってるんなら、キスしちゃうよ」
アランのささやきが、シャツの中で胸の粒を震わせる。
(まずい)
恭弥は焦った。
今、キスなんかされたら。
(まずいまずいまずい)
恭弥が焦っているのに気づいているのか、いないのか。アランはやわらかい微笑みを浮かべ、そっと恭弥の顎をとった。
歯を磨いていると、ルディもボンも恨めしそうな顔をして、恭弥たちのうしろにたたずんでいる。ふたりが出かけるのを予知したらしい。
「最近外出が多いって、不評なんだよね」
「俺のせいですね……ますますさちこさんに嫌われそう」
「ご機嫌取りの猫缶が増える……」
「で、獣医に叱られる……」
歯磨きを終え、恭弥はルディとボン両方の頭を撫でた。
「ごめんな。そこの飼い主借りてくけど、すぐ帰ってくるから」
ルディもボンもしわしわの不機嫌顔のまま、小さなおでこを差し出している。
「あ、そうそう恭弥くん。毎日だとさすがに蒸れちゃうから、ばんそうこうはお休みにしたらいいよ」
恭弥は猫を撫でた中腰の状態で固まった。
「あ、あ、あんた、よしえさんに聞かれたらどうすんだ」
アランはにやっと笑った。
「ん? ぼくは別に、恭弥くんがいつもばんそうこうをどこに貼ってるかなんて、一言も言ってないよ?」
恭弥はかっと赤くなった。アランは恭弥のそばにしゃがみ込むと、うんと小さな声でささやいた。
「恥ずかしいとこに貼ってますって、自分で言っちゃったようなもんだね」
「亜蘭さんの馬鹿」
猫たちをおもちゃで構い、疲れて転がった隙を見計らって、ふたりは外に出た。
アランに言われた通り、恭弥はシャツの下にばんそうこうをつけていない。四六時中そんなものを胸に貼りつけているのも、考えてみれば変だ。
久しぶりに保護がなくなって、胸元がすうすうと心もとない。
(意識しすぎだ)
恭弥は自分に言い聞かせた。
「おー、きれいになってる」
生まれ変わった高級車を目にして、アランは感心している。
「俺なんかが運転していいんすかね……て、手垢が」
あまりに塗装がつやつやなので、恭弥はドアを開けようとした手をひっこめた。
「恭弥くんの手がじいちゃんやぼくより汚いわけないでしょ。今はカフェで料理担当してんだし」
「そうですけど」
今度手袋を買っておこうと、恭弥は心に誓った。
「お邪魔します」
本物の革に覆われた、立派な運転席が恭弥を迎えた。
「すげぇ……運転するやつが貧相すぎて車がかわいそう……」
「まだそんなこと言ってる」
アランは呆れている。
「運転する人がいないと、もっとかわいそうなの」
「放置してた人が言うと説得力がないっすね」
おそるおそる触って、位置を確かめていく。ハンドルの位置こそ右側だが、工場で使っていた作業車とはやはり使い勝手が違いそうだ。
「すいません、慣れないのでちょっと待っててください」
「いいよいいよ、ゆっくりやって」
恭弥はしばらく悪戦苦闘した。ウィンカーとワイパーはレバーの位置が日本車と逆だった。罠だ。
「大丈夫そう?」
「はい……たぶん」
車は静かに、そしてなめらかに動き始めた。
「どう?」
「すげぇ緊張してるんで、あんまり話しかけないで……」
「はーい」
アランは口を尖らせたが、素直に黙った。
恭弥の緊張をよそに、高級車は涼やかに海辺を走っていく。
アランは景色を楽しんでいるようだ。が、恭弥にはそんな余裕はなかった。自分のせいでこの高級車が大破したらと思うと、おそろしくてならない。
「こ、この辺で一度停めますか。駐車場があるんで」
「いいよ」
コインパーキングにそっと車を入れ、恭弥はほっと長い息をついた。三十分ほどしか走っていないのに、長旅をしたあとのようだ。
「ついた……」
運転で緊張したのは、免許を取りたてのころ以来だった。
「おつかれさま」
アランはちゅっと恭弥の頬にキスをした。
「っ……」
恭弥の心臓がどくんと跳ねた。
「ん、どうした」
「いえ、なんでも……」
(なんだったんだ、今の)
恭弥は熱い頬を押さえた。運転で緊張したせいだろうか。
車を出て、浜辺へ降りる。
「いい天気」
「あついっすね」
まだ海水浴シーズンではないが、サーファーはかなりいる。
空も海も青い。足元以外に影もない、光と熱の世界だ。ざくざくとスニーカーで砂を踏みながら、ふたりは歩いた。
「恭弥くん」
先を歩いていた恭弥を、うしろからアランが呼んだ。
恭弥が振り返ると、ぐいっと腕を引かれる。
気づけばアランの腕の中だ。
「へへ、かわいい子捕まえた」
恭弥は固まったまま、何も言えなくなる。
「どうしたの、いつもみたいに抗議しないの? 人が見てる、とか」
アランは優しく問いかけた。
(ど、ど、どうしよう)
恭弥が黙ったのには訳があった。
――――ばんそうこうをしていない裸の乳首にシャツが擦れて、変な声が出そうになったのである。
(むね、きもち、い)
考えてみれば、さっき頬にキスをされただけで変な反応になったのも、胸の違和感のせいだった。
まだアランの胸が恭弥の乳首を押し込んでいる。今口を開いたら確実に、喘ぎに近い音声が出る。
じわり。恭弥の目が潤んでいく。
「黙ってるんなら、キスしちゃうよ」
アランのささやきが、シャツの中で胸の粒を震わせる。
(まずい)
恭弥は焦った。
今、キスなんかされたら。
(まずいまずいまずい)
恭弥が焦っているのに気づいているのか、いないのか。アランはやわらかい微笑みを浮かべ、そっと恭弥の顎をとった。
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