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33 休日と車
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恭弥が新しい仕事を始めて一週間が経った。土日の猛烈な忙しさを耐え、月曜を越すと、定休日の火曜がやってきた。
「お休みの贅沢」
アランは朝まで恭弥を離さなかった。一階の部屋で布団に転がり、恭弥の裸の肩を抱いている。ちなみに、猫たちの世話は(全裸で)済ませたあとだ。
満腹になった雄猫たちは布団のへりやら、アランの脚のうえやらに陣取って、思い思いのねじれ具合で寝ている。さちこさんはいつも通り二階だ。
「俺の身体が休まらないんですけど」
一晩中しつこく丁寧に抱かれたせいで、恭弥の喉はすっかりと嗄れている。
「だって恭弥くんがお店に出てる間は会えなくて寂しいんだもん」
「あんた、ほとんど毎日ご来店してるじゃないですか」
恭弥は呆れた。
「サボがうるさいから、店内じゃいちゃつけないでしょ。独占させてよ」
そっと髪を撫でられると、恭弥も悪い気はしない。
「……はい、どうぞ」
恭弥はアランに抱きついた。
「かわいい」
ふに、とアランの指が恭弥の頬に埋まった。
「ねえ、恭弥くんのせいだよ。またしたくなってきちゃった」
「それは無理」
「けち」
アランは口をとがらせている。
「まあ、今日はよしえさんが来るから、あんまりだらだら朝寝してられないんだけどね。……今度から来る曜日、変えてもらおうかな」
アランはぼそりと付け足した。
「俺だってよしえさんの飯、食いたいんで。店のまかないもうまいけど」
「そんなのあるの? ぼく、サボに食わしてもらったことない」
「そりゃ、まかないですもん」
従業員の昼ごはんは、店で余った具材で作った炒めごはんやサンドイッチだ。サボの妻自慢のレシピではあるが、ふつう客に出すものではない。
「ああ、でもあれなら家でもできるか。今度作りましょうか」
まかないづくりは恭弥が担当することも多かった。
「作って作って。わあ、楽しみ。恭弥くんの手作りごはん」
アランは無邪気にはしゃいでいる。
(子どもみてぇ)
恭弥は目を細めた。
「そうそう。車の修理が終わったらしいよ。昨日電話があった。今日の午前中に戻ってくるから、午後は試しにドライブしない?」
「いいですよ。どこに行きます?」
「どこでもいいや。恭弥くんがいるとこなら」
アランはさらりと髪を撫でてくる。
「じゃあ、近場で。猫たちに長いお留守番させるのもかわいそうだし」
「なら葉山で海見て、夕飯食べて帰ってこようか」
「いいっすね。……あんまり高い店はダメですけど」
「はいはい」
ボンがうーんと伸びをして、恭弥の脚に尻をくっつけた。
(幸せすぎて、なんか怖ぇな)
アランの腕に抱かれて、恭弥は思う。
つり合いが取れないといえばいいだろうか。自分がアランに払っている以上のものを、アランから受け取っている気がして、恭弥はいまだに少しこわくなる。
「あと三十分で家政婦さんが来ますよ。服、着ておきましょう」
時計を見て、恭弥は言った。
「もうちょっとこうしてたい」
「ダメです。猫たちと違って、よしえさんに全裸で会うわけにはいかないんですからね」
ちょうど着替えが終わったところで、呼び鈴が鳴った。
「ほら、いつもより早いじゃないですか、よしえさん」
「ほんとだ。危ない。……はあい、今開けます」
恭弥もすることがなかったので、アランの後について玄関に行った。
アランが扉を開けると、そこにいたのは家政婦ではなく、作業服の中年男性だった。
「おはようございます。少し予定より早く着いてしまい申し訳ございません。修理が終わりましたので、お車のお届けに参りました」
自動車整備工場の人のようだ。
「ああ、ご苦労様です」
「一度現物を見ていただいて、問題なければこれで作業完了ということで」
アランは恭弥の方を振り返った。
「ぼくは車のことわかんないから、恭弥くん、行って見てあげて」
「わかりました。といっても、俺もあんまりわかんないすけど」
恭弥は整備工のあとをついて行った。家の裏手にまわると、車が何台か停められる大きさの駐車場があった。
そこに停まっている車を見て、恭弥は唖然とした。
「うわ……」
漆黒の車体。重厚で美しいフォルム。恭弥でも知っている有名なエンブレムが、朝日の中で堂々と輝いている。
絵に描いたような高級外国車がそこにあった。
「こんなすげぇの、雨ざらしにしてんじゃねぇよ」
恭弥は思わずつぶやいた。中年の整備工は苦笑した。
「おっしゃる通りです。まあ、カバーはありましたし、思ったより状態は悪くありませんでしたが」
「しゅ、修理代って、おいくら」
整備工は困った顔をした。
「や、えっと。申し訳ないですが、私の口からは。ご依頼主様に直接訊いていただければ」
「あっ、はい、すいません」
「失礼ですが、ご依頼主様のご家族の方で?」
「同居人です」
「そうでしたか」
整備工は恭弥に同情したのか、手を口にあてて声を潜めた。
「まあ、ここだけのお話ですけど、国産車なら新車が十分買えてしまうとだけ」
「ひっ」
恭弥は怯えた。実際の金額がいくらか、想像するのも恐ろしい。
「もちろんお見積りの際、ご依頼主様にもそう説明したんですが」
「でしょうね……」
「もちろん、こちらのメーカーの新車を買うとなると、もっとお値段が」
「わかります、わかります」
ぼったくりを疑っているわけではないと、恭弥はあわてて両手を振った。
「では修理箇所各部のご説明を」
恭弥は半分上の空だった。
アランに払わなければならないものが、知らない間に急激に増額されてしまっていたからだ。
説明が終わると、ボンネットを下げ、整備工は目を細めた。
「先代の霜山様は車がお好きで、いつもごひいきにしていただいていました。こちらも手入れすればまだまだ走るので、ぜひ大切にしてあげてください」
「あ、はい……」
ずしん。目に見えない重圧が、恭弥の肩に乗った気がした。
「お休みの贅沢」
アランは朝まで恭弥を離さなかった。一階の部屋で布団に転がり、恭弥の裸の肩を抱いている。ちなみに、猫たちの世話は(全裸で)済ませたあとだ。
満腹になった雄猫たちは布団のへりやら、アランの脚のうえやらに陣取って、思い思いのねじれ具合で寝ている。さちこさんはいつも通り二階だ。
「俺の身体が休まらないんですけど」
一晩中しつこく丁寧に抱かれたせいで、恭弥の喉はすっかりと嗄れている。
「だって恭弥くんがお店に出てる間は会えなくて寂しいんだもん」
「あんた、ほとんど毎日ご来店してるじゃないですか」
恭弥は呆れた。
「サボがうるさいから、店内じゃいちゃつけないでしょ。独占させてよ」
そっと髪を撫でられると、恭弥も悪い気はしない。
「……はい、どうぞ」
恭弥はアランに抱きついた。
「かわいい」
ふに、とアランの指が恭弥の頬に埋まった。
「ねえ、恭弥くんのせいだよ。またしたくなってきちゃった」
「それは無理」
「けち」
アランは口をとがらせている。
「まあ、今日はよしえさんが来るから、あんまりだらだら朝寝してられないんだけどね。……今度から来る曜日、変えてもらおうかな」
アランはぼそりと付け足した。
「俺だってよしえさんの飯、食いたいんで。店のまかないもうまいけど」
「そんなのあるの? ぼく、サボに食わしてもらったことない」
「そりゃ、まかないですもん」
従業員の昼ごはんは、店で余った具材で作った炒めごはんやサンドイッチだ。サボの妻自慢のレシピではあるが、ふつう客に出すものではない。
「ああ、でもあれなら家でもできるか。今度作りましょうか」
まかないづくりは恭弥が担当することも多かった。
「作って作って。わあ、楽しみ。恭弥くんの手作りごはん」
アランは無邪気にはしゃいでいる。
(子どもみてぇ)
恭弥は目を細めた。
「そうそう。車の修理が終わったらしいよ。昨日電話があった。今日の午前中に戻ってくるから、午後は試しにドライブしない?」
「いいですよ。どこに行きます?」
「どこでもいいや。恭弥くんがいるとこなら」
アランはさらりと髪を撫でてくる。
「じゃあ、近場で。猫たちに長いお留守番させるのもかわいそうだし」
「なら葉山で海見て、夕飯食べて帰ってこようか」
「いいっすね。……あんまり高い店はダメですけど」
「はいはい」
ボンがうーんと伸びをして、恭弥の脚に尻をくっつけた。
(幸せすぎて、なんか怖ぇな)
アランの腕に抱かれて、恭弥は思う。
つり合いが取れないといえばいいだろうか。自分がアランに払っている以上のものを、アランから受け取っている気がして、恭弥はいまだに少しこわくなる。
「あと三十分で家政婦さんが来ますよ。服、着ておきましょう」
時計を見て、恭弥は言った。
「もうちょっとこうしてたい」
「ダメです。猫たちと違って、よしえさんに全裸で会うわけにはいかないんですからね」
ちょうど着替えが終わったところで、呼び鈴が鳴った。
「ほら、いつもより早いじゃないですか、よしえさん」
「ほんとだ。危ない。……はあい、今開けます」
恭弥もすることがなかったので、アランの後について玄関に行った。
アランが扉を開けると、そこにいたのは家政婦ではなく、作業服の中年男性だった。
「おはようございます。少し予定より早く着いてしまい申し訳ございません。修理が終わりましたので、お車のお届けに参りました」
自動車整備工場の人のようだ。
「ああ、ご苦労様です」
「一度現物を見ていただいて、問題なければこれで作業完了ということで」
アランは恭弥の方を振り返った。
「ぼくは車のことわかんないから、恭弥くん、行って見てあげて」
「わかりました。といっても、俺もあんまりわかんないすけど」
恭弥は整備工のあとをついて行った。家の裏手にまわると、車が何台か停められる大きさの駐車場があった。
そこに停まっている車を見て、恭弥は唖然とした。
「うわ……」
漆黒の車体。重厚で美しいフォルム。恭弥でも知っている有名なエンブレムが、朝日の中で堂々と輝いている。
絵に描いたような高級外国車がそこにあった。
「こんなすげぇの、雨ざらしにしてんじゃねぇよ」
恭弥は思わずつぶやいた。中年の整備工は苦笑した。
「おっしゃる通りです。まあ、カバーはありましたし、思ったより状態は悪くありませんでしたが」
「しゅ、修理代って、おいくら」
整備工は困った顔をした。
「や、えっと。申し訳ないですが、私の口からは。ご依頼主様に直接訊いていただければ」
「あっ、はい、すいません」
「失礼ですが、ご依頼主様のご家族の方で?」
「同居人です」
「そうでしたか」
整備工は恭弥に同情したのか、手を口にあてて声を潜めた。
「まあ、ここだけのお話ですけど、国産車なら新車が十分買えてしまうとだけ」
「ひっ」
恭弥は怯えた。実際の金額がいくらか、想像するのも恐ろしい。
「もちろんお見積りの際、ご依頼主様にもそう説明したんですが」
「でしょうね……」
「もちろん、こちらのメーカーの新車を買うとなると、もっとお値段が」
「わかります、わかります」
ぼったくりを疑っているわけではないと、恭弥はあわてて両手を振った。
「では修理箇所各部のご説明を」
恭弥は半分上の空だった。
アランに払わなければならないものが、知らない間に急激に増額されてしまっていたからだ。
説明が終わると、ボンネットを下げ、整備工は目を細めた。
「先代の霜山様は車がお好きで、いつもごひいきにしていただいていました。こちらも手入れすればまだまだ走るので、ぜひ大切にしてあげてください」
「あ、はい……」
ずしん。目に見えない重圧が、恭弥の肩に乗った気がした。
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