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29 誰とも違う

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 サボの妻から教わった通りにコーヒーを淹れ、客席に向かう。

「お待たせいたしました」

 恭弥はアランの座る窓際の席へ行くと、ソーサーとカップをテーブルに置いた。
 
「あと、すいません。付き合ってるのバレました」

 恭弥は暗い顔でアランに耳打ちした。
 アランは苦笑している。
 
「バレるも何も、恥ずかしがって隠そうとしてたのは恭弥くんの方じゃない。最初からぼくは隠してない」

 サボも戻ってきて雑談モードに入る。

「そうそう、てっきり冗談かと思い込んだ俺が悪い。や、だってさぁ」

 恭弥は固唾を飲んで、サボの言葉を待った。『だって』の先に何が続くんだろう。
 恭弥と付き合っているというのが冗談だと思う、理由。
 昔の恋人のことと、何か関係があるんだろうか――――

「――――お前いっつもその手の冗談言ってるくせに、本気で誰かと付き合ってんの見たことねぇんだもん」
「は?」

 恭弥はぽかんと口を開けた。
 待ってくれ。
 前の恋人に似ているという話はどうした。俺は誰かの代わりじゃなかったのか。
 恭弥は混乱している。

「恭弥くんは特別。ぼくが出会った誰とも違う」

 アランは恭弥の手を握って顔を見上げた。優しく微笑んで、じっと瞳を覗き込んでくる。
 恭弥の心臓がどきりと鳴る。
 
(誰かのかわりじゃ、ない……? 最初のあれは、ただの冗談……?)

 信じられない気持ちだった。
 
(なら、なんで俺なんか……)

「……ま、まあ、それならいいんだけどな。うん」

 サボの言い方に少しだけ引っかかるものを感じたが、気のせいだろうか。
 アランはにっと笑った。

「ってことで、かわいい恋人が退勤するまで、ここで待たせてもらうから。暗い中ひとりで帰すなんて心配だもん」

 恭弥はつい言い返した。

「女の子だって帰宅が七時なら遅くない方ですよ」
「恭弥くんかわいいから、ぼくみたいな悪いお兄さんに攫われる」

 サボがぽんぽんと手を叩いた。

「はいはい、いっしょに帰るのはいいけど、客席でいちゃつくのはそのへんにしてもらおうか。ほかのお客様もいるんだぞ」

 たしかにまわりの客は恭弥たちのやりとりをちらちらと見ている。

「すみません……」

 恭弥はしゅんと反省した。サボは笑った。

「違う違う、俺は霜山に言ってるんだ。霜山がこれ以上調子に乗る前に、お前は持ち場に戻った方がいいぞ」
「恭弥くん、あとでね」

 アランはちゅっと投げキッスした。

「お客様ぁ?」
「わかったわかった」

 じゃれあうアランとその友人を残して、恭弥は厨房に急いで戻った。
 恭弥はそれから閉店まで忙しく働いた。アランをかまっている暇はなかった。
 店がすっかり片付いた後、サボの妻は店のドアに鍵をかけ、従業員たちに笑顔を向けた。

「今日の業務はこれで終了です。みんな、お疲れ様」

 アランも客席を追われ、今はサボの隣にしれっとたたずんでいる。知らない人が見たら、アランもスタッフだと勘違いしそうな馴染み方だ。

「お疲れ様でした」

 恭弥を含む従業員たちは頭を下げ、それぞれ帰路についた。

「初仕事、お疲れ。帰ろっか、恭弥くん」

 アランは恭弥の隣についた。

「えっと、はい」

 サボがにやにやと自分たちを見ている。恭弥は気まずくなった。
 アランはわざと恭弥の肩を抱いて、サボに手を振った。
 
「ちょっと、そういうのほんと恥ずかしいんで……先輩たちにも知られちゃってんですよ、俺らのこと」
「でも、あらかじめ牽制しとかないと。恭弥くんはぼくのです!って」

(そんなことしなくたって俺はあんたのなのに)
 
 アランと触れ合ったところから、勝手に身体が熱くなってくる。

「……あ、もしかしてぼくのせいで、お店での居心地が悪くなっちゃったとか? そしたら悪いことしたかな」

 アランは少し自信がなくなった様子で、肩から手を離した。
 
(ちょっと反省してるっぽいな。かわいいとこ、あるんじゃん)

 恭弥は微笑んだ。

「いえ、そんなことは。先輩たちより俺の方がずっと年上なもんで、逆に気を遣われてしまった感じで申し訳なかったです」

 大家であり、常連客でもある男と付き合っているなんて、ふつうならもっとひそひそされていそうだ。
 しかし、先輩たちも恭弥が不遇だったことを聞かされているようだった。変わった境遇の年上の後輩として、少し困惑しながらも受け入れようとしている雰囲気だ。

「馴染めそう?」
「はい、たぶん」
「なら、よかった」

(心配してくれてんだ)

 恭弥の胸にいとおしさが広がった。

「サボの奥さんもねぇ、恭弥くんのこと気に入ってたよ。飲み込みが早い、調理未経験にしては手先が利くって」
「ほんとですか」

 恭弥は喜びをかみしめた。前職が手先を使う仕事でよかった。
 
「そのうち製菓も教えたいってさ。帰りが遅くなるなぁ、嫌だなぁ」
「俺、がんばります」 

 ぼやくアランをよそに、恭弥は決意に満ちていた。



 家に着き、洗面所で恭弥が手を洗っていると、アランがうしろから抱きついてきた。
 
「わ、なんです急に」

 アランは腕を伸ばして、恭弥のかわりに蛇口を締めた。この男、恭弥がどぎまぎするのをわかってやっていそうだ。

「ん? お風呂の前に、ちょっと確認?」

 恭弥が身構える隙もなかった。
 ぺろん、とペールブルーのシャツを持ち上げられる。
 一日中シャツの下に隠していた胸が、簡単に剥き出しにされてしまった。
 恭弥の平らな胸には当然、ばんそうこうがふたつ貼り付いている。
 
「あ」

 鏡の中のアランと目が合った。アランの目が三日月のかたちに細くなる。
 
「ちゃんと胸にばんそうこう、してたんだ。えらいなぁ」

 アランは恭弥の胸を、ばんそうこうの上からするりと触った。

「剥がしてあげる」
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