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28 朝の悪魔たち

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 次に恭弥が目を覚ましたのは明け方だった。障子の向こうがうっすらと明るくなっていた。
 何か重くてあたたかいものが、恭弥のふくらはぎに接している。
 
(亜蘭さんの脚……にしてはやわらけぇ)

 もぞもぞと脚で感触をたしかめていると、足の親指になにやら鋭利なものが軽く刺さった。
 
「いて」
 
 何かはふっと離れた。
 なんだろう。恭弥は身体を起こした。
 
「あ」

 ボンだった。
 『ボンは深夜に足の親指を咬む』というアランからの情報を、恭弥はぼんやりと思い出した。
 ボンはこちらに茶色い背中を向けて座っている。しっぽをびたん、びたんと床に打ち付けているが、蹴られて怒っているのだろうか。
 
「ごめん」

 恭弥は小声で詫びた。ボンはしっぽをもう一度、びしりと打ち付けて答えた。
 襖が少し開いている。どうやらそこから入ってきたようだ。アランが開けてあげたんだろうか。
 恭弥はアランの方を見た。アランは恭弥に腕枕を貸したかたちのまま、布団から大幅にはみ出して仰向けになっている。
 その顔の上に、なにか毛むくじゃらの塊が覆いかぶさっているのに、恭弥は気づいた。
 
(なんか、顔に、乗ってる……?)
 
 恭弥は一瞬どきりとした。ホラー的な何かだと思ったのだ。
 しかしよく見ると、その塊には猫の耳が生えていた。
 パジャマを着たアランの胸に座って、それは口を覆うように顎を預けている。耳を澄ますと、ごろごろと喉を鳴らす音が聞こえた。
 
「るでぃ……ぐる、じい」

 毛の下で、アランは呻いている。

(だろうな)

と恭弥は思った。
 
「なあご、なあご」
 
 廊下の外で、低く野太い声がしはじめた。さちこさんが腹を空かせて鳴いているようだ。たしかにこの声量で鳴かれていては、飼い主は寝ていられないだろう。
 ボンも立ち上がって伸びをすると、アランの方へのしのしと歩いていく。
 そして迷うこともなく、かぷ、と足の親指に歯を立てる。
 三匹総出の嫌がらせだ。

「痛い、わかったよもう……降参、降参」

 アランがルディを押しのけ、起き上がった。
 
「おはようございます。毎朝大変っすね」

 恭弥は思わずにやにやしていた。

「おはよ。見てたなら助けてよ」

 アランは大あくびした。
 
「や、せっかく甘えてるのに邪魔しちゃ悪いかと」
「ふうん。悪い子」

 アランは横目で恭弥を見る。
 ぱたん。次の瞬間、恭弥は布団に押し倒されていた。
 天井を背景に、アランが恭弥をにやにやと見下ろしている。
 
「な、えっ」

 恭弥は目を白黒させた。

「前にも言っただろう。朝はちゃんと着てって」

 恭弥は言われて初めて、自分がまだ裸だということを思い出した。
 
「無防備にしてる子は、食べられちゃっても仕方ないんだぞ」

 恭弥はごくりと唾を飲んだ。朝の身体は簡単に熱くなる。
 
「だ、だめ、俺、しごと」
「まだ四時半だよ。一回ぐらい平気だって」

 恭弥の理性はぐらぐらと揺らいだ。

「恭弥くん。しよ?」

 アランのきれいな指が、つうっと恭弥の裸の胸を這った。

「……い、一回、だけ、なら……」
 
 すっかり流されて、恭弥は言いかけた。が、恭弥が言い終える前に、
 
「なーごおぉぉぉ!」

さちこさんの野太い声が廊下に鳴り響いた。
 恭弥は思わず首をすくめた。さすが女王、迫力が違う。
 かと思えば、
 
「ふぎゃ」
 
恭弥の腹を、ルディの四つ足がどすどすと横断していく。
 
「いでえ゛」
 
 軽くはないルディの体重が、猫足の接地面という、ごく小さな面積に集中して乗る。
 爪を出してはいないとはいえ、性欲を忘れる程度には、痛い。
 ルディは恭弥の腹の上をわざわざ往復しながら、アランの顎に頭突きをくらわせている。

「あー。はいはい、ごはんね。わかってるよ。……ちぇ。おあずけだ。助かったね恭弥くん」

 アランは残念そうに言って、台所へ行ってしまった。そのあとを二匹の猫が足早に追いかけていく。
 
「猫、ひでえ」
 
 恭弥は腹をおさえて転がった。
 
 
 
 着替えをして、猫たちの世話を手伝ったあと、恭弥は朝食をとった。家政婦は恭弥のために気を利かして、朝食用のスープを何食分か冷凍しておいてくれた。
 アランはボウルいっぱいのカフェオレを啜って、クッキーをつまんでいる。
 
「そのシャツ、似合ってる。さすがぼく」

 恭弥はこの日、アランが内緒で買ってくれた方のシャツを着ていた。たしかに鏡の前で合わせたとき、淡いブルーが恭弥の顔色を多少ましに見せてくれた気がした。
 
「はあ、ありがとうございます」
「で? その下、ばんそうこう貼った?」

 アランはにやにやしている。恭弥はスプーンを咥えて赤面した。

「……セクハラ」
「心外だな。ぼくは純粋に心配しているだけさ」

 アランはうそくさく言った。
 
「あとぼくはもう、恭弥くんの彼氏なので。他人じゃないので」
「そうですけど」
 
 ちゃんと貼ってあるとは、恥ずかしくてとても言えなかった。

 
 アランが店に来たのは午後だった。
 「お前の客だから」とサボに背中を押され、恭弥はアランに水を出した。
 
「いらっしゃいませ」
「いいねぇ、エプロン姿」

 もともと笑顔を作るのは下手な方だが、相手がアランだと気まずくて、もっとぎこちなくなる。

「どう、恭弥くん。サボにいじめられてない?」
「おい、俺がそんな面倒なことするわけないだろ。怠ける専門だぞ俺は」
「優しい店長です」
「ほらぁ」
 
 サボは胸を張っている。

「自転車借りちゃいましたけど、亜蘭さんは歩いてきたんですか」
「レッカー車に乗せてもらったの」
「レッカー車」

 恭弥は思わず声をひっくり返した。

「そう。あの古い車、やっぱり直しておこうかなぁと思ってね。業者さんに持って行ってもらった。ついでにここまで乗せてってって頼んだわけ」
「お前ときどき厚かましいよな」

 サボが呆れている。

「じいちゃんが懇意にしてた、近所の業者さんだから」
「じじいの七光り」
「ぐうの音も出ないね」

 恭弥はメニューを置いてそそくさと厨房に戻った。あとはサボが構ってくれそうだと判断したのだ。
 だがサボはすぐに戻ってきてしまった。
 
「俺のしけたツラより、霜山はお前のことを見てたいってさ」
「え」
「彼氏がお待ちかねだ。注文はいつも通り、本日のコーヒー。早く持って行ってやれ」

 どんと背中を叩かれ、恭弥は真っ赤になった。
 
「あ、あの人、余計なこと……」

 恭弥は思わずつぶやいていた。
 サボはきょとんとした。

「え、霜山のアレ、冗談じゃなかったの?」
「あ」

 恭弥は自分が墓穴を掘ったことに気づいた。
 
「や、まじでお前ら付き合ってんの? え? あ、そう……」

 サボは困惑しているようだった。 
 恭弥は何も言えなかった。顔から火が出そうだった。
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