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22 坊ちゃまと照れ屋

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 昼飯はよしえの手料理だった。蒸し暑い日だったから、梅干しと蒸しささみの入った冷たいうどんはありがたかった。
 
「うめぇ」
  
 恭弥はぼそりとつぶやいた。恭弥にはあまり味がわからないが、丁寧に作られている感じがする。
 
「あ、やっぱりわかる? よしえさん、料理上手だから」

 アランはうれしそうだ。

「よしえさんはね、じいちゃんちの家政婦さんだったんだよ。じいちゃんが死んじゃって、東京の家はマンションに建て替えになっちゃったから、こっちに来てもらったの。通うの大変だから、毎日じゃないけど」

(やっぱりタダモノじゃないんだ……)

 恭弥はよしえの方を振り返った。よしえは台所でほがらかに料理を作り置きしている。

「あ、じゃあ亜蘭さんのことは子どものころから知ってるんですか」

 恭弥はふと思いついて尋ねた。

「うん。たまにぼくのこと、くせで坊ちゃまって呼んじゃう。最近は慣れたけど」
「ぼ、坊ちゃま」
「三十路のおっさんなのにねぇ」

 ドラマやアニメでしか聞いたことのない呼び名だ。

(子どものころのこの人って、どんなだったんだろ)

 家政婦、坊ちゃま。つい漫画に出てくるような、ハーフパンツに長いソックスを履いた、嫌味な『金持ちのぼんぼん』像を想像してしまう。
  
「懐かしい。じいちゃんのうちに働きに来たとき、まだよしえさんはお姉さんだったよ」
「へえ」

 恭弥はあいまいに相槌をうった。よしえの若いころを想像しようとしたものの、どんなに頑張ってもころころとしたおばさんの姿しか頭に描けなかった。
 
「恭弥くんも呑む?」

 アランは冷蔵庫から冷酒を持ってきて、具をあてにちびちびと呑みはじめてしまった。

「面接前に呑んだらやばい人ですよ」
「だよねぇ。ぼくもこれでやめよ。ぼくのせいで恭弥くんの輝かしい再出発がダメになったら困る」
「えっ、ついてくるんですか」
「もちろん。ぼくが紹介したんだし」

 ほろ酔いの坊ちゃまを連れていかなければならないのか。恭弥は不安になってくる。
 
「大丈夫、サボもぼくぐらいちゃらんぽらんだよ」

 それを聞いて、恭弥はもっと不安になってくる。
 
 食べ終わると、ダイニングテーブルを借りて履歴書に必要事項を書き入れていく。すると何やら灰色でふかふかのものが、むず、と紙を踏んだ。
 
「もー、ルディ」

 恭弥は苦笑して、ルディの頭を撫でた。
 ルディは撫で方が気に入ったのか、のっしりと紙の上に腹をつけて座った。
 
「へへ、ダメだよ」

 こんなときばかり懐いてくる。困るけれど、うれしい。
 恭弥がにやけていると、優雅な手がひょいとルディを取り除けた。

「こらルディ。恭弥くんにいたずらしていいのはぼくだけだぞ」
「亜蘭さんもダメですけどね」

 続きを書こうとして、住所の欄で手が止まる。
 
「えっと、どこのこと書けばいいんだろ」
 
 この家は間借りしているだけだから、ここの住所を書くのは問題があるだろう。寮は立ち退きにあってしまったし、その前だとすると実家だろうか。
 音信不通状態の母親を思い、恭弥は憂鬱になった。
 
「ここから通うんだから、当然ここの住所でいいでしょ」

 ルディを揺すってあやしながら、アランは言った。

「えっと、番地はねぇ」

 恭弥は迷ったが、結局教えられた住所を書いてしまった。
 
(どうしよ。ますます捨てられるわけにはいかなくなってきた)

 とはいえ、ほかに記述しようもない。書けた履歴書をかばんにしまって、恭弥は立ち上がった。
 
「もう行く?」
「はい。ここからだと徒歩で三十分ほどかかるそうなので、早めに」

 答えながら、恭弥はスマートフォンでカフェまでの経路を確かめた。
 『カフェ・サボン』。検索すると、洒落たカップに入ったカフェラテや菓子の写真があらわれる。

「亜蘭さんはいつもどうやって行ってます?」
「タクシー」
「参考にならねぇ」
「駅前に用事があるついでに、車をちょっと待たせて寄ることが多いんだ。豆だけなら、よしえさんに頼むこともある」
「自転車は」
「あるけど一台なんだよね。恭弥くん、タンデムしない? うしろにぼくを乗せて。風を切って。ああ、青春だなぁ」
「すみません、嫌です。あと二人乗りは法律違反ですよ」
「そうだっけ」

 いい加減な男だ。
 通うときは自転車を貸してもらうことにして、結局ふたりは店まで歩くことにした。
 
「蒸すねぇ」
「あっついっすね」

 せっかくの新しいシャツが汗じみにならないか、恭弥はひやひやしている。髪も清潔感がなくならないといいが。

「タクシーの冷房が恋しい」
「亜蘭さんはもうちょっと歩いた方がいいですよ」
 
 天気さえもう少し穏やかなら、緑の濃い、散歩にはちょうどよさそうな道だった。
 日陰を縫いながら歩いていると、アランの手が急に恭弥の手を握った。恭弥の意に反して心臓がどきりと鳴る。
 
「へへ、つかまえた」
「ちょっと……これから仕事ですよ。こんなとこ、だれかに見られたら」
「お固いなぁ。ぼくはもっといっちゃいっちゃしたい」

 嫌じゃないのに。アランに触れられること自体は好きなのに。アランという男は、どうして恭弥の困るタイミングを狙って触れてくるんだろう。

「……帰ったら、しましょう」

 気づけば恭弥は俯いて、ぼそっとつぶやいていた。

「え」 
「あ、あんたが触ってくるせいで、身体が落ち着かねぇんですよ」

 顔が熱いのは陽射しのせいだと、恭弥は自分に言い訳をした。

「あらあら、まあまあ、恭弥くんったら」

 アランは手をつないだまま、まじまじと恭弥を見つめている。

「どうしよ。ぼくが拾った子、めちゃくちゃかわいい」


 
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