22 / 44
22 坊ちゃまと照れ屋
しおりを挟む
昼飯はよしえの手料理だった。蒸し暑い日だったから、梅干しと蒸しささみの入った冷たいうどんはありがたかった。
「うめぇ」
恭弥はぼそりとつぶやいた。恭弥にはあまり味がわからないが、丁寧に作られている感じがする。
「あ、やっぱりわかる? よしえさん、料理上手だから」
アランはうれしそうだ。
「よしえさんはね、じいちゃんちの家政婦さんだったんだよ。じいちゃんが死んじゃって、東京の家はマンションに建て替えになっちゃったから、こっちに来てもらったの。通うの大変だから、毎日じゃないけど」
(やっぱりタダモノじゃないんだ……)
恭弥はよしえの方を振り返った。よしえは台所でほがらかに料理を作り置きしている。
「あ、じゃあ亜蘭さんのことは子どものころから知ってるんですか」
恭弥はふと思いついて尋ねた。
「うん。たまにぼくのこと、くせで坊ちゃまって呼んじゃう。最近は慣れたけど」
「ぼ、坊ちゃま」
「三十路のおっさんなのにねぇ」
ドラマやアニメでしか聞いたことのない呼び名だ。
(子どものころのこの人って、どんなだったんだろ)
家政婦、坊ちゃま。つい漫画に出てくるような、ハーフパンツに長いソックスを履いた、嫌味な『金持ちのぼんぼん』像を想像してしまう。
「懐かしい。じいちゃんのうちに働きに来たとき、まだよしえさんはお姉さんだったよ」
「へえ」
恭弥はあいまいに相槌をうった。よしえの若いころを想像しようとしたものの、どんなに頑張ってもころころとしたおばさんの姿しか頭に描けなかった。
「恭弥くんも呑む?」
アランは冷蔵庫から冷酒を持ってきて、具をあてにちびちびと呑みはじめてしまった。
「面接前に呑んだらやばい人ですよ」
「だよねぇ。ぼくもこれでやめよ。ぼくのせいで恭弥くんの輝かしい再出発がダメになったら困る」
「えっ、ついてくるんですか」
「もちろん。ぼくが紹介したんだし」
ほろ酔いの坊ちゃまを連れていかなければならないのか。恭弥は不安になってくる。
「大丈夫、サボもぼくぐらいちゃらんぽらんだよ」
それを聞いて、恭弥はもっと不安になってくる。
食べ終わると、ダイニングテーブルを借りて履歴書に必要事項を書き入れていく。すると何やら灰色でふかふかのものが、むず、と紙を踏んだ。
「もー、ルディ」
恭弥は苦笑して、ルディの頭を撫でた。
ルディは撫で方が気に入ったのか、のっしりと紙の上に腹をつけて座った。
「へへ、ダメだよ」
こんなときばかり懐いてくる。困るけれど、うれしい。
恭弥がにやけていると、優雅な手がひょいとルディを取り除けた。
「こらルディ。恭弥くんにいたずらしていいのはぼくだけだぞ」
「亜蘭さんもダメですけどね」
続きを書こうとして、住所の欄で手が止まる。
「えっと、どこのこと書けばいいんだろ」
この家は間借りしているだけだから、ここの住所を書くのは問題があるだろう。寮は立ち退きにあってしまったし、その前だとすると実家だろうか。
音信不通状態の母親を思い、恭弥は憂鬱になった。
「ここから通うんだから、当然ここの住所でいいでしょ」
ルディを揺すってあやしながら、アランは言った。
「えっと、番地はねぇ」
恭弥は迷ったが、結局教えられた住所を書いてしまった。
(どうしよ。ますます捨てられるわけにはいかなくなってきた)
とはいえ、ほかに記述しようもない。書けた履歴書をかばんにしまって、恭弥は立ち上がった。
「もう行く?」
「はい。ここからだと徒歩で三十分ほどかかるそうなので、早めに」
答えながら、恭弥はスマートフォンでカフェまでの経路を確かめた。
『カフェ・サボン』。検索すると、洒落たカップに入ったカフェラテや菓子の写真があらわれる。
「亜蘭さんはいつもどうやって行ってます?」
「タクシー」
「参考にならねぇ」
「駅前に用事があるついでに、車をちょっと待たせて寄ることが多いんだ。豆だけなら、よしえさんに頼むこともある」
「自転車は」
「あるけど一台なんだよね。恭弥くん、タンデムしない? うしろにぼくを乗せて。風を切って。ああ、青春だなぁ」
「すみません、嫌です。あと二人乗りは法律違反ですよ」
「そうだっけ」
いい加減な男だ。
通うときは自転車を貸してもらうことにして、結局ふたりは店まで歩くことにした。
「蒸すねぇ」
「あっついっすね」
せっかくの新しいシャツが汗じみにならないか、恭弥はひやひやしている。髪も清潔感がなくならないといいが。
「タクシーの冷房が恋しい」
「亜蘭さんはもうちょっと歩いた方がいいですよ」
天気さえもう少し穏やかなら、緑の濃い、散歩にはちょうどよさそうな道だった。
日陰を縫いながら歩いていると、アランの手が急に恭弥の手を握った。恭弥の意に反して心臓がどきりと鳴る。
「へへ、つかまえた」
「ちょっと……これから仕事ですよ。こんなとこ、だれかに見られたら」
「お固いなぁ。ぼくはもっといっちゃいっちゃしたい」
嫌じゃないのに。アランに触れられること自体は好きなのに。アランという男は、どうして恭弥の困るタイミングを狙って触れてくるんだろう。
「……帰ったら、しましょう」
気づけば恭弥は俯いて、ぼそっとつぶやいていた。
「え」
「あ、あんたが触ってくるせいで、身体が落ち着かねぇんですよ」
顔が熱いのは陽射しのせいだと、恭弥は自分に言い訳をした。
「あらあら、まあまあ、恭弥くんったら」
アランは手をつないだまま、まじまじと恭弥を見つめている。
「どうしよ。ぼくが拾った子、めちゃくちゃかわいい」
「うめぇ」
恭弥はぼそりとつぶやいた。恭弥にはあまり味がわからないが、丁寧に作られている感じがする。
「あ、やっぱりわかる? よしえさん、料理上手だから」
アランはうれしそうだ。
「よしえさんはね、じいちゃんちの家政婦さんだったんだよ。じいちゃんが死んじゃって、東京の家はマンションに建て替えになっちゃったから、こっちに来てもらったの。通うの大変だから、毎日じゃないけど」
(やっぱりタダモノじゃないんだ……)
恭弥はよしえの方を振り返った。よしえは台所でほがらかに料理を作り置きしている。
「あ、じゃあ亜蘭さんのことは子どものころから知ってるんですか」
恭弥はふと思いついて尋ねた。
「うん。たまにぼくのこと、くせで坊ちゃまって呼んじゃう。最近は慣れたけど」
「ぼ、坊ちゃま」
「三十路のおっさんなのにねぇ」
ドラマやアニメでしか聞いたことのない呼び名だ。
(子どものころのこの人って、どんなだったんだろ)
家政婦、坊ちゃま。つい漫画に出てくるような、ハーフパンツに長いソックスを履いた、嫌味な『金持ちのぼんぼん』像を想像してしまう。
「懐かしい。じいちゃんのうちに働きに来たとき、まだよしえさんはお姉さんだったよ」
「へえ」
恭弥はあいまいに相槌をうった。よしえの若いころを想像しようとしたものの、どんなに頑張ってもころころとしたおばさんの姿しか頭に描けなかった。
「恭弥くんも呑む?」
アランは冷蔵庫から冷酒を持ってきて、具をあてにちびちびと呑みはじめてしまった。
「面接前に呑んだらやばい人ですよ」
「だよねぇ。ぼくもこれでやめよ。ぼくのせいで恭弥くんの輝かしい再出発がダメになったら困る」
「えっ、ついてくるんですか」
「もちろん。ぼくが紹介したんだし」
ほろ酔いの坊ちゃまを連れていかなければならないのか。恭弥は不安になってくる。
「大丈夫、サボもぼくぐらいちゃらんぽらんだよ」
それを聞いて、恭弥はもっと不安になってくる。
食べ終わると、ダイニングテーブルを借りて履歴書に必要事項を書き入れていく。すると何やら灰色でふかふかのものが、むず、と紙を踏んだ。
「もー、ルディ」
恭弥は苦笑して、ルディの頭を撫でた。
ルディは撫で方が気に入ったのか、のっしりと紙の上に腹をつけて座った。
「へへ、ダメだよ」
こんなときばかり懐いてくる。困るけれど、うれしい。
恭弥がにやけていると、優雅な手がひょいとルディを取り除けた。
「こらルディ。恭弥くんにいたずらしていいのはぼくだけだぞ」
「亜蘭さんもダメですけどね」
続きを書こうとして、住所の欄で手が止まる。
「えっと、どこのこと書けばいいんだろ」
この家は間借りしているだけだから、ここの住所を書くのは問題があるだろう。寮は立ち退きにあってしまったし、その前だとすると実家だろうか。
音信不通状態の母親を思い、恭弥は憂鬱になった。
「ここから通うんだから、当然ここの住所でいいでしょ」
ルディを揺すってあやしながら、アランは言った。
「えっと、番地はねぇ」
恭弥は迷ったが、結局教えられた住所を書いてしまった。
(どうしよ。ますます捨てられるわけにはいかなくなってきた)
とはいえ、ほかに記述しようもない。書けた履歴書をかばんにしまって、恭弥は立ち上がった。
「もう行く?」
「はい。ここからだと徒歩で三十分ほどかかるそうなので、早めに」
答えながら、恭弥はスマートフォンでカフェまでの経路を確かめた。
『カフェ・サボン』。検索すると、洒落たカップに入ったカフェラテや菓子の写真があらわれる。
「亜蘭さんはいつもどうやって行ってます?」
「タクシー」
「参考にならねぇ」
「駅前に用事があるついでに、車をちょっと待たせて寄ることが多いんだ。豆だけなら、よしえさんに頼むこともある」
「自転車は」
「あるけど一台なんだよね。恭弥くん、タンデムしない? うしろにぼくを乗せて。風を切って。ああ、青春だなぁ」
「すみません、嫌です。あと二人乗りは法律違反ですよ」
「そうだっけ」
いい加減な男だ。
通うときは自転車を貸してもらうことにして、結局ふたりは店まで歩くことにした。
「蒸すねぇ」
「あっついっすね」
せっかくの新しいシャツが汗じみにならないか、恭弥はひやひやしている。髪も清潔感がなくならないといいが。
「タクシーの冷房が恋しい」
「亜蘭さんはもうちょっと歩いた方がいいですよ」
天気さえもう少し穏やかなら、緑の濃い、散歩にはちょうどよさそうな道だった。
日陰を縫いながら歩いていると、アランの手が急に恭弥の手を握った。恭弥の意に反して心臓がどきりと鳴る。
「へへ、つかまえた」
「ちょっと……これから仕事ですよ。こんなとこ、だれかに見られたら」
「お固いなぁ。ぼくはもっといっちゃいっちゃしたい」
嫌じゃないのに。アランに触れられること自体は好きなのに。アランという男は、どうして恭弥の困るタイミングを狙って触れてくるんだろう。
「……帰ったら、しましょう」
気づけば恭弥は俯いて、ぼそっとつぶやいていた。
「え」
「あ、あんたが触ってくるせいで、身体が落ち着かねぇんですよ」
顔が熱いのは陽射しのせいだと、恭弥は自分に言い訳をした。
「あらあら、まあまあ、恭弥くんったら」
アランは手をつないだまま、まじまじと恭弥を見つめている。
「どうしよ。ぼくが拾った子、めちゃくちゃかわいい」
42
お気に入りに追加
110
あなたにおすすめの小説
転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…
煽られて、衝動。
楽川楽
BL
体の弱い生田を支える幼馴染、室屋に片思いしている梛原。だけどそんな想い人は、いつだって生田のことで頭がいっぱいだ。
少しでも近くにいられればそれでいいと、そう思っていたのに…気持ちはどんどん貪欲になってしまい、友人である生田のことさえ傷つけてしまいそうになって…。
※ 超正統派イケメン×ウルトラ平凡
ハイスペックストーカーに追われています
たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!!
と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。
完結しました。
どうせ全部、知ってるくせに。
楽川楽
BL
【腹黒美形×単純平凡】
親友と、飲み会の悪ふざけでキスをした。単なる罰ゲームだったのに、どうしてもあのキスが忘れられない…。
飲み会のノリでしたキスで、親友を意識し始めてしまった単純な受けが、まんまと腹黒攻めに捕まるお話。
※fujossyさんの属性コンテスト『ノンケ受け』部門にて優秀賞をいただいた作品です。
こじらせΩのふつうの婚活
深山恐竜
BL
宮間裕貴はΩとして生まれたが、Ωとしての生き方を受け入れられずにいた。
彼はヒートがないのをいいことに、ふつうのβと同じように大学へ行き、就職もした。
しかし、ある日ヒートがやってきてしまい、ふつうの生活がままならなくなってしまう。
裕貴は平穏な生活を取り戻すために婚活を始めるのだが、こじらせてる彼はなかなかうまくいかなくて…。
オメガに転化したアルファ騎士は王の寵愛に戸惑う
hina
BL
国王を護るαの護衛騎士ルカは最近続く体調不良に悩まされていた。
それはビッチングによるものだった。
幼い頃から共に育ってきたαの国王イゼフといつからか身体の関係を持っていたが、それが原因とは思ってもみなかった。
国王から寵愛され戸惑うルカの行方は。
※不定期更新になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる