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20 朝帰りとご機嫌取り
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チェックアウトをして、横浜駅から下りの電車に乗る。東京方面行に比べれば混雑は少しましだったが、アランは問答無用でグリーン券を買った。
贅沢だなとは思ったが、恭弥も今朝ばかりは、あまり人混みに揉まれたくなかった。昨夜の行為のせいか、なんとなく尻に何かが挟まったような、むずむずとした違和感をかかえていたのである。人にぶつかって変な声でも出したらまずい。
もちろんそんなことはアランには内緒だ。うっかり話したら、恭弥が赤面するような余計なことを言うに決まっている。
ICカードを天井にタッチして、座席に座る。
「こうやって列車に並んで座るとさ、新婚さんみたい」
「ハネムーンにしては果てしなく移動距離が短いっすね」
(俺、この人の恋人になったんだよな……間違いねぇよな)
一夜を過ごす前とアランの様子がほとんど変わらないので、恭弥は少し心配になる。
(まあ出会った直後からこんなだったからな、この人)
車窓の景色を眺めながら、恭弥は考える。
『ごめんごめん、君があんまり昔の恋人に似てたから。見惚れちゃった』
アランの軽薄な第一声がよみがえってくる。
(前の恋人ってどんなやつだったんだろ)
アランに直接、どんな過去があったか訊けばいいのはわかっている。隣にいるのだし。
だが恭弥にはその勇気が出なかった。聞けばその人と自分を比べ、劣等感に苛まれるのはわかっていた。
まったくの見ず知らずの男に面影を重ね、簡単に家に上げてしまうぐらい、アランはその人の影を引きずっている。
それだけ魅力的な人だったんだろう。
(俺がそんな奴に勝てるはずがない)
恭弥は居場所をもらう対価として、アランを愛し、アランのおもちゃになると決めた。
アランも対価として恭弥の愛を受け取った。そしてただのおもちゃを、酔狂で恋人と呼ぶことにした。
それだけの関係だ。
そこに嫉妬だの劣等感だの、面倒な感情が入り込むのはよくない。割り切った、ビジネスライクな関係であるべきだと恭弥は思う。
まともに愛されたことのない恭弥には、まだ恋愛というものがよくわかっていなかった。
(余計な詮索はしない方がいい。面倒なやつだって思われたら、きっと捨てられる)
アランに褒められ、必要とされる快感を知ってしまった今、捨てられるのがおそろしくてたまらない。
「すみません、お待たせしました」
鎌倉駅近くのコンビニで履歴書のテンプレートを打ち出し、写真を撮ってから、恭弥はアランに合流した。アランはペットボトルのお茶を啜りながらつまらなそうにしている。
「いいけど、ほったらかしにされるとお兄さんさびしい。そんなのいらないと思うけどなぁ」
「あ、店長さん履歴書不要って言ってました?」
「言ってない」
「なら、いるんですよ……」
行きと同じく、鎌倉駅から自宅まではタクシーだ。
「ただいま」
車から降り、アランは引き戸を開けた。
車のエンジン音で飼い主の到着に気づき、出てきたようだ。玄関には待ち構えるように、小さな顔がふたつ並んでいた。
ボンとルディだ。どちらも廊下に尻を下ろして、置物のようにしている。
アランが足を踏み入れると、ルディは狂ったようにふくらはぎに身体を擦りつけはじめた。ボンは険しい顔のまま、アランと恭弥を睨みつけている。
「わかったわかった、ごめんよ。寂しかったね」
アランは猫たちをなだめたあと、恭弥を振り返った。ひどく真面目くさった顔だった。
「恭弥くん、ぼくらにはこれから大切な任務がある。全力で猫ちゃんをあやすんだ。
今から猫缶を開ける。恭弥くんはおやつを食べさせたのち、この子たちと遊んであげてほしい。おもちゃなら寝室のサイドテーブルに入ってる」
深刻そうな言い方がおかしくて、恭弥は笑いをこらえた。
「はあ、わかりました……えっと、さちこさんは」
「ぼくがなんとかする」
キッチンに向かうアランの脚に、二匹の猫が絡みつくようにして、その後をついていく。本日も非常に歩きにくそうだ。
二本のぴんと伸びたしっぽを鑑賞しながら、恭弥も後を追った。
「台所はダメ」
猫たちを抱き上げて追い払うと、アランは台所の床下収納を開けた。中には輸入品の猫缶がぎっしりと詰まっている。猫たちが台所に入りたがるわけだ。猫ならば天国の光景だろう。
(俺がふだん食ってる缶詰より高そう)
ぱっかんと缶の開く音が鳴ると、猫たちは懲りずに台所に走ってくる。
「ダメだっての。三匹でひと缶ね。これ以上太るとお医者さんに怒られる」
アランは棚から皿を出して、スプーンで中身をとりわけ、トレイにのせた。初日は眠気でよく見ていなかったが、横に長い八角形をした木彫りの盆で、おそらくいいものだ。
(もったいねえ)
「はい、恭弥くん、よろしく。ぼくはお水とかトイレとか、ほかのお世話してくる」
「はい。……なんか、いいとこをさせてもらっちゃって、悪い気が」
「いいのいいの。猫ちゃんたちが待ってるぞ、早く」
トレイを受け取ると、ルディとボンはすりすり攻撃の対象を恭弥に変えた。
(幸せすぎる)
足に擦りつくのはルディだけだったのに、今朝は二匹に増えている。缶詰のおかげだとわかっていても、恭弥はにやけ面になってしまう。
猫をよけながら階段をのぼり、寝室に入って、キャットタワーの脇に盆を置く。ルディとボンは当然、皿に飛びついて食べはじめた。
一方のさちこさんはいつものように恭弥を警戒し、タワーの小屋に隠れている。
(いくら猫缶だって、俺がいたら食えないよな)
恭弥はさちこさんに気をつかって、廊下で待機しようと、猫たちに背中を向けた。
ところが廊下に出ようとしたばかりのところで、どすん、という重い音が背後に聞こえた。
大柄なさちこさんが床に下りた音で間違いなさそうだった。
(うそ)
どうやら恭弥が部屋を出ていくまで我慢ができなかったようだ。
驚かさないよう、そうっとうしろを振り返る。
ふわふわとした白い毛のかたまりは、雄たちを脇に押しのけ中央に陣取って、ウェットフードを猛然と食べている。
(猫缶は偉大なり)
恭弥は感動した。
贅沢だなとは思ったが、恭弥も今朝ばかりは、あまり人混みに揉まれたくなかった。昨夜の行為のせいか、なんとなく尻に何かが挟まったような、むずむずとした違和感をかかえていたのである。人にぶつかって変な声でも出したらまずい。
もちろんそんなことはアランには内緒だ。うっかり話したら、恭弥が赤面するような余計なことを言うに決まっている。
ICカードを天井にタッチして、座席に座る。
「こうやって列車に並んで座るとさ、新婚さんみたい」
「ハネムーンにしては果てしなく移動距離が短いっすね」
(俺、この人の恋人になったんだよな……間違いねぇよな)
一夜を過ごす前とアランの様子がほとんど変わらないので、恭弥は少し心配になる。
(まあ出会った直後からこんなだったからな、この人)
車窓の景色を眺めながら、恭弥は考える。
『ごめんごめん、君があんまり昔の恋人に似てたから。見惚れちゃった』
アランの軽薄な第一声がよみがえってくる。
(前の恋人ってどんなやつだったんだろ)
アランに直接、どんな過去があったか訊けばいいのはわかっている。隣にいるのだし。
だが恭弥にはその勇気が出なかった。聞けばその人と自分を比べ、劣等感に苛まれるのはわかっていた。
まったくの見ず知らずの男に面影を重ね、簡単に家に上げてしまうぐらい、アランはその人の影を引きずっている。
それだけ魅力的な人だったんだろう。
(俺がそんな奴に勝てるはずがない)
恭弥は居場所をもらう対価として、アランを愛し、アランのおもちゃになると決めた。
アランも対価として恭弥の愛を受け取った。そしてただのおもちゃを、酔狂で恋人と呼ぶことにした。
それだけの関係だ。
そこに嫉妬だの劣等感だの、面倒な感情が入り込むのはよくない。割り切った、ビジネスライクな関係であるべきだと恭弥は思う。
まともに愛されたことのない恭弥には、まだ恋愛というものがよくわかっていなかった。
(余計な詮索はしない方がいい。面倒なやつだって思われたら、きっと捨てられる)
アランに褒められ、必要とされる快感を知ってしまった今、捨てられるのがおそろしくてたまらない。
「すみません、お待たせしました」
鎌倉駅近くのコンビニで履歴書のテンプレートを打ち出し、写真を撮ってから、恭弥はアランに合流した。アランはペットボトルのお茶を啜りながらつまらなそうにしている。
「いいけど、ほったらかしにされるとお兄さんさびしい。そんなのいらないと思うけどなぁ」
「あ、店長さん履歴書不要って言ってました?」
「言ってない」
「なら、いるんですよ……」
行きと同じく、鎌倉駅から自宅まではタクシーだ。
「ただいま」
車から降り、アランは引き戸を開けた。
車のエンジン音で飼い主の到着に気づき、出てきたようだ。玄関には待ち構えるように、小さな顔がふたつ並んでいた。
ボンとルディだ。どちらも廊下に尻を下ろして、置物のようにしている。
アランが足を踏み入れると、ルディは狂ったようにふくらはぎに身体を擦りつけはじめた。ボンは険しい顔のまま、アランと恭弥を睨みつけている。
「わかったわかった、ごめんよ。寂しかったね」
アランは猫たちをなだめたあと、恭弥を振り返った。ひどく真面目くさった顔だった。
「恭弥くん、ぼくらにはこれから大切な任務がある。全力で猫ちゃんをあやすんだ。
今から猫缶を開ける。恭弥くんはおやつを食べさせたのち、この子たちと遊んであげてほしい。おもちゃなら寝室のサイドテーブルに入ってる」
深刻そうな言い方がおかしくて、恭弥は笑いをこらえた。
「はあ、わかりました……えっと、さちこさんは」
「ぼくがなんとかする」
キッチンに向かうアランの脚に、二匹の猫が絡みつくようにして、その後をついていく。本日も非常に歩きにくそうだ。
二本のぴんと伸びたしっぽを鑑賞しながら、恭弥も後を追った。
「台所はダメ」
猫たちを抱き上げて追い払うと、アランは台所の床下収納を開けた。中には輸入品の猫缶がぎっしりと詰まっている。猫たちが台所に入りたがるわけだ。猫ならば天国の光景だろう。
(俺がふだん食ってる缶詰より高そう)
ぱっかんと缶の開く音が鳴ると、猫たちは懲りずに台所に走ってくる。
「ダメだっての。三匹でひと缶ね。これ以上太るとお医者さんに怒られる」
アランは棚から皿を出して、スプーンで中身をとりわけ、トレイにのせた。初日は眠気でよく見ていなかったが、横に長い八角形をした木彫りの盆で、おそらくいいものだ。
(もったいねえ)
「はい、恭弥くん、よろしく。ぼくはお水とかトイレとか、ほかのお世話してくる」
「はい。……なんか、いいとこをさせてもらっちゃって、悪い気が」
「いいのいいの。猫ちゃんたちが待ってるぞ、早く」
トレイを受け取ると、ルディとボンはすりすり攻撃の対象を恭弥に変えた。
(幸せすぎる)
足に擦りつくのはルディだけだったのに、今朝は二匹に増えている。缶詰のおかげだとわかっていても、恭弥はにやけ面になってしまう。
猫をよけながら階段をのぼり、寝室に入って、キャットタワーの脇に盆を置く。ルディとボンは当然、皿に飛びついて食べはじめた。
一方のさちこさんはいつものように恭弥を警戒し、タワーの小屋に隠れている。
(いくら猫缶だって、俺がいたら食えないよな)
恭弥はさちこさんに気をつかって、廊下で待機しようと、猫たちに背中を向けた。
ところが廊下に出ようとしたばかりのところで、どすん、という重い音が背後に聞こえた。
大柄なさちこさんが床に下りた音で間違いなさそうだった。
(うそ)
どうやら恭弥が部屋を出ていくまで我慢ができなかったようだ。
驚かさないよう、そうっとうしろを振り返る。
ふわふわとした白い毛のかたまりは、雄たちを脇に押しのけ中央に陣取って、ウェットフードを猛然と食べている。
(猫缶は偉大なり)
恭弥は感動した。
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