上 下
10 / 44

10 接客業と金融業

しおりを挟む
「家政婦さんがやってくれるからいいよ」

というアランの声を無視して、恭弥は皿の後片付けをした。

「何かしてないと不安なんですよ。社会は即、戦力外通告出してくるんで」
「労働フリークだね」
「亜蘭さんは不安にならないんすか。将来とか」
「ならない」

 アランはきっぱりと答えた。
 
「へえ……」

 貯金があると悠然としていられるんだろうか。

「恭弥くんも、休み方を覚えた方がいいぞ」
「亜蘭さん並みになったら社会に戻れそうにないんですけど」
「いーじゃん。お兄さんちにいれば。ダメになっちゃえ」

 アランの手が、恭弥のそばの流し台になにげなく置かれている。

「また寮のある職場、探さないと。あまり長くご迷惑もかけられないですし」

 アランの顔の近さを気にしないようにしながら、恭弥は皿を拭いた。顔が赤くなりそうでこわかった。
 アランはくるんと身体を返し、流しにもたれた。
 
「じゃあ、譲歩。ぼくの友だちが、この近所にカフェ持っててさ。いいお店だし、しばらくそこで働けばいい。ちなみに、さっきのコーヒー豆もそこで買ったやつ」
「俺、接客業やったことないですよ」
「学生でもバイトしてるから大丈夫だって。向かなければ辞めればいいよ」
「えっ……でも」
「心配ない心配ない、ここから通うのにも便利だし。わあ、ぼく、天才」

 カフェで働くには、恭弥の見た目はあまりに貧乏くさくないだろうか。断ろうと、恭弥は口を開きかけた。
 が、そこで玄関のチャイムが鳴った。
 
「はい」

 アランはインターフォンで応対した。恭弥がちらりと画面を見ると、カメラには金髪をつんつんに立てた、若い男が映っている。真っ赤なジャンパーには刺繍の龍が二匹踊っている。
 恭弥はぎょっとした。
 
「朝いちばん、失礼します! お車引き取りにまいりました」

 昨夜のやくざの下っ端らしかった。恭弥たちが乗ってきた、会社のワゴンを回収にきたようだ。

「ああ、ごめん、忘れてた。裏庭の駐車場に置いてあるから勝手に持ってっていいよ」
「えっと、佐島さんが霜山さんとお話したいそうでして!」

 よく見ると、つんつん頭の奥に、男がたばこを咥えてたたずんでいる。
 いいスーツを着た、ぱっと見俳優のような雰囲気の中年男だ。金のネクタイピンや腕時計、それに異様に鋭い目つきが、かたぎでないことを物語っている。
 
(この人が猫友……)
 
 ほんとうにこのこわそうな人が、猫がいなくなっただけで真っ青になるんだろうか。
 
「あ、じゃあ今出ます。ちょっと待っててね」

 アランは玄関に向かった。恭弥も手を拭いて、あとをこわごわとついていった。
 恭弥が使っていた車なのだし、何かトラブルになったら責任をとらなくてはならない。

「朝早く、すみませんね」

 渋い声で、佐島は言った。画面越しで感じたよりも、ずっとすごみがある。
 
「どうもー。今日はあがっていかれます?」
「そうですね、あんまり立ち話に向かない話題だから、お邪魔しようかな」

 恭弥は戦慄した。なんの話だろう。もしかして自分が何かしてしまったのだろうか。車を持ってきてしまったから?
 自分が死体役のニュースが、ふたたび恭弥の脳内を流れた。

「お前は外で待機してろ」
「はいっ」

 佐島の命を受け、ちんぴらは頭を下げた。
 玄関の戸が静かに閉まる。佐島が悠然とアランに向き直った。
 恭弥は動けない。このやくざなら、命令ひとつで恭弥を死体にして海に放り投げられる。
 
「なーん」

 恭弥の緊張をよそに、ルディが現れた。
 ルディは恐れる様子もなく佐島に近づいた。佐島の足を前足で踏んづけてさえいる。
 
「ルーディー」

 甲高くかすれた猫なで声が聞こえた。アランの声ではなかったし、もちろん恭弥の声でもない。

(何、今の)

 誰の声かと恭弥は思わず見回したが、該当しそうな人間は佐島以外にいなかった。

(嘘)

 佐島は屈んで、ルディをしきりに撫でている。ルディもうれしそうにまとわりついて、高そうなスーツの脚を毛まみれにしている。
 
「今日もかわいいな、ルディは」

 今度ははっきりと、佐島の渋い顔からかわいらしい声が出るのを目撃できた。

(……この人なら、猫の家出で真っ青になるわ)

 恭弥は深く納得した。ルディの懐きっぷりも相当なものだ。
 
「コーヒー淹れてくるんで、先に上がっててください」

 アランは慣れっこらしく、佐島の豹変に驚きもしない。

「そんなに長居はしませんよ、お構いなく。世間話をしに来ただけだからね」

 名残惜しそうにひと撫でし、ルディに向かって小首をかしげてから、佐島は立ち上がった。

「逃げた社長さんの行方、霜山さんも知りたいかと思いましてね」

 佐島は渋い声に戻っている。

「うちの若いのから聞きましたよ。そこのお友だちが、あの工場で働いていたと」
「実はそうなんですよ。ほんと、困った社長さん」
「うちとしても、担保財産の持ち逃げは困るんでね。昨夜うちの者が捕まえました。海外に飛ぼうとしてたが、そうはいかない。今はうちの事務所で話を聞いてます」

 元社長が現在、どんな目にあわされているのか想像しかけて、恭弥はあわててやめた。

「だって。よかったね恭弥くん」
「立ち退きのとき、うちの若いもんが脅かして悪かったね。一応法律どおり、給与債権は先に払わせるから、君たちの最後のお給料はちゃんと振り込まれるはずだよ」

 話が自分に向かってきて、恭弥は硬直した。

「は、はい、ありがとう、ございます……」
「へへ、話はこんだけなのに、ルディの顔が見たくて上がりこんじゃった。またね、ばいばい」

 ルディをもう一度撫でてから、佐島は出て行った。
 
「ほんとに猫が好きな人なんですね……」
「ねー」

 適当に相槌をうちながら、アランはスマートフォンを尻ポケットから取り出した。
 
「じゃあ、電話するよ」
「どこに、です?」
「さっき言ったでしょ、恭弥くんがこれから働くとこ」

 このときまで、恭弥はカフェのことをすっかり忘れていた。

「でも俺、見た目が」
「かわいいから、変なお客さんに絡まれる?」

 アランは恭弥を遮って、見当違いに言葉を継いだ。

「たしかにそれはあるかも。困ったな」
「からかわないでくださいよ。こんな貧乏くさいやつ、来られても向こうが困るでしょうが」
「そう? じゃ、あとで服、買いにいこうね」
「そういう問題じゃ! こう、滲み出てる体臭とか」
「ん?」

 アランは顔を近づけ、すん、と恭弥の匂いを嗅いだ。

「ぼくんちのせっけんのにおい」

 恭弥は赤くなった。

「異論はそれだけ?」
「えっと、はい……」

 もっとほかにあったはずだが、考えがまとまらない。
 セクハラだ。なのに、なんで嫌じゃないんだ。恭弥の中で、そんな別の葛藤が生じている。

「じゃ、いいね。……あ、もしもし。あのさぁ、急で悪いんだけど、ひとり雇ってもらいたい子がいるんだ。榛名恭弥くん。ぼくの友だちで、働いてた会社がつぶれちゃって……接客は得意じゃないらしいんだけど……」

 気づけばアランは電話をかけている。
 
「あ、大丈夫? わかった。じゃあいつ面接? 明日の午後がいいな。それでいい? はい、オーケー、ありがとう」
 
 恭弥はなすすべもなく、まとまっていく話を横で聞いていた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

推しの完璧超人お兄様になっちゃった

紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。 そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。 ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。 そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。

弱すぎると勇者パーティーを追放されたハズなんですが……なんで追いかけてきてんだよ勇者ァ!

灯璃
BL
「あなたは弱すぎる! お荷物なのよ! よって、一刻も早くこのパーティーを抜けてちょうだい!」 そう言われ、勇者パーティーから追放された冒険者のメルク。 リーダーの勇者アレスが戻る前に、元仲間たちに追い立てられるようにパーティーを抜けた。 だが数日後、何故か勇者がメルクを探しているという噂を酒場で聞く。が、既に故郷に帰ってスローライフを送ろうとしていたメルクは、絶対に見つからないと決意した。 みたいな追放ものの皮を被った、頭おかしい執着攻めもの。 追いかけてくるまで説明ハイリマァス ※完結致しました!お読みいただきありがとうございました! ※11/20 短編(いちまんじ)新しく書きました! 時間有る時にでも読んでください

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました

楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたアルフォン伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。 ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。 喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。   「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」 契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。 アルフォンのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。

【完結】もふもふ獣人転生

  *  
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。 ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。 本編完結しました! おまけをちょこちょこ更新しています。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

【完結】僕の大事な魔王様

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。 「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」 魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。 俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/11……完結 2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位 2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位 2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位 2023/09/21……連載開始

処理中です...