βがコンプレックスな俺はなんとしてもΩになりたい

蟹江カルマ

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5 チーズトーストと香水

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 俺も寝室に移動し、パジャマを華麗に脱ぎすてた。
 クリーニング屋のロゴのついた袋から、しわひとつないシャツを出して羽織る。ぱりっとプレスのきいたズボンを履く。
 今年のボーナスをつぎ込んで買ったオーダースーツだ。
 理想のサラリーマン像が六割ぐらい完成したところで、サノユーの声がした。

「朝ごはんできたよ」
「おう、ありがとう」

 皿を見ると、こんがりとした色にふちどられた、黄色くとろけた四角。
 俺の好物、チーズトーストだ。
 サノユーいわく、俺を鏡から引き離すにはこれが一番なのだそうだ。

「問題はお前なんだよ、サノユー。いつまで過去の失恋を引きずってるつもりだ?」

 言いながら俺は椅子に座った。
 パンをかじると、熱くてなめらかな塩気が舌にからみつく。

「俺みたいな高嶺の花にこだわってないで、そろそろちょうどいいオメガを探したほうがいいんじゃないか」
「そうなると誰がお前にチーズトースト焼いてあげんの。お前これさえ焦がすじゃない」

 パンを割き、チーズを細長く伸ばしながら、サノユーは答えた。

「候補はたくさんいる。売るほどいる」
「へえ、ほんと」

 まったく信じていない声でサノユーは返事する。
 これで本当に俺が好きなんだろうか。愛が足りないのではないだろうか。

「疑うなよ。この前も会社のベータに言い寄られたばかりだ」
「えっ、それ聞いてないよ」

 サノユーは突然真剣な顔になった。
 怒ったアルファの香りがぶわっと広がった。
 のんびりした普段の雰囲気が抜けると、かなりアルファらしい顔になる。

「誰、相手」

 俺は少し気圧された。

「お前が知ってるわけないだろ、会社が違うんだから」
「男?女?」
「女の子」

 やや頑張りすぎのアイメイクが、たぬきを連想させる子だった。

「まあ、丁重にお断りしたけどな。なにせ俺はほら、誰かに独占されるわけにはいかない」

 サノユーはフェロモン攻撃をやめた。俺はほっとした。

「そっか。ならいい」
「別にお前にどうこう言われる覚えはないんだけどな、付き合ってないんだし」
「そうだけど」

 サノユーはもごもごと言いながらコーヒーに口をつける。

「お前のスタンスもよくわかんない。朝くんは性欲とか、ないの?」
「セクハラですよ」
「ごめん」

 大昔、恋人はいた。だがその話はサノユーにはしたことがない。

「もう行かなくちゃ。ごちそうさま」

 鏡の前でネクタイを巻き、ジャケットを羽織る。首元にシュッと香水をひと吹き。
 入念に見た目をチェックしてから、俺は部屋を出た。
 苦い思い出話はあまりしたくなかった。



 夕方ぽっかりと時間が空いたので、コーヒーを飲みに会社の休憩室に入った。

「お疲れ様です」

 オメガの女性社員が笑いかけてきた。同じ事業企画課の桜田さんだ。話し好きで、女子の集まりをそれとなく取り仕切っていることが多い。
 俺も自慢の角度でにっこりと笑った。

「お疲れ様です」
「今夜みんなで飲むんですよね、水上さんは来るんですか」
「一次会だけ行こうと思ってる」

 紙コップを注ぎ口の下に置いて、俺は答えた。

「そういえば水上さんって恋人いるんですか?
いつもわりとすぐ帰っちゃいますよね。合コンとかも来てるの見たことない」
「いないよ」

 酒が入るとボロが出やすいので、あまり長居をしたくないだけだ。

「えっ、いると思ってました。
 ラット休暇とってらっしゃらないから、たぶん決まった人がいるんだろうねーってみんなで話してたんです」

 独身のアルファは発情期、つまりラットになると、仕事が手につかなくなる。生々しい話、オメガと交わりたくてたまらなくなるらしいのだ。
 だから年に何回か休暇をとり、仕事に穴をあけてくれる。実に憎たらしい。
 ちなみにサノユーも一応独身のアルファだから、ラット休暇をとる。だが、あまり症状が激しくないのか、毎回ただ家でのんびりと過ごしているようだ。

「俺、ベータだから」

 さらりと言いながら、俺はほかほかと湯気のあがる紙コップに口をつけた。

「えっ、水上さん、アルファじゃなかったんですか」

 女子社員はきょとんとした。
 俺は心の中で桜田さんにハグをした。
 俺をアルファと間違えるとは、なんていい子だろう。
 ああ、頬の筋肉がぴくぴくする。
 満面の笑みを無理に抑えているせいだ。
 一瞬でも気を抜いたらにやにやしてしまいそうだ。耐えろ、俺。

「たまに言われるけど、ベータだよ」

 アルファに間違えられたのはこれが初めてではない。
 容姿端麗、頭脳明晰。
 俺を見ればアルファだと誰だって思う。桜田さんが間違えたのも無理はない。

「だってすごくいい香りするじゃないですか」
「オードトワレ。フィオールの」

 入社以来、ずっと愛用しているブランド香水だ。そこそこ高価だが、これをつけているとアルファに間違えられる確率がぐんと上がる。
 別に間違えられたくてつけているわけではない。
 俺の好きな香水の香りが、たまたま、本当にたまたま、アルファのフェロモン臭に似ていただけである。本当だって。
 桜田さんはあきらかにがっかりしていた。

「そうなんですね。はあ、アルファじゃなかったんだ」

 そうだろう、そうだろう。
 やはり俺にはベータにしておけない特別感があるのだ。

「ごめん」
「謝ってるわりにうれしそうなのひどくないですか」
「別にうれしくない、うれしくない」

 うれしい。

「そうだ。なら、ベータの子だったら、脈があるんですね」

 桜田さんは急に顔を輝かせた。
 
「ベータなら、一般職の子に結構いますよね。下山さんとか、湯沢さんとか」
 
 さっそく俺を誰かとマッチングさせる気だ。
 俺は苦笑した。なんと切り替えの早い。

「俺、あんまり恋とか興味ないから」

 断り文句というより、本心だった。
 平凡なベータの子と、平凡な恋をする。そんな退屈なヴィジョンには、正直まったく心が動かない。
 それに、恋とはぶざまな自分を突きつけられる行為だ。
 俺はそのことを経験で知っている。

「そうだったんですね。苦手な話題出しちゃってすみません」

 オメガの女子社員は慌て始めた。

「大丈夫、苦手ってほどじゃないよ」

 俺はふたたび完璧な笑顔を作った。
 アルファだと間違えてくれたお礼だ。


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