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終 節  月影の詩(うた)18

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 禍々しく輝く赤い瞳が、憤怒に閃いたまま、紫の衣の長い裾を翻しリーヤを背にかばうように立った、鋭く厳(いかめ)しいジェスターの端正な顔を睨みつける。

「そんなに!そんなにその女を守りたいの!?貴方は!!?」

「ああ・・・・それが俺の役目だ」

 低く響く強い声でそう言ったジェスターに向かって、イリーネの黒い翼が豪速で虚空から落下してくる。
 しかし、彼は、身動ぎもせず、妖の剣を構えることもせず、ただ、揺れる見事な栗毛の下で鋭利に緑玉の瞳を細めたまま、魔物に成り果てた、かつての愛しい想い人を真っ向から見つめすえたのだった。
 鋭く輝く黒き鍵爪の切っ先が、臆すことも躊躇うこともなく、凛々しく立つ彼の胸を狙って迫り来る。

「何をするつもりです!?ジェスタ―――――っ!?」

「やめて―――――っ!!姉さ―――――んっ!!」

 大きく両目を見開いて驚愕の叫びを上げるリーヤの声と、その後方で慌てて身を起こしたへディートの叫びが重なった。

 森の木々を揺らして渡る風の精霊が、高い警告の声を上げる。

 次の瞬間、鈍い音を立てて、鋭く黒い三本の鍵爪が、紫の衣を纏うジェスターの胸に深く突き刺さったのである。

 揺れる見事な栗毛の髪が、吹き付ける風に煽られて虚空に乱舞し、同時に、弾け飛んだ鮮血が地面の草を鮮やかな紅に染め上げていった。

 その胸を突き通したまま動きを止めた黒い鍵爪。
 にわかに、ジェスターの鮮やかな緑玉の両眼が、焼け付くような激しいその痛みに歪んだ。

 凛々しくも端正な顔を僅かな苦悶に満たし、だが、尚もその場に立つ彼の片手が、未だに憤怒の形相ををするイリーネの黒い腕を掴む。

「これで気は済んだか・・・・?イリーネ?
おまえは馬鹿だ・・・・・・・俺が、おまえを・・・・忘れるはずがないだろ・・・・」

 何故か、静かにそう言った彼の凛々しい唇から、鮮血の紅い帯が零れ落ち、その顎を伝って彼女の黒い腕に滴り落ちていく。

「!?」

 憤怒の形相をしていた彼女の顔が、ふと、驚愕の表情へとうち変わる。
 黒い翼を羽ばたかせ、彼の胸から鍵爪を引き抜くと、その三つの傷から、溢れるように鮮血が噴き出して、紫の衣をみるみる紅に染めていった。

「な、何を言うの!!?今更・・・・!?」

 彼女の内に残っていた僅かな人の心が、禍々しく輝く赤い瞳に戸惑いを現した。
 ふわりと地面に降り立った彼女を、燃え盛る炎のような緑玉の瞳で見すえると、何故か、彼は、鮮血の紅が帯を引くその唇で、やけに穏やかに微笑んだのである。

 イリーネの赤い両眼が、更なる驚愕に大きく見開かれた。
 ジェスターの後方にいたリーヤは、『無の三日月』を地面に放り投げると、彼の背中に向かって大きく両腕を伸ばす。

 普通の人間であれば、即死してもおかしくないほどの深い傷を負っているのにも関わらず、何故、彼は立っていられるのか・・・・?
 いくらアーシェの一族とはいえ、人間であることには変わりないはず、これ以上出血が続けば、彼とてただでは済まないだろう。

 厳(いかめ)しい表情をしたままのリーヤが、その深い傷を押さえるように、背中から強く彼を抱きすくめた。
 溢れ出す鮮血が、彼女のしなやかな手を深紅に染め上げていく。

 その意図に気が付いたのか、ジェスターは、見事な栗毛の下で、ちらりと、緑玉の視線をリーヤに向けると、何故か、不敵に笑んだのである。

「離せリーヤ、俺は大丈夫だ・・・・・・へディートを頼む、今から、イリーネに止めを刺す・・・・・・離れてろ」

「何を言うのです!この傷ではいくら貴方でも・・・・!!」

 怒ったようにそう言ったリーヤの手に、どくんと波打つような奇妙な感覚が伝わった。

「!?」

 鮮血に塗(まみ)れた彼の左胸に、赤々と輝く炎の獅子の紋章がある事を、この時点で、まだ彼女は知らないでいた。
 一体、それが何を意味するものであるのかも。
 後ろから強く抱きしめる彼女の手をするりと解いたジェスターの胸の傷が、ゆっくりと、脈打つように閉じていく。

「大丈夫だって言ってんだろ」

「待ちなさい!ジェスター!!」

 強い口調で彼の名を呼ぶリーヤに振り向くことなく、ジェスターは、妖の剣アクトレイドスを握り直し、ゆっくりとした歩調でイリーネに向かって歩き出したのである。
 紅の血に染まる紫衣(しい)の長い裾を翻し、利き手に持った金色の刃を前で構えた時、鋭く細められたその燃え盛る炎のような緑玉の瞳に、凛と閃く閃光が走った。

「来るな・・・・!来ないで・・・・!!来ないで――――――っ!!
アラン!!アランデューク!!」

 刹那、驚愕と戸惑いで髪を振り乱し、赤い瞳を歪めて叫んだイリーネの元へと、彼は、躊躇うことなく俊足で駆け出していく。

 いや、躊躇うことなどできない。

 一度魔に落ち、その体から赤い血を失った者を、再び人間に戻すことは、どんな強力な魔力を持つ者でも不可能だ・・・・
 情をかけて逃せば、また多大な犠牲を増やすだけ。

 例えそれが、愛する者であっても、魔に落ちた者は斬るしかない。
 そう、それが、その者を救う、唯一の手立てであるのだから・・・・

 爛と輝く緑玉の瞳が、大きく目を見開いたイリーネの顔を真っ向から見つめすえた。

「『アクス・エリヤード(紅い閃光の矢)』!!」

 彼の唇が呪文を紡ぎ出すと、振りかざした金色の大剣、妖の剣アクトレイドスの金色の刀身が、果てしない黄金の輝きを解き放った。
 触手のように伸び上がるその光が、ジェスターの肢体に絡み付き、翻され赤い炎の斬撃が、煌々と輝く火矢のような弧を描いて、取り乱すイリーネの肩を一瞬にして捕らえたのである。

「あああぁぁああ―――――――っ!!?」

 泣き叫ぶような咆哮が森の最中にこだまし、赤い焔(ほむら)を上げるアクトレイドスの炎の斬撃が、鋭い音を立ててその肩から腰までを一気に斬り下ろしたのだった。

 鈍く重い衝撃が、妖剣を握る彼の腕へと伝わってくる。
 アクトレイドスの金色の刀身が吹き上げる深紅の炎が、魔に落ちた愛しい人の体を包み込んで、虚空に大きく伸び上がった。

「ギャアアアア―――――っ!!」

 アラン・・・・ずっと傍にいて・・・・・・ずっと・・・アランデューク・・・・

 地獄の底から響くような断末魔の叫びの中、以前のように、甘く優しく、彼の名を呼ぶ彼女の声を、微かに聞いた気がした。

 ぐらりと揺らいだその黒い羽が、黒炎を上げながら虚空に飛び散り離散する。

 黒い雪のように舞飛んだそれは、ひらひらと彼の精悍な頬を撫でながら、一筋の風が吹いた虚無の虚空の最中に揺らめいた。

 糸の切れた傀儡(かいらい)のように崩れ行く彼女の体を、不意に差し伸ばされたジェスターの大きな腕が抱きとめる。

 その時初めて、見事な栗毛の前髪から覗く鮮やかな緑玉の瞳に、一抹の悲哀の光が浮かんだ。
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