上 下
46 / 64

第四節 嵐の予兆は西方より出(いず)る3

しおりを挟む
        *
 こんな所で、時間を費やしている暇はない・・・・
 封魔の術が施された小さな格子窓から、白白と明ける黎明の空を、その澄み渡る銀水色の瞳で仰ぎ見て、ロータス一族の大魔法使いは、己の不甲斐なさに、時折美しいとも形容されるその雅で秀麗な顔を苦悩と苦痛に歪めたのだった。

 冷たい石壁に広い背中を凭れさせ床に座り込むようにして、彼、スターレット・ノア・イクス・ロータスは、輝くような蒼銀の髪が揺れる広く知的な額に、片手をあてがったのである。

 そこは、城とも言うべきロータス公爵の屋敷の、その広大な敷地の一角にある牢獄だった。

 家訓に反した者の反省を促すために作られた、その牢を作るありとあらゆる建築資材に封魔の術を施された魔法封じの牢獄だ。
 独断で王宮を飛び出したスターレットを戒めるため、彼の父であるアレクサスは、決して抗うことの出来ない彼をこの牢に閉じ込めたのである。
 それは例え、大魔法使いであっても破ることのできない強固な魔封じの牢獄、父の怒りが収まるまでは、彼は、決して此処から出してはもらえぬのであろう。

 薄く知的な唇の奥で、スターレットは、ぎりりと奥歯を噛み締めた。
 こうしている間にも、西方の国が策略する不穏は増し、そして、魔王に囚われているあの美しき異国の女剣士も、じわじわと魔性に侵食されているはずだ。

 完全に魔性に支配され、その肉体が強力な魔力と引き換えに人の血を失えば、もう二度と、例え彼の魔力を用いたとしても、人に戻ることはできない。

 もしそうなれば、彼は、彼女を殺すしか手立てがなくなるのだ。
 小さな格子窓から差し込む暁の淡い輝きが、スターレットの雅で秀麗なその頬を照らし、輝くような蒼銀の髪に優美な金色の帯を描いてた。

 ここに閉じ込められている限り、一切の手立てを講じることはもはや不可能、苛立ちと焦りだけが、彼の胸の中に切々と降り積もるばかりである。

 どう足掻いても、どう抗っても、自分が、ロータス一族の者であり、その家訓に反目すら出来ぬことを、彼は、今、心が悶え苦しむ程味わっていた。

 彼に、自由は無い。
 彼の行く道筋には常に、ロータス家の家訓と王宮への忠誠が付きまとう。
 例えの己に行きたい道があっても、決して、自分を縛る見えない鎖を断ち切れぬ自分の弱さに、身震いするほど怒りが込み上げてくる。

 あの異国の美しい女剣士は、初めて出会ったあのレイ・ポルドンの地で、彼女の言葉に何も答えることが出来なかった彼に、凛とした茶色の瞳を強く輝かせ「臆病者!」と言い放った。

~ どんなに偉そうな理屈をごねても、おぬしは、肩書きばかり立派なだけの臆病者だ!ロータスのが聞いて呆れるわ!

 そうだラレンシェイ・・・・私は臆病者だ・・・・臆病過ぎて、我が身すら自由にできぬ愚か者だ・・・・・

 微かに揺れる輝くような蒼銀の前髪の下で、綺麗な眉を悔しそうに眉間に寄せ、両手を膝で組み直し広い額に押し当てると、スターレットは、その瞼を苦々しく閉じた。 
 その時だった、不意に、自虐と苦痛に雅で秀麗な顔をしかめ、うなだれている彼の聴覚に、鉄格子の向こうの通路から一つの軽い足音が響き渡ってきたのは・・・・

 スターレットは、輝くような蒼銀の髪を揺らし、苦悩に歪む顔を上げると、ふと、澄み渡る銀水色の眼差しをそちらへと向けたのだった。
 すると、鉄格子越しにゆっくりとそこに立ったのは、ロータス家に仕えるメイドの服を纏った、見知らぬ年若い女性だったのである。

 その胸元で揺れる金色の長い巻き毛。
 彼女の髪の色で、すぐに彼女が異国の民・・・それも、エストラルダの民だとわかる。
 スターレットは、蒼いローブを纏う広い肩をハッと揺らした。

「そなたは・・・・!」

 驚いたようにそう呟いたスターレットの雅な顔を、凛とした青い眼差しが、鉄格子を通して静かに顧みる。
 彼女は、流暢なリタ・メタリカ語を用い、低めた声で答えて言うのである。

「我が名はセイレン・ラーラ・・・・アストラ部隊四番隊所属、隊長ラレンシェイ・ラージェの副官たる者・・・・おぬしがロータスのだな・・・」

「そなた、ラレンシェイの・・・・部下か?」

「その通りだ・・・・ロータスのよ、おぬしに聞きたいことがある。
我が隊の隊長殿は今、どこにいる?奇妙な魔物と共に消えて以来、我らでもその行方がつかめないのだ。
上から帰還命令が出ている、このまま、隊長が帰還せねば、隊長は裏切り者として扱われることになる」

 その言葉に、スターレットの顔色がにわかに変わった。
 ゆっくりと立ち上がり、蒼いローブを翻しながら鉄格子まで歩み寄ると、セイレンと名乗ったアストラを真剣な眼差しで見つめすえ、神妙な声色で彼女の問うのだった。

「裏切り者とされえれば、ラレンシェイはどうなる・・・・?」

「部隊は除隊させられ、民衆の前で、皇帝を裏切った者として斬首刑になる」

 僅かばかり心痛な面持ちで蛾美な眉を寄せると、それでも尚強い眼差しで、セイレンはそう言い切った。
 スターレットの雅な顔が、ますます苦々しく歪んだ。
 ラレンシェイは、自分がアストラであることを誇りとしている。
 そんな彼女が、裏切り者として斬首される・・・・

 今、リタ・メタリカに巻き起っているこの不穏な出来事は、彼女には全く関係の無い事柄であったはずなのに・・・・
それに関わらせてしまったがために、誇り高きアストラの勇敢な女剣士が、その誇りすら奪い去られてしまうと言うのか・・・?
 その思いがスターレットの胸に飛来した時、力なくうなだれていた彼の表情が、にわかに凛と引き締められ、鋭くも厳しい表情へと変貌したのである。

「そなたの隊長は、決して、裏切ってなどおらぬ・・・・・必ず私が、闇の魔物の元からラレンシェイを連れ戻そう。
セイレン、そなたに頼みがある、この牢を開けてはくれぬか?さすれは、ラレンシェイを連れ戻す手立てが講じられる・・・・っ!
少し危険な目に遭うかも知れぬが、聞き届けてはもらえぬか?」

 先程までとは打って変わった、実に強い口調でそう言うと、スターレットの澄んだ銀水色の眼差しが、何かを決意したかのように爛と煌いた。
 セイレンは、そんな彼に向かってどこか愉快そうに笑って見せると、金色の髪を揺らして、衣の胸元から何かを取り出したのである。

「この牢は、これで開くか?」

 しゃらりと、鉄の擦れる涼しやかな音が静まり返る石造りの廊下にこだまして、彼の眼前に彼女が翳したのは、なんと、この牢獄の鍵であったのである。

「何故それを!?父の書斎から盗みだしたのか!?あの父に気付かれずに!?」

 一瞬、驚いたようにその銀水色の瞳を丸くすると、スターレットは、まじまじと、セイレンの綺麗な顔を見つめ遣ったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

魔力∞を魔力0と勘違いされて追放されました

紗南
ファンタジー
異世界に神の加護をもらって転生した。5歳で前世の記憶を取り戻して洗礼をしたら魔力が∞と記載されてた。異世界にはない記号のためか魔力0と判断され公爵家を追放される。 国2つ跨いだところで冒険者登録して成り上がっていくお話です 更新は1週間に1度くらいのペースになります。 何度か確認はしてますが誤字脱字があるかと思います。 自己満足作品ですので技量は全くありません。その辺り覚悟してお読みくださいm(*_ _)m

生まれる世界を間違えた俺は女神様に異世界召喚されました【リメイク版】

雪乃カナ
ファンタジー
世界が退屈でしかなかった1人の少年〝稗月倖真〟──彼は生まれつきチート級の身体能力と力を持っていた。だが同時に生まれた現代世界ではその力を持て余す退屈な日々を送っていた。  そんなある日いつものように孤児院の自室で起床し「退屈だな」と、呟いたその瞬間、突如現れた〝光の渦〟に吸い込まれてしまう!  気づくと辺りは白く光る見た事の無い部屋に!?  するとそこに女神アルテナが現れて「取り敢えず異世界で魔王を倒してきてもらえませんか♪」と頼まれる。  だが、異世界に着くと前途多難なことばかり、思わず「おい、アルテナ、聞いてないぞ!」と、叫びたくなるような事態も発覚したり──  でも、何はともあれ、女神様に異世界召喚されることになり、生まれた世界では持て余したチート級の力を使い、異世界へと魔王を倒しに行く主人公の、異世界ファンタジー物語!!

転生貴族の異世界無双生活

guju
ファンタジー
神の手違いで死んでしまったと、突如知らされる主人公。 彼は、神から貰った力で生きていくものの、そうそう幸せは続かない。 その世界でできる色々な出来事が、主人公をどう変えて行くのか! ハーレム弱めです。

【完結】元婚約者であって家族ではありません。もう赤の他人なんですよ?

つくも茄子
ファンタジー
私、ヘスティア・スタンリー公爵令嬢は今日長年の婚約者であったヴィラン・ヤルコポル伯爵子息と婚約解消をいたしました。理由?相手の不貞行為です。婿入りの分際で愛人を連れ込もうとしたのですから当然です。幼馴染で家族同然だった相手に裏切られてショックだというのに相手は斜め上の思考回路。は!?自分が次期公爵?何の冗談です?家から出て行かない?ここは私の家です!貴男はもう赤の他人なんです! 文句があるなら法廷で決着をつけようではありませんか! 結果は当然、公爵家の圧勝。ヤルコポル伯爵家は御家断絶で一家離散。主犯のヴィランは怪しい研究施設でモルモットとしいて短い生涯を終える……はずでした。なのに何故か薬の副作用で強靭化してしまった。化け物のような『力』を手にしたヴィランは王都を襲い私達一家もそのまま儚く……にはならなかった。 目を覚ましたら幼い自分の姿が……。 何故か十二歳に巻き戻っていたのです。 最悪な未来を回避するためにヴィランとの婚約解消を!と拳を握りしめるものの婚約は継続。仕方なくヴィランの再教育を伯爵家に依頼する事に。 そこから新たな事実が出てくるのですが……本当に婚約は解消できるのでしょうか? 他サイトにも公開中。

雷神と呼ばれた魔法使い ~光の魔法と時間の呪い~

福山 晃
ファンタジー
雷神トールの名を頂く魔法使いトーリアの成長の物語。 かつてコリーンの魔法学校に在学中だったエミリアは数々の伝説を持つ魔法使いから『光の魔法』を呼び覚ます術式を渡される。 卒業後はトーリアの名を与えられ家督を継ぐが、『光の魔法』を求めて諸国を巡る旅を続けていた。

処理中です...