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第三節 夜の闇と追憶の月影8

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 だが、それに臆すこともないレダは、再び『水の弓(アビ・ローラン)』に閃光の矢をつがえると、引き結ばれた鋭利な光の切っ先が、宙を舞って飛来してくるシグスレイの姿を真っ向から捕捉したのである。

『【息吹(アビ・リクォト)】の糧となれ!!闇の者よ!!』

 清らかな水を宿す青き閃光の矢が、涼しやかなの音と共に、今、一直線に解き放たれた。
 正にその次の瞬間だった。
 大きく見開かれた人妖の三つの瞳が、まるで、暗雲の最中に走る雷光のような紫色の閃光を解き放ったのである。
それはレダの放った矢と入れ違うようにして、まともに彼女の額を貫いていく。

「なに!!?」

 しかし、その閃光は、それを受けた者に、外傷を負わせるような術では決してない。
 鮮やかな紅玉の両眼が驚愕に見開かれ、何が起こったのか解らぬまま、レダは、はっとその肩を揺らす。
 吹き付ける風に舞い散る月影に、藍に輝く艶やかな黒髪が揺れ、我に返ったレダの眼前に【息吹(アビ・リクォト)】を狙って伸ばされたシグスレイの両腕が迫っていた。

 まんまと清めの矢を退いたのか、不気味なほどに無表情な魔物の顔が、正にすぐ目と鼻の先にある。
に、しなやかなその身を翻さんとしたレダの視界が、突然、ぐらりと揺らぎ、足元の地面が波打つような奇妙な感覚が鋭敏な彼女の感覚を失わせた。

「!?」

 自分の意志に反して後方に倒れていくその体。
 訳がわからず、驚愕で大きく見開かれた紅の瞳に天空の月が映り込んだ。
 今、正に、彼女の細い腰に下げられている、【息吹(アビ・リクォト)】を収めた絹の袋に不気味な人妖の手が伸びる。
 その時であった。

「レダ!!」

 背中から地面に倒れたレダの視界に、ひらりと、緋色のマントが棚引いた。
 ぶぅうんと低く鋭い音が辺りに響き渡り、朱色に輝く美しい光の刃が夜の闇を切り裂くと、三日月の形をした鋭利な弧が迅速で迸り、差し伸ばされていた三つ目の魔物の片腕を、容赦なく肘から跳ね飛ばしたのだった。

 シグスレイは、尚も不気味な無表情のまま、黒き炎を纏って虚空にその身を翻す。
 そんな人妖の三つの瞳が捕えたのは、晴れ渡る空を映したような凛と強い眼差しと、その色と同じ長く美しい巻髪を持つ、リタ・メタリカの秀麗な姫君の姿であったのだ。

 そんな彼女に一足遅れ、息を上げて走りこんできた見習魔法使いウィルタールが、左右に頭を降りながら立ち上がったレダの綺麗な顔を、心配そうに覗き込んでくる。

『レダ様!大丈夫ですか!?』

『大丈夫だ・・・・本当に、不甲斐ないな、私は・・・・』

 その時、苦々しくそう呟いたレダの鮮やかな紅玉の両眼が、何ゆえか、にわかに大きく見開かれたのだった。
片手で【水の弓】を握ったまま、空いている手を青き華の紋章が刻まれた額にあてがうと、不意に、彼女の肩が、意味も無くがたがたと震え出してくる。

 ウィルタールは、まだあどけなさの残る青い瞳を丸くすると、そんな彼女を、実に怪訝そうな顔つきで見つめたのだった。

『レダ様?いかがしました?』

 彼の問いかけに、レダは、何をも答えずにうなだれると、綺麗な頬にその藍に輝く黒髪が掛かることも気にせずに、ただ、ひたすら肩を震わせるばかりであった。
 青珠の森の秀麗な守り手たるレダが、魔物の邪眼によって、幻術にかけられているなどと、まだ、見習の術者であるウィルタールが、この時点で気付く訳もない・・・

 吹き付ける夜風に、月影が舞う。
 それと時を同じに、夜風に緋色のマントを揺らめかせ、強風の最中に凛々しく立つ花ようなその姫が、【破滅の鍵】と呼ばれる人物であることを、シグスレイは、彼女の持つ奇特な剣を見て悟っていた。

【無の三日月(マハ・ディーティア)】と名づけられた、全ての魔を絶つき光の剣を扱えるのは、この広大なシァル・ユリジアン大陸の何処を探しても、彼女一人しかいないはずだ・・・・
 そう、これを扱えるのは【破滅の鍵】としてこの世に生を受けた、リタ・メタリカの美しくも勇ましい王女リーヤティア、その人だけである。

 リーヤは、【無の三日月(マハ・ディーティア)】を前で構え直すと、大きな紺碧色の瞳を鋭く煌かせて、間髪入れず俊足で地面を蹴った。

「このエトワーム・オリアを、嘆きに満たした魔物は貴方ですか!?」

 空を薙ぐき光の刃が低く鋭い音を立て、周りの空気を熱く振動させながら、ふわりと地面に降り立ったシグスレイの首を狙って迅速で翻される。

 片腕を失いながらも不気味な無表情のままでいるシグスレイは、軽くその身を後方に反らすと、迫り来る光の刃をまんまと退けたのだった。
 だが、邪眼である彼も、この時、【無の三日月(マハ・ディーティア)】の本当の力をまだ知らないでいたのある。
 魔を絶つ刃は、見事に回避したはずだった。

 しかし、行き過ぎたき光の刀身が夜の闇に曇る虚空を振動させた時、朱の帯を引いた刃の残光が、不規則な波動を生み出して、それは突如として三日月型の閃光に変わり果てたのである。
 眩いばかりの輝きを放ちながら、炎の如き熱を帯びる柄無き光の刃が、シグスレイに向かって真っ向からった。
無表情であったはずのシグスレイの顔が、僅かな驚愕に満たされる。
 それに驚愕したのは、何も魔物だけではない、まだまだこの朱の剣の力を把握していなかったリーヤもまた、利き手で【無の三日月(マハ・ディーティア)】の柄を握り直しながら、紺碧色の大きな瞳を驚いたように見開いたのである。

「な、なんなのです!?」

 思わずそう呟いたリーヤの視界で、虚空に浮かんだ三日月型の残光が、虚空を両断しながら鋭い音と激しい波動を伴ってシグスレイにまかり飛ぶ。
 黒き炎がその肢体を被い、寸前の所でそれを防いだ三つ目の魔物の背後から、今度は、やけに愉快そうな青年の声が響いてきたのである。

「流石リタ・メタリカのじゃじゃ馬だ・・・・この短い間に、よくもまぁ、そんな事まで出来るようになったな?リーヤティア?」

 その声に過敏に反応したシグスレイが、白に近い銀色の三つ目で素早く背後を振り返った。
 同時に、【無の三日月(マハ・ディーティア)】を構えたまま、リーヤは、揺れる紺碧色の巻髪の下で、蛾美な眉を吊り上げて怒ったように声を上げたのだった。

「ジェスター!?今まで何をしていたのです!?」

 そんな彼女の凛とした紺碧色の瞳に映り込んでくる、もう見慣れた青年の姿。
 やけにのんびりとした歩調でこちらに歩みながら、抜き払ったの大剣を肩に担ぐようにして、鮮やかな群青の衣の長い裾を夜風に翻している。

 それは紛れも無く、アーシェ一族の魔法剣士ジェスター・ディグの姿であったのだ。
 彼は、若獅子の如き見事な栗毛の髪を夜の闇に揺らしながら、燃え盛る炎のような美しき緑玉の瞳で、不機嫌そうなリーヤの顔を真っ直ぐに見る。
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