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【18、愛情】
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世の中は、クリスマスシーズンで浮かれていた。
その頃、俺自身、仕事も音楽も立て込み過ぎてた忙しかった上に、里佳子さんも仕事が忙しいようだった。
でも、その忙しい合間に会って、確かめるようにお互いの体を重ねていたのも確かな事だった。
ただ、12月に入ってからの彼女は、どこか様子が違っていた。
その頃の彼女は、会うと子供みたいに俺に抱きついてきて、何故か、少し思い詰めた表情をしてから笑う事が、癖みたいになっていた。
その表情は気になっていたが、なんとなく聞けないまま過ごしていた。
彼女の部屋にもしばらく行ってない。
あの時、彼女が言ってた子供云々の話もなんだか気になってはいたし、そのあとも抱き合ったあとで意味深なことを言っていたりしたが、真意を聞けないまま時間を消費していた。
12月も半ばを過ぎ、クリスマスが目前に迫った、夜の事だった。
なんの予兆もなく、予感もなく、その時はほんとに、突然、訪れた。
いや…
俺が気付かなかっただけで、予兆はいくつもあったのかもしれない。
その夜は、ライブの帰りに、仕事終わりの彼女をマンションまで迎えにいくことになっていた。
21時を回った頃、彼女のマンションの駐車場に車を停めると、彼女の部屋の電気は消えていた。
「……?」
不思議に思って、LINEを鳴らそうとした時、不意に、車の助手席のドアを叩く音がした。
振り返ると、長かった髪を肩の辺りまで切った、スーツ姿の彼女がいた。
彼女はなんとなく寂しそうに笑って、ドアを開けた。
「お帰り、ライブお疲れさま!」
「里佳子さん、髪切った?」
「うん、似合う?」
「ははは、似合う似合う!」
「なにそれ、全然心こもってない!」
「こもってるよ!」
俺がそう答えると、里佳子さんは一度笑って、そして、急に神妙な顔になった。
「樹くん…部屋、行こう」
「え?あぁ…うん」
飯を食いに行こうと言ってたのに、急にどうしたのかと、俺は不思議に思ったが、彼女の言うまま、彼女の部屋へと向かった。
彼女が、見慣れたドアを開けた時、俺はハッとした。
すっかり家具が運びだされ、開け放たれた寝室のドアの向こうには、カーテンのない窓。
ただ、ベランダから差し込む薄い月明かりだけが、綺麗に磨かれた床を照らしていた。
驚いた俺に振り返ると、里佳子さんは、悲しそう笑って、パンプスを脱ぎ捨てて、何もなくなった部屋へと入っていった。
「…引っ越すの?」
事態が飲み込めないままそう聞いた俺に、里佳子さんは小さく頷く。
スニーカーを脱いで、部屋の中に足を踏み入れた俺に振り返ると、彼女は、感情を圧し殺すように静かに言った。
「あたし…
ずっと、暖かい家庭に憧れてたんだ…
両親は仲が悪くて、家に居場所なんかなかったんだけど、母が厳しかったから、家にいるしかなくて…
だからあたしは、結婚したら、そんな家庭にはしないって、そう思ってたんだ…」
「……里佳子さん……?」
「あたし……
信ちゃんにプロポーズされたんだ…
10月のあの時に……」
「え………っ!?」
その言葉に、俺は驚いて里佳子さんの顔を見つめてしまう。
あの時、様子がおかしかったのは、そのせいだったんだと、俺は今さらそれに気づいた。
「プロポーズされた時、あたし……
ほんとに嬉しくて……
いつもモンハンばっかで、あたしになんか関心がないと思ってたのに、ちゃんと将来のこと考えてくれてた事が、嬉しくて…
でも、それ以上に……っ」
そこまで言って、里佳子さんは、暗い部屋の中で言葉を詰めた。
そして、崩れ落ちるように床に座り込むと、今にも泣きそうになりながら、言葉を続けた。
「悲しかった……っ」
俺は驚いて、思わず、座りこんだ里佳子さんのそばで膝を付く。
そのまま、彼女を抱き締めて、俺は、何も言えないまま黙るしかなかった。
「………」
「なんで悲しいのって…あたし思った…
悲しいのは……っ
このプロポーズを受けてしまったら、もう、樹くんには会えないと思ったから…っ」
「なんでっ?また会えばいいじゃん…
今まで通り、時間作って、また会えばいいじゃん…っ」
思わずそう言った俺の腕を、里佳子さんが押し返す。
「会えないよっ!
今だって、十分苦しいのに…っ!
信ちゃんのことは好きだよ、でも、樹くんに対する好きとは違うの!
樹くんのことは…もっと好き…っ
だけど、そんな自分があたしはずるすぎて嫌だった!」
「里佳子さん……」
「樹くんがミキちゃんを部屋に泊めたって聞い た時…
あたし、ほんとは…
もう終わりにしようと思ったの…
これで楽になれるって…
苦しくなくなるって…
でも、樹くんを失うと思ったら、もっともっと、苦しくなって…っ」
「………」
俺は、僅かに抵抗する彼女の体を、強引に引き寄せて強く抱き締めた。
彼女の中に、そんな葛藤があったことなんて、まるで知らなかった俺は、どんな言葉をかけたらいいのかわからなくなって、こうするしかできなかった。
その時、ぼんやりと気がついた…
だけど、これが当たってるかどうかなんてわからない…
あの時「子供が作りたい」と俺に言ったのは、もしかすると、俺と先のことを考えたいって意味だったんじゃないかと…
今となっては、真意はまるでわからない…
里佳子さんは、薄暗く寒い部屋の中で、静かに俺の背中を抱き締め返した。
細い肩が震えている。
「あたし、信ちゃんのプロポーズ受けた…
でも、樹くんの顔を見ちゃうと、言い出せなくて…
樹くんに触られると、ますます、言えなくなって…
あたしの、心、もう、限界…」
「里佳子さん……
ごめん…
俺、なんにも気づいてなかった…
ごめん…」
「樹くん……あたし…
あたし、もう……
二度と樹くんとは会わない……」
「………っ?!」
「この部屋は明日で引き払うんだ…
もう、信ちゃんと暮らすことになってる…
会社も、今日、辞めてきた…
あたし、信ちゃんの所に……戻るね」
「…………」
いつになく強い口調でそう言った彼女の顔を、俺は、言葉を失ってただ見つめ返した。
彼女は、ぱっと俺の腕をすり抜けて、赤い口紅が塗られた唇を噛み締めている。
俺自身、今、ここでどんな事態が起こっているのか、把握しきれてなかった。
俺を見つめる彼女は、いつになく、強い表情をしていた。
だけど、その瞳には、涙を一杯に貯めていた…
その頃、俺自身、仕事も音楽も立て込み過ぎてた忙しかった上に、里佳子さんも仕事が忙しいようだった。
でも、その忙しい合間に会って、確かめるようにお互いの体を重ねていたのも確かな事だった。
ただ、12月に入ってからの彼女は、どこか様子が違っていた。
その頃の彼女は、会うと子供みたいに俺に抱きついてきて、何故か、少し思い詰めた表情をしてから笑う事が、癖みたいになっていた。
その表情は気になっていたが、なんとなく聞けないまま過ごしていた。
彼女の部屋にもしばらく行ってない。
あの時、彼女が言ってた子供云々の話もなんだか気になってはいたし、そのあとも抱き合ったあとで意味深なことを言っていたりしたが、真意を聞けないまま時間を消費していた。
12月も半ばを過ぎ、クリスマスが目前に迫った、夜の事だった。
なんの予兆もなく、予感もなく、その時はほんとに、突然、訪れた。
いや…
俺が気付かなかっただけで、予兆はいくつもあったのかもしれない。
その夜は、ライブの帰りに、仕事終わりの彼女をマンションまで迎えにいくことになっていた。
21時を回った頃、彼女のマンションの駐車場に車を停めると、彼女の部屋の電気は消えていた。
「……?」
不思議に思って、LINEを鳴らそうとした時、不意に、車の助手席のドアを叩く音がした。
振り返ると、長かった髪を肩の辺りまで切った、スーツ姿の彼女がいた。
彼女はなんとなく寂しそうに笑って、ドアを開けた。
「お帰り、ライブお疲れさま!」
「里佳子さん、髪切った?」
「うん、似合う?」
「ははは、似合う似合う!」
「なにそれ、全然心こもってない!」
「こもってるよ!」
俺がそう答えると、里佳子さんは一度笑って、そして、急に神妙な顔になった。
「樹くん…部屋、行こう」
「え?あぁ…うん」
飯を食いに行こうと言ってたのに、急にどうしたのかと、俺は不思議に思ったが、彼女の言うまま、彼女の部屋へと向かった。
彼女が、見慣れたドアを開けた時、俺はハッとした。
すっかり家具が運びだされ、開け放たれた寝室のドアの向こうには、カーテンのない窓。
ただ、ベランダから差し込む薄い月明かりだけが、綺麗に磨かれた床を照らしていた。
驚いた俺に振り返ると、里佳子さんは、悲しそう笑って、パンプスを脱ぎ捨てて、何もなくなった部屋へと入っていった。
「…引っ越すの?」
事態が飲み込めないままそう聞いた俺に、里佳子さんは小さく頷く。
スニーカーを脱いで、部屋の中に足を踏み入れた俺に振り返ると、彼女は、感情を圧し殺すように静かに言った。
「あたし…
ずっと、暖かい家庭に憧れてたんだ…
両親は仲が悪くて、家に居場所なんかなかったんだけど、母が厳しかったから、家にいるしかなくて…
だからあたしは、結婚したら、そんな家庭にはしないって、そう思ってたんだ…」
「……里佳子さん……?」
「あたし……
信ちゃんにプロポーズされたんだ…
10月のあの時に……」
「え………っ!?」
その言葉に、俺は驚いて里佳子さんの顔を見つめてしまう。
あの時、様子がおかしかったのは、そのせいだったんだと、俺は今さらそれに気づいた。
「プロポーズされた時、あたし……
ほんとに嬉しくて……
いつもモンハンばっかで、あたしになんか関心がないと思ってたのに、ちゃんと将来のこと考えてくれてた事が、嬉しくて…
でも、それ以上に……っ」
そこまで言って、里佳子さんは、暗い部屋の中で言葉を詰めた。
そして、崩れ落ちるように床に座り込むと、今にも泣きそうになりながら、言葉を続けた。
「悲しかった……っ」
俺は驚いて、思わず、座りこんだ里佳子さんのそばで膝を付く。
そのまま、彼女を抱き締めて、俺は、何も言えないまま黙るしかなかった。
「………」
「なんで悲しいのって…あたし思った…
悲しいのは……っ
このプロポーズを受けてしまったら、もう、樹くんには会えないと思ったから…っ」
「なんでっ?また会えばいいじゃん…
今まで通り、時間作って、また会えばいいじゃん…っ」
思わずそう言った俺の腕を、里佳子さんが押し返す。
「会えないよっ!
今だって、十分苦しいのに…っ!
信ちゃんのことは好きだよ、でも、樹くんに対する好きとは違うの!
樹くんのことは…もっと好き…っ
だけど、そんな自分があたしはずるすぎて嫌だった!」
「里佳子さん……」
「樹くんがミキちゃんを部屋に泊めたって聞い た時…
あたし、ほんとは…
もう終わりにしようと思ったの…
これで楽になれるって…
苦しくなくなるって…
でも、樹くんを失うと思ったら、もっともっと、苦しくなって…っ」
「………」
俺は、僅かに抵抗する彼女の体を、強引に引き寄せて強く抱き締めた。
彼女の中に、そんな葛藤があったことなんて、まるで知らなかった俺は、どんな言葉をかけたらいいのかわからなくなって、こうするしかできなかった。
その時、ぼんやりと気がついた…
だけど、これが当たってるかどうかなんてわからない…
あの時「子供が作りたい」と俺に言ったのは、もしかすると、俺と先のことを考えたいって意味だったんじゃないかと…
今となっては、真意はまるでわからない…
里佳子さんは、薄暗く寒い部屋の中で、静かに俺の背中を抱き締め返した。
細い肩が震えている。
「あたし、信ちゃんのプロポーズ受けた…
でも、樹くんの顔を見ちゃうと、言い出せなくて…
樹くんに触られると、ますます、言えなくなって…
あたしの、心、もう、限界…」
「里佳子さん……
ごめん…
俺、なんにも気づいてなかった…
ごめん…」
「樹くん……あたし…
あたし、もう……
二度と樹くんとは会わない……」
「………っ?!」
「この部屋は明日で引き払うんだ…
もう、信ちゃんと暮らすことになってる…
会社も、今日、辞めてきた…
あたし、信ちゃんの所に……戻るね」
「…………」
いつになく強い口調でそう言った彼女の顔を、俺は、言葉を失ってただ見つめ返した。
彼女は、ぱっと俺の腕をすり抜けて、赤い口紅が塗られた唇を噛み締めている。
俺自身、今、ここでどんな事態が起こっているのか、把握しきれてなかった。
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