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【7、指先】
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店長が転勤になってからも、里佳子さんは変わらず店に来ていた。
相変わらずコーヒーを頼み、タブレットを時折いじりながら、いつものようにアンニュイに窓の外を眺める。
その横顔が、なんとなく寂し気に見えた。
里佳子さんは、店長と行かなかった。
『結婚もしてないのに、転勤についてくなんてあり得ない!』
そう言って笑っていた。
だけどやっぱ…
当然のように傍にいた人間がいなくなると、寂しいんだろう。
「今日、仕事早上がりなんで、どっか行きませんか?」
アンニュイな顔つきをしている彼女に、店でそう声をかけたら、彼女は、一瞬驚いたような顔をして、それから柔らかく微笑った。
「いいよ」
*
特に、どこに行こうとか考えて車を走らせた訳じゃない。
ただ、なんとなく走ってたどり着いた場所が、夜の海だった。
平日で、海水浴客ももう居なくなった深夜。
辺りには海の波の音しか聞こえてなかった。
「月が海のすぐ上にある…」
里佳子さんはそう言って、車の助手席のドアを閉めた。
「里佳子さん、今日、ヒール?」
俺がそう聞くと、彼女はフフっと笑って「サンダル!」と答える。
そのまま、砂浜の方へ歩き出す彼女は、いたってシンプルなキャミソールワンピースを着ていた。
化粧っ気も相変わらずないけど…
唇には赤い口紅。
そして、ネイルも赤に染められていた。
「昼間来るのは日焼けするから嫌だけど、夜はいいね…静かだし
でも、波がちょっと怖いね」
俺の三歩前辺りを歩きながら、里佳子さんは振り返らずにそう言った。
月明かりに、細い肩が照らし出されている。
華奢な背中に揺れる長い髪。
「信ちゃんは、こんなとこに連れて来てくれるようなタイプじゃないからな~
菅谷くんてさ…」
そう声をかけて、彼女は肩越しに俺を振り返る。
「なに?」
「結構、こういう風に誰か連れて来る?
夜の海とか?」
「……たまに」
「……やっぱり」
「やっぱりて、なに?」
「んー?
可愛い顔して、意外と遊んでるんだなって」
里佳子さんは、俺をからかうようにそう言うと、体ごとこちらに振り返る。
俺はちょっとムッとして答えた。
「遊んでないよ…
つか、可愛いって言うなよ、それ褒め言葉じゃないから」
「あ…っ、そうだったね、ごめんごめん。
ね?今、付き合ってる人とかいないの?」
「いたら、里佳子さんとこんな時間に、こんな場所に来てないと思う」
「………そっか、そうだよね」
赤い口紅が添えられた彼女の唇が、どこか意味ありげに微笑した。
暗い海に月明かりが滲んでいる。
どことなく頼りなさそうに昇る丸い月。
里佳子さんは、ふと、海の方に視線を向けた。
「菅谷くん、気を使ってくれたんでしょ?信ちゃん転勤になっちゃったから?」
そう言った彼女の声は、 どことなく神妙な響きを持っていた。
俺はその問いかけに答える事ができなくて、ただ、押し黙った。
「確かに、うるさいイビキが隣の部屋から聞こえないのは、ちょっと寂しいけどね」
黙っている俺に笑いかけると、彼女は、赤く塗られた指先で自分の髪を押さえながら、言葉を続けた。
「付き合いだした頃はまだ大学生でさ。
信ちゃん、気づくと私の部屋に転がり込んでてね、気づくといっつもゲームやってたんだよね。
でも、あたしにとってそれが普通になっちゃってたから…
こんな風に、こんな時間に海に来るとか、 全然頭になくって。
アラサーにもなって、カルチャーショック受けちゃった!」
「カルチャー…ショック??」
「そうそう、カルチャーショック。
あたし、家に色々事情あって、お母さんが厳しかったから、大学に入るまで誰とも付き合ったことなくて。
人生で初めて付き合ったのが、信ちゃんだったんだよね」
「そう…なんだ」
「うん…でも、違う世界もあるんだなって、今さら気づいちゃった…どうしよう?」
冗談めかしくそう言って、里佳子さんは、どこか切なそうにまた海の方へと視線を向ける。
その表情にどんな意味があるのか、俺には全然見当も付かなくて、思わず手を伸ばして…そして、躊躇って引っ込めた。
「どうしよう…って言われても…
でも、まぁ、新しい世界を試してみんのもいいんじゃん?」
特に深い意味もなく、そう答えた俺に、里佳子さんはゆっくり振り返る。
そして、ちょっと拗ねたように言うのだった。
「このばばぁ何言ってんだ?って思ったでしょ?」
「は?思ってないって」
「ほんとかな~?」
「ほんとだって!」
「菅谷くんて、本心を表に出すの苦手でしょ?
愛想は悪くないけど、結局他人に無関心的なとこあるよね」
「……いや……」
否定しかけて、意外と当たってて、俺はまた黙るしかなかった。
そんな俺をまじまじと見上げて、里佳子さんは意味深に微笑う。
「あたしもそうなの。
結局他人に無関心なの。
だから、信ちゃんは、自分の好きなことしてれば干渉してこないから、付き合ってて楽だったんだよね…
でもね…」
「……でも、なに?」
「干渉してこないのは、無関心だからかなって、最近よく思ってた」
「え?じゃあ、干渉されたいの??」
「うーん…
干渉されたいっていう訳じゃないけど、そんなのうざいし…
なんだろね…
何言いたかったんだろ、あたし…
自分で、何言いたかったのか、なんか、わからなくなっちゃった」
「ダメじゃん!」
「ダメだよね~
でも、最近、もう1つよくわかったのは…」
「うん」
「菅谷くんも、あたしと同じかもって…」
「…………」
「…………」
二人同時に顔を合わせて、二人同時に思わず黙りこむ。
この時、何故、彼女がこんな事を言い出したのか、俺にはまるで理解できなかったけど…
彼女が、俺のことを嫌いじゃないことは、なんとなく感じた。
月明かりの下で、白い波が揺れている。
自分の髪を押さえる彼女の赤いネイルが、やけに目に付く。
波の音が重なった時、気づいたら、手を伸ばして、俺は、彼女の指先を握っていた。
「里佳子さんと同類とか…なんか屈辱!」
「は?なにそれ!?」
「帰ろうか」
「ちょっと!屈辱ってなにそれ!?
どういう意味?お姉さんに向かって失礼だよね!?」
「俺、正直だから!」
俺は、なんだか可笑しくなってきて、笑いながら里佳子さんの手を引っ張って歩いてみた。
里佳子さんは、俺の背中にブーブー文句を言いながら、それでも、握った手を振りほどくことはなかった。
相変わらずコーヒーを頼み、タブレットを時折いじりながら、いつものようにアンニュイに窓の外を眺める。
その横顔が、なんとなく寂し気に見えた。
里佳子さんは、店長と行かなかった。
『結婚もしてないのに、転勤についてくなんてあり得ない!』
そう言って笑っていた。
だけどやっぱ…
当然のように傍にいた人間がいなくなると、寂しいんだろう。
「今日、仕事早上がりなんで、どっか行きませんか?」
アンニュイな顔つきをしている彼女に、店でそう声をかけたら、彼女は、一瞬驚いたような顔をして、それから柔らかく微笑った。
「いいよ」
*
特に、どこに行こうとか考えて車を走らせた訳じゃない。
ただ、なんとなく走ってたどり着いた場所が、夜の海だった。
平日で、海水浴客ももう居なくなった深夜。
辺りには海の波の音しか聞こえてなかった。
「月が海のすぐ上にある…」
里佳子さんはそう言って、車の助手席のドアを閉めた。
「里佳子さん、今日、ヒール?」
俺がそう聞くと、彼女はフフっと笑って「サンダル!」と答える。
そのまま、砂浜の方へ歩き出す彼女は、いたってシンプルなキャミソールワンピースを着ていた。
化粧っ気も相変わらずないけど…
唇には赤い口紅。
そして、ネイルも赤に染められていた。
「昼間来るのは日焼けするから嫌だけど、夜はいいね…静かだし
でも、波がちょっと怖いね」
俺の三歩前辺りを歩きながら、里佳子さんは振り返らずにそう言った。
月明かりに、細い肩が照らし出されている。
華奢な背中に揺れる長い髪。
「信ちゃんは、こんなとこに連れて来てくれるようなタイプじゃないからな~
菅谷くんてさ…」
そう声をかけて、彼女は肩越しに俺を振り返る。
「なに?」
「結構、こういう風に誰か連れて来る?
夜の海とか?」
「……たまに」
「……やっぱり」
「やっぱりて、なに?」
「んー?
可愛い顔して、意外と遊んでるんだなって」
里佳子さんは、俺をからかうようにそう言うと、体ごとこちらに振り返る。
俺はちょっとムッとして答えた。
「遊んでないよ…
つか、可愛いって言うなよ、それ褒め言葉じゃないから」
「あ…っ、そうだったね、ごめんごめん。
ね?今、付き合ってる人とかいないの?」
「いたら、里佳子さんとこんな時間に、こんな場所に来てないと思う」
「………そっか、そうだよね」
赤い口紅が添えられた彼女の唇が、どこか意味ありげに微笑した。
暗い海に月明かりが滲んでいる。
どことなく頼りなさそうに昇る丸い月。
里佳子さんは、ふと、海の方に視線を向けた。
「菅谷くん、気を使ってくれたんでしょ?信ちゃん転勤になっちゃったから?」
そう言った彼女の声は、 どことなく神妙な響きを持っていた。
俺はその問いかけに答える事ができなくて、ただ、押し黙った。
「確かに、うるさいイビキが隣の部屋から聞こえないのは、ちょっと寂しいけどね」
黙っている俺に笑いかけると、彼女は、赤く塗られた指先で自分の髪を押さえながら、言葉を続けた。
「付き合いだした頃はまだ大学生でさ。
信ちゃん、気づくと私の部屋に転がり込んでてね、気づくといっつもゲームやってたんだよね。
でも、あたしにとってそれが普通になっちゃってたから…
こんな風に、こんな時間に海に来るとか、 全然頭になくって。
アラサーにもなって、カルチャーショック受けちゃった!」
「カルチャー…ショック??」
「そうそう、カルチャーショック。
あたし、家に色々事情あって、お母さんが厳しかったから、大学に入るまで誰とも付き合ったことなくて。
人生で初めて付き合ったのが、信ちゃんだったんだよね」
「そう…なんだ」
「うん…でも、違う世界もあるんだなって、今さら気づいちゃった…どうしよう?」
冗談めかしくそう言って、里佳子さんは、どこか切なそうにまた海の方へと視線を向ける。
その表情にどんな意味があるのか、俺には全然見当も付かなくて、思わず手を伸ばして…そして、躊躇って引っ込めた。
「どうしよう…って言われても…
でも、まぁ、新しい世界を試してみんのもいいんじゃん?」
特に深い意味もなく、そう答えた俺に、里佳子さんはゆっくり振り返る。
そして、ちょっと拗ねたように言うのだった。
「このばばぁ何言ってんだ?って思ったでしょ?」
「は?思ってないって」
「ほんとかな~?」
「ほんとだって!」
「菅谷くんて、本心を表に出すの苦手でしょ?
愛想は悪くないけど、結局他人に無関心的なとこあるよね」
「……いや……」
否定しかけて、意外と当たってて、俺はまた黙るしかなかった。
そんな俺をまじまじと見上げて、里佳子さんは意味深に微笑う。
「あたしもそうなの。
結局他人に無関心なの。
だから、信ちゃんは、自分の好きなことしてれば干渉してこないから、付き合ってて楽だったんだよね…
でもね…」
「……でも、なに?」
「干渉してこないのは、無関心だからかなって、最近よく思ってた」
「え?じゃあ、干渉されたいの??」
「うーん…
干渉されたいっていう訳じゃないけど、そんなのうざいし…
なんだろね…
何言いたかったんだろ、あたし…
自分で、何言いたかったのか、なんか、わからなくなっちゃった」
「ダメじゃん!」
「ダメだよね~
でも、最近、もう1つよくわかったのは…」
「うん」
「菅谷くんも、あたしと同じかもって…」
「…………」
「…………」
二人同時に顔を合わせて、二人同時に思わず黙りこむ。
この時、何故、彼女がこんな事を言い出したのか、俺にはまるで理解できなかったけど…
彼女が、俺のことを嫌いじゃないことは、なんとなく感じた。
月明かりの下で、白い波が揺れている。
自分の髪を押さえる彼女の赤いネイルが、やけに目に付く。
波の音が重なった時、気づいたら、手を伸ばして、俺は、彼女の指先を握っていた。
「里佳子さんと同類とか…なんか屈辱!」
「は?なにそれ!?」
「帰ろうか」
「ちょっと!屈辱ってなにそれ!?
どういう意味?お姉さんに向かって失礼だよね!?」
「俺、正直だから!」
俺は、なんだか可笑しくなってきて、笑いながら里佳子さんの手を引っ張って歩いてみた。
里佳子さんは、俺の背中にブーブー文句を言いながら、それでも、握った手を振りほどくことはなかった。
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