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第15話 過去編3

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〈シュダ視点〉

 記憶は流れ続け、動き続ける。まるで俺にすべてを見せるように。これまでを振り返らせるように。

 転々と渡り歩いた日々。違うようで同じようにしか見えない毎日。
 そんなある日、奇妙な男に出会った。白髪で全体的に皺が目立つが、その顔は衰えを感じさせないほど力強かった。その男は俺に対してこう言った。

「まるで、生きたまま死んでるみたいな顔してんな。お前サン、ウチ来いよ。ちょっとその顔生き返らせてやるよ」

 男は自身の住む家まで俺を案内し、部屋一つを丸々貸し与えた。そして食事やら衣服やらを一通り用意してくれた。こちらが出せるものなど一切ないのにだ。俺は警戒心も混じえつつ、断ろうとした。だが男は、タダじゃねえからなと強い声で言い放った。
 俺に要求してきたことはただ一つ。これから教えることを吸収しろとのことだった。なにを言っているのかわからず質問しようとしたが、先読みしたかのように説明された。
 
「会った直後にも言ったが、お前サンのその顔ってか生き方ってか考え方ってか、まぁそういうの全部をなんとかしてやりたいんだよ。いきなり知らないジジイがなに言ってんだとか思ってんだろうけどさ。オレは見ての通り老い先短いんだわ。んでまあ、独り身で生きてきたんで妻も子どももいないんだわ。そんでこの残りの短い人生でなにが出来るかって考えた時にさ、オレの知っていることを若人に伝えるってのが大事なんじゃねぇかって思ったんだわ。そんなことを思ってたらちょうどお前サンが目に入ったわけだ。なんも持ってなさそうで教え甲斐がありそうなお前サンがな」

 長々と語り尽くし、深く息を吐く男。

「肝心なことを言い忘れてたな。オレはカナガゼル。こんな老いぼれだが、よろしくな」

 手を差し出してきて、握手を求められる。
 昔どこかで誰かに握手を求められたような記憶が脳内を過る。その時は確か小さくて優しい手だったような気もする。カナガゼルという男の手は豆が潰れていて、しわしわで、でも暖かさを感じる手だった。
 
「お前サンは、なんて名前だ?」

 尋ねられ、硬直した。仕事をする際は規則が緩いためか名前すら用いずに働いていた。自分の名前を問われることは随分久々だった。記憶の奥底から引っ張り出そうとするが、いくら待っても出てこない。
 
「忘れた」
「自分の名前忘れることなんかあるかぁ!?」

 カナガゼルは目を見開き,、驚いた声を上げる。

「ま、いいや。ホントに忘れたんだか、言いたくないだけなのか知らねぇけど。んじゃ、これからはシュダと名乗れ」
「シュダ……」
「嫌だったら変える。今思いついた適当な名前だしな」

 子どもの名前決めで言ったら殺されそうな台詞をサラッと吐く。
 雑に考えられた名前だったが、すんなりと馴染んだ気がした。

「シュダでいい」
「気に入ったか」
「いや」
「そこは嘘でも気に入ったと言えよ」
「悪くはないと思った」
「まあ……うん。そんでいいか」

 カナガゼルは色々なことを俺に教えてくれた。
 その中でも特に際立ったのが剣の修行だ。
 連日のように、数時間は庭で木刀を手に持ち、向かい合った。
 俺がどんな角度から攻撃を繰り出しても、カナガゼルはそれを小さな動きで受け流した。何度やっても一回も当てることは出来ない。そんな日がずっと続く。
 俺だけが息を荒げて、カナガゼルは落ち着いた表情で佇んでいる。それが無性に悔しくて、下唇を噛み締めた。

「悔しいのか?」

 飄々とした顔で問いかけられる。
 
「悔しくない」

 素直になれずに嘘をつく。
 小馬鹿にされたくなかった。

「悔しいって顔に書いてあるけどな。でもまあ、人間らしくなってきたじゃねぇか」

 嘘は簡単に見破られた。
 カナガゼルはそう言い放ち、不敵に笑う。
 そうして再び向き合い、木刀での戦いが始まった。
 いつか、あの飄々とした態度を打ち破ってやりたかった。絶対に一撃お見舞いしてやると心を燃やし、修行に励んだ。

 修行も長年していれば剣の腕が上達してきたのか、次第にカナガゼルの次の動きが読めることが増えてきた。だから、今度は意表を突くように攻撃を繰り出すだけだ。しかし、そのような攻撃をするのが大変難しい。裏をかけたと思ってもギリギリで止められる。
 
 そんなある日。
 木刀の打ち合いをする中で、これなら当てられると、そう直感した。いつもよりも読めている。俺は想定通りの軌道で木刀を動かす。するとカナガゼルの身体に鈍い音をたてて直撃した。
 本当に当てられたことに驚いた。そして、ずっと忘れていた嬉しいという気持ちが込み上げてきた。

 一度当てて以降、カナガゼルは防戦一方ではなく攻めてくるようになった。俺は今まで攻撃することしか頭になかったので、防御と攻撃を交互に行うことの難しさを学んだ。

「カナガゼルはなんでそんな強いの? 実は有名な人だったりするのか?」

 俺はずっと気になっていることを聞いたことがある。
 しかし、大した答えは得られなかった。

「オレが誰だとかどうだっていいだろ。無駄口叩いてねぇで修行だ修行」

 修行はカナガゼルとの打ち合いだけに留まらず、街の外へ出て行われることもあった。時には遠方まで赴き、死を覚悟するくらいの強力な魔物を相手取った。カナガゼルは遠くから見守っているだけでなにもしてくれなかった。やばくなったら駆け付けると言っていたが、全身が軋みを上げてまともに動かせなくなっても来ないので絶対嘘だと思った。

 カナガゼルは俺に剣以外のことも教えてくれた。特に生きる上での考え方についてが多かったように思う。
 飯の準備は交代制で今日は俺が担当だった。
 料理を作っていると、暇なのか長々と教えを説いてくる。

「悔いのないようとかよく言うが、そんなのは無理さ。どうやったって人生悔いは残る。人間の欲求は無限大なんだよ。なにか達成したところで、別のなにかが気になったり欲しくなったりする。どうせ完全無欠な人生なんか送れっこない。出来るのは、せめて悔いを減らすってことだけさ」
 
 カナガゼルの言葉は胸に刻まれるみたいに残る。俺は色んなことを学んだ。まるで親みたいだと思ったが、気恥ずかしくて口には出さなかった。
  
 何の変哲もない日に、突然こんなことを言われた。

「オレは死ぬ時、看取られんのが嫌なんだわ。誰かがオレの死を引き摺って悲しんで泣いたりすんのは納得いかねぇんだ。誰だって最後は死ぬんだからさ、オレが原因でそんな暗い感情をずるずると持っていてほしくないんだよ。だからまだ歩けるうちに旅に出る。知らない地へ行って、縁もなにもないやつらがいるところで誰にも悲しまれずに死にたい。お前サンの育成も十分済んだしな」

 そんな宣言をした三日後、本当に旅に出た。
 始めから終わりまで自由人すぎる人だった。
 カナガゼルの別れの挨拶は簡潔だった。惜しまれたくないのだろう。
 
「ま、悔いが少なくなるように生きろよ。じゃあな」

 生きていればまたどこかで会えるかもしれない。
 だから俺は泣かなかった。

 カナガゼルがいなくなっても月日は淡々と過ぎていく。
 家は静かになった。最初の頃は物寂しさを覚えたが、しばらくすると気にならなくなった。
 時折カナガゼルのことを思い出すこともあったが、最後に見た元気な姿が焼き付いているからか、のほほんと生きている気しかしない。きっとカナガゼルの思惑通りになっているのだろう。どこまでも敵わない人だった。

 ――――――――――

 カナガゼルの最後の台詞が頭の中で何度も繰り返させる。

『ま、悔いが少なくなるように生きろよ。じゃあな』

 悔いはどうしたってなくならないと言っていた。俺がこのままでいてもヒオラに会いに行っても後悔は生まれる。ならどちらの方がより少ない後悔で済むか。
 殻に閉じこもっているのは楽だ。
 反対に、行動を起こすのは疲れる。考えて考えて空回りもして、やっと出した答えに納得できなくて。結局悩んだ時間だって無駄になったり、やってきたことは意味がなかったり。それでも閉じこもってなにもしなかったよりは少しマシな気持ちになるのはなんでだろうか。
 窓の外を見ると曇天が広がっていた。でも、俺の気持ちは前向きに動き始めていた。

 宿屋を出て、通りを歩く。人がやけに少ない。雨が降りそうだからだろうか。
 ずっと室内にいたからか、曇り空でも眩しく感じる。
 ヒオラに会ったらなんと言うべきかを必死に考える。思い付く言葉はあれど、そのどれもが上手く嵌ってくれない。正しい言葉なんてないのかもしれない。それでも、そんな言葉があると信じて考え続ける。
 教会へと辿り着く。扉を開けようとしたが、鍵がかかっており開かない。脇に立つ小屋にも足を運んだが、こちらも施錠されていた。ヒオラの居場所などこの二つしか候補がない。一体どこにいるのか。
 再び通りの方へ行き、あてどなく彷徨う。
 ふと、通りを行き交う人々の噂話が耳に入ってきた。
 脅威が迫ると神託が下されたこと。騎士団が戦場へ派遣されていること。街の外へ出ることが制限されていること。
 恐怖の混じった声で彼らは話す。
 俺が引きこもっている間に外では状況が一変したことを知る。
 戦場という言葉に、ヒオラが有事の際には戦場に出ることがあると言っていたのを思い出す。
 ヒオラが平日にも関わらず教会にいない。嫌な予感がして、冷や汗が背中を伝う。
 今、戦場にいるのか……?
 俺は彼らに知っている情報を教えてほしいと求めた。
 話によると、街の西側に騎士団は赴いているようだった。俺は駆け足で街を出ようとする。しかし衛兵に止められる。なんとか強行突破して、後ろから追いかけて来る彼らを足の速さで振り切る。
 森へ入ると視界が霧で覆われる。けれど問題はない。ここに足を踏み入れた瞬間強大な気配を悟った。きっとあれが神託で告げられた脅威とやらなのだろう。俺はその方角へ急ぎ足で向かった。
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