上 下
61 / 62
色気の正体

五十八話

しおりを挟む
「これ、もう捨てようとしてたやつだからあげるよ。安心しろ、一回しか使ってない。それと、折り畳み傘やるから、ちゃんとさしていけよ」









 兄は、またあのビニール袋から、傘を出した。今度は、柄のない、深緑の傘だ。兄は、出来るだけ縁をもって、私に差し出した。それが、私が作った溝だと思うと、後悔した。






 もう、元には戻らない。一気に現実に戻ってきたようだ。私は、大人で、色気があって、雨の日にふらりと現れる気まぐれな人を演じていた。だけどほんとうは、子どもで、意地悪で、心底兄に依存している妹だった。





 どうよ、時雨という女を演じていた気分は。誰かの声が聞こえていた。若い女の声。






 ずいぶん、上手かったじゃないか、とても子どもには思えないよ。今度は、中年の低い声だ。






 そうだね、あの人だまされてたね。まだ、舌足らずの幼い子どもの声が聞こえた。まだ、性別もわからない。









 だけど、あなた、本当はまだ高校生でしょ。

 




 今度ははっきりと分かる。性別も、年齢も。その声は、私の心底嫌いな先生の声をしていた。あの日、綺麗な夕暮れの色が窓から机に反射した日。私は、聞かなかったことにした言葉。先生は去り際、「だけど、あなた、本当はまだ高校生でしょ」と哀れみの声で語りかけた。私が嫌いな大人の顔をさせながら。








 兄の前で偽っていた事実が、今、目の前に剥き出される。しっぺ返しをくらったようだった。私が嘘をついた数だけ、兄が悲しい顔をした。だったら、最初から嘘をつかなければよかった。最初の嘘で、全てが狂ってしまった。






 でも、あの雨の日に、私は、あなたの妹だよ、と名乗り出ることができただろうか。いいや、何度あの日に戻ったって、私は時雨という女を演じ続けるだろう。私は、兄の理想の女になりたいのだから。








「じゃあな」








 兄は短く告げ、玄関のほうにゆっくりと歩いていた。まるで、優雅な貴族のようだった。覚悟を決めた顔。凛々しかった。瞳が、いつも以上に辺りの光を吸い込んでいて、ムーンストーンのような独特な光り方をしていた。







 すれ違い際、兄の、匂いがした。ほんのり甘くて、だけど清潔な、柔軟剤の匂い。傘の下の隣で、ぶわっ、と感情が押し流れていた。もう、兄に会えない。そう思うと、声を張らせていた。







「まって!」






 兄が振り返る。





 もう、嘘はつかない。真実だけを言う。だから、願わくば最後だけ嘘をひとつ、言わせてくれ。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

消防士の義兄との秘密

熊次郎
BL
翔は5歳年上の義兄の大輔と急接近する。憧れの気持ちが欲望に塗れていく。たくらみが膨れ上がる。

同僚くすぐりマッサージ

セナ
大衆娯楽
これは自分の実体験です

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

水球部顧問の体育教師

熊次郎
BL
スポーツで有名な公明学園高等部。新人体育教師の谷口健太は水球部の顧問だ。水球部の生徒と先輩教師の間で、谷口は違う顔を見せる。

おもらしの想い出

吉野のりこ
大衆娯楽
高校生にもなって、おもらし、そんな想い出の連続です。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

処理中です...