雨の日が来たら、君を思い出すだろう。

雪莉月花

文字の大きさ
上 下
58 / 62
色気の正体

五十六話

しおりを挟む
だけど、その幸せが偽物だと気付いた。あれは、夕暮れの細道、ある親子とすれ違った。子どもはまだ、五つくらいの幼子だった。母親は、派手な赤色をたくさん身に付けていて、だけど目だけは妙に優しかった。母親は、その子のちいさな手を繋いで、微笑みながら語りかけた。







「あなたがこうやって、健康でいられることが、私の幸せなのよ」





 幼子は、母親の言葉を理解しているとはとても思えなかった。だけど、その子は母親の足にしがみついて、嬉しそうに笑った。幸せそうだった。私は、敗北感を覚えた。あんな、一言で、心まで分かち合えるなんて、思わなかった。あの母親が発した言葉は、魔法のようだった。










 そこからだろうか、あの人を受け入れることが苦しくなったのが。外面では、精一杯の笑顔で受け入れていたはずだった。だけど心では、違う、こんなことしなくても、家族になれるのに、と叫んでいた。だけど、そんな悲鳴に近い叫びは、あの人に届くことはなかった。それは、いつしか断末魔のような響きに近づいていった。












 だけど、あの人がどうしても大切で、あの人が私に笑いかけてくれると、私は嬉しかった。あの人の傷つく顔なんてみたくない、という一心で必死に奉仕した。時々かけられる言葉は、乾いた低い声で、なんとも心地よい音色だった。







 ぽつり、ともう一度雨が垂れる。いや、違う。これは、私の涙だった。その証拠に、視界が揺れて水中にいるようだった。急に、喉の奥が水たまりができたように苦しかった。








 いつのまにか私は、あの人に依存していた。あの人が、父親に向けた期待のように、私は空回りしていた。こんな状態になってから、あの人の愚かさを知ってしまったのだ。もう、前のように咎めることはできないだろう。もう、私は、あの人と同じなんだから。


「あ…ぁぁ」








 嗚咽が、鼓膜を揺らして、神経は私の声だけを拾った。歯を食いしばっても、何度も頬を拭いてもだめだった。溢れ出した感情は、雨の様に止まらなかった。







 頬を乱暴に擦る。いつのまにか、涙が伝うより早くに頬を、目を擦っていた。なのに濡れて、手のひらを拡げてみれば、小さな水たまりが一瞬でできた。水たまりごと、拳を握りしめる。








 まだ心が揺らいでいた。自分の気持ちを抑えるか、自分の気持ちを吐き出すが。吐き出してしまった、あの人は先生のように私を捨てるかもしれない。足がすくんだ。あの人に捨てられることだけは、嫌だ。だけど、もう苦しいよ、苦しいよ、おにいちゃん…。






しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ナースコール

wawabubu
青春
腹膜炎で緊急手術になったおれ。若い看護師さんに剃毛されるが…

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

落ち込んでいたら綺麗なお姉さんにナンパされてお持ち帰りされた話

水無瀬雨音
恋愛
実家の花屋で働く璃子。落ち込んでいたら綺麗なお姉さんに花束をプレゼントされ……? 恋の始まりの話。

禁断

wawabubu
恋愛
妹ののり子が悪いのだ。ああ、ぼくはなんてことを。

偶然PTAのママと

Rollman
恋愛
偶然PTAのママ友を見てしまった。

兄の悪戯

廣瀬純一
大衆娯楽
悪戯好きな兄が弟と妹に催眠術をかける話

処理中です...