37 / 62
限界が迎えた日
三十八話
しおりを挟む質問を、質問で返した後、しまった、と思った。てっきり、愛情が入った飯を食べたから、そんな馬鹿げた事を言えるのだと思っていた。だけどこいつは、同じだった。
俺は下を向く。頭の血が引いて、顔が強張っていることが分かる。桜庭にとって、それは禁句だった。親、の話は禁句だった。スラックスを両手で握っていると、いつのまにか雫は消えていた。変わりに冷や汗が、頬を伝った。唇を噛んでいると、桜庭は口を開いた。
「いや、ないよ」
卑屈に笑うと、大きく口を開け麻婆豆腐を押し込むように食べている。
「うん、美味いな」
震える声でそう言うと、親父今どうしてるんだろうな、と小さく呟いた。親の話は禁句だったが、親父、という言葉はもっと禁句だった。一度桜庭の父親について触れたことがあるが、狂ったように話を無理矢理変えようとした。
…それに、昔、社内の女子が桜庭と付き合っていた頃、しつこく親父のことを聞いたらしい。そしたら桜庭は、人が変わったように暴れ出して、グラスを二個割った。それに飽き足りず、料理が並んだテーブルを膝と太腿を使って、ひっくり返した、と風の噂で聞いた。それ以来社内では、親父のことに触れる奴は誰もいなかった。だが、今この瞬間なら聞き出せるかもしれない。
「なぁ、桜庭の親父さんってどうしてるの」
ぴくっと、肩が上がったのを俺は見逃さなかった。桜庭の目が、見開く。冷や汗が背中を通る。頭の中で、やめろ、やめろ、と警告がなっている。だけどこれを逃したら、一生俺は溝が埋まる事はないだろう。怖かった。だけど、もうこれで終わりにすると決めたら、どうでも良くなった。
答えてくれるなんて、淡い期待を抱く方がどうかしてると思ってる。しかし桜庭はあっさりと口にした。
「親父は刑務所に入って、俺が高校のときに死んだ。親父は、俺が中坊の時に、悪い大人にはめられたんだ。だから刑務所にいた」
憎しみのこもった目をして、吐き捨てた。それは、父親を愛してやまない息子の顔だ。そして、世間に対する、嫌悪と憎悪の狭間の感情。嫌悪と憎悪がぶつかりあって、つりあっている。だから、桜庭はこれまで何のアクションも起さなかったのだ。
端から見ればこの親子のことを、仲がいいとかで形容するかもしれない。だけど俺から見れば、吐き気しかなかった。俺は、知っている。こいつが、日常的に暴力を振るわれていたこと。こいつが中学生のとき、親父が怒り狂ってこいつを刺した事。全部、あの女から聞いた。
胸糞悪い話を聞いた時、俺は自分と重なり合わせた。少なくとも、俺を殴る母親をそこまでして庇えない。じゃないと、母親に狂わされた俺の人生と、母親に壊された俺の心を慰めれない。桜庭は、まぎれもなくストックホルム症候群…。
「お前はどうなんだ。一度も家族の話をしたことないだろ」
桜庭が聞く。ここで気付け。ここで、桜庭が狂っていることに気付いてくれれば、俺は汚さなくてすむ。お前の、愛して止まない親父に対しての感情を、汚さなくてすむ。だから俺は、お前が狂っているっていうことを証明するように、母を罵倒する。
「母親は、最低だ。俺を狂わせやがって、親の義務を果たしてないくせに偉そうなんだよ。男にちやほやされていたけど、俺はそんな母親が嫌いだった」
桜庭を凝望して、毒を吐く。
「暴力を振るう親なんて、地獄に落ちれば良い。父親だって、俺と母親を捨てたんだ。母親も、父親もくずだよ」
桜庭は困った表情で、そうかなと、言った。届かなかったのだ。もうこいつは、腹の中まで呪われている。亡霊に取り憑かれて、可哀想なくらい、世間をのたうち回っている。親という言葉に騙されて。桜庭は、まだ純粋な子どもなんだ。その純粋ヲ、オレガ、ヨゴサナイト…。
「気持悪い」
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる