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懐かしい人
三十三話
しおりを挟むあの人のことを悪く言う大人は、死ぬ程いた。先生は、違った。否定はしなかったし、黙って俺の話を聞いてくれた。何も言わなかった先生は、あの人が死んだ時、初めてものを言った。
「あなたは、忘れちゃいけない。暴力も、放棄されたことも。だから、だけど大人になって」
その声は温かくて、優しくて、だけどどこか寂しく、大人になって、ともう一度呟いた。大人になったら、愛してくれるのか、と昔の俺は先生に問いかけた。だけど先生は、何も言わずにただ、泣きそうな顔で無理矢理笑った。あの時の先生は、どんな気持だっただろうか。俺は、可哀想な子だったのだろうか。
昔、抱いた感情は、今となっては幻となってしまった。幻の、答えはさっき出してしまった。幻は、儚かった。今、あの感情を思い出そうとすると、自分が嫌で仕方がなくなってしまう。時雨の顔が、ぽっかり空いた過去に出てくる。もし、あの時時雨がいたら、俺は道を間違え、歪んだ愛を知る事はなかったのだろうか。
否、俺たちは、どこまででも堕ちていくだろう。奈落の底までいって、やっと気付き、もう戻れない、このまま二人で消えてしまおう、と願うのだろう。生まれた瞬間から、あの人に呪われた俺は、もう手遅れだったのかもしれない。その証拠に、あの人を今でも愛し続けている。時雨は、それを笑うだろうか。
死、なんて愛おしく感じた時期があった。死んだら、あの人に会えるのか、わくわくしていた。だけど、あの世でも拒絶されるのが怖くて、夢からさめた。今は、死んでしまったら時雨に会えなくなってしまうという、名残惜しさがある。
俺も、変わったな。…呪われた子供は、時雨という一人の女に狂わされた。
いつかは俺も、呪いが解けるのだろうか…。
––––––––––––––
「今日は、泊まらないの?」
一時間ほど眠った先生は、酔いがさめたようで、はっきりとした口調で言った。俺はたっぷりと感傷に浸りながら、先生がいつ起きるか待っていた。
「明日は、土曜日ですから、お邪魔できないです。それに、明日は雨…」
「ん?」
「何でもないです」
静かにそういって、俺は先生の家をあとにした。もう、先生には会えないな、と静かに笑うと、何だか名残惜しかった。
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