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同じ匂いをさせる同僚

二十四話

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 もちろん、会社に予備の傘を準備する程用意周到ではなかった。一人で、濡れて帰るつもりだった。一歩雨の中に飛び込もうと、足を踏み入れると、心配そうに桜庭がこっちに振りかえった。時折見せるあの冷たい眼に、似た目をしていた。ひっこめろ、という頭の命令を聞く前に、慌てて足をひっこめる。それは本能に近かった。






 仕方なく、会社に戻るふりをした。数秒経ってから、大きな期待を秘めて、振り返った。首を振ったことで、雨の匂いを漂わせた風が、舞う。桜庭の、匂いを思い出す。だが、もう、桜庭はいなかった。





 足がもつれ、よろけて、雨を守っていた屋根から出てしまった。大粒の雨が、一気に俺を濡らす。俺の割には短く切った前髪が、濡れて、ぺちゃんこになって、目を覆い隠した。わずかに見える隙間から、街頭の光が見える。黄色のような白色のような光が、照った。そのまま、歩く。





 前髪を掻き揚げ、辺りをみたら、俺のように濡れている人が、あちらこちらに散らばっていった。みんな予想しない雨をまえに、忙しく走っていたが、俺はいつものようにいつまででも歩き続けた。気まぐれに顔を上げると、信号のの赤色が、鈍色の空にぽつんとあった。雨の色がそこだけ赤に染まって、いつのまにか隣の雨が青に染まった。




 雨がどんなにつよくなっても、俺はひるむ事なく突っ込んだ。桜庭の心配をしたが、自分の心配は頭にはなかった。自分を、雨でダメにしていくことにいたっては、どうでもよかった。雨が冷や汗の如く、背中を一気にかける。一度、身震いをしたが、鳥肌はたったままだった。





「さむ……」






 一枚のシャツが肌に張付いて、自身を圧迫しているようで、気持悪い。それなのに、腕を動かすたびに、細かい繊維が一本一本くっつくように思えて、肌に絡まっていって、本当に気持悪かった。今直にでも脱ぎ捨てたい。












 “雨”なんか、嫌いだ。







 桜庭は、雨によってあの女の距離が近づく。雨の冷たさで、あの女と寄り添える。だけど、俺は逆だった。俺は雨によって桜庭と遠ざかっていく。雨の冷たさが、そのまま俺たちに反映した。雨の冷たさで、俺は心を冷やしてしまう。






 元々、薄い、ほんとうに紙切れみたいな溝が、俺たちにあった。だが、今は違う。人、一人入れるくらいの大きな溝が、あいてしまった。雨が振る程、俺の土を溶かして、桜庭側にまたげなくなってしまう。溝に、おおきな川ができたように、俺はまたぐことに対して臆病になっていた。






 今、なら飛び越える。だけど飛び越えた後、足下が崩れるのが怖くて、足がすくんだ。飛び越えたら、拒絶されるんじゃないかって、怯えた。もう元の関係に戻れないんじゃないかって、躊躇した。俺は、臆病者なんだから、飛び越える瞬間の心配も、後の心配をするのも抜かりはなかった。それが、裏目に出て、もうそろそろ手遅れになってしまう。






 あぁ、この雨はいつになったらやむのだろうか。いつになったら、乾いて、また土で埋められるだろうか。俺は乾いたら、たくさん桜庭に寄り添って、全てを打ち明けるというのに。







 雨に、強く打たれながら、俺は一度だけ、悲しく願った。





 



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