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雨の匂いと共に

三話

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「わりぃ、お前、喋んないから口が聞けないと思ってた」 



 涙目で、こらえて出した言葉は、吐息が何度か混じっていた。 



「だから、さ。空耳だと思ってたんだよ。お前がありがとう、って言ったの」  



 手で口元を押さえ、誤摩化そうとするが、やはり笑いは納まらなかった。 笑いの納まらない俺の姿に呆れたのか、それとも怒っているのかは、女の気持ちなど読めない俺には分からなかった。 


   女はゆっくりと近づき、俺の手を掴む。陶器のような、細長い白い指。冷たい肌に、ひやっとする。少しの力だけで折れそうな手首を掴み、じっと見つめると女と目が合う。



 どきり、と心臓が高鳴り、視線をそらそうとした。が、女のやはり、俺を見ていない、他の世界に入り込んでいる目からはそらせなかった。女が自然な、慣れている仕草で、顔を近づける。気付けば、口づけをされていた。 



 予想を遥かに超えた行為に驚きはしたが、それよりも女の唇の感触が気になって仕方なかった。見た目通りの、弾力のある唇。冷たい唇。数秒のあいだ、唇が重なった後、女はゆっくりと顔を遠ざける。



「…これで、笑いがおさまった」




 あまり、嬉しさを感じさせない笑みを浮かべ、目を合わせあった。しかし今度は、女自身と目が合った気がした。瞳の奥に、写る己。それに触発され、俺はもう一度女の顔をぐっと近づけさせた。額をくっつけると、長い睫毛が目にかかりそうだった。




 細腕で強めに引き寄せると、女は体勢を崩し、俺に抱きつく形になった。雨で濡れ、体温が戻らない冷ややかな二人の肌が密着する。その温度がもどかしくて擦り合わせるが、いくら肌を重ねても体温が上がることはない。
  



 そんなことをしても、女は動じない。己の欲情と反比例しているように、顔色を変えない。ぐっ、と軽蔑に似た視線を送られる。だけどその奥に、欲情に似た色が写っていた。さらに、興奮を覚えさせる。  



「お前が、悪いからな」
  


 女の閉じた口に、舌を無理矢理ねじ込む。最初は拒んでいた女だが、次第に俺の舌を絡めさせる。予想外に女が、白いシャツのボタンを一つ一つ器用にとっていく。冷たくて細い指が、ボタンに官能的に絡み付く。第二ボタンを外す時、あまりの冷たさに心臓が止まりそうになる。       



 息遣いが、荒くなる。女の指に、俺の指をゆっくりと絡める。力を入れてやると、僅かだが女が握り返してくる。俺の熱い温度が、女へと移っていって生暖かくなった。ふ、と笑うと、女が不思議そうに俺を見つめる。




 自身の唇を挑発するように舐めると、女がそれに乗るように俺の口の中にぬめりつく。俺は下あごの筋肉を大いに使い、激しく舌を動かす。温かい鼻息がかかると、少しもどかしかった。



 そんな夜結局、飯も食わず、風呂も入らず、女と一つになった。この雫は、雨か、汗か、唾液か。汚く混ざりあって、1つの液になった。



 途中から考えることをやめた俺だが、女が零した一粒の雫だけは見逃さなかった。快楽に溺れ、涙を流したのか、心が苦しかったからかは分からなかった。が、優しく拭き取るように舐めると、女は悲しく笑った。雫は、温かかった。   




 遠くから、雨の音が聞こえる。なぜだがとても悲しそうに、独りで音を奏でているように聞こえた。        
 


 雨は、俺たちに似ていた。     
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