My Little Bird

みちる

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二人の出会い

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 体の弱い母は、私が小学生の時に亡くなった。父は、再婚はしなかったが、残された私と幼い弟のために、お手伝いさんに来てもらうことにした。私はそんな中で、希望する私立中学に合格し、毎日を過ごすことになった。小学生の時には取らなかった反抗的な態度を父に示すようになったのは、中学に入学してしばらく経った頃のことだった。みんな、友達よりも勉強が大事で、私はこの先どうなっていくのか、不安に感じ始めた。成績の良い時は、気分がいいが、落ち始めると苦痛でしかなく、この苦しみを紛らわせるものが何かないか、探し求めた。一つは、学校帰りに古本屋で、カバーのかかっていない漫画を読むこと。しかし、そんなことをしているのは、私の制服を着た子の中では私だけだった。父は、家に帰るたび、どこまで授業が進んだのか気にした。ある時は、家庭教師のように、夜中までつきっきりで勉強をみた。
 弟もまた、難関中学を目指して塾に行っていた。私は弟には、私と同じ思いをしてほしくなかった。でも、弟は成績も良く、勉強を楽しんでいた。
 お父さん、私のことは、もう諦めて。見放して。
 そう思っていた矢先、一年上の先輩が、校内で、飛び降りたのだった。実際その人がどんな人だったのか、単なる事故だったのか、その後なんの噂もたたなかったが、その人は亡くなった。
 相変わらず、私の成績はいつも悪かった。幸い、英語だけが、平均点より良く、五教科合わせれば、学年最低点ではなかったが、いつも及第スレスレだった。
 このままだと、高校に上がっても、落第するんじゃないか。別の学校に行ったほうがいいんじゃないか。
学校帰りに駅の外で見た、路上ライブ。彼らはなんて自由なんだろう。私とは何が違うんだろう。公園や、屋上で見る鳥はなんて自由なんだろう。
 まだよちよち歩きで飛べない小鳥がいた。いつまでも見ていたいな、と思っていたら、帰るのが遅くなってしまった。帰ったら父は怒っていた。
 私の部屋の中には、本棚とピアノとベッドがある。本棚には、ぎっしりと、分厚い本が並んでいる。母の形見だったが、私は一冊も読んだことがない。読む気も起こらない。父も母も物理の先生だったから、二人は私の数学と理科の点数が悪いことを嘆いていた。

 一年後、私の予想は的中した。というより、毎期のテストが嫌なのだ。これさえなければ、こんな日が来なければ、と思う。私には未来なんかなくて、お先真っ暗なのだ。
 ふと決心して、私は電車を乗り継いだ。路線図でルートを調べて、海岸の風を浴びにいく。思いきり、潮風に吹かれたい。そして自由になれたら、最高だ。最期に悔いもなく、誰にも邪魔されず、鳥のように羽ばたきたい。もうテストの点なんて気にしなくていいんだ。

 潮風は、気持ちがいい。けれど、海岸は工業地域で、煙臭く、潮風だけではなかった。こんなところにくる女子高生なんかいないだろうな。まして、制服を着たまま。私は、一番海に近い建物の中に入って行った。誰にも遭遇せず、鍵は開いていた。非常階段のような階段を上がると、屋上に出られた。
 潮風を思いきり吸いたいのに、煙が混じる。それでも、鳥は、公害なんて関係なく、自由に羽ばたいている。
 手すりの上に、足をかけてぶらぶらした。下を見ると、少し怖い。だから上を見る。鳥のようになれたら……。
 涙が出てきた。お父さん、お母さん、ごめんなさいと。本当は辛くて、わかってほしかっただけなのに、期待に応えるわけでもなく、逃げてばかりで、出来が悪い娘だった、と、思い返した。
 でも私は決めたのだ。今日、ここから飛び降ります。一番いい場所だと思う。
 手すりに立ったら、バランスを崩しそうになって、冷や汗をかいた。
 鳥が横に止まっている。私も靴を脱いだら、鳥の足みたいに、手すりをつかめるのかな。
 やっぱり、やめようか。いや……。

 私は迷った。ふと、人の気配を感じて、振り返った。

「さっきから何やってんの? 落ちる根性もないくせに」
「何もしてない。鳥の真似しようと思ってただけ」
 彼はしばらく黙っていて、つぶやいた。
「ひよこのくせに一人前に飛ぶなんて十年早いわ」
「練習が必要みたい」
「よそでやってくれないか? ここはおれのシマなんだ。お前の血でけがれてしまう」
「わかったわ」
「おいちょっと待てよ」
 私が階段に向かおうとすると、彼が止めた。
「せっかく決めてきたのに邪魔が入るなんて、予定外」
「おれだって、ここおれの喫煙場所なのにお前なんかに遭遇して心乱されたわ」
「勝手に入ってごめんなさい。もう来ないから」
「それだけか?」
「お節介ね」
 彼は静かに言った。
「お前のその気持ち、わからないわけじゃない」
「あなたも飛びたいの?」
「そこまでは決めてない。おれは死ぬ時に周りに迷惑かけたくない。せめて何か親孝行をしてからと思ってる」
「親なんて、子供をおもちゃくらいにしか思ってないわ」
「そんなことないだろ」
「やっぱりあなたにはわからないの」

 どうして死ぬ前にお説教されてるの?
 夢?
 私は、もう、あの世にいるの?

 本当に夢から覚めた。
「ここは?」
「お前の家じゃないか。昨日、酒飲んで寝てしまったのを忘れたのか?」
「急に会ったから、いろんなことが思い出されてしまったの」

 初めて会ったあの時、青色の作業着を着ていた慶一郎は、今はスーツを着てネクタイを締めていた。髪は整髪剤でセットされ、爪の先が汚いわけでもなく、スーツを着ていても違和感がない。
 飼い猫が、落ち着かない様子で、慶一郎を見ている。ペットショップで買ったわけではなく、子猫の頃、野良から保護した子だ。寂しがり屋の私の唯一の癒しだ。
「飼い主の取り合いか」
 慶一郎は飼い猫に微笑みかけた。
「もう若くないのに、人が来るのに慣れていないの」
「あまり人を呼ばないのか」
「誰も来ないわ」
「いくつ?」
「八歳くらい。日本に帰ってきた時から飼い始めたの」
「家には帰らなかったのか」
「家には弟がいるから」
「お父さん一人暮らし認めてくれたのか?」
「遠方に転勤になったって言ってる。だから、今、こんな近くに住んでるっていうの知らないと思う」
「娘に嫌われる親父って、結構辛いもんよ」
「あなたとは違うわ」
「おれはお前が想像してるような、そんないいもんじゃない」
「カッコつけちゃって」
「お前のお父さんの目は、お前みたいな節穴ではなかったよ」
「いつ会ったの?」
「ひなが産まれた時に一度だけ」
「何話したの」
「お前と赤ん坊と一緒にアメリカに行く気なのかってきかれた。行かないって言ったら、お父さん安心してたよ。新しいいい出会いがあれば、おれたちのこともそのうち忘れるとおれは思った」
「どうして一緒に来てくれなかったの? 私が嫌いになったから?」
「もう、今日は、その話はよそう」

 私は結局高校を退学して、遅れて高卒認定をとった。二十歳の時、出産した後、私は一人アメリカの大学に行くことになった。自分の周りのことなのに、色々なことがいっぺんに来て、よく覚えていない。出生届は誤魔化せないのもあって娘の戸籍は私たちの名前が入っていた。留学すると言ったら慶一郎がついてきてくれると思って、父に言ったのに、私たちは離れ離れになってしまった。空港まで見送りに来てくれたのが、慶一郎と娘に会った最後だった。

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