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宙を飛ぶ金魚

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私は夏が嫌いだ。

首元を汗で濡らし、傲慢な日差しは肌を容赦なく焼く。

気温は薄着を強制し、時々卑しい視線を向けられる。

虫も活発になる。

私にとっては、全ての昆虫が害虫だ。

兎に角、夏が嫌いだ。

何かをディスる時には、良い点にも目を向けるべき。

一方的な批判は視野が狭いと指摘されるかもしれない。

腕を組み、頭を抱えて考えると。

日照時間が長いこと。午後五時を過ぎても外が明るい。

熟考じゅっこうしても一つしか利点が思いつかない。
大嫌いな夏が今年もやってきた。

早朝。

前日に私が住む関東では記録的な大雨が観測された。

ユーカ:「うわっ!大きい金魚ぉ!」

夏祭りぐらいでしか見ることのない金魚。

人混みも好かず、夏祭りにも二年ほど足を運んでいなかった。

視界に入った赤はとても懐かしさがあったが。

ユーカ:「この大きさは……キモい」

ベランダを約二メートルの魚類が、ヒレを優雅に踊らせながら横切った。

私はちゅうを泳ぐ魚類を二度見、三度見る。

確かに金魚だ。年始にりに出されて、両掌りょうてのひらを前に向けて笑う寿司職人が捌いてそうなマグロを彷彿ほうふつとさせる迫力ある。

ユーカ:「この大きさで金魚っって言うのも……」

いや待て。

違う。

そうじゃない。

金魚はちゅうを泳いでいるのだ。口をパクつかせて。

普段はその名の通り金魚鉢で。夏祭りではプラスチック製の生簀いけすで右往左往している。

しつこいかもしれないが、決して、鳥のように宙を舞ったりはしない。

ユーカ:「私は現代っ子!金魚が空を泳いでいたらSNSのトレンド一位に間違いなし!うん!」

ユーカ:「金魚、飛ぶ……検索。検索。検索!けん……さく」

何度押しても、変わることはない検索結果に眩暈めまいがしてきた。

夢を疑って、顔も洗った。

ただサッパリした。

金魚をスマホで写真を撮ってみた。映らない。

ユーカ:「私にしか見えてないのか?」

外に出たくはなかったが、高校の夏休みを利用して近所のデパートで行われるイベントスタッフのバイトに行かなければならない。

大きい金魚は街中のいたる場所を漂っていた。

疲れた大人にも。

無垢な子供にも。

修羅場をくぐり抜けてきたお年寄りにも。

金魚は見えていなかった。

ユーカ:「やっぱり、私にしか見えてない」

小虫をけるように、上半身で金魚をけつつ。

長いバイトが終わった。

金魚は特に人を襲ったりすることなく、ただそこにいるだけ。

赤、黒、白、黄色、斑点模様。

私が知っていた金魚の印象より、色彩豊かだ。

両頬をプックリと膨らませながら泳ぐ金魚は、愛嬌があって好みかもしれない。

帰り道。

坂を歩いていると、へいと電柱の間に挟まっている白い金魚が困り果てていた。

ユーカ:「挟まってる?」

横腹を軽く掴んで、引っ張り出した。

白い金魚は振り返りもせず、どこかへ行ってしまった。

ユーカ:「薄情な子……」

ユーカ:「あれ?もう暗くなってる」

まだ午後四時。暗くなるには早過ぎる。

夏の利点は無くなった。

ユーカ:「夏なんか大っ嫌い」


べべべん。べべん。


ユーカ:「三味線?琵琶とかかな?」

どこからともなく、和な弦楽器の音が聞こえる。

???:「三味線ですよ」

黒い羽織はおりまとった白髪の男性が、闇から浮かび上がる様に現れた。

「どーも」と被っていた笠を軽く上げ、会釈する。

二十代後半だろうか。

十代の自分にとっては歳上としうえの男性の年齢は見当がつかない。

金魚売:「金魚売きんぎょうりと申します」

ユーカ:「ユーカです」

深々とお辞儀をしながら名乗ってきたので、反射的に名乗り返してしまう。

金魚売:「ご丁寧にどうも」

金魚売さんは静寂な世界で、ゆっくりと私に話しかけてきた。

金魚売:「金魚、買いますか?」

金魚売と名乗っているのだから、金魚を売ることを生業なりわいとしているのかな。

金魚売という職業を私は初めて知った。

今日一日中、金魚ばかり見ている。

その姿は愛らしいが、短い命を見送るのは耐え難い。

ユーカ:「遠慮します」

金魚売:「先ほど、金魚を助けてらしたので、好きなのかと思いまして」

見られていた。見られていたということは、金魚売さんにも宙を浮く金魚たち目視できているのだ。

ユーカ:「金魚!見えてるんですか?」

金魚売:「金魚売なので。私が売っているのは小さいものですが」

???:「……金魚。一尾くれないか」

金魚売さんの背後。暗闇からかすれた声が聞こえてくる。

金魚売さんは振り返る。金魚売さんの肩と笠で、私から声の主の姿は確認できない。

金魚売:「いくら持ってる?」

???:「1…2…3…7もん?」

金魚売:「しょうがねーか。じゃあ、特別に1文銭でいい」

金魚売さんの手から水に満たされた三角すいのビニール袋が手渡された。

赤く光る一尾の小さな金魚が泳いでいる。

金魚を受け取った当人の掠れた声が次第に鮮明に聞こえてくる。

私の知っている声。

もう聞くことはないと諦めていた声。

???:「ユーカ!何で……何でこんな所に!!!」

暗黒から浮かび上がってくる姿。

私は彼を知っている。

両足を引きずるように、彼は私の前に立った。

彼:「……!!」

久しぶりの再会なのに、彼は喜びよりも戸惑いが顔に出ている。

私の中で込み上げてくるものは。

ユーカ:「ばか!馬鹿なんじゃないの!嫌い!大っ嫌い!夏は……もっっと嫌い」

怒りだ。

怒りなのだ。

普通だったら、再会を喜ぶべきなのかもしれない。

でも、私は彼を許せない。

彼:「え……っと。ごめん」

ユーカ:「これからだったのに」

彼:「……」

ユーカ:「これからだったのに!夏休み!これからだったのに!」

彼:「ごめん。俺も」

ユーカ:「うるさい」

お祭り。
花火。
海。
デート。

沢山あったのに。

一緒に行きたかった場所も。

やりたい事もあったのに。

彼は二年前の夏にいなくなった。

夏休みが始まった二日後に、私の前からいなくなった。

彼:「一緒に……俺もユーカと一緒に。……もっと」

ユーカ:「知ってるよ。そんなこと」

そんなことは知っている。

彼からの告白。

夏休みの前日。


彼が放課後に声をかけてきたのだから。

ユーカ:「交際期間……三日だったね」

私なんかのどこが良かったのか。

彼:「ごめん。俺、夏休み……。夏休み……すごく楽しみでさあ。嬉しかったんだ。ユーカが告白にオーケーしてくれたの」

私よりも彼の方があの夏を楽しみにしていた。

ユーカ:「じゃあ、何で。海に飛び込んだりしたの!!」

彼は夏休みが始まって二日後、同級生の男友達と防波堤ぼうはていから飛び込み彼だけが命を失った。

正直、涙も出なかった。実感が湧かなかったから。

彼は突然私の前から消えたのだから。

彼:「ごめん。まさか意識吹っ飛んで、溺れるなんて思わなかったんだ。ごめん」

ユーカ:「馬鹿じゃないの!嫌い!」

彼:「でも……俺、最期に……またユーカに会えて嬉しかった」

ユーカ:「うるさい!」

彼:「最初で最後だったけど、ユーカと付き合えて良かった。勇気を出して告白して良かった」

勝手過ぎる。

そんなことを言って。

でも。

ユーカ:「また会いたかった。会えて良かったよ。……会いたかったよ」

彼は私の頭を軽く撫でると、一歩下がった。

金魚売:「おい、もう時間だ。これ以上は良くない。こんなにいい子を辻道つじみちに立たせていちゃいけないだろ」

金魚売さんは何も言わずに、私たちを見守っていた。

やっと本音を口に出せたと思ったのに。

これ以上、時間はないのだろう。

金魚売さんの言うことを、何も分からないけれど。

彼:「そうですよね」

ユーカ:「え?」

彼:「ごめん。もう時間みたいだ」

また謝った。

彼は謝ってばかりだ。

ユーカ:「ありがとう。勇気を出して、私に告白してくれて」

彼:「ご…………うん。俺も付き合ってくれてありが……」

彼の言葉が最後まで発し終わる前に、暗かった世界が瞬く間またたくまに明るくなった。

眩しくて、私は目を細める。

明順応を終えた時には、そこに彼も金魚売さんもいなかった。

ゆっくり進んで来たトラックにクラクションを鳴らされ、咄嗟に私は歩道へ跳んだ。

道路の端に私はいたのか。

夢でも見ていたかのような気持ちで、そのまま三十分かけて私は帰路から家に到着した。

玄関のドアを閉めて、ドアを背に私は静かに息を吐いた。

腕時計は午後四時半。時間は一秒たりとも進んでいなかった。

吐息と共に、一筋涙が流れた。

ユーカ:「馬鹿じゃないの……私は」

そらを泳ぐ金魚が見えることは、もう無かった。

ユーカが去った後、彼は立ち尽くしていた。

足元には大量の塩水が、カラダから流れ始める。

彼:「金魚売、ありがとうございます」

彼の肌は少しずつ青白く変色していった。

金魚売:「お前のその格好を見せることは俺にはできない。あんなにいい子を泣かせた時点でお前はかなり罪深い」

彼:「何で……ユーカがここに来ましたか?」

金魚売:「あの子には、金魚がえた。ただそれだけだ」

近くに寄ってきた赤い金魚をでながら、金魚売は彼の変化に顔色ひとつ変えない。

彼:「ぶほッ」

彼は口から大量の水を吐く。

金魚売:「時間が無いのはお前も同じだろ。手の中に六文銭が入っとるんなら、いつまでも六道の辻にいちゃあいられない」

彼:「本当に……ありがとうございました」

彼はもう一度深く頭を下げ、暗闇の先へゆっくり歩みを進めた。

金魚売:「暑さに当てられて、毎年同じ理由で人は命を失う」

金魚売:「川に流されたり、海で溺れたり。最高気温が高いのに、水を飲まずに倒れたり……人は何度も夏の数だけ同じごうを繰り返す。お前は感謝の言葉をもっと、彼女に伝えるべきだった」

過ぎ去ったモノはもう遅い。

彼女ユーカもまた、過ぎた奇跡を後悔として悔やむだろうか。

彼女かのじょはしっかり泣けただろうか。

金魚売は一人、六道の辻で三味線の弦をすくった。

おわり
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