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第7章 空島世界
第7章 空島世界 6~陰謀家たちと竜の咆哮
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第7章 空島世界 7~陰謀家たちと竜の咆哮
●S-1:エムレイン伯爵邸
イストは椅子に座って考え事をしていた。
帝国の中級貴族エムレイン伯爵家の城の中庭だった。
歴史は長く格式も高い立派な家柄故に由緒ある名城を所有している。
城下町を見下ろすような丘の上に建つ白亜の城は城塞というよりは、お伽噺に登場しそうな豪奢な建物だ。
空から見下ろせば六角形を形作る城壁が聳え、各角には鋭く天を突くような尖塔がそそり立つ。
実用性と美観を両立した形状をしている。
要塞的な城から城館建築へと移行していく過渡期の物なのだろう。
広い中庭から見えるのは華麗な薔薇園。
専門の庭師が数人で手入れをしているため、奇麗に刈り揃えられている。
傍には華美な噴水。
初代伯爵をモチーフにしたと謂われる彫像を取り囲むように水が吹き出していた。
そして目の前には帝国チェスの盤面。
イストが物を考える時の癖だった。
何かしているように見えるために外部から声を掛けられる心配がないからだ。
思索の邪魔をされることを殊の外嫌うのだ。
手を伸ばし、騎士の駒を摘まんだ。
動かそうとして、手が止まる。
「何故だ……」
納得いくようで、何か引っ掛かる。
今までの彼の策謀についてだ。
彼は野心家だった。
エムレイン家は由緒正しいとはいえ、やや没落気味である。
ここ数代の当主は可もなく不可もない善良さが売りの凡庸な者が続いていた。
彼の父もそうであったし、後継者である彼の兄も人の好さしか見るべきところのない男だった。
このまま衰退していって良いものだろうか?
否。
お家再興か?違う。
イストは自分の力で変革を起こそうとしていた。
歴史に名を刻むような英雄として。
それには安定した帝国の治世は邪魔だった。
乱を起こし、世界を股に駆けるような活躍がしたかった。
それには自分から反乱を起こして簒奪者の汚名を被りたくはなかった。
何処かの誰かが乱を起こし、それを各地に伝播させて……未曽有宇の混乱を起こすべきと考えていたのだ。
切欠は何でも良い。
火を起こし、燃料を注ぎこむことだけに注力した。
その生贄の一つが……アレキサンダー男爵領だった。
魔術学院の中でもいけ好かなかったクローリーを嵌めてしまうつもりだった。
近隣の弱小地方領主を煽り、各地に眠っているであろう不遇な立場の者に野心を抱かせ、戦乱の嚆矢とするつもりだったのだ。
彼の策謀はかなり順調に進んでいた。
実際に乱は起こりかけたのだ。
それなのに……。
クローリーは巧みに潜り抜けてしまったのだ。
イストの計略にミスはほとんどなかった。
予測通りに様々な人間が動き出したのだから。
ただ、クローリーは不思議なことに降りかかる火の粉をあっさり振り払ってしまうのだ。
「エルフか……エルフの力なのか……?」
それはすぐに否定した。
クローリーの元に集まった、召喚されたエルフたちに特別な能力が無かったのは確認済みだ。
運なのか。
そうとしか思えない。
蛮族まで動かして見せたのに効果が無かった。
「悪運の強いやつ……」
自分が無能だとは思いたくなかった。
実際に彼の操り糸に惹かれて人は動いているではないか。
現実には彼の予想とは違う形で、彼の期待する時代へと変貌しようとしていた。
●S-2:アレキサンダー男爵領/男爵邸/執務室
リシャルは小さな紙を握り潰して、火に焚べた。
小さく笑う。
怜悧な美少年だからこそ迫力があった。
「また、イスト様からですか?」
メイドのリエラが表情を変えないまま尋ねた。
特別な美女でもなければ醜くもない。
ごく普通といって良い。
普通過ぎてどこにいても存在感を残さない、そんな少女だった。
ある意味、密偵には最適だったろう。
「そうですね。彼は……頭は悪くないのですが、判っていませんね」
リシャルのイスト評はそういうものだった。
「裏切りや反乱は、それ自体が目的ではいけないということが理解できていません」
リエラは小さく頷く。
彼女はただ聞くだけだ。
滅多なことでは意見しない。
「謀反は最適のタイミングで、最高の結果を得られる場合に行うものです」
リシャルに叛意があるのではないか?というイストの予想は決して的外れではない。
ただ、男爵家程度を手に入れるためだけに汚名と人生を賭ける気はなかっただけだった。
常に慎重にタイミングを計っているだけだ。
「どうせなら……王位くらいになってから狙うものでしょう」
みんな焦り過ぎです、と言いかけて椅子に腰を下ろした。
リシャルの立場は実のところイストに近い。
貴族家の次男であり、後継者である長男よりも才気に溢れているところもだ。
同様に乱世を望むところまではいかないが立身出世は願っている。
違うところは……イストが自分の手を汚さずに人を動かそうとすることに対して、リシャルは自分の力で成り上がろうとしているのだった。
自分の才覚で周囲を動かしたいと思っていた。
イストが策士であろうとするのなら、リシャルは英雄であろうとしているところが大きく違うのだ。
そのためには兄であるクローリーは絶好の隠れ蓑だった。
男爵領を実質的に管理しているナンバー2としての立場を利用して、警戒されることなく野望の手を広げるつもりだった。
その彼の計算外であったのがエルフと呼ばれた異世界召喚者たちであった。
彼らの不思議な行動の結果、男爵領は予想外の発展を遂げつつあった。
徐々に勢力を拡大していくつもりだったものが、男爵領単体だけでかなりの経済力を手に入れてしまったのだ。
これは彼の野望に対してマイナスではなく大きなプラス材料だった。
何かしら計画を前倒ししても良さそうな気配さえあった。
そこに空島世界のエルフが登場した。
想定外どころか驚天動地の出来事だ。
飛行船を見たときは自分の中の常識が打ち砕かれた思いだった。
こうなっては全てを考え直さねばならない。
今後も更なる事件が起きるかもしれないのだ。
当面は状況を観察して情報収集に励むしかなかった。
大業を成すには慎重さと大胆さが必要なのだ。
「それと……アリシア姫からですが」
リエラが一通の手紙を差し出す。
カストリア子爵家の印蝋が押された正式なものだ。
「………」
リシャルは表情を失った。
あの姫様だけは苦手だった。
辺境紛争時には大きな借りもできた。
粗雑には扱えない。
「後で読むことにしますよ」
「ですが……」
リエラが視線を窓の外に向ける。
そこにはクローリー肝入りの車輪印の馬車が停まっていた。
「お返事を待っているようですが……」
クローリーの始めた通称『車輪屋』業務は郵便が主業務である。
速度と信用を売りにしているものだったから無下にはできない。
リシャルは大きく溜息を吐いた。
「兄上も面倒な商売を始めてくれたものです……」
●S-3:サッサバル/伯爵城
「やはりエルフの技ではないかな」
伯爵は独り言ちた。
飛行魔獣たちを一掃した謎の爆発は彼の知識の中の大魔法にもない。
すると考えられるのはエルフたちの超兵器だろう。
かつてドラゴンたちと互角以上に戦ったという空島世界のエルフたちの強さは良く知っていた。
1000年前の帝国建国時に人族と共闘してきたエルフの空船には何度も苦汁を味わわされた。
寿命が無いとまで言われる吸血鬼である伯爵だからこそ、直接体験したのだった。
蛮族領でも当時を知る者は数えるほどしかいない。
そのエルフの恐怖は記憶と歴史の彼方に消えようとしていた。
傍らに視線を移す。
そこには以前ならダークエルフの美女が控えていたはずだった。
彼女はもういない。
襲撃に失敗して斬られたのだ。
空へ行かず地上に残ったエルフの末裔。
先の戦いで彼の貴重な人材が少なからず失われていた。
自らの油断を戒めなくてはならない。
「逸り過ぎたのだな。私は」
人族からの情報一つで動いてしまった自分の愚かさを笑った。
次にやるなら自分流でやるべきだと思った。
少し考えて、部下を呼んだ。
現れたのは眷属の吸血鬼だった。
まだ若い。
「イオよ」
若い吸血鬼は跪いて頭を垂れた。
「楔を打ち込んでこい」
「……了」
「正面から堂々と、というのは私らしくなかった」
一つ何かを思いついた。
「そうだ。アレを上手く返してこい」
策は二重三重に幾つも忍ばせて、どれか一つでも当たれば良いのだ。
伯爵はゆっくり結果を待つことにした。
時間はあるのだ。
彼のの無限にも近い不死の命からすれば待つことなどどうということはない。
●S-4:砂の国の海岸
豊かで進んだ文化を持つことで知られる砂の国は、その華麗なイメージと裏腹に多くの土地が砂漠であった。
元々は広大な草原だったと伝えられるのだが、それが不毛の地になった理由は様々である。
最も有力な説は遊牧民が多かったために、各地に移動しながら家畜に草を食べ尽くしたためとも謂われる。
気候変動のせいもあるはずなのだが、海岸沿いは特に酷い。
より内陸である北に向かっても岩砂漠であることに変わりはない。
この地で最高の資源は水と呼ばれる由縁だった。
テリリンカを追放されたテイルがこの地に辿り着いたのは偶然ではない。
多島海で代官をしていた彼はそこそこ有名人であった。
海洋交易の発展した絹の国では特に、見知ったものも多いだろうと考えられた。
帝国は論外である。
海洋戦力の乏しい帝国では彼の力を発揮する場所が少ない。
消去法的に砂の国を選んだ。
砂の国はその地形的特徴のために中央集権的な国家ではない。
広く点在する都市国家群が緩やかな連合体となっている。
当然だが地域ごとの自主性は高く、自分を受け入れてくれる場所を探しやすい。
せいぜい自分を高く売りつけてやれば良い、と考えてもいた。
ある意味、島の連合体である多島海に近いのかもしれない。
テイルが最初に手を付けようとしたのは交易である。
砂の国は陸上交易も海洋交易も盛んであることから、参入する隙間はありそうに思えた。
問題は商品だった。
利益の大きな品や交易路はすでに既存の商人が支配しているものだ。
何か新しい、そして一見無価値なものに価値を付けて商うのが理想だった。
「……まさか砂は商品には……できないでしょうな」
足元の砂を爪先で蹴り上げる。
砂漠に宝物があるわけはない。
しかし……だからこそ。
砂漠と言っても砂だけが広がるわけではない。
ところどころには小さな岩山があり、枯れ果てた木の枝のようなものも見える。
そして、ところどころに存在する黒い沼。
離れていても悪臭が鼻を突く。
思わず吐き出してしまいそうになるほどだ。
それなのに現地人と思しき人が時折、沼に訪れている姿があった。
テイルは不思議そうにそれを観察したが良く判らない。
ある者は手桶のようなもので、ある者は小さいな樽のようなものに、沼の水を掬っていた。
見るからにどす黒く、飲料に適しているようには思えない。
「あの黒い水はこの地の薬だそうです」
傍らのヴァレッカが説明した。
とはいってもそれほど詳しいわけではない。
「食あたりにも効くそうで、そのまま飲むのが普通ですが浴槽にいれて体全体に浴びる場合もある様です」
「……ほう」
「効果は疑わしい気はしますが……」
ヴァレッカは肩を竦めた。
黒い水を体に塗るんは悪魔の所業にも感じられるからだ。
「あれは商売にはならないかな……?」
テイルは首を傾げた。
見たところ近くに居住地はななそうである。
遠くから来るよりも買った方が楽と考えるのは世の常だ。
「どうでしょうか。価格に見合わない気もしますが……ああ、そうだ」
ヴァレッカが何かに思い当たった。
「あの黒い水をそこそこ高価で買い付ける商人がいると聞いたことがあります。たしか……」
「わざわざ買い付けに?…ん…何に使うのか」
「良くは判りかねますが、船の防水材にも使えるとか聞いております」
「ほう……」
もちろん瀝青はテイルも良く知っている。
天然アスファルトやコールタールは木材の防腐剤にも使う。
その粘性から接着剤にもなる。
「造船所や船大工に卸すのもありか……」
「ああ。思い出しました。その黒い水を買い付ける商人の船を!}
ヴァレッカが手を叩いた。
「確か、南方の交易商人の船でスカーレット号です。一風変わった船だと聞き知っております」
「……ふむ」
テイルは最初の商売相手を見つけた気がした。
わざわざ買い付けにくるのなら何か目的があるのだろう。
取引をしながらその目的を探り出し、より利益を得る産業に潜り込むこともできるだろう。
「ならば、その船を探しだそう」
「は」
よもやスカーレット号がルシエの船であり、彼らを放浪の旅に追いやったクローリーの仲間であることまでは気付かなかった。
●S-5:龍城
「何ということだ!何たることだ!」
猛々しい竜の咆哮だった。
この特別なドラゴンの聖地でもなければその声音だけで建物が瓦解したかもしれない程だ。
それは体長が100mには達するだろう巨大な金属光沢の赤色竜だった。
「ヴァーシキー様、怒りを御収めに……」
「これが黙っていられようか!」
赤色竜……ヴァーシキーは咆えた。
「一族を殺されたのだぞ!」
その剣幕に他の竜たちも顔を見合わせるしかなかった。
ヴァーシキーの致し方のないことだった。
ここ数十年は孵化前の卵が盗まれる事件が幾たびもあった。
竜たちの捜索にもなかなか発見はされなかった。
それ自体も忌々しいことであったのだったが……。
今度は地上に張り付けになって殺害された幼竜の姿が発見されたのだった。
明らかに見せしめ、あるいは戦果を誇るようなものだった。
もっとも発見したのは偶然である。
エルフとの長い平和協定が綻び始めたことからだ。
エルフの飛行船をドラゴンが襲撃したという言い掛かりがエルフ側から持ち込まれたのだ。
ドラゴンはその総数はそれほど多くはない。
故に確認を取るのは容易かった。
調査によりエルフのとの衝突を起こしたドラゴンはいなかった。
やはりエルフの態度がおかしいと考えるのが自然だった。
何か政変でもあったのか、それともドラゴンを支配しようと戦争でも企んだのか?
どれも決め手に欠けた。
確かにかつて紛争を起こしたことはあったが、その互いの歴史の中では共闘する方が多かった。
人族と交流して魔族を討つ戦争に参加したこともある。
そもそも互いに活動空域が違うために争い合う必要があまりなかったのだ。
疑問を感じた龍城王会議は周辺の調査を行ってみることにした。
本来なら飛ぶことのない人族領域の上空や、エルフの活動空域までも。
そこで発見した。
地上に晒された無残な幼竜の惨殺された姿を。
報告が上がると議会は紛糾した。
すぐにエルフに抗議すべきという意見は穏健な方で、ドラゴンを倒せる力を持つのはエルフにちがいないのだから即時報復すべし!というもの。
いや、人族や魔族の英雄クラスならあり得るので慎重にすべしという意見も。
ドラゴンなら正面切って戦ってもほとんどの種族には勝てるはずだった。
数は多くないとはいえ、その力は圧倒的だ。
逆に数が減少しているからこそ狙われたのではないか?
どれもが説得力がありそうで何かが欠けていた。
その様子を眺めていた老いた龍帝は場を収めるべく発言した。
「待つがよい。潜入している王の報告を聞いてからでも遅くはない。
「おお……」
帝の言葉に不承不承ながら賛同する声が上がった。
ただ、ヴァーシキーだけを除いて。
「……青龍王……コンコードか。あやつごときが……」
ヴァーシキーが最も嫌う同族の名とっともに炎を吐き出した。
怒りと不満からだった。
●S-1:エムレイン伯爵邸
イストは椅子に座って考え事をしていた。
帝国の中級貴族エムレイン伯爵家の城の中庭だった。
歴史は長く格式も高い立派な家柄故に由緒ある名城を所有している。
城下町を見下ろすような丘の上に建つ白亜の城は城塞というよりは、お伽噺に登場しそうな豪奢な建物だ。
空から見下ろせば六角形を形作る城壁が聳え、各角には鋭く天を突くような尖塔がそそり立つ。
実用性と美観を両立した形状をしている。
要塞的な城から城館建築へと移行していく過渡期の物なのだろう。
広い中庭から見えるのは華麗な薔薇園。
専門の庭師が数人で手入れをしているため、奇麗に刈り揃えられている。
傍には華美な噴水。
初代伯爵をモチーフにしたと謂われる彫像を取り囲むように水が吹き出していた。
そして目の前には帝国チェスの盤面。
イストが物を考える時の癖だった。
何かしているように見えるために外部から声を掛けられる心配がないからだ。
思索の邪魔をされることを殊の外嫌うのだ。
手を伸ばし、騎士の駒を摘まんだ。
動かそうとして、手が止まる。
「何故だ……」
納得いくようで、何か引っ掛かる。
今までの彼の策謀についてだ。
彼は野心家だった。
エムレイン家は由緒正しいとはいえ、やや没落気味である。
ここ数代の当主は可もなく不可もない善良さが売りの凡庸な者が続いていた。
彼の父もそうであったし、後継者である彼の兄も人の好さしか見るべきところのない男だった。
このまま衰退していって良いものだろうか?
否。
お家再興か?違う。
イストは自分の力で変革を起こそうとしていた。
歴史に名を刻むような英雄として。
それには安定した帝国の治世は邪魔だった。
乱を起こし、世界を股に駆けるような活躍がしたかった。
それには自分から反乱を起こして簒奪者の汚名を被りたくはなかった。
何処かの誰かが乱を起こし、それを各地に伝播させて……未曽有宇の混乱を起こすべきと考えていたのだ。
切欠は何でも良い。
火を起こし、燃料を注ぎこむことだけに注力した。
その生贄の一つが……アレキサンダー男爵領だった。
魔術学院の中でもいけ好かなかったクローリーを嵌めてしまうつもりだった。
近隣の弱小地方領主を煽り、各地に眠っているであろう不遇な立場の者に野心を抱かせ、戦乱の嚆矢とするつもりだったのだ。
彼の策謀はかなり順調に進んでいた。
実際に乱は起こりかけたのだ。
それなのに……。
クローリーは巧みに潜り抜けてしまったのだ。
イストの計略にミスはほとんどなかった。
予測通りに様々な人間が動き出したのだから。
ただ、クローリーは不思議なことに降りかかる火の粉をあっさり振り払ってしまうのだ。
「エルフか……エルフの力なのか……?」
それはすぐに否定した。
クローリーの元に集まった、召喚されたエルフたちに特別な能力が無かったのは確認済みだ。
運なのか。
そうとしか思えない。
蛮族まで動かして見せたのに効果が無かった。
「悪運の強いやつ……」
自分が無能だとは思いたくなかった。
実際に彼の操り糸に惹かれて人は動いているではないか。
現実には彼の予想とは違う形で、彼の期待する時代へと変貌しようとしていた。
●S-2:アレキサンダー男爵領/男爵邸/執務室
リシャルは小さな紙を握り潰して、火に焚べた。
小さく笑う。
怜悧な美少年だからこそ迫力があった。
「また、イスト様からですか?」
メイドのリエラが表情を変えないまま尋ねた。
特別な美女でもなければ醜くもない。
ごく普通といって良い。
普通過ぎてどこにいても存在感を残さない、そんな少女だった。
ある意味、密偵には最適だったろう。
「そうですね。彼は……頭は悪くないのですが、判っていませんね」
リシャルのイスト評はそういうものだった。
「裏切りや反乱は、それ自体が目的ではいけないということが理解できていません」
リエラは小さく頷く。
彼女はただ聞くだけだ。
滅多なことでは意見しない。
「謀反は最適のタイミングで、最高の結果を得られる場合に行うものです」
リシャルに叛意があるのではないか?というイストの予想は決して的外れではない。
ただ、男爵家程度を手に入れるためだけに汚名と人生を賭ける気はなかっただけだった。
常に慎重にタイミングを計っているだけだ。
「どうせなら……王位くらいになってから狙うものでしょう」
みんな焦り過ぎです、と言いかけて椅子に腰を下ろした。
リシャルの立場は実のところイストに近い。
貴族家の次男であり、後継者である長男よりも才気に溢れているところもだ。
同様に乱世を望むところまではいかないが立身出世は願っている。
違うところは……イストが自分の手を汚さずに人を動かそうとすることに対して、リシャルは自分の力で成り上がろうとしているのだった。
自分の才覚で周囲を動かしたいと思っていた。
イストが策士であろうとするのなら、リシャルは英雄であろうとしているところが大きく違うのだ。
そのためには兄であるクローリーは絶好の隠れ蓑だった。
男爵領を実質的に管理しているナンバー2としての立場を利用して、警戒されることなく野望の手を広げるつもりだった。
その彼の計算外であったのがエルフと呼ばれた異世界召喚者たちであった。
彼らの不思議な行動の結果、男爵領は予想外の発展を遂げつつあった。
徐々に勢力を拡大していくつもりだったものが、男爵領単体だけでかなりの経済力を手に入れてしまったのだ。
これは彼の野望に対してマイナスではなく大きなプラス材料だった。
何かしら計画を前倒ししても良さそうな気配さえあった。
そこに空島世界のエルフが登場した。
想定外どころか驚天動地の出来事だ。
飛行船を見たときは自分の中の常識が打ち砕かれた思いだった。
こうなっては全てを考え直さねばならない。
今後も更なる事件が起きるかもしれないのだ。
当面は状況を観察して情報収集に励むしかなかった。
大業を成すには慎重さと大胆さが必要なのだ。
「それと……アリシア姫からですが」
リエラが一通の手紙を差し出す。
カストリア子爵家の印蝋が押された正式なものだ。
「………」
リシャルは表情を失った。
あの姫様だけは苦手だった。
辺境紛争時には大きな借りもできた。
粗雑には扱えない。
「後で読むことにしますよ」
「ですが……」
リエラが視線を窓の外に向ける。
そこにはクローリー肝入りの車輪印の馬車が停まっていた。
「お返事を待っているようですが……」
クローリーの始めた通称『車輪屋』業務は郵便が主業務である。
速度と信用を売りにしているものだったから無下にはできない。
リシャルは大きく溜息を吐いた。
「兄上も面倒な商売を始めてくれたものです……」
●S-3:サッサバル/伯爵城
「やはりエルフの技ではないかな」
伯爵は独り言ちた。
飛行魔獣たちを一掃した謎の爆発は彼の知識の中の大魔法にもない。
すると考えられるのはエルフたちの超兵器だろう。
かつてドラゴンたちと互角以上に戦ったという空島世界のエルフたちの強さは良く知っていた。
1000年前の帝国建国時に人族と共闘してきたエルフの空船には何度も苦汁を味わわされた。
寿命が無いとまで言われる吸血鬼である伯爵だからこそ、直接体験したのだった。
蛮族領でも当時を知る者は数えるほどしかいない。
そのエルフの恐怖は記憶と歴史の彼方に消えようとしていた。
傍らに視線を移す。
そこには以前ならダークエルフの美女が控えていたはずだった。
彼女はもういない。
襲撃に失敗して斬られたのだ。
空へ行かず地上に残ったエルフの末裔。
先の戦いで彼の貴重な人材が少なからず失われていた。
自らの油断を戒めなくてはならない。
「逸り過ぎたのだな。私は」
人族からの情報一つで動いてしまった自分の愚かさを笑った。
次にやるなら自分流でやるべきだと思った。
少し考えて、部下を呼んだ。
現れたのは眷属の吸血鬼だった。
まだ若い。
「イオよ」
若い吸血鬼は跪いて頭を垂れた。
「楔を打ち込んでこい」
「……了」
「正面から堂々と、というのは私らしくなかった」
一つ何かを思いついた。
「そうだ。アレを上手く返してこい」
策は二重三重に幾つも忍ばせて、どれか一つでも当たれば良いのだ。
伯爵はゆっくり結果を待つことにした。
時間はあるのだ。
彼のの無限にも近い不死の命からすれば待つことなどどうということはない。
●S-4:砂の国の海岸
豊かで進んだ文化を持つことで知られる砂の国は、その華麗なイメージと裏腹に多くの土地が砂漠であった。
元々は広大な草原だったと伝えられるのだが、それが不毛の地になった理由は様々である。
最も有力な説は遊牧民が多かったために、各地に移動しながら家畜に草を食べ尽くしたためとも謂われる。
気候変動のせいもあるはずなのだが、海岸沿いは特に酷い。
より内陸である北に向かっても岩砂漠であることに変わりはない。
この地で最高の資源は水と呼ばれる由縁だった。
テリリンカを追放されたテイルがこの地に辿り着いたのは偶然ではない。
多島海で代官をしていた彼はそこそこ有名人であった。
海洋交易の発展した絹の国では特に、見知ったものも多いだろうと考えられた。
帝国は論外である。
海洋戦力の乏しい帝国では彼の力を発揮する場所が少ない。
消去法的に砂の国を選んだ。
砂の国はその地形的特徴のために中央集権的な国家ではない。
広く点在する都市国家群が緩やかな連合体となっている。
当然だが地域ごとの自主性は高く、自分を受け入れてくれる場所を探しやすい。
せいぜい自分を高く売りつけてやれば良い、と考えてもいた。
ある意味、島の連合体である多島海に近いのかもしれない。
テイルが最初に手を付けようとしたのは交易である。
砂の国は陸上交易も海洋交易も盛んであることから、参入する隙間はありそうに思えた。
問題は商品だった。
利益の大きな品や交易路はすでに既存の商人が支配しているものだ。
何か新しい、そして一見無価値なものに価値を付けて商うのが理想だった。
「……まさか砂は商品には……できないでしょうな」
足元の砂を爪先で蹴り上げる。
砂漠に宝物があるわけはない。
しかし……だからこそ。
砂漠と言っても砂だけが広がるわけではない。
ところどころには小さな岩山があり、枯れ果てた木の枝のようなものも見える。
そして、ところどころに存在する黒い沼。
離れていても悪臭が鼻を突く。
思わず吐き出してしまいそうになるほどだ。
それなのに現地人と思しき人が時折、沼に訪れている姿があった。
テイルは不思議そうにそれを観察したが良く判らない。
ある者は手桶のようなもので、ある者は小さいな樽のようなものに、沼の水を掬っていた。
見るからにどす黒く、飲料に適しているようには思えない。
「あの黒い水はこの地の薬だそうです」
傍らのヴァレッカが説明した。
とはいってもそれほど詳しいわけではない。
「食あたりにも効くそうで、そのまま飲むのが普通ですが浴槽にいれて体全体に浴びる場合もある様です」
「……ほう」
「効果は疑わしい気はしますが……」
ヴァレッカは肩を竦めた。
黒い水を体に塗るんは悪魔の所業にも感じられるからだ。
「あれは商売にはならないかな……?」
テイルは首を傾げた。
見たところ近くに居住地はななそうである。
遠くから来るよりも買った方が楽と考えるのは世の常だ。
「どうでしょうか。価格に見合わない気もしますが……ああ、そうだ」
ヴァレッカが何かに思い当たった。
「あの黒い水をそこそこ高価で買い付ける商人がいると聞いたことがあります。たしか……」
「わざわざ買い付けに?…ん…何に使うのか」
「良くは判りかねますが、船の防水材にも使えるとか聞いております」
「ほう……」
もちろん瀝青はテイルも良く知っている。
天然アスファルトやコールタールは木材の防腐剤にも使う。
その粘性から接着剤にもなる。
「造船所や船大工に卸すのもありか……」
「ああ。思い出しました。その黒い水を買い付ける商人の船を!}
ヴァレッカが手を叩いた。
「確か、南方の交易商人の船でスカーレット号です。一風変わった船だと聞き知っております」
「……ふむ」
テイルは最初の商売相手を見つけた気がした。
わざわざ買い付けにくるのなら何か目的があるのだろう。
取引をしながらその目的を探り出し、より利益を得る産業に潜り込むこともできるだろう。
「ならば、その船を探しだそう」
「は」
よもやスカーレット号がルシエの船であり、彼らを放浪の旅に追いやったクローリーの仲間であることまでは気付かなかった。
●S-5:龍城
「何ということだ!何たることだ!」
猛々しい竜の咆哮だった。
この特別なドラゴンの聖地でもなければその声音だけで建物が瓦解したかもしれない程だ。
それは体長が100mには達するだろう巨大な金属光沢の赤色竜だった。
「ヴァーシキー様、怒りを御収めに……」
「これが黙っていられようか!」
赤色竜……ヴァーシキーは咆えた。
「一族を殺されたのだぞ!」
その剣幕に他の竜たちも顔を見合わせるしかなかった。
ヴァーシキーの致し方のないことだった。
ここ数十年は孵化前の卵が盗まれる事件が幾たびもあった。
竜たちの捜索にもなかなか発見はされなかった。
それ自体も忌々しいことであったのだったが……。
今度は地上に張り付けになって殺害された幼竜の姿が発見されたのだった。
明らかに見せしめ、あるいは戦果を誇るようなものだった。
もっとも発見したのは偶然である。
エルフとの長い平和協定が綻び始めたことからだ。
エルフの飛行船をドラゴンが襲撃したという言い掛かりがエルフ側から持ち込まれたのだ。
ドラゴンはその総数はそれほど多くはない。
故に確認を取るのは容易かった。
調査によりエルフのとの衝突を起こしたドラゴンはいなかった。
やはりエルフの態度がおかしいと考えるのが自然だった。
何か政変でもあったのか、それともドラゴンを支配しようと戦争でも企んだのか?
どれも決め手に欠けた。
確かにかつて紛争を起こしたことはあったが、その互いの歴史の中では共闘する方が多かった。
人族と交流して魔族を討つ戦争に参加したこともある。
そもそも互いに活動空域が違うために争い合う必要があまりなかったのだ。
疑問を感じた龍城王会議は周辺の調査を行ってみることにした。
本来なら飛ぶことのない人族領域の上空や、エルフの活動空域までも。
そこで発見した。
地上に晒された無残な幼竜の惨殺された姿を。
報告が上がると議会は紛糾した。
すぐにエルフに抗議すべきという意見は穏健な方で、ドラゴンを倒せる力を持つのはエルフにちがいないのだから即時報復すべし!というもの。
いや、人族や魔族の英雄クラスならあり得るので慎重にすべしという意見も。
ドラゴンなら正面切って戦ってもほとんどの種族には勝てるはずだった。
数は多くないとはいえ、その力は圧倒的だ。
逆に数が減少しているからこそ狙われたのではないか?
どれもが説得力がありそうで何かが欠けていた。
その様子を眺めていた老いた龍帝は場を収めるべく発言した。
「待つがよい。潜入している王の報告を聞いてからでも遅くはない。
「おお……」
帝の言葉に不承不承ながら賛同する声が上がった。
ただ、ヴァーシキーだけを除いて。
「……青龍王……コンコードか。あやつごときが……」
ヴァーシキーが最も嫌う同族の名とっともに炎を吐き出した。
怒りと不満からだった。
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