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しかるに彼は僕が好き

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「ご、五条監督……!?」

 泡を食う要に小さく頷いてから、暗色のポロシャツにスラックスというラフな出で立ちで現れた五条は、スリッパをペンギンよろしくペッタンペッタンと鳴らして入室する。相変わらずトンボのようなサングラスをつけているため表情が読めない。

 立ちあがった社長はニッコリと五条を迎え入れた。

「お待ちしておりました。五条監督」

「監督、どうしてこちらに……」

 向かいのソファに座った五条をまじまじと見つめ、泉が怪訝そうに呟く。五条は長い前髪越しに泉を一瞥すると、内緒話のように小さな声で言った。

「泉とまた、仕事をしたくて」

「泉と仕事ですか!?」

「いや、よく聞きとれたなお前!?」

 勢いよく食いついた要に泉が突っこむ。社長が続きを促した。

「お電話で伺った通りですね。それで?」

「美作が泉の主演映画の監督から降板したと聞いた。私がその後を引き継ぎたい」

「……五条監督が……!?」

 要が前のめりになって聞いた。急いで泉の隣にかけ直す。泉は怪訝そうに言った。

「……何故今の俺と? 監督にメリットはあるんですか?」

「泉……!」

 真偽を問うような泉の口調を、要はたしなめる。

 五条はノンフィクションとドキュメンタリーを撮らせたら右に出る者はいないと言われているほどの実力者だ。彼が後任を務めてくれるなら願ってもない話なのに、簡単に喜ばない泉が要には理解できなかった。

 しかし泉は辛辣な口調で言う。

「俺の俳優人生の起死回生がかかってるんです。藁にも縋る思いで受けた主演映画の監督が、変態だった。だから今度はもう失敗できない」

「泉……」

「むろん、失敗する気はない」

 サングラスのブリッジを押しあげ、五条は静かに言った。

「私は私のメリットの為にきた。夢を叶えにきたんだ。泉、五百蔵くん。君たちと」

「オレ……たち、と……?」

 要に向かって、五条は大きく頷いた。

「泉の……役柄が憑依したような表現力、そして誰にも真似できないカリスマ性は竜胆ななせのMVで十分に分かった。逸材だと思ったよ。また何らかの形で一緒に仕事がしたいと思った。そして――――釈明会見を見た時に君たち二人の絆を感じとって、私は魂が震えた。どうしてもこの手で泉の半生を描きたいと思った」

「……!」

 要は心が震えるのを感じた。膝の上で、ギュッと拳を握りしめる。

「美作監督に先手を打たれて、半ば諦めていたが……」

 五条はサングラスを外し、涼やかな目を子供のように爛々と輝かせて言った。

「あの釈明会見を見て、やっと見つけたと思ったんだ。夢を体現してくれそうな存在を。私の夢は最高のドキュメンタリー映画を撮ることだ。今までにも沢山の作品を手掛けてきたが、いまだに人生において最高傑作だと言えるものはない。でも泉、君と五百蔵くんの歩んできた軌跡を撮ることができれば私の夢は叶う気がする」

「俺と要の、軌跡……?」

 泉が呟く。五条は今までで一番大きな声で言った。

「可能性を感じた。泉、君に。君が私を突き動かしたんだ。私に監督をさせろ。埋もれるな。君は羽ばたくべき存在だ。スターなんだよ」

「……っ」

 胸の中で揺れていた思いの水が、溢れる。それは涙となって要の頬を濡らした。子供のように泣きだした要に、五条は虚を突かれた顔をする。

 要はゴシゴシと目元を擦り、泣きながら言った。

「嬉しい……!」

「五百蔵くん?」

「ごめんなさい、オレ、オレ、嬉しくて……! 泉はこんなにも輝いてるのに、埋もれてしまうんじゃないかって……誰かのせいで泉がスターじゃなくなるかもしれないと思うと悔しくて……! だから……っ」

 嗚咽でつっかえながら、要は喘ぎ喘ぎ言った。

「だから五条監督が泉を見つけてくれて嬉しい……! オレや社長だけじゃない。味方だけじゃない人が、泉を認めてくれて……嬉しい……!」

「……君が導いた存在だ」

 五条は真摯な瞳で訴えた。

「……っ。オレが最初に見つけたけど、でも、芸能界は冷たいから……っ。努力だけじゃ、才能だけじゃ叶わない世界だと思ってたんです……泉は誰にも負けない輝きを放っているのに、誰かの恣意が邪魔をしてくる。それを払いのけたくても、オレだけの力じゃダメで……っでも五条監督が……っ」

「確かにこの世界は、努力と才能だけじゃ生き抜けない。実力があっても埋もれてしまう」

 五条は冷静な口調で言った。

「けれど、君たちを利用しようとしたり、虐げようとする人間だけではない。五百蔵くん、君が発掘したスターを、世の中に知らしめようとする私という存在もいるんだ。私は一泉という可能性を信じている」

「はい……はい……!」

 その事実をずっと要は待ち望んでいた。泉を見つけた日からずっと。そしてどん底の中にいる時こそ、泉の価値を認めてくれる他者がいることが嬉しく、要は泣きやむことができなかった。

 その背に、泉がそっと手を添える。泣いて喜んでいるのは要ばかりだったが、静かな泉の方こそ、五条の言葉に深く喜んでいるように要には思えた。





 一年半後、国内映画賞最高峰の授賞式が都内のホテルで行われていた。

 監督賞と作品賞を受賞したのは五条伊織監督と、その監督がメガホンをとった『ノットアローン』、一泉が主演を務めたドキュメンタリーである。

 そしてたった今、最優秀主演男優賞を受賞し、眩い壇上へ上がったのは泉に他ならなかった。

 低予算で作製されたにもかかわらず、口コミで上映館数を増やしついには興行収入が七十億円を超えた異例の作品が、そこまで興行収入を伸ばした要因は泉の演技力と彼の生い立ち、何より彼の人物像に多くの人が惹かれたからだった。

 グレーのスーツをカッチリと着こなした泉は、トレードマークのペールブロンドをオールバックにしてすっきりとした印象に見せている。

 一段一段階段を踏みしめていざマイクの前まで辿りついた泉は、まず謝辞を述べた。

 アナウンサーに促され、受賞の感想を語る泉の姿に、賞にノミネートされた俳優たちが聞き入る。テレビカメラが泉の一挙手一投足を熱心に追う中、男性アナウンサーが尋ねた。

「やはりこの映画、一さんの人生のターニングポイントとなったマネージャーさんとの出会いが大きな注目を呼びましたね。一時期世間をお騒がせした事件でも、マネージャーさんが絡んでいましたし」

「そうですね……」

 トロフィーを手にした泉が小さく微笑む。同性のアナウンサーさえ感嘆の息を吐くほど整った容姿だ。周囲が泉の魅力に酔い、受賞したことで名実ともに日本屈指の俳優となった泉は、明日の新聞の一面を飾ることになる台詞を放った。

「しかるに、俺は彼が好きなんですよ」

 会場にどよめきが巻き起こり、一瞬カメラマンの手元がぶれて中継の画像が揺れる。

 日本屈指の、やがて世界に羽ばたくスターとなる泉は、カメラに向かってニヒルな笑みを浮かべた。カメラの遥か後方、顔を真っ赤にして慌てる、愛しい愛しい恋人に向かって。
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